pingpongpang

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June 8, 2009
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テーマ: KLAVIESTuCKE(1048)
カテゴリ: インテルメッツォ

ロベルト・シューマンの誕生日だということを、シューマンがお気に入りの音楽仲間に教えていただきました。

生誕199年、でも同い年のショパンのようにそれほど騒がれません。没後150年だった2006年だった年は、生誕250年のモーツァルトイヤーだと世間ではいわれ、いつもいつも影の人になっているようでもあります。

ショパンやモーツァルトと比べてどうかというのは、桜並木とバラ園とラベンダー畑を比べてどれがいいですかと言われるのと同じように聞こえてしまい、私にとっては大切な作曲家であることはいうまでもありません。

書いていておもしろくなってきましたので、ちょっと振り返ってみたくなりました。

シューマンは、バイエルのおわりのほうにある、「楽しき農夫」 という曲があり、それを弾いたのが最初だったと思います。
高校のころ、家にあるレコードを聴いて、ピアノ習っていなかったのですが、なんとなく「トロイメライ」のピースを買って弾いたのがその次だったと思います。

ピアノは弾いていない時期は、ウォークマンでよく聴いたりもしていました。
大阪から和歌山まで2時間以上かけて仕事先に通っていたことありました。
ホロヴィッツのシューマンのCDでして、おわりから2番目の「アラベスク」、おわりの曲の「花の曲」は、とても印象に残っています。行きも帰りもひとりのときは、シューマンのピアノ曲がお友達でした。
南海なんばの駅前にはまだ大阪球場があり、和歌山の手前の関西新空港は建設中でした。
そんな平成のはじめごろの出来事です。

ピアノは22年のあいだ、習っていない時期がありました。
東京で一人暮らしを始めて、最初に練習したいとおもったのが、op.18のアラベスクでした。ピアノを買ってすぐに、なぜか直感でひらめいたように、ピアノピース買いました。
この曲から、再スタートとなりました。
この年はザルツブルクにも行ったので、帰りにミュンヘンに立ち寄り、ヘンレ版の楽譜を買いなおしました。ラトハウスの裏にあるそこのお店は、自分のなかでは「ヘンレ屋さん」
のように思っています。ドイツへ行くたびに立ち寄るようになりました。
いつ弾くかどうかわからない、op.9の「謝肉祭」の楽譜もアラベスクと一緒に日本へ持って帰りました。

99年から長く習っている今のピアノの先生にお世話になっていますが、
2曲目が、op.12の「幻想小曲集」から飛翔を練習しました。
その後、ベートーヴェンとシューベルトがなんとなく多かったようにも思いますが、
2006年にピアノの発表会で、10分ほどの枠をいただいて、
op.9の謝肉祭を弾きました。
「ショパン」という曲以降を練習していたのですが、「パンタロンとコロンビーヌ」というスタートしにくい曲から始めました。ドイツ風ワルツのなかの間奏曲「パガニーニ」は本当にたいへんな曲でした。それらしく弾けるまでにたった2ページの楽譜ですが半年かかりました。
ちょうどブログをはじめたころで、海外留学している方も謝肉祭やられていたので、刺激を受けて、話相手になってもらえました。
「告白」という曲と「ブロムナード」という曲は、この作品でほっとするところ、この2曲だけでPTNAステップにでて、3人からブラボーをもらったのはうれしかったです。
「ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進」、こんなに弾いていて楽しい曲はあるのかと、心から思いました。その前の「休憩」という曲は、「休憩」どころではなく、なかなか華やかになれませんでした。

その後、op.15「子供の情景」からNo.7/8/9という感じで練習したり、op.26「ウィーンの謝肉祭と道化」から間奏曲を練習したりしました。


2010年のショパンイヤーには、op.28の前奏曲からおしまいの4曲ということを決めてかかって弾こうとおもっていますが、シューマンについてはまだ考え中です。
やっていない曲は書き出したらきりがありませんし、ゆっくり考えてみます。
オーボエの伴奏するop.94「3つのロマンス」とか、op.48「詩人の恋」のピアノ伴奏で、5月に妙になってみるのもいいし、op.29-3「流浪の民」とか合唱団の伴奏できたらうれしいし、考えてみるだけで楽しくなりました。

BGM: シューマン 交響曲第2番 ハ長調 op.61
      レナード・バーンスタイン指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  すきな交響曲5つ・・・といわれたときに、4番目か5番目にいつも書いています。
  最後の楽章はベートーヴェン5番の4楽章、ブラームス1番の4楽章に
  似たようなところありますが、辛かった時期に聴いて何度も励まされました。
  曲の作られた背景を読むと、シューマン自身とても苦しんでこの曲を書いたことを
  知ることとなり、最後の4楽章は、本当に感動的です。
  バーンスタインが札幌でPMFを立ち上げた時、テレビでゲネプロみて、
  深くしることになったきっかけでもあります。
  そのときのことを時々振り返ってみたいとおもうことがよくあります。






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最終更新日  June 8, 2009 08:46:59 PM
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