山本理顕は1945年に中国・北京で生まれ、第2次大戦の終戦直後、横浜に移住した。68年に日本大学建築学科を卒業し、73年に自身の設計事務所である「riken yamamoto & field shop」を設立した。それからおよそ50年にわたって、日本はもちろんスイス、中国、韓国などで作品を設計し、透明性と公共性を重要語彙(ごい)にした。例えば広島市西消防署(2000)は、建物を透明にして「安全の番人」である消防官の活動をあらわにし、訪問者が建物各部の公共区域で消防官と向き合えるようにした。横須賀美術館(2006)は、観覧者だけでなく地域住民が展望台などから東京湾一帯の絶景を眺めることができる憩いの場としてデザインした。