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インドといえば、……牛。あっちにもこっちにも牛がゴロゴロいます。白や茶色、たま~に、日本風の黒白のブチ。軽自動車、いやそれ以上にビッグサイズな方も。牛といえば、ぼーっと、ワラばっかりもごもご食べているイメージです。が、その牛のイメージは、柵の中での生活を余儀なくされている牛のイメージだったと、インドで気づきました。インドに行かれた方はご存知でしょうが……インドの牛は、5階建てくらいの、傾斜角度のきっつい階段を、悠然とのぼります。「3段先をゆく、この巨大牛が今、足を踏み外したら、わたしの運命は…」(°_°;)ハラハラ(; °_°)なんて考えると、インドの熱風もたちまち冷風にはやがわり。また、インドの牛は、細長いつり橋もわたります。わたりきらず、ガンジズ川を見下ろして、途中で休んでいたりしていると、ひたすら……邪魔で迷惑です。(^_^;)かつて、通りで友人と立ち話をしていると、ふいに腎臓うらに激しい痛みが。振り返ってみると、1頭のオス牛が、かい~の、かい~の!!と、頭を上下させて、わたしの身体をツノ研ぎにしているではありませんか。ヽ(  ̄д ̄;)ノ 3日ほど、わき腹のアオあざが消えませんでした。以来、ちょっと牛さんに警戒をしているわたしとしては、つり橋の途中にその巨体をみると、頭側をいこうか、(ツノでつつかれるかも……)足側をいこうか、(蹴られるかも……)←馬に蹴られたことがあるため。なんて、ガンジズ側を眼下に、悩んだこともしばしば。高尚な悩みで……(^_^;)そして、この牛さんたち、意外と……演技が達者です。野菜はスーパーではなく、野菜市場で買うのが、インドではまだ一般的です。細い路地の両側に、色とりどりの旬の野菜が所狭しと並べられています。ひと二人が並んで歩けばぶつかるくらい、そんな細い路地で、のんきそうにトロトロと1頭の牛が歩いています。まぶたも半分閉じて、ねむそ~。が、次の瞬間、閃光のようなすばやさで、その太い首を直角にガクッと曲げて、棚の上に並べてあった、ホウレン草の束をわしづかみ、いえ、わしぐわえしたではないですか。\(°o°;)/ なんというハヤワザ!だら~っと、おしゃべりしていた野菜売りのあるじもこの盗牛に気づき、「コラッ~~!」と、牛さんのおしりをぴしゃりとほうきで叩くも後の祭り。「痛くもかゆくもないざんす、今どきはやっぱりホウレン草よね」なんて感じで、ひと束ムシャムシャとひとまず胃に納め、そのご、じっくり反芻しているご様子。便利な胃腸でうらやましい。「う~~ん、こずるい。……いや、かしこい」と、わたしはいたく感じいってしまいました。のちに、何度も同じような光景を目に。こういう野良牛も、生まれたときからノラであったわけではないらしいのです。牡牛でしたら、荷車を引いたり、畑を耕したりの労働を若い頃にしていたでしょうし、牝牛でしたら、子牛を生んで、お乳をだしたりして。で、つかいもの(人間にとって…)にならなくなると、その辺に放されて、ノラ牛になるのです。ノラっぽいけど、ちゃんとまだ飼い主がいるらしい牛もいて、まぎらわしいすが……。繋がれて柵の中で飼われていたときは、ごはんの心配もなかったでしょうから、エサを求めて(?)階段をのぼったり、橋をわたったり、市場に行ったり、などという智慧や行動力はなかった、というか必要なかったのでしょうね。インドでは、人生を4期に分けて生きるという教えがあります。最初が学生期(がくしょうき)。目安~20歳生まれてから一人前になるためにいろいろ学ぶ期間。次が家住期(かじゅうき)。目安~40歳結婚をしたり、社会的な活動をする期間。次が林住期(りんじゅうき)。目安~60歳子供に財や家業などをゆずり、人生を振りかえって、修行をする期間。最後が遊行期(ゆぎょうき)。目安60歳~いっさいを捨て、旅立ちにむけて、放浪と巡礼の旅にでる期間。ノラ牛さんたち、野犬に襲われる危険なんかもあるかもしれません。でたくて柵から出たのではないかもしれません。それでも、柵からでた牛さんたちには、遊行期の行者にも似た、智のきらめきが、その半眼から、ふと感じられる瞬間があります。(^v^)手にしているホットココアがおいしくて、つい牛さん賛美を…(^_^;)春ですね~。
2006年03月20日
