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イボ痔の手術からようやく2週間が経ちました( ´ー`)フゥー...たった二週間ですが、2ヶ月にも思えるほど長かったTT基本横になったままの生活。時間がなかなか過ぎない・・・鬱が最高潮に猛威を振るっていた時は何日も何日もボーっと過ごせたと言うのに^^;まぁ鬱の方がそれだけ回復してるのかもしれません。今日は2週間目の診察でした。先生の言葉「明日から普通の生活していいですよ~」やった~~(〒_〒)感激お尻も痛くないし、出血もないし。ドーナッツ座布団いらないし^^;気晴らしにカラオケ行く予定でも友達と立てましょうかね?喜びのあまり、鬱状態だと言うことを忘れてしまってましたwwこのまま気分上々でいてほしいですね^^
2012.02.16
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今日は肛門科へ術後の診察へ行って来ました。寒かったガクガク(((n;‘Д‘))ηいぼ痔の手術から今日で一週間が経ちました。一番大きいイボ以外にも5箇所小さなイボがあり、色んな術式で手術が行われました。術後、たいした出血も無く現状では術後の経過は良好です。ココから下は読まないことを推奨します。少し表層心理をぶちまけてしまいます。批評は一切受け付けません。右から左に受け流してしまいます。まじで死にたいで?理由なんかあらへん。そういう病気やん。体が震えるほど寂しい。と同時に怒りもある。お金も生活だけでカツカツやと心捻じ曲がりそうや!たまには寿司とか焼肉食いに行きたいし、カラオケとか遊びにも行きたいヨ!なんかもう、生きてることが拷問みたい。。。死ぬ寸前まで自分傷つけたら医者も本気出して診察してくれるやろか?だいたい鬱は心の風邪なんてホザいた医者連れて来いや!16年も風邪引き続けてるってドンだけやねん!( ̄- ̄メ) そろそろ開放してくれや。もうしんどいわ!何かわからんけど誰かに向かって言うわ!「ボケ~~~~!!(#゚Д゚)ゴルァ!!」
2012.02.09
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(*^・ェ・)ノ コンチャ♪ あまり座っちゃイケないので、チャチャっと書きます。手術から3日経ちました。術後思うほどお尻は痛くないです。但し、大便中とその後はさすがに(´;ェ;`)ウゥ・・・痛ぃ出血もかなり少量で、どんどん減ってきています。今は痛く無くても絶対安静期間なので少しでも横になるようにと主治医からは指示されています。調子に乗って動き回ってると後で後悔するらしいですwwと言う訳で横になって音楽でも聴いてのんびり過ごしますバイバーイ♪ヽ@(o・ェ・o)@ノ▽~~~ ウキ♪
2012.02.05
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明日2/2の2時20分から、いぼ痔の手術をする事になっています。思えば学生時代から苦しめられてきたこのイボ!ようやく医療も進歩して簡単に手術が行え、術後も早い人で日帰り手術なんて時代が来たものですから、ここぞとばかりに、診察してもらいました。まぁ・・・最近出来たイボではないので ^^; さすがに日帰りは出来ませんが、一晩泊まるだけで、翌日には帰宅して自宅療養です。手術は簡単で時間も短時間とのこと。また全身麻酔や下半身麻酔も無く、睡眠剤で寝ている間に、お尻に局部麻酔をして切り取るらしいです。手術に関して不安は無いのですが、術後2週間ほどお尻の激痛と戦う様になるそうです TTまた今後の社会復帰を視野に入れても、痔があると仕事に不都合なので、タイミング的にも丁度いい時期なんだと思います。こんばんはこのへんで、オ(*゜o゜*)ヤ(*^0^*)ス(*゜▽゜*)ミィ(゜-^*)ノ""マタネ♪治療の経過は、気が向いたら書き込みますwwwでは・・・
2012.02.01
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( ゜▽゜)/コンバンハ。お久しぶりです。前回の書き込みから1年になっちゃいましたねwwまぁ~~昨年は雑煮のようにゴッチャゴッチャした一年でした。今年は年明けから鬱の大きな波が来てまして、現在下降中進行形で御座います@@;自分の中で、ここ数年は節目的な年になるんだろうな的な感覚を覚えています。ではでは、また気まぐれに出没いたしますm(_ _)m
2012.01.30
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明けましておめでとう御座います。更新は本当に久しぶりです。体調は・・・お察し下さい^^;りおZXさんの足取りが消えたのが気に掛かっているのと僕も生きてますよと言う事で更新しました。それではお元気で~~(´∀`*)ノシ バイバイ
2011.01.02
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もう大丈夫です~^^精神的にも落ち着いています。また危なくなったら書き込みますね。
2010.03.10
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こんにちは。どうやら山場は超えた?感じです^^;今回ほど危険を感じた事有りませんでした@@;感情(精神)?の暴走って怖いですねー。しばらくはアホアホモードで行きますヾ(°ω°)ノ゛
2010.03.09
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何とか1日耐えたよ
2010.03.08
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思考停止で書き込み忘れそうTT虚脱感が凄い。
2010.03.07
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まだ踏ん張れる
2010.03.06
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だれかみてる?今までにない波に襲われている。今日から生きてる証を残す。
2010.03.05
