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昼間は、のんびり高校野球をテレビで見で過ごしていました。
第二試合は、両親の実家のある、福井県の小浜線沿線にある学校が出ていたので、ずっと見ていました。
かつて、敦賀から2両編成の小浜線に乗って、3つ目くらいで、急に高校生が乗ってきて、にぎやかになったことがあるのですが、ここの学校かとイメージできます。福井県の学校は1回くらい勝てばいいようなくらいでしたが、最近では強豪校とやっても、普通に試合していて、頼もしかったです。センバツ優勝校だから、当然といえば当然ですが。延長戦でよく乗り切りました。
昭和44年(1969)から40年以上、高校野球見てきた率直な感想。
第三試合は、実家のある大阪代表が出ていたので。初出場の学校がどこにあるのかも、わからない状態でしたが、もともとの此花学院とかいっていたので、自分の生まれた大阪市此花区の学校の人たちががんばっているのかと、妙に親近感もってみていました。こちらも延長戦で、よく乗り切りました。

数年前、父の実家に戻る途中に、福井県の東尋坊に寄ったときの写真です。日本海とはしばらくご無沙汰なので、急に行ってみたくなりました。
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夜は、この時期ならではの音楽ドキュメンタリーを見ていました。
BS1スペシャル「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家~」
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2035051/index.html
ほとんど忘れられている指揮者であり、音楽家ですが、戦後70年たって、
いろいろな資料からわかったこと、1920年代以降、ドイツでも活躍されていたこと、
あらためて知りました。
近衛文麿首相の弟にあたることで、外交・音楽と、当時は、軸が2つあったように
感じました。
ユダヤ人をなんとか日本に亡命したなかでの、クロイツァーとのエピソードは、
強烈な印象を持ちました。
今の日本のクラシック音楽に大変大きく貢献された方だったからです。
戦後70年というなかでの番組でしたが、当時の様子や証言は複雑な気持ちにさせました。
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東京芸大の奏楽堂の前に、銅像があって写真があったときのことも思い出しました。

レオニード・クロイツァーのことを書いていたブログ http://plaza.rakuten.co.jp/pingpongpang/diary/201105140000/
Musik muss seelisch erlebt werden
Musik verstehen genugt nicht
Leonid Kreutzer
「音楽は魂で感じられるもの
音楽を理解するだけで充分でない」
レオニード・クロイツアー
1884レニングラード - 1953 東京
ピアニスト・音楽学者・指揮者
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近衛秀麿氏がクロイツァーに師事し、第二次大戦時に日本に亡命することになり、その後、、
日本で演奏活動しているところを、小澤征爾が見て、指揮者になることを考えるきっかけになったと
番組は報じていて、世の中の情勢や運命のあやで、いろいろなことを起きていることを知りました。
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