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以前、ぼ~っとテレビを見ていると、米山でんじろう先生の科楽(科学を楽しく?)の実験が始まりました。まず、サラダボールっぽいボールに、サランラップをかけ、その上に細かいハッポースチロールらしきものを撒きます。そして、力のかぎりサラダボールに向かって叫ぶ、のです。「(≧◇≦)アーーーーーーーーーーーーーーー!」「(*゜ロ°)ノ・・・・・・・・・・・・・こ、これは!」テレビに向かって、おもわず身を乗りだす私。な、なんとサラダボールの上に、美しい二重丸が、瞬時にして現れたのです。◎「甲高い音のほうが、複雑な図形になります」と、淡々とでんじろう先生。この瞬間に、でんじろう先生のファンになりました。(。・・。) ポッ「いろいろな音が、いろいろな図形をつくる…」音楽の知識がまったくない私には、とても衝撃的でした。ヨーガでは、微細なエネルギーが体内に集まる場所をチャクラといいます。ヨーガの本をみると、それぞれのチャクラをあらわす、色、音、図形が説明されています。図形はシンボル、と単純に思っていました。でも、この実験をみてからは、音は波動、特定の波動は特定の形をつくる、と心の底から納得できました。きっとどこかに、チャクラの図形や、マンダラやそのほかの幾何学模様の世界も存在しているのではないでしょうか。楽しそうな世界ですね。(⌒_⌒) ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
2006年02月26日
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すごくきれいな宇宙のイメージです。 音楽も素敵ですので、きいてみてくださいませ。 なぜか懐かしさを感じますね。(^v^)http://m1e.net/c?47931103-YSECNGgzKcaOk%401460613-sG.g5nZXa4kxM
2006年02月23日
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前回のつづきです。肉体をふくむ、あらゆる物質も、究極的には振動(波動)の寄せ集めらしいのです。意識や感情はもともと非物質ですが、やっぱり波動をともなうそうです。うれしい波\(^o^)/バンザ~~~~~~~~イ怒った波 (`_′)プンプン~~~~~~~~~~~みたいな振動が空中を漂っているのでしょうか!?そういえば、以心伝心ってのもありますね。今電話しようと思った相手から、逆に電話がかかってきたり。やっぱり波動が相手まで、ウネウネと伝わっていくのでしょうか。そして、振動のあるところ、音が生じる、音のあるところ、振動(波動)が生じるのだそうです。子供の頃あそんだ、糸電話を思いだしました。糸に振動がのっかって、音が運ばれるので、けっこう遠くにいても聴こえるのですね、きっと。波動が音、音が波動。ヨーガではこれをナーダ・ブラフマンといいます。ナーダは音、ブラフマンは宇宙に充満する絶対者という意味です。ブラフマンは宇宙そのものであり、至高の自分。というわけで、宇宙、世界&自分は音=波動となります……。おおざっぱですみません。(^_^;)ヨーガを始めてから、音、波動、そして光(音、波動が変化した状態)がとても、身近に、そして興味深く感じられることが多いです。自分の内側から生じる音に耳をかたむけたり、振動を感じたりすると、「おお~~~、(゜o゜) わたしっておもしろ~い♪」と、自身の神秘的な存在感に、けっこう感動したりします(^_^;)。
2006年02月22日
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ヨーガを習い始めたころ、ウシュトラアーサナ(らくだのポーズ)をしていると、(ひざだちになり、うしろにそって、かかとを持つ姿勢)(@_@;)グルグル、め、めまいが……でも、がんばって、こらえてたもっていたら、冷や汗が顔からでて、吐気がこみあげ、(||| _ _)ノ きもちわる~~~~い。と、なって、ひとりお休みに…。(^_^;)初めてヨーガをされる方で、たまに↑みたいになる方がいらっしゃいます。自分はヨーガが合わないのかな、【・_・?】と思われる方も。ヨーガって、頭を下げて、1分くらいたもったりしますが、日常生活でこんなみょ~~うな姿勢をすることって、あまりないのでは。頭を真下にして、歩いている人って、…いないかも。身体のシステムが、血圧やその他の変化に適応できず、一時的にエンストを起こすのですね。山登りに行き、急に酸素が薄くなって、システムが適応できなくなり、高山病になるのと似た状態です。身体のシステムは、適用力があるにこしたことはありません。呼吸と身体をあわせて、ゆったり動くって、実は呼吸が浅いとけっこう難しいですね。なので、習い始めのころは、よけい動きが早くなってしまいます。ヨーガはとにかく中庸、バランス、を大切にします。急激な変化は必ず反対方向の変化を伴うからです。ダイエットなどがよい例……?「ガマン、ガマン、お~~~~、やせた~~~。うれし~~、うれしいから、食べちゃおうっと……」ゴムバンドをぎゅ~~~~~~~と伸ばして引っ張ると、その縮みの力も強いです。パシ~~、 (*0*((◎―――――ーイタイ!!それよりも、すこ~~しづつ継続しておこなうことで、システムを手なずけてゆくと、きもちよくアーサナを長くたもつことができます。「ヨーガは合わないな~」と決めるまえに、ご自分のペースでぜひつづけてみてください。(^v^)
2006年02月17日