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あけまして、おめでとうございます。いかがお過ごしですか?光陰矢のごとし。また一つ歳を取ります^^;近況は、相変わらずこもりっぱなしで、耳鳴りが酷く耳鼻科へ行きたいのですがどうにも足が向かず、目まいと肩こりに悩まされています。記憶障害も健在でしてwwん~~社会復帰はまったくもって見えてきませんね(´・ω・`)せめて社会不安障害だけでも、軽くなってくれるともう少し楽になるのですが・・・家にばかり居てるので体力も筋力も激減してしまいました。食欲もあって結構食べているのですが、体重が50.0kgにまで落ちてしまいました。もう何だか骨と皮だけでミイラの様ですww書く事は沢山有るのですが、思考がまとまらないので割愛il||li _| ̄|○ il||liまぁ、何とかかんとか、生きて居ますよ~~っと言う事ででは又・・・(*‘ω‘ *)ノシ
2010.01.02
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みなさん、お久しぶりです。なかなか、調子が上向かないプーです。最近は、ここへ来るのが辛いと言う理由から、少し離れてしまいました。何故辛いかと言いますと、ここに自分の辛い過去が載っているからです。まだ、心の傷が癒えていない今は、それがとても苦痛なのです。しかし将来、この日記が僕の糧となる日が来ると思っており、削除はしませんでした。最近、空いている時間は「マビノギ」と言うインターネットゲームをして気を紛らわせています。そこはウツではない自分を演じられる場所であり、前向きな姿勢をとれる場所でもあります。まあ、ゲームでも性格は隠せないようで・・・ストイックなまでに、プレイしてしまっています。今の所、ストレス無く遊べていますので、大丈夫だと思います。もしお暇で、覗いて見たい方は、無料ですので参加して見て下さい。僕は、キホールと言うサーバーに居ます。キャラクター名も新型プーのままです。フレンド登録して頂ければ、簡単にゲーム内で会うことも出来ますし、お話も出来ます。何も強制は有りませんので、安心してください。それでは、また。
2009.06.23
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こんにちは、皆さんお久しぶりです^^今日は非常に体調悪いのに日記更新しています。以前、処方されていたドグマチールの副作用で、54Kgから84Kgまで太ってしまいました。そこで病院も改めて、お薬も減らしてもらい、室内で運動出来る様にマグネットバイクを購入し有酸素運動を始めたのです。が、なかなか効果は現れず、数ヶ月が流れました。ある時期から体重が減り始めまして、どんどん加速度を増していき60Kgになった頃、ベスト体重なので運動をお休みしたのですが、今度は体重減が止まりません・・・・。ついに54Kgまで戻りました。しかし止まる様子もありません。そしてようやく落ち着いたのが52Kgです。以前より貧相な姿になってしまいました。まあ、一応止まったので良かったのですが、余計病気がちに見られてしまう始末です。食事はしっかり取っているのですけどね。先生曰く「基礎代謝に戻ったんじゃない?」と。まあ、元々痩せの大食いでしたから、筋肉落ちた分だけ多重も減ったのかもしれません。体力、筋力の要る仕事をしてきていましたので。胸板も腹筋も有ったのですが今では骨と皮と言った骸骨状態です(苦笑)何とか、かんとか家事はこなせていますので、まあ良いでしょう。んな訳で、近況報告でした。
2009.05.13
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うちには4歳と5歳の子供がいます。上の子が4歳の時に、しまじろうの人形がほしくてベネッセの子供チャレンジに申し込みしました。初めは、人形だけもらってやめるつもりでしたが、子供達が勉強が面白いみたいで、1年続けました。今、2年目ですが、事あるごとに勉強したいと言います。僕は勉強嫌いだったのですが、やはり個性があるんですね。4歳の下の子は、もう字が読めます。今は書く練習をしてる最中です。下の子は大好きな人にお手紙を書きたいからと文字の練習を始めました。子供ってすごいです。鬱はつらいです。でも、そのおかげで子供に勉強を教えてあげれます。これは幸せなことだと思います。災い転じて福となす。あるとおもいます!
2009.01.12
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友人の書籍「死なないで」が今日発売になりました。是非皆さん読んでみてください。ページのホームでも推薦BOOKでも紹介しています。
2007.05.07
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心が悲鳴を上げている。辛いよ、苦しいよ僕が言う。『大丈夫時間が解決してくれるから』心が言う。今しんどいんだよ、何とかしてほしいんだよ僕が言う。『生きてるからだよ。経験なんだよ』心が言う。どうしたら良いんだよ。分からないから苦しいんだよ。僕が言う。『辛いって言って良いんだよ。苦しいって言って良いんだよ』心が言う。いってもどうにもならないじゃない。僕が言う。『吐き出せば少しは楽になるだろ』心が言う。どうして離れ離れになっちゃたの。僕が言う。『僕が君の悲鳴を無視して頑張りすぎたからだよ』心が言う。いつになったら1つになれるの。僕が言う。『それは時間しか知らないよ』心が言う。早く1つになりたいよ。僕が言う。『僕だって辛いんだ。僕だって苦しいんだ』心が言う。また1つになれるかな。僕が言う。『なれるさ。君と僕とはもともと1つだから』心が笑った。僕も笑った。
2006.07.19
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お父さん、お母さん。あなた達がつけた心の傷が痛いよ。あなた達が埋めてくれてなかった心の隙間が痛いよ。どうして私を見てくれなかったの?あなた達はいつも自分の事しか見てなかった。私があんなに苦しんでたのに。あんなにSOS出してたのに。鬱になってからも、あなた達は私を知ろうともしてくれなかった。どうして?こんなに苦しいのに。こんなに悲しいのに。私の居場所がない。この傷は誰も癒せない。この穴は誰も埋めれない。苦しいよ。痛いよ。悲しいよ。もう後戻り出来ない所まで来てしまったね。残念だよ。何度も機会をあげたのに。そのたびに踏みにじった。もう戻れない。さようなら。
2006.04.23
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私は人生の長さにはこだわらない。大切なのは人生の最後に満足感を持っていられるか。人生、幸せだったと言えるか、それが大切。寿命は魂が決めている。それまでくいのない人生を送りたい。 私は今幸せ。
2006.04.22
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あなたはすでに美しい。あなたはすでに完璧な存在です。生きている事はとても素晴らしい事。あなたは生きている。それだけで充分。そのままのあなたで居て。そのままのあなたが素敵だから。何も着飾らなくてもいい。あなたはすでに美しい。
