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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。
・オーストリアのザルツブルクで生まれる。
・モーツァルトと聞けば「天才」。他にも「悪妻」「貧乏」「短命」で有名である。
・【天才モーツァルト】
3歳にしてすでに鍵盤楽器での楽しみを覚え、4歳で正式な訓練が始まり、5歳には即興でメヌエットを作曲していた。
『ヴァイオリンで協奏曲を弾き、ハープシコードで交響曲の伴奏をします。布のかかった鍵盤で演奏します。離れたところからでも、聞こえてくる音符は単音、和音を問わずたちどころに言い当てます。お望みなだけ、どんな調ででも即興演奏いたします。』が、モーツァルトの児童演奏会の広告の文句だった。
モーツァルト少年がヴァティカンを訪れたときの話である。礼拝でローマ教皇聖歌隊による演奏が行われた。年1回だけ歌われる“ミゼレーレ”は規則により他のいかなる場所でも演奏してはいけないし、唯一の楽譜も厳格に管理されていて、写譜でもしようものなら処罰される。演奏が終わって家に帰った少年は記憶をたどりながら写譜してしまう。このことがローマ法王の耳に届き、処罰・・・・ではなく、ヴァティカン勲章を与えられた。
成長するに従い演奏者としての名声に匹敵するほど作曲家としての評判もついてきた。彼はなだれのように、交響曲、オペラ、室内楽、協奏曲、ミサ曲、歌曲を作曲したが、そのどれもがペン先から苦もなく流れ出てくるらしい。彼はたいてい、頭の中で曲の詳細を組み立て、驚くべき早さで音符を五線紙に書き留めたと思われる。
行きつけの床屋さんはモーツァルトの整髪が難しいとこぼしていたそうだ。彼の頭にはいつも着想が湧いていたので、思い浮かぶたびに鍵盤楽器に駆け寄り、床屋さんはあわてふためいてあとを追いかける有様だった。
「作曲は何もしないでいるより疲れません。」
モーツァルトの天才はヨーロッパ中の関心を引いたが、その名誉を失わせようと全力を注ぐ妬み深いライバルも数多く生んだ。有名なのがサリエリだ。
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