ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Dec 10, 2021
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カテゴリ: 映画、テレビ
「いつかどこかで結ばれるってことはとわの夢」(評価 ★★★☆☆ 三つ星)

 いよいよ今週末から全米公開、1961年の「ウェストサイド物語」をスティーブン・スピールバーグ監督が再制作した版を早速鑑賞してきたのでその感想を。
 日本では2022年2月公開予定。 www.20thcenturystudios.jp/movies/westsidestory

 ぼくの評価としては、カネかけて作られてるだけあって圧巻、ふつーに楽しめたけれども、しかしながら厳しめに三つ星どまり。
 この演目はぼく自身、'61年版はもちろん、ミュージカル版もいろんな演出家による舞台を何度も鑑賞してるし、実際にオケピットで(バイオリンで)何公演か弾いたこともあり、思い入れがありすぎて過度に期待してしまったわけで。

 てか、せっかく再制作するならもとの作品を上回らなきゃ意味がない。脚本や演出を変えるなら変えるで、それらの変更は意味のあるものでなければならないはず。そうゆう意味で、もともと良くできてる名作をいじり倒したわりに、大騒ぎするほどには前作をしのいだ出来とは思えず。

 以下にぼくの気づいた点をに箇条書きにしてまとめてみると、

<気に入った点、良かった点>
 - '61年版の歌唱場面は声楽家が吹き替えてたと言われてるけれど、今回はちゃんと役者本人が歌ってるもよう。
 - 特に主役マリアを演じた役者さん、歌がお上手。高音も威圧的じゃなくて良かった。ただ、感情を抑えきれない多感系思春期女子という点では'61年のほうが良かったか。

 - のちのニューヨークウェストサイド地区の再開発ぶり(高級アパート、芸術区リンカーンセンターなど)を彷彿させるような台詞、演出。
 - 警察署の取調室での「Gee, Officer Krupke」(の振り付け)。音楽的にかなり難曲だし、舞台版だと歌って踊るのは大変。うまくまとめていた。
 - ラテン系の役者さんたち全般。'61年版よりもラテン色が前面に出ており、スペイン語の台詞も多かった。なお、ぼくもそうだけど、外国語環境で暮らしていても、人は感情的になると思わず母国語で発言してしまうもの。だから彼らがどうゆう時に英語からスペイン語に切り替わるのかは興味持って観られた。←ただ、そこまで考えて脚本が書かれてるかはわからずじまい


<気に入らなかった点、気になった点>
 - チンピラ少年たちの路上での舞踏場面(の振り付け)。お上品な古典バレエ的で優雅すぎたか。思い切って現代風にヒップホップも加味して路上っぽさを出してみたらよかったのに。
 - 主役トーニーを演じた役者さん。高音も頑張って歌ってて奮闘なさっていたけれども、配役的に合ってない。「愚連隊ごっこなんか卒業して改心して普通の男の子に戻りたいんだもん」とか言いつつ思わずカッとなってしまう衝動的で複雑なキャラも表現し切れていない。黒歴史を持つワケあり君のはずなのに。
 - 劇中で登場する楽曲のなかに余計な編曲がされてるなと感じたものがあった。よく覚えてないので実例は列挙できないものの、例えば曲の終わり方。原版だと(舞台版だけだったかも)、フェルマータとかで音を伸ばしてジャンっで終わっててわかりやすかったのに、その「締めの音」がなくうやむや終止。←この最後のひと刺しを音楽業界ではstingと呼ぶ人もいる。弦のピチカートでポンと鳴らしたり
 - トーニとマリーアが初めて会い、やがて一緒に踊り、接吻、という一連の場面。周りが見えなくなるほどの衝撃の一目惚れを表現しているという意味で'61年版のほうの演出が優れている。
 - クロイスターズ庭園の場面。禁断の恋に溺れる若い男女が白昼堂々密会する場所がクロイスターズという設定はビミョー。
 - マリアほか女子たちは原作では花嫁衣料品屋で働いてるお針子さんだかいう設定だったのに、今回は百貨店の深夜の清掃人。特に効果的な変更とは思えず。てか、彼女たちはいつ寝てるのか。
 - 舞台じゃあるまいし、せっかく映像化してるんだから、例えばトーニーが歌ってるときに律義にせっせと彼だけを映す必要はないはず。妄想や幻想の場面を投入したりして決して舞台ではできない編集で魅せてくれるかと思ったら意外に正統派で保守的な画面づくり。その点でライアン・マーフィ作のテレビ「グリー」とかのほうが映像的に見応えがある。
 - 最も驚いたのは薬局の親父さんの役。白人ではなくなんと敵軍と同じラテン系しかも老女という設定に変更されてた。これは筋にもかなり影響あり。てか、明らかに、'61年版に出演なさっていた役者リタ・モレノおばあちゃま(当時のアニータ役)を何とか登板させるための強引なキャラ変更。ほかの役者らが無名の新人さんばかりだったから、なおさらこの「話題づくり」の忖度配役にはびっくり。確かに60年前のアニータは名演だったけれど、それはそれ。



 とりあえず思いつくのは以上。

 さらにぼくの意見としては、一般的にこの演目を上演するにあたり演出家や役者の手腕が試されるのは特に以下の六つの場面:

 - トーニがベルナルドを刺す場面(誤って刺すのか意図して刺すのか)
 - 事件直後でパニクってるはずのトーニとマリーアがイチャイチャしはじめ、ちゃっかり脱ぎはじめて寝床を共にする場面
 - 男たちに虐待されたアニータが、パニクるあまり偽りの情報を言い放ってしまう場面

 - 最後、マリアが拳銃を手にあれこれ叫ぶ場面
 - 最後の最後、数人で死体を持ち上げる場面(白人だけでやるのかプエルトリコ人も協力するのか)、そしてその直後のマリアの所作(呆然と立ち尽くす/へなへなと座り込むのか、明日に向かって健気に歩き出すのか)


 上記のような、これまで60年ものあいだ世の舞台演出家たちが悩みまくってきたであろうせっかくの見せどころを、スピールバーグさんは割とあっさり描いている。
 ほかの分野は素晴らしかっただけに、なおさら惜しい。
 よって、本作は(映画好き、音楽好きの人からは絶賛されるだろうけれど)舞台好きの人からは「絶賛」はされないような気がする。

 つまるところ、過去の版や舞台版との比較をせずに観るぶんにはとても良くできた映画であることは間違いないので、そこんとこ自分自身うまく心の整理ができていない状態。
 ちなみに今日の映画館、客層は自分も含め中高年ばかりだった。





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最終更新日  Dec 19, 2021 08:04:35 AM
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