2006.04.21
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”すっぱいレモンを甘いレモネードに”これはジョシュア・デイヴィッド・ストーン博士の言葉です。 私たちはいつも周りの状況に振り回されてばかりです。起こってくる状況を真実だと思ってしまいます。それは、既成概念という色メガネで見てしまっているからです。しかし本当のところ状況は幻であり、それ自体に善悪、正邪などはないのです。物事には因(原因)があり果(結果)があります。これを仏法では因果の法則と言います。その果(結果)は単に出来事にすぎず善悪はありません。私たちがこれまで教えられてきた既成概念という色メガネをかけて見て判断しているにすぎないのです。そのせいで喜んだり悲しんだり怒ったり・・・。結局自分がその感情を選択しているのです。”自分が”と言う事に気付いてください。貴方は感情を選択する自由を持っているのです。果(結果)を変える事は出来ませんが、感情は変える事が出来るのです。もし嫌な感情が出てきたら選択し直してみてください。すっぱいレモンを甘いレモネードに変えるのです。そうすれば人生(宇宙)の歯車は良い方向に回り始めるでしょう。
2006.04.20
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最近、鬱はスーッと治って行くような気がしてきた。突然雲が晴れるように。それがいつかはまだ分からないけど、きっとそう言う治り方をするのだと思った。過去、小学生のときのしんどかった時もそう。いつの間にかスーッと無くなった。中学後半の目の症状のときも高校二年の半ばで雲が晴れるようにスーッと消えていった。共通点はどちらも心の病だった所。(後からわかったんだけどね)今回も心の病。根は深いけどきっと治るときはスーッと雲が晴れるように治っていくんだろうなあっと思う。仕事を休職して最初は落ち着かなくて家事をしたり。1日中ゴソゴソしていた。お医者さんからは1日中ゴロゴロしていて下さいと言われていたがそうもいかなかった。最近では半日は寝ている自分がいる。何の心配もせずただボーっと暮らすだけの。ようやく準備が整った感じがする。焦りも無い。いい事だ。鬱はつらくなってるが、今までがおかしかったのだ。鬱なのに休まず10年も働いて来たんだから。だから今が普通なんだろう。とにかく気力がうせている。ブログ更新がこんなに大変だとは思いもしなかった。1週間に1度書ければ良い方だ。ふとした時に書くことが出来る。何なんだろう?とても不思議だ。調子が良くなったらもっと書けるのかもしれない。その為にもゆっくり生きて行こうと思う。
2006.04.16
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久しぶりの日記更新。鬱がまだまだ辛い渦中。ブログの更新すらままならない。でも、辛いって事は生きてるって証拠。心が病むのは人間の証拠。人間に生まれて来て生きている喜びをかみしめる。鬱の死の願望は突然と足音も無く忍び寄ってくる。でもそんな悪魔に誘惑されちゃいけない。この人生ゲームは途中で投げ出しても振り戻しに戻されるだけ。この辛さを克服するまで延々と繰り返される。魂が望み、使命があってこの病になっている。使命が終われば自然と病は回復してゆく。それまで負けてはいけない。病は人のせいにしていてはいつまでも克服できない。同じ環境に居ながらにして鬱にならない人は沢山居る。そう、自分自身も鬱の一因だと気付く事が大切。自分から引き寄せた病なんだと知る事。そして受け入れる事。さあ、サイコロを振って前に出てゆこう。この先色々有るかも知れない。それでも、自分が選んだ道。振り返れば色々な気付きが待っているだろう。
2006.04.11
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私の妻の妹も私と同様に鬱です。最近診断を受けました。本人いわく、2年前ほどから調子がおかしいなあとは思っていた様ですが、あまり気に止めていなかった様です。そして最近あまりにも顕著に鬱の症状らしき物が目に付いたので診察を受けるように勧めました。とても頭がよく、優しくて、心がとても繊細な彼女。鬱になりやすいタイプでは有るのです。最初の病院の時は少し辛そうでしたが、まだ元気そうで、顔色も良かったので安心感は有ったのですが、2週間の間に何が有ったのか、2回目の病院の時はげっそりとし、目にはクマが出来ていて、とても辛そうでした。鬱の辛さは嫌と言うほど味わって来ているので、彼女の事がとても心配になりました。彼女もまた親子や家族間の人間関係で鬱になっているのです。両親は心配して、あれこれと世話をやき、門限も10時にして、色々励ましもしました。しかし鬱の事をよく理解していないので、どれも逆効果だったのです。彼女を追い込んでしまう結果になったのです。彼女は家に居場所を無くしてしまいました。それから彼女は毎晩友人の所を転々としました。私は心配になって我が家に呼びました。そして我が家にずっと居ても良いと、逃場として使って良いと言いました。話している間私は涙を流していました。彼女の辛さが痛いほど伝わって来たのです。彼女はしばらく我が家に居る事になりました。それからは、ずいぶん心が軽くなった様で、元気に見えます。私もほっとしています。彼女は私とよく似ている。前々から感じてはいましたが、今回の事を通して更に強く、そう思うようになりました。親は愛情を注いでくれていましたが、私が求めていた物とは違っていたのです。それが孤立感や心の隔たりを作ってしまいました。彼女も同じでした。回復にはまだまだ時間がかかりそうです。まずはご両親が鬱の事をしっかり理解し、言葉がけや、接し方を学ばなければなりません。そして家の中に彼女の逃場を作ってあげないと駄目ですし少しずつコミュニケーションもとり、信頼関係を築いていかなければいけないのです。私が鬱だったので彼女はここへ来れたんだと思いました。我が家では誰も辛くなる様な言葉がけはしません。とても心を休ませる事が出来ると思います。そう言う意味でも私の鬱は意味があったと思うのでした。自分より彼女の1日も早い回復を願っている私が居ます。まだ彼女はひどい症状にはなっていません。私のような経験はして欲しくない。何とか守ってあげたい。その一心です。
2006.03.18
