東方見雲録

東方見雲録

2022.06.02
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カテゴリ: 私見
当時都内の花菖蒲の名所といえば、明治神宮、堀切菖蒲園、水元公園の三つであった。

戸山の都市緑化施設に勤めて半年もたたずして、年度いっぱいで施設廃止の方針が出された。
その時のくやしさ、やりきれなさは・・・
とにかく残された時間、悔いが残らないよう自分の思い描く活動表現をすると決意する。
今までの活動にプラスして、体験型活動(染め織り)、地域展開(余剰材の交換、募金の場としての花の市。出前講座)、地域とリンクした展示(屋上緑化、小泉八雲の庭、日常と災害時のボランティアリンケージ)、そして施設仕舞いに市民・企業・行政協働のグラウンドワークイベントなどを企画し実現した。

日々企画行事等に追われ、次を考えるゆとりもなかったある日。
壮年の男性が私にあるコピー資料を見せ、「ここ戸山は花菖蒲園発祥の地。戸山荘のことを少し学んだらどうか」的なアドバイスされ、資料を残されていった。

これがきっかけで、廃止後次の展開を花菖蒲の名所である水元の同類施設で行い、戸山の蓄積を継承するのが自分の使命では、と思い込むようになった。

ひそかに「花菖蒲」と表看板の「グリーンカルチャー」を胸に、水元への異動を希望し、叶えてもらった。水元は2度目の務めであったが、今回は自ら選び、ボランティア的活動に生きる、と決心させてくれた、戸山の花菖蒲。



でもネットで、戸山荘の花菖蒲園についてすっきり整理されたサイトがあったので、これをもってヨシとしたい。

将軍が花好きだった
江戸時代の初期から中期にかけては、様々な花菖蒲が作出された。

徳川家の将軍は代々花好きが多かった事もあり、家臣らが珍しい品種が誕生したら献上を繰り返し、徳川家・江戸には各地から様々な花が集まっていった。​尾張二代藩主の光友は、1671年に下屋敷があった戸山荘庭園に花菖蒲園を作った。

rekisi.memo.netハナショウブ(花菖蒲)の歴史  より

公園でフィールドミュージアム活動が展開されていること知り、うれしくなる。
当方は公民館活動として地域づくりの一つとしてフィールドミュージアムを位置づけている。
参考にしたい。

また、戸山公園がホームレス問題に悩み、解決した歴史もフィールドミュージアムガイドに正直に記載されており、好感が持てる。
急な施設廃止の背景には、この辺のことも絡んでいたのかもしれない。

参考サイト:ハナショウブ(花菖蒲)の歴史  ​ こちら

参考サイト:管理人HP内サイト こちら

参考資料:フィールドミュージアム 尾張戸山荘





参考資料:フィールドミュージアム 戸山公園 ​






関連サイト:尾張藩の下屋敷(戸山屋敷) こちら
尾張藩は、下屋敷として現在の高田馬場と早稲田大学の中間程の所に、「戸山屋敷」を拝領していました。
当初は約8万5千坪でしたが、近隣を買い増し約13万坪(名古屋ドーム9個分)の広大な敷地です。



 尾張藩では、ここに江戸随一と云われた 「池泉回遊式庭園」 を作りました。屋敷全体の8割程を占めていたと言いますから、規模の大きさが想像されます。
・・・・
 街道の長さは百十三間(約200メートル)で、三十七軒の商家が建ち並んでいたと云います。
町屋の入口には制札が立てられ、本陣・問屋・旅籠屋のほか米屋・絵屋・薬屋・酒屋・植木屋・瀬戸物屋・鍛冶屋など趣向を凝らした家々が立ち並び、大日堂や明神様を祀った社もあったそうです。

 遊び心と風流さを兼ね備えた桃源郷のような風情で、現実の宿場町では遊べない殿様や将軍様にとって楽しい癒しのテーマパークだったのではないでしょうか。



 将軍様だけでなく、お付きの人々の接待もあり、迎える方も大変であったと思われます。
 将軍家斉に、この庭園を「天下の園池は当にこの荘をもって第一とすべし」と云しめる程の庭園でした。

関連サイト:​東京トリップ こちら
関連サイト:戸山高校・戸山学校・戸山荘 こちら




・・・・



引用サイト: こちら





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Last updated  2025.12.22 10:58:38
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