東方見雲録

東方見雲録

2023.08.13
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カテゴリ: スクラップ
2006.08.13の日記   こちら



二十騎町
二十騎町(ニジッキマチ - Nijikkimachi )は江戸期からの牛込區の町名。 1911(明治44)年4月30日まで「牛込二十騎町」といった。
古くは曹洞宗護本山天龍寺の寺地であったが、1683(天和3)年の火災で天龍寺が類焼して同寺は内藤新宿に移転。その跡地の一部が西丸御先手組与力2組(各組10騎)に給され、俗に「牛込二十騎町」と称した(備考)。
1871(明治4)年、起立。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。
1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。
明治中期には「従来の屋敷にて、全く邸宅地なり」とある(画報)。
引用サイト: こちら

納戸町
納戸町(ナンドマチ - Nandomachi )は1869(明治2)年からの牛込區の町名。 1911(明治44)年4月30日まで「牛込納戸町」といった。

前身の牛込御納戸町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。
慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。
1869(明治2)年、西南の旗本士宅を合併し、「牛込納戸町」と改称。
1872(明治5)年、南隣の市谷平山町を合併。田山花袋『東京の三十年』には、明治中期における静かで美しい当町の佇まいが活写されている。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。
1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。

細工町【さいくまち】
古くは牛込村の農地だったが、江戸初期には天龍寺の境内の一部だった。
天和3年(1683年)の火事で天龍寺が四谷に移転した後、旧境内の一部を御細工同心が
拝領し、町屋敷となった。御細工とは、江戸城内の建物や道具を制作したり、修理したりする幕府の役職名だった。
引用サイト: こちら

箪笥町
東京都公文書館ホームページによると、箪笥町の「箪笥」は、”家具”ではなく、実は”武器”に関係するものなのだそうです。

引用サイト: こちら

牛込【うしごめ】
◎牛込文書によると、室町時代から牛込郷の名が出ている。
牛込は、牛の牧場があったところから名がついた地名。
込とは、「多く集まる」という意味。
8世紀、大宝律令により設けられた牧場のうち、神崎牛牧という名の牧場がこのあたりにあったという。天文24年(1555年)、後北条氏に属した大胡勝行が牛込の地名から牛込氏を名乗り、牛込城を築いた。
こちら







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Last updated  2023.08.13 08:00:10
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