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ある日、私は一人で仕事に向かっていた。通常は二人一組なのだが。簡単な作業だったので、相方は会社で事務処理をしていた。現場には30分前に着き近くの路肩に車を止めて時間を待っていた。その時突然、胸が締め付けられる様な苦しみに襲われ、涙がボロボロ出てきてパニック状態になった。自分でも訳が分からなかった。その時の感じは、悔しさと、悲しみと、寂しさと、怒りが混ざり合った感情だった。仕事前で、とにかく何とかしなくてはと思い、妻に電話をした。泣きながら辛いと告げた。彼女はもう帰って来て良いよと言ってくれた。その一言で我に返れた。涙が止まった。とても救われた感じがした。魔法の言葉だった。涙を拭いて、顔を引き締め仕事に向かった。仕事は難なくこなした。妻は不思議な人だ私を蘇生させる力を持っている。何度でも。私と、私の鬱とも付き合ってきて、扱い方を知っているかの様に思える。本人は気付いていないが、彼女が居なければ今の私は無いのだ。縁という物は不思議だ。彼女とだからうまくいくのだ。他の誰でも駄目だったんだと、そう確信できる。間違いなく彼女は私のソウルメイトだと。結婚してもう5年目。紆余曲折、今もさなかだが、彼女のおかげで私は幸せでいられる。本当に感謝の毎日だ。来世も彼女と過ごすだろう。それほどの強い絆を感じている。私は満月が好き。見てると癒される。
2006.03.17
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私はほぼ毎日ブログを書いていますが、その場では書いていなくて、あらかじめレポート用紙に書いた物を写しています。そうしないと何を書きたかったのか思い出せなくなるのです。記憶障害は不便です。特に電話は苦手ですね。「○○ですけど××の事で奥さんに換わって頂けますか?」と掛かって来たら。××の時点で○○さんの名前は飛んでしまっています。だから聞き直して、メモをする。そうすると××~以降が思い出せなくって、「で、何でしたっけ?」と聞き返すはめになるのです。そして又メモをする。仕事してた時は大変苦労しました。お得意様から掛かって来てもどこの誰だか思い出せないのです。又、その日の現場に行こうとしても、道が分からない。何度も何度も通っている道なのに。思い出せないんです。昨日も昔の地元へ行く用事が有って車で行きましたが、道が分からない。ちょっと行っては路肩に止めて地図を見る、少し進むと地図を忘れる。又停車、地図確認。交差点名をぶつぶつ言いながら進む。かなりのストレスです。おかげで鬱がひどくなり、昨日はブログ書けませんでした。今日も少し引きずったままです。近所の道も、しょっちゅう通らないと忘れていく。昔の事はどんどん記憶から消えていく。友人の名前も、土地感も。だから私のブログはメモから書き出しているものばかりです。そんな私が2月の中旬にフォークリフトの免許を取れたのは奇跡に近い!脳みそはフル回転だった。おかげであの後、鬱が悪化。今日に至るまでほとんど外出していない。こもった状態にあります。人間やれば出来るって事と、無理をすると鬱が悪化する事を学びました。少し無謀でした。記憶障害は会話にも影響してきます。言葉や人名、物の名前が出てこない。妻と話をしていても「ほらあの人、良くテレビに出てた・・・。う~ん、ほら、・・・・。もういいか」。今では人の名前なんて覚えられないですね。妻がよく友人の話をしてくれますが、???「うんうん」って聞いてるけど誰の事言ってるのやらさっぱり分かりません。どんどん、どんどん記憶が消えて行くのが手に取るように分かる。それに対して恐怖感を覚える。鬱が良くなったら記憶は戻るのだろうか。このままどんどん忘れて行ってしまうのだろうか。いずれにせよ、この事は私にとって意味がある事だと理解している。全ては必然的に起きて来るのだから。こうしてブログを書いているのも、記憶を残そうと、深層心理が働いているのかもしれない。
2006.03.16
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私は学校の先生という職種が嫌いだ。今まで良い先生にめぐり合えなかったのも理由の一つだが、私の心に深い傷を付けたからである。中学2年の後半。クラブ(吹奏楽部)で問題が起きた。クラブ内の誰かが、楽器庫でタバコを吸ったのだ。学校を挙げての問題となった。格担任の先生が出てきて、クラブの一人一人を事情聴取して行ったのだ。タバコを吸っていたのは5名。私は吸っていなかったが、現場に居たので誰が吸っていてどうやって楽器庫に入ったのか知っていた。私も個別で呼び出され事情聴取されたが、知らないと言った。誰一人口を割らなかったのだ。ごうを煮やした教師陣は男の恐そうな先生を集めて脅しにかかって来た。「お前ら!話さんかったら、家にかえさへんからな」「なんやったら警察行って話するか?」。今思えば警察は関係ないやろうと思うが、中学生にはきつい一言だった。事実を知っていたのは私を含めて3名と当事者5名。担任の先生に再び呼び出されて再度、事情聴取が始まった。ずっと黙ってた。長い時間がたって先生が、「誰が話したかは内緒にしとくから話すようにと言われ、しぶしぶ話した。8人とも同じように説得されて話していた。ところがどうだろう、処分も決定し、1週間の停学処分。明けて戻ってきた彼らは私達3人を取り囲みこう言ったのだ。「裏切り者!」違う、裏切ったのは先生だ!全て話していたのである。それ以来彼らからは無視をされた。私はそれまで担任の先生を尊敬していたし好きだった。だから裏切られたショックは大変大きかった。それ以来その先生を無視し口もきかなかった。大人(先生)ってなんて汚いんだろうと思った。こんな人たちが人生についてや、人間性について語るなんて、ばかばかしくて聞いてられなかった。先生に対して、みる目が変わった。私の中では絶対信用してはいけない人達なのだ。大人になって分かった事がある。学校の先生なんて、一般の会社員よりも世の中の事知らないではないですか。社会経験も無く学校しか知らない。人生を小さな枠の中でしか生きてない人達。そんな人達に偉そうにされていたのかと考えると更に腹立たしく思うのである。
2006.03.14
