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クリスマスツリーのあとの季節は、早く春がきてほしいと願っているかのようです。
そのとなりにある楽器屋さんへふらりと立ち寄りました。
なんにも買うつもりもなかったのですが、なんだかひっかかるメンデルスゾーングッズ??ではありませんが、気になるのでこの際買ってしまったものいくつか。
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CD:メンデルスゾーン交響曲3番「スコットランド」交響曲4番「イタリア」
クルト・マズア指揮 ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団
http://mendelssohn.jp/
先日、ここで紹介したメンデルスゾーン基金日本支部の代表はマズーア・トモコさんだから、旦那さんがクルト・マズアさんなんでしょう。
今日のBGMになりました。
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音楽の友社出版のメンデルスゾーン 無言歌集の楽譜
http://plaza.rakuten.co.jp/pingpongpang/diary/200901150000/
先日、立教大学へメンデルスゾーンのオルガン曲を聴きに行きましたが、
そこでレクチャーされていた星野宏美先生は、この楽譜でメンデルスゾーンの解説がありました。最近知ったのですが、メンデルスゾーン研究の第一人者のようです。
かかれた論文とか過去の書籍とか見てみたくなりましたが、まずはこのあたりからと思って・・・。
シューマンによる無言歌集に対する批評、興味深いです。(引用します)
「夕暮れにピアノの前に座り(グランドピアノでは物々しすぎるような気がする)ファンタジーのおもむくままに楽の音を奏でているうちに、知らず知らずに、ピアノに合わせてメロディをそっと口ずさんでいた経験が誰しもあるだろう。もしもそのメロディと伴奏をピアノの鍵盤上で結びつけることができるなら、そこから世にも美しい無言歌の数々が生まれる」
(1835年 音楽新報に掲載された、無言歌集第2集op.30の初版評)
メンデルスゾーンの無言歌に対するコメント
「人々は音楽について語りたがる。しかし、それに意味があるとはまずない。言葉は音楽を語るために十分ではないのだ。音楽は曖昧だと人々は嘆く。音楽は何かを考えさせるが、それが実に不明確である。一方、言葉は誰しもが理解するというのだ。しかし、私にはすべて逆である。つまり、言葉こそ曖昧で不明確で、誤解をまねくように思える。音楽が私に語りかけるものは、私にとってことばでとらえるにはあまりにも不明確なのではなく、逆にあまりにも明確なのだ。無言歌の作曲の祭に何を考えていたのかと問われるならば、それは、そこにある歌そのものだと答えよう」
(1842年10月15日、メンデルスゾーンからの知人あての手紙より要約)
作曲家自身のことばですので、深いもので多く尊重したい、ということを感じました。
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ムジカノーヴァ2月号
特集1 メンデルスゾーン、シューマン、ショパンで学ぶ、ピアノで歌うとは。
メンデルスゾーン、浮き雲、ヴェネティアの舟歌が題材。
浮き雲については、参考になりましたが、疑問に思うこともありました。
「1-2小節目と9-10小節目では、フレーズのかかり方がちがうから、片一方はスラーがかかっていて、片方はかかっていないから、Bの音は必然的に違う弾き方をしなければならない・・・」のところ、
雑誌では、たぶんヘンレ原典版で、たしかにそうなっていますが、
自宅にある、ペーターズ版では、どちらもフレーズのかかりかたは同じで、どちらもスラーかかっています。
子供のころに買ってもらった昭和50年ごろの全音の楽譜も、さっき上でみかけて最新版の音楽の友社の楽譜は、ペーターズ版をほぼ踏襲している感じですので、
楽譜を忠実に読み取るということをするとき、本当にそうなのだろうかと、少し疑問に感じました。原典版、解釈版の良し悪しはあるものの、自分がどうしたいのかと考えた上で、弾いてもいいのではとも思っています。ペーターズ版の自然な感じでのフレージングは、歌うという観点から見ればそれもありのような感じがして、無理に音色変えなくてもいいんではと思ってしまいました。手首をつかってブレスする、フレーズを考えるというくだりも、自分はそうやって弾いていないのですが、いろいろな考えがあるのだということで、これは参考になりました。
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偶然、ある場所で弾くことになっているので、ピアノの前で、いろんな版の楽譜をとっかえひっかえ見ていました。
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