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いきなり、おこがましいほど壮大なテーマですみません(^_^;)。世界と自分って、なんなのでしょうかね~。自分とは肉体なのでしょうか?世界もやっぱり物質の固まり?自分の境界線は、肉体という物質なのでしょうか。そもそも物質とは何なのか、まず、考えてみました。物質って??肉体は、お肉、血管、血、その他いろいろでできている。お肉を顕微鏡でじーっと見ると、筋繊維になり、それをまたじーっと見ると、秩序だったらせん状の分子さんに、なる。その分子さんたちすべてが、毎秒、何兆回(!)となく、振動する目に見えない波で、揺れているのだそうです。海の中のワカメなイメージ、ゆらゆらゆらゆら。で、この分子さんのひとつをさらにしつこく見ていくと、原子さんが現れる。いたのね~~、さらにチビッコな物質が。分子さんの中で、原子さんたちは、決まったリズムでブイブイ踊ったり、相手と場所をスイッチしていたりするそうです。ダンスホール、いや、ディスコ、いや、クラブ~↑……(汗)なのり、イケイケです。ストーカー、もとい、科学者がさらにしつこく原子さんのひとつのお洋服をそっと脱がせてのぞいてみると、そこには…、ジャジャーン、(*/∇\*) きゃっ。カラッポ……(o。o;) そんな、そんな……、と必死で顕微鏡の倍率を拡大して探してみると、「いた~~~~~~~~!!」何もない巨大スペースの中にポツンと原子核クンが。東京ドームの中で、ボールがひとつ、ポンポン跳ねている状態で。ひとり上手……。 でも、東京ドームの中には、このボール以外、何もないのです。揺れている波、振動以外には。 そして、さらに(しつこい)この原子核クンに接近すると、ようやく素粒子ちゃんと呼ばれる、物質の最小単位が現れる、のだそうです。ふ~、まったくヤレヤレな世界ですね。素粒子といっても、イロイロあって、これはもう日々新しい素粒子が発見されている、”明日のスター(新しい素粒子)を探せ!” 状態らしいのです。科学者さんの苦労がしのばれます(涙)。ただ、共通しているのが、あまり素粒子ちゃんに近づくと、あれよあれよ~~という間に姿を消してしまい、見えない振動になってしまうのだと。物質としては、見えなくても、振動としては量れるということなのかな。そういえば、波動測定器なるものを見たことがあります。それのもっとエライバージョンで量るのでしょうか。いずれにしても、物質として目に見えて存在していたものが、見る者が近づいていくと消え、振動となり、また、遠ざかると、物質として見える、というのがおもしろいですね。(すごいおおざっぱですが…)素粒子ちゃんを私が物質として見れば、物質であり、波動(振動)として見れば、波動になる、なんて奇妙なミクロな世界。目の前のアップルパイに私が、ズームイン、イン、イン、イン~~~~~~!!!(顔、パイに埋まってます)。「バイ、ないない!フガっ」( ̄□ ̄|||)がーーん!でも、ズームアウトすると、また、パイが見えて、「ほ、なんだ、まだあるじゃん……」(顔、ネバついてます)みたいなものでしょうか。(ぜんぜん、ちがう?)見る位置によって、あるものが消え、また出てくる。パイはずっとそこにあるのに、過去⇔未来って感じですね。そして、隣のテーブルで、ずっとアップルパイをアップルパイという物質として見ていたおじさんは、「…(O_O)カチカチ」←石化現象をおこしている。「現在、過去、未来~~~~~~♪」(いつの時代だ…)と、支離滅裂な展開になりましたが、どうやら物質って、つきつめて考えてみると、振動、波動、つまり、プルプルちゃんな存在のようです。物質によって、さまざまなタイプのプルプルちゃんが存在する。 そして、世界も私も……(つづく、かも)(^_^;)
2006年02月15日
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はじめまして~~(^v^)。東京都国立でプールナ・ヨーガスタジオという教室をやっています。先生としては、本当に若輩者です。最近はヨーガというと、オシャレでファッショナブルなイメージ(?)ですが、わたしはひたすら意識を内側に向ける、インド系ハタ・ヨーガをやっています。はっきりいって地味です、特に周りから見ると。見た目ナマケモノかも……が、自分は楽しいです。絶対、脳から快楽物質がでているような気がします。(^_^;)基本的には、自分はどうゆう存在なのかしら、宇宙って何、など、肉体だけの存在ではない自分、スピリチュアル系なことは、なんでも興味があります。興味をもって意識していると、いろいろ不思議なことがおこって、毎日おもしろいですね。トップページは、ヨギ(ヨーガ行者)代表、ヨガナンダジです。1952年に肉体を意識的(!)に放棄するマハーサマディに至っています。偉大な師は何度でも地上に生まれ変わってくる、といいます。ぜひ、お会いしたいものです。(^_^;)こんなアヤシイ私ですが、よろしくお願いします。m(__)m
2006年02月06日
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