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切れ痔の痛みって想像出来ますか?便が出るたびに裂けて出血するんです。痛いからと言って便を我慢すると便秘になり、さらに裂けて少しずつ傷が広がって行くんです。痛さは尋常じゃ有りません。涙を流しながらトイレをする刹那さ。恥ずかしくてなかなか親に言えなかった。言った頃には大変ひどい状態になっていた。血しぶきが出てしばらくは止まらない。このまま死ぬんじゃないかと子供心に恐ろしくなりとうとう親に話した。病院へ行ってお薬をもらい、毎日同じ時間にトイレをするように言われた。相変わらず出血は有ったが、少しづつ回復していったように見えた。社会人になって実家から離れ会社の寮で暮らす様になって生活が乱れていった。そして便秘。再び痔が再発した。食事の偏りもひどかったので便はさらに硬かった。いくらきばっても出ない。ひどい時には1時間も座っていた。その間にも血はポタポタとしたたり落ちる。ある頃から、便が出終わっても、肛門に便が挟まっている様な感じが残る様になった。風呂に入った時、恐る恐る指を入れてみた。すると肛門の中に丸い塊があったのだ。押してみると少しずつへっこんで行く。何だこれは?痔の本を買ってきて読んだ。イボ痔だった。切れ痔にイボ時、2つも掛かってしまった。この頃からようやく瀉下薬(便を柔らかくするお薬)を飲むようになった。でもやっぱり食生活の乱れからか、便秘の日は多く大変な思いをしていた。ある日、寒い冬に屋外での仕事があり、長時間外に薄着でいて、体が芯から冷えた。その時に異変に気づいた。肛門がヒリヒリ痛いのだ。切れ痔とは違う痛さ。皮膚が何かに擦れてヒリヒリする様な痛さ。その夜、風呂場で肛門を鏡で見てみた。肛門から何かが出ている。それが赤く腫れていて痛かったのだ。本を読むと、脱肛だった。イボが外に出てきたのだ。脱肛は最悪だ。いつまでも便が残っている感じが有り、イボが下着に擦れてかなり痛くて歩くのも苦痛になる。1日何回もトイレに行って手を洗いイボを中にいれ押して小さくする。そして手を洗う。それの繰り返し。腰湯をするとしばらくの間はイボは出て来なくなる。夏になるまでその繰り返しだ。今ではずいぶんましになり、めったに痔は出ないが、やはり無理をすると出てくる。体を冷しても同じだ。肛門には注意をしてもらいたい。アナルプレイなど絶対お勧めできない(下ネタでゴメンナサイ)。それほど繊細な所なのだ。これからもうまく付き合っていくしかない。手術しても再発するのでしない。母がそうだったから。辛いなぁー。
2006.03.13
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私は痔を患っています。原因は看護士にあります。私が中学生の時、インフルエンザにかかりました。インフルエンザ自体は辛くなかったのですが、熱が39.8℃まで上がり、これは解熱剤をもらわなければと病院へ行く事になりました。母も以前の足の件以来、病院には気を使っていて、近所で評判の病院へ行く事になりました。先生は女医さんで、丁寧で優しくて良かったのですが、その優しさが災いしたのか、働いていた看護士(旧看護婦)がチャラチャラした格好をしていたのです(鬱との戦い1)。手には真っ赤なマニキュア、沢山の装飾品を付け化粧も濃く、近くに居なくても香水の臭いが鼻をつく人でした。高熱が出ていたので座薬を入れられる事になりました。その入れる人が、さっきのチャラチャラした看護士だったのです。座薬を入れ指を抜こうと(普通は指入れません!)した時、激痛が肛門を駆け巡りました。痛い!口には出さなかった物のかなりの痛さでした。真っ赤に塗られた爪は長く伸ばされ、それが肛門を出るときに引っかいたのです。まさかこれが悲劇の始まりだとも知らずに私は家に帰ったのです。それからしばらくはなんとも無かったのですが、ある日便秘になってその傷が火を吹いたのです。この痛さは味わった者しか分からないと思います。出産経験者は分かるかな。ほとんどの人が痔になるから。でも出産時の痔は治りやすいでしょ。私の切れ痔は治りません。それからというもの、便をすると痛いので我慢すると便秘になり又傷が広がると言った悪循環が繰り返される様になったのです。看護士なら清潔に爪くらい切っておけって!しかもゴム手袋もせずに座薬を入れるな!私は一生ものの傷を付けられた。本当に腹が立つ。この痔にどれだけ苦しめられてきたか。ちなみに切れるときは泣きます。痛さは半端じゃないです。泣きながらトイレをします。便と一緒に血もいっぱい吹き出します(きばるから)。今では瀉下薬(便を柔らかくするお薬)を毎晩欠かさず飲んでいる。これがなくなると私は地の底へと落ちて行く事になるのだ。あ~あ、せっかく良い先生の所へ行ったのに、看護士があれじゃ全てが台無し。またまた医者へ行くのが嫌いになってしまったのである。
2006.03.12
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私が小学生高学年の時、近所の川で遊んでいて、捨ててあった太い針金を踏んでしまった。踏んだとき何かが噛み付いたような感触があったので、驚いて足を上げてみると、赤く錆びた太い針金が足に刺さっていた。それもかなり深く。慌てて引き抜き、家へ帰り水で洗って消毒液を塗っておいた。次の朝、足がはれ上がり、熱を持ち、痛くてたまらなかった。母に見せ、学校を休んで急いで近くの総合病院へ行った。傷口から破傷風(はしょうふう)にかかったと言われ、後、半日遅かったら右足を切断しなければならなかったと言われた。そこまではありがちな話だが、なんと次の瞬間、私をベットにうつ伏せに寝かせ、鉄の細い棒を足の穴に出し入れするではないか。「お母さんこんなに深くまで刺さっていますね」って言ってる場合じゃねーよ。痛いんだから!そしていきなりその場で手術が始められた。しかも麻酔無しに。足をパックリ開いて内部の腐り始めている肉をそぎ取っていく。私は痛さと恐怖でパニック状態になり泣きわめいていた。穴の深さは足の裏からふくらはぎの真ん中辺りまで達していた。ポッカリ開いた穴を生理食塩水で洗浄して消毒液に漬ける。穴を綺麗にした所で、止血の為に綿が詰め込まれた。これもすごく痛い。そして足を包帯でグルグル巻きにして、手術は終了。後は破傷風の菌を殺すための点滴を受けておしまい。足に入れた綿は数日置きに交換された。出血が止まるまで。そんな手術をされた私は、歩くのもままならなかったので、松葉杖を貸してくれるように頼んだが、駄目だと断られた。腹が立ち抗議したかったが、子供だったので何も言えなかった。それからしばらくは足を引きずりながら学校へ行った。階段は友達が肩を貸してくれた。かくして、私の中に医者に対する敵対心と不信感のトラウマが残る事となった。今では、どうしても医者に行かなければいけない時は、どうなっていて、どういう治療法があって、どんなお薬を出すのか徹底的に聞く様にしている。不要な物は徹底的に断り、不審に思うと医者を変える。薬も最低限の物意外もらわない。心療内科に限っては何を出してくれるのかをたずねても、「考えて出しておきますので・・・」と言うだけで、処方されるまで何が出てくるのか分からない状況だ。不安感がつのる。医者は嫌いだ・・・・(ToT)。今日は最後の水晶ヒーリングカラーです。ライトパープル。チャクラで言うとちょうど頭の真上。最もレベルの高い波動を持つカラーです。強い癒しの効果があり、宇宙とのつながりを、強くしてくれます。素晴らしく美しいです。今後も、リクエストが有りましたら。登場させますので、お気にめされた方はどうぞ、リクエスト下さい。
