東方見雲録

東方見雲録

2026.02.26
XML
カテゴリ: 土木



使用開始日 1981年2月18日
意匠図案説明 両国橋、相撲部屋の力士を描く
開設場所 〒130-0026 東京都墨田区両国3-7-3
引用サイト: こちら

両国橋




両国橋の創架年は2説あり、1659年(万治2年)と1661年(寛文元年)である、千住大橋に続いて隅田川に2番目に架橋された橋。長さ94間(約170m)、幅4間(約7m)。名称は当初「大橋」と名付けられていた。しかしながら西側が武蔵国、東側が下総国[注釈 1]と2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、1693年(元禄6年)に新大橋が架橋されると正式名称となった。位置は現在よりも下流側であったらしい。

江戸幕府は防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めてこなかった。しかし1657年(明暦3年)の明暦の大火の際に、橋が無く逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人に及んだと伝えられるほどの死傷者を出してしまう。事態を重く見た老中酒井忠勝らの提言により、防火・防災目的のために架橋を決断することになる。架橋後は市街地が拡大された本所・深川方面の発展に幹線道路として大きく寄与すると共に、火除地としての役割も担った。両国広小路の項も参照のこと。

両国橋は流出や焼落、破損により何度も架け替えがなされ[注釈 2]、木橋としては1875年(明治8年)12月の架け替えが最後となる。西洋風の九十六間(約175m)の橋であったが、この木橋は1897年(明治30年)8月10日の花火大会の最中に、群集の重みに耐え切れず10mにわたって欄干が崩落してしまう[4]。日本橋消防署の資料によれば、橋に降り掛かる火の粉を避けようとした群衆に、一斉に押された圧力で折れたとされる[5]。死傷者は数十名にもおよび、明治の世に入ってからの事故ということで、これにより改めて鉄橋へと架け替えが行われることが決定する。

結果、現在の位置より20mほど下流に鉄橋として生まれ変わる。1901年(明治34年)8月に起工し、1904年(明治37年)11月14日に開通式を行った。曲弦トラス3連桁橋であり、長さ164.5m、幅24.5m、工費約30万円と記録に残る。設計は原龍太。この橋は関東大震災では大きな損傷も無く生き残ったが、他の隅田川橋梁群の復旧工事に合わせて、震災後に現在の橋に架け替えられた。なお、この架け替え時に取り外された両国橋の橋名板が東京都復興記念館に保存されている
引用サイト:Wikipedia情報   こちら

関連サイト:東京大空襲当時に遭遇して60年、その頃の思い出 こちら

関連サイト:鉄橋上動かなかった黒い影 こちら

関連日記:2006.10.04の日記   こちら
関連日記:2006.11.02の日記   こちら
関連日記:2023.10.04の日記   こちら
関連日記:2023.11.02の日記   こちら
関連日記:2026.02.11の日記   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.02.26 00:00:09
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: