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お勤めを始めてからというもの、結構な期間 まともに掃除というものができなかった。 シフト制で働くというライフスタイルには 実は未だに慣れきってはいない。 それでもある程度は徐々に要領も掴めてきて 気掛かりだったクローゼット周りの片付けを済ませたことを皮切りに 去年ようやく我が家の掃除が正常化した。 正常化と言っても、週一程度ではあるが ここまで来るのに数年を費やした。 それでようやく実現できたのだ。 それはシーズー犬トンちゃんとミョンちゃんのクローゼットコーナーを作ること。 トンミョンが生きていた頃は、そんな余裕も発想もなく 服はいつも畳んで籠の中にしまってあった。 だけど取っ替えひっかえ出しては着せたり 洗濯しては干していたので あの頃はそれで申し分なかったけれど 今となってはわざわざ取り出す機会もないし かといって捨てられるわけではない大事な宝物に変わりはない。 恐らくは自分自身の服の整理ができたおかげで 閃いたのだ。 次はトンミョンのクローゼットだと。 完成〜!
2019.01.20
LGBT問題がクローズアップされたりして 世の中変わったなあと思う。 保育園でも、子ども自身から出された男の子らしさ、女の子らしさの表現を、わざわざ外す試みはしないまでも こちら側からは性差による決めつけをしないように気をつけている。 昔のことになるが、学生時代私は、婦人問題を考える会というサークルに所属していたことがある。 婦人問題という名称がもはや古典だが 要するに社会に出た時や家庭内での男女の不平等を考えることが会の一応の主旨だ。 の筈なのだが、、、 メンバー構成がそもそもその枠を超えていた。 純粋に女性差別をなくしていきたいと考えていたごく僅かな学生のほか そういう女子学生に惚れて彼女目的で入部した男子とか 女子になりたい男子とか バイセクシャルとか 隠れ蓑的に左翼のセクトもいて そちらの勧誘目的で在籍していたり ただの女好きとか (彼曰く女の子が好き過ぎて、女の子が直面する問題にも無関心でいられなくなったらしい) とにかく多彩で 一つのテーマを話すにも、立場や視点や裏の動機が一人一人違い過ぎて カオスというか、一向にまとまらない感じが、 人的環境はどちらかというと雑多好きな私には、まあ面白かった。 そんななので、セクトの人たちの目論みもまるで意味を成さず。笑 その頃、マスコミにはいかにもな感じのお姉系な男子が取り上げられたりはしていたけど 一般人の中にはもっと自然な感じのトランスジェンダーもしっかり存在していて 自らの問題と真面目に向き合っていたのだった。 物心ついたころからの生い立ちから、どのように自覚があり、性の嗜好に気づいていったのかなど、 結構深い話もし合っていた。 女子になりたいその彼は 男の子の格好をしても女の子の格好をしても 中性的な感じでナチュラルに似合っていて 言葉づかいは同じ、自分のことも「僕」で通していたので 女の子の格好の時は、ボーイッシュな女の子という感じだった。 でも、彼自身は変わらないのに 男の子の格好をした時と、女の子の格好をした時では 周囲には全然異なる扱われ方をするらしく 女の子の格好をすると、世間がいかに女性蔑視をしていたり 女性を性的に見ているかが肌でわかると言っていた。 それでも利点はあるらしく 彼は機械系、理数系思考が得意で普通に男並みの力仕事もいけたので 男子の時にその能力を発揮しても当たり前に受け入れられるけど たまたま女子でいる時にその分野で問題が起こり ささっと解決してしまったりすると、物凄く賞賛されるのでちょっと嬉しかったらしい笑。 当時はLGBTを社会問題として扱う風潮が、殆どなかったので 個人でそういう問題を抱えている人たちが、このサークルに集まってきていたのだ。 あれから時は流れたが、性的に少数の人たちが、少しは生きやすい世の中になってきたのだろうか?
2019.01.20

新年あけましておめでとうございます。 今年が生きとし生けるものにとって 幸多い年になりますように。 今年もよろしくお願いします。
2019.01.02
ポヘミアンラプソティという映画が大ヒットしている。 去年私も観に行く予定があり、物凄く楽しみにしていたのに、ある事情があり、未だ叶っていない。 クイーンのポヘミアンラプソティという曲は、5年前にシーズー犬トンちゃんの密着介護をしている時によく口ずさんでいた。 いたく共感するものがあり、その頃の自分の境遇と重ね合わせては、何とも言えない思いに心かき乱されていた。 それは何かというと、ある運命的な出来事が起こり、もうそれ以前には戻れなくなってしまった状況 過去と現在を隔てるその出来事は、一見薄い壁で出来ていて 何とかその前の状態に戻れたり、なかったことにできそうな錯覚に陥りそうでもあるのに 絶対超えられない壁として、過去の世界を隔てる。 過去のほんの些細な、何でもない日常のひとコマが、 もう決して手の届かない、眩し過ぎる光を放つ。 そうなった以上現実を受け入れて、道はなくとも前に進むしかない、悲壮な覚悟のようなもの。 そんな心境をこの曲から感じ取り、その頃のトンちゃんと重ね合わせていた。 私はクイーンのファンではなかったし、 この曲がどんな背景のもとで作られたかも知らないけれど その後のフレディの晩年を象徴しているようにも感じていた.。 でもね---。 トンちゃんのこと 今振り返るとまた違って見える。 「それ」以前と以後にあんまり隔たりなんて感じない。 以前も以後も、トンちゃんの生涯という連続性で貫かれている想いの方が強いのだ。 密着して過ごした最期の日々は 特別ではあったけど 今はもう、愛だけが確かなものとして残っている。 それは今もこれからもずっと トンちゃんと私の中に存在し続けるてあろう絆だ。 https://ameblo.jp/tonmyon/entry-11764576303.html
2019.01.02
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