2006.03.11
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私は心療内科にかかるのに。鬱発症から約5年近くもかかった。理由は簡単だ。ろくなクリニックは無いからだ。今から10も年前のことである。鬱を疑い図書館で医学書を読みあさり、鬱であると知り、対処方も探したが、その当時の精神医療の状況は最低な物だった。ある精神科医が書いた本があった。その当時の精神医療の状況が書かれてあった。その本にはこう書いてあった、精神科医は楽して儲けられるので粗悪な医者が沢山出てくるだろうと。どの診療所も、薬物療法で、患者の話を聞くのは2分程度。そして薬を出す。回転率もよく、仕事も楽で、とても儲かるらしい。相手が辛いと言えばどんな患者でもお薬を出し、効かないと言えば薬を換え、量を増やす。そんな事が平然と行われていると書いてあった。本当にメンタル面までケアできる医者は、ほぼ居ないだろうと書いてあった。今でもそれはあまり変わっていないだろう。現に、当時の私の知り合いは精神病(今で言う鬱)でドラッグ中毒にされてしまっていた。手に持ったカバンの中には山のように薬が入っていたのを覚えている。そしてそれが無いと生きて行けないと言っていた。また、カウンセラーの育成も不十分でまともにカウンセリングできるカウンセラーは居ないに等しいと書いてあった。10年たった今でも我流のカウンセラーが沢山居るように見受けられる。心療内科やメンタルクリニックなどの言葉が出てきたのもごく最近ではないだろうか。10年前にはお目にかかれなかった。もし有っても行ってはいないが。私は病院嫌いなのである。いつも医師が優位にあって、患者には選択の余地は無く、治療が行われてゆく。その態度がきにくわない。どういう症状で、どんな治療方法があるのかを説明して欲しいのだ。最近はそういう医者が増えてきているようだが、心療内科は何処も相変わらずだ。症状を話すと「じゃあちょっとお薬変えてみて出しておきますね」って、おい!どんな薬を出すのか話し合ってないやんか!とても信頼なんて出来ないね。何より薬がまったく効かないのが、不信感をさらに増すことになる。何も起きない、効果も、副作用も、眠気も。眠剤飲んでも眠れない。????お薬辞典で調べてみると、きつい薬は出ているようだ。なぜ効かない?不思議でたまらない。メンタルクリニックの意識改革を起こしてもらいたい物だ。今日の水晶ヒーリングは純粋の白。白色は全てのカラーを内包し、最も強いエネルギーを作り出します。
2006.03.10
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私が心と体の分離を体験したのは、ちょうどガソリンスタンドでアルバイトをしていた頃(鬱との戦い4)だった。最初は何が起こったのか訳が分からなかった。地に足が着いてない様な感じを受けたのだ。ガソリンスタンドのアルバイトは猛烈に忙しく、狂った様に働いていた。ところが地に足が着かなくなってから、体は忙しく働いているのに、自分は何もしていない様な不思議な感覚に襲われる様になって行き、昼間っから幽体離脱でもしたかのように思えた。鬱の事は頭の隅っこには有ったが、それが鬱の症状だとは思ってもいなかった。やがて感覚までもが麻痺し始めた。まず仕事の辛さが感じられなくなった。これは少し嬉しかった。とてもヘヴィーな仕事が苦痛もなく出来ること、これ以上のものは無い。しかしそれもつかの間、次なる麻痺が待っていた。味覚が無くなり、空腹感さえ感じる事が出来なくなってしまったのだ。もちろん唾液も出ない。食事に水分は欠かせない物になった。噛み砕いて水で流し込まないと飲み込めないのだ。次に音や声や聞こえる全ての物が見えないフィルターを通して聞こえる感じになり、意味を理解するのに時間が掛かる様になった。とても焦った、自分を取り戻そうともがいたが、どうすることも出来なかった。平静を装い、普段より頭を回転させて仕事をこなした。仕事から帰ってきた私は抜け殻の様になってしまっていた。ベットに崩れ落ちると、しばらくは動けない。ちょうど真夏だった。エアコンも無い四畳半の部屋は南向きで1日中日が当たり、真昼には軽く40度を超える。日が沈んでも室内は風通しが悪く灼熱地獄だ。それが疲れたからだからさらに体力と水分と気力を奪い取ってゆく。何とか起き上がり食事を流し込む。バイト先にシャワーが有って普段はそこを使っていたのだがバイトが休みの日には銭湯へ行かなければならなかった。体調の変化からか、銭湯で湯につかると倒れる様になった。それ以来、体を洗うだけにして、湯につかるにはやめた。この後突如として、大きく異変が起こるのである(鬱との戦い4)。このように私は心と体が分かれてしまい、その後、数回元に戻る時間が有っただけで、今に至るのである。今は味覚や感覚は戻っているが心と体の隔たりは消える事無く、いつも私の心は霧の中にある。今日の水晶ヒーリングは薄緑。大地と心を結ぶ橋渡しをしてくれます。
2006.03.09
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鬱(私も)の人のブログに色々書き込みや励ましのメッセージくれるのはありがたいことですが、叱咤激励「かんばってね」「早く治してね」などの言葉がけは禁句です!鬱の人への言葉がけは、「ゆっくりしてね」「頑張らなくてもいいんだよ」「力を抜いて行こうね」などが励みになり、心が楽になります。健常者の皆様、覚えていてください。鬱をわずらう人はみんな頑張りやさん。人よりも頑張りすぎて、心の容量オーバーしちゃったの。ブログを書くのは同情や励ましが欲しいからでは有りません。心の整理をする場がいるのです。またブログを通して鬱患者同士が支えあっているのです。鬱患者の事を、脳内物質の乱れだと一言で済ます方が大勢いらっしゃいます。それならばお薬で解決するはずじゃないでしょうか?でもお薬が効かない人(私)、お薬が効いていても波が有る方、どう説明されるのでしょうか?鬱には、いや脳内物質の乱れを起こした原因には、とても深い心の傷が有ると言う事を知って下さい。その傷が癒えるのにはとても時間がかかります。そしてその傷が癒えない限り、お薬を飲んでいても鬱は治らないのです。健常者の方が鬱患者のブログを読むことは大変良い事です。よく読んで理解を深めて下さい。ですが書き込みをするときは特に気をつけて欲しいと願います。言論の自由はありますが、人を傷付ける権利は持っていないはずです。また、面白半分で見に来るのはやめて下さい。私達は見せ物ではありません。ぐうたら怠けているように見えるかもしれませんが、健常者より精一杯頑張って生きているのです。日々が戦いなのです。できればそっとしておいて下さい。