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クララ・シューマンは、1819年生まれ、ヨハネス・ブラームスは1833年生まれ、7年くらいの年の差かと思っていたら、意外と14年の年の差がありました。
クララ・シューマンは1896年没、ブラームスは1897年没、
ほとんど後を追うようにという感じもします。
ロベルト・シューマンは、「俺は知っている」とうわごとのような遺言を残したといわれていて、現在でもクララ・シューマンとブラームスとの不倫説はやはり絶えません。
・・・・・・
なんだかこの人らしいなあと思ってしまったりのエピソードのようです。
上の写真というかブロマイドは、クララ・シューマン。 ピアノのそばに置いているのです。
これは、2000年の9月にライプツィヒへ旅行したときに、現地で買った数少ないもののひとつ。聖トーマス協会からすぐ近くのビルのショッピングセンターにて。
メンデルスゾーンハウスやゲバントハウスもそれほど離れていない場所だったかと記憶しています。まだそのころはユーロではなく、ドイツマルクを使っていましたが、100マルク紙幣はクララ・シューマンでした。
日本では聖徳太子や福澤諭吉にあたる人なのかとおもってお札をみましたが、ブロマイドを見て、そういうことは考えたくなくなりました。
BGM:ブラームス 4つの小品より「間奏曲」 op.119-1 ピアノ:ラドゥ・ルプー
「あなたがきっと喜んでくださると思い、あなたのためにピアノの小品を書こうとしていました。不協和音で渦巻いている曲です!......この小品はとても憂鬱で、
「きわめてゆっくり演奏すること」というのは、決して控えめな表現ではありません。
すべての小節、すべての音符がリタルダンドのように聞こえ、すべての音から憂鬱が吸い込まれるかのように、そして不協和音から官能的な悦びがおこるかのように聞こえなければなりません。」
Imogen Fellinger, preface for Brahms Klavierstücke op.119 (Wien: Wiener Urtext Ed., 1974), p.III. より引用
1893年クララ・シューマンあての手紙のなかで、ブラームスが語ったことのようです。
官能的・・・ということばに、ぐらっときてしまいました。
この曲はいつか弾きたい。
大切な人のために作ったということをわかったうえで、いつかそういう人のために弾きたい感じがします。
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まじめにピアノさえ弾いていればいいというところでは、こういう曲、雰囲気でないですし、あまり弾きたくないですね。
そういう会とかが仮にあったとしても参加しようという気にもなれませんが・・・。
ドビュッシーの「喜びの島」もそういう単語を思い浮かべてしまいますが、
どうどうと表現できるようになりたいものです。
この曲を選んで弾こうとされるかたは、不思議と気があう人が多いような気がします。
(あたまのなかに5人ほどぱぱっと浮かんでしまいましたが・・・)
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