私は鬱歴10年です。鬱の辛い方へ。鬱の比較的軽い方が心無いブログを書いたりする事が多々有りますが、反応しないように心がけて下さい。あなたが辛くなるだけです。嫌なブログを見たときは、さらっと流して見なかった事にして下さい。そんな人もいるんだと割り切って下さい。私は逆に、その人の書いた心無いブログの中にも、その根底に隠されている心の叫びを感じ取ってしまいますが・・・。だから私はそんなブログを見ても腹が立つ事は無く、逆に慰めてあげます。辛いのですよみんな。でも皆さんは、とにかく忘れること!忘れられなかったら自分のブログでさんざん愚痴り倒してください。そして心の整理が付いたら、ブログは削除しましょ。そしてまた穏やかに生きましょう。今日の水晶ヒーリングのカラーは、とても癒されるライトブルー。頑張って写真撮ったんですがモニターで表現するのって難しいですね。水晶は実際、土台の水色と同じ色に輝いています。水晶内部のルチルも紫や緑・青・白と輝いていてとても綺麗なんですが写真では写りませんでした。私の技術不足もありますね。眺めていると、とってもさわやかな感じになり心落ち着きます。
2006.03.07
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小さな子供はオモチャを独り占めしようとする。そんな時も同じである。怒る必要は無いが、さとす事が大切だ。必ず面と向かって話してあげましょう。「貴方の持っているオモチャは後でいくらでも遊べるオモチャでしょ。だから今はお友達と仲良く分け合いっこして遊ぼうね」始めは聞く耳も持たないでしょう。こんな時は放っておきましょう。次の時も同じことを繰り返す。子供が理解するまで根気よく続ける。忍耐力がものを言う。ある時子供は理解する。自分のオモチャを貸しても、後で帰ってくることを。物の共有化が心に芽生える瞬間である。後はお菓子でも、絵本でも、なんでも同じ。一度共有化を理解した子供は自然と分け合いをするようになる。子供同士の喧嘩は放って置くのが一番いい(物を持ち出したら止めるべきだが)。喧嘩はコミュニケーションの一種。お互いの個性がぶつかり合っているのだ。見ててごらん、すぐ後には仲良く遊んでいるから。子供は小さな喧嘩を通して自分が何者であるかを主張しあっているのだ。そしてその中から上下関係や、秩序を学ぶ。ここに親が入ると、子供同士の個性は無理やり決め付けられてしまう事になる。親同士が決めた良い子と悪い子に。子供から自由を奪ったのと同じ行為なのだ。親の既成概念を子供に押し付けないで下さい。一人遊びをする子は、無理やりお友達を作る必要は無い。それがその子の個性だからだ。もし親が心配して手を出せば、その子はストレスを感じ、さらに内にこもるようになる。一人遊びに飽きたらその子は人との触れ合いにも楽しさがある事に気付き、友達を作るようになります。親のスタンスはこうです。いつも見守るだけ。よほどの事が無い限り手は出さない。自分の子供が泣かされていても黙って見ておく。子供には子供の社会がある。親が手を出してもいい時は、物で殴られた時や、生命に危機が及びそうな時、例えば滑り台の上から突き落とされそうになっている等。その時は本気で怒って下さい。相手の子供に。泣かしても結構。いかに重大な事をしたのかを教えないといけません。但し手は出しては駄目ですよ。口だけです。相手のお母さんに遠慮してては駄目ですよ。バシッと言ってやりましょう。親から怒られるより、よそのお母さんから怒られる方が子供は理解力が早いものです。昔はよく見た光景ですがね。悪さをすると近所のおばちゃんが、よく怒ってくれたものです。大切な事だったんですね。子供は外で成長するんですよ。でも今ではそれもほとんど無いか・・・。寂しい世の中になりましたね。今日の水晶ヒーリングのカラーは紫です。深い紫の色は深層心理に働きかけて癒してくれます。本当の自分と対話するのにとても役に立ちます。また高いレベルの次元とも繋がりを持っていて瞑想にも使えます。
2006.03.05
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母は強し!よく聞く言葉だ。子供と一緒にすごしていると必然的に強くなってゆく。まず自分の事より子供が優先。もし子供に命の危険が迫ろうものなら、自分の命も惜しまない。子供は自分の命そのものなのだ。次に忍耐力が付く。子供は大人の御都合など判っちゃいない、だから我がまま言い放題でよく泣きもし、起こったりもする。だが母親はそれにいちいち振り回されている暇は無いのだ(主婦は忙しい事、大変な事を男達は知らなければいけない)。自然に忍耐力が備わる(人によるけどね・耐え切れず虐待に走る人もいる)。次に、生んだ子の分だけ、体力が付く。二人の場合、買い物に出かけるにも、二人を連れ回す事になるし、自転車に乗せるのも一苦労だが、3人乗りはとても不安定で重さもかなりの重量になる。それに買い物の荷物もプラスされるのだ、腕力と足腰が鍛えられる。悲しいかなそのせいでかは分からないがよく食べるようになり、結婚前の面影は少しずつ消えてゆくのである。(ToT)小悪魔ちゃん達は物の大切さも知らない(当たり前)。高価な電化製品等を壊してみたり、壁紙を剥がしてみたり、壁に穴を開けてみたり、ガラスを割ったり、食器を投げて割ったり、唾を落としてみたり、あげれば限が無いが、とにかく無茶苦茶だ。大切にしていた物を壊されたときの落胆は言葉では言い表せられない。だが怒りに任せて怒ってしまってはいけない。子供は悪気が有ってしたのではないからだ。だからといって怒るなと言っている訳ではない。まずは一呼吸置いて、その状況は怒らなければいけないほどの重要な事かどうかを考えなければいけない。もし道義を外れた事だと判断した場合は怒るべきである。怒るときはメリハリをつけてしっかり怒る。重要なのは逃げ場を作ってあげること。夫婦で怒っては駄目。父親が怒る時は母親は黙って見ておく。母親が怒るときは父親は黙っておく。母親だけの時に怒る場合は、お布団などが逃げ場に最適だ。父親が帰ってきてから、ゆっくりおさらいをすればいい。逃場が有る事で子供は救われる。しっかり怒った後、逃場役は優しく抱きしめてなだめてやる。子供が落ち着いたら、なぜ怒られたのかを聞かせてあげる。話が出来ない幼児でも、話の内容は理解していることを知って下さい。そして怒った本人と再度話をする。この時は穏やかな顔で話してあげる。子供は2度話を聞き、2度イメージをする事になる。そして「もう怒ってないよ」と言ってあげ、両手を広げると子供は胸に飛び込んでくる。しっかり抱きしめて「もうしないでね。怒りたくて怒ったんじゃないからね。怒ってごめんね。お前の事好きなんだよ」と言ってあげる。何度も書いて来てるが、ここで重要な事がある。しっかり抱き締める事。きちんと理由を話す事。怒ったことを謝る事。そして好きだよと言ってあげること。子供は同じ事を何度も繰り返す。その度に、同じ事を実践する。するとある時期を境にピタリとやらなくなる。自己判断能力がついたのだ。怒られるのが怖いからやらないのではなく、やってはいけない理由を知っているからやらなくなる。そう有るべきだと私は考える。今日の水晶ヒーリングカラーはリクエストの有ったピンクです。ピンクの色には、母親の優しさ、愛、安らぎ、生命などが内包されています。見ていると、とても気分が良くなります(写真では表現出来ませんが実際の物はもっとピンクでしかも複雑に色が混じり合っていて吸い込まれるような美しさです)
2006.03.04
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前回、しつけに関して書きましたが、私の個性そのものを変えられてしまったんです。これは大変な出来事です。でも、大人になるまで、いや実家に戻る(鬱との戦い17)まで分からなかったことが有った。それは、あれだけ厳しくしつけていた両親達が、まさに逆に生活。ぐうたら、生理整頓が出来ない、時間を守らない、他人に対して平気で傷つく言葉を吐く。今までの私を否定するかの様な生き方をしていたのです。はっきり言って怒りを通り越して呆れてしまった。なんて馬鹿な人たちなんだろう。自分が実践して良かった事を子供にしつけるのは良いことだと思うが、自分達の事は棚に置いておいて、子供だけに押し付けていた両親。何の権利があってそんな事をしたんだ?親の権利とでも言いたいのか?親の権利っていったいなんだ?親なら実力行使で何でもしていいのか?人、一人の生き方を変えてしまったんだぞ!親の権利は、子供を守ること。静かに見守り、助けを求めたときにそっと手を差し伸べてあげる。そして大切なのは、早く子供が親元から旅立てるようにお手伝いをすると言う事です。子供も一人の人間です。親の所有物ではありません。母親の胎内に生命が宿った時点から、あなた達は一人の人間を、一人で生きて行ける様にサポートする権利が発生するのです。間違えないで下さい。サポートですよ。思い通りの子供に育てるのでは無いのですよ。決して忘れないで下さい!子供は一人の人間です。知識や知恵、経験が大人、親より少ないと言うだけで、持って生まれた能力や本質はまったく同じだと言うことを。同じ心を、同じ魂を持っていると言う事を。但し、純白なだけ傷つき易い事も忘れないで下さい。何気ない一言が子供にとっては刃になる事を。今日の水晶ヒーリングカラーは大地の生命のグリーン(私のモニターでは水色に写ってますが、実際は真緑です)です。生命の躍動感を感じさせてくれます。
2006.03.02
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私はよく怒られたと、しばしば書いている。その中にしつけもあった。両親はしけに大変厳しく言動行動、周りの生理整頓、好き嫌い等、とにかくよく怒られた。私はO型だが、私を知っている友人たち、もしくは初対面の人でも、みんな口をそろえてA型だと言う。職場でもきっちり整頓されていなければ気が済まず、ファイルを置く位置まで決まっていて、誰かが入れ替えようものなら、すぐさま元に戻す始末である。仕事自体も几帳面でその日の仕事をノートに書いて、優先順位を付けていき順番にこなしていく。これが狂うと気分が落ち込む。時間にも正確だ。約束の15分前には来ているし、知らない場所へ行くときは1間以上も余裕を持って家を出る。仕事の期限もそうだ、必ず期限内に終わらす事が出来る。車はまっすぐ止まっていないと気になるたちだ。手が空こうものなら、のんびりせず(出来ず)落ち着きが無くなり何処からか仕事を探してきてしまう。ずっと何かをしていないと気がすまないのだ。休職してからは妻が楽をする羽目になった。洗濯物が溜まっているのを見ると、たまらず洗濯してしまう。台所が散らかっていようものなら、妻のいないすきに片付ける。それなのにO型なのだ知人でO型の人を見ると、たいていはのんびり屋でマイペースで温和で人好きである。親の影響ってそれほど大きいのだ。確かに私は小学生低学年の頃は自由奔放、散らかしっぱなし、人好き、のんびり屋のガキ大将だったのだ。それが引越し(鬱との戦い14)を境に親の態度も変わり、私自身も変えさせられたのである。しつけは大切です。でも、行き過ぎのしつけは個性をも変えてしまいます。人を傷つけない。社会的な適応能力を付けさせる。その程度でいいのです。どんな形であれそれがその子の個性なのだから、それを変えてしまうと言うことは、その個性を殺してしまうと言うことなのです。私の母はいつも「~でなければだめ」と口癖のように言います。それは間違いです。色んな個性の人が居てるから、この世の中は面白いんじゃ無いですか。お子様の個性を大切にしてあげて下さい。10人10色、100人100色、1000人1000色です。今日の水晶ヒーリングカラーはディープブルーです。昨日海遊館に行ったのでその余韻を楽しんでいます。深い青色は深い海の中にいる様な錯覚さえも感じさせ、とても心静かで静的になれ。心の奥深くの自分と対話できるような感じがします。
2006.03.01
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私は21歳の頃からサイドビジネスをしている。儲かっていた時期もあった。友人達と楽しくビジネスをしていた。しかしある頃からネットワークのアップ(先にされている成功者・仮にAさんとする)の勝手な判断でグループ内をいじられた。Aさんからすれば手助けのつもりだったのかもしれないが、グループ内で不満が出始め、一人、また一人と、グループから離れていった。仕舞いには一人になってしまった。元々一匹狼で友人も少なかった私が新たに仲間を増やすことは、たやすいことではなかった。儲からない時期が長く続いたがAさんが大丈夫や、と言った言葉を信じ、ビジネスを続けた。Aさんは人がよく、憎めないタイプなんですよね。私はAさんがやっていた(Aさんの所属グループのスキル)方法が正しいやり方だと信じ、一緒に頑張っていたのだが、ある日を境いに突然違うグループへと移り活動し始めた。私は何も聞かされていなかったので数日間、Aさんが休んでいると思っていたが、他の人から事実を教えられた。このショックは大きかった。Aさんに悪気は無かったのだが、私は傷ついた。しぶしぶ私もそちらへ移動して新たに活動をし始めた。しばらくしてAさんが高い目標を決め今まで以上に活動し始めた。もちろんその実績の中に私のランクアップも含まれていて、当然、私も今まで以上に頑張る羽目になった。そこまでは問題は無かった。問題は、期限が近付いて来るとAさんもヒートアップしてきていて、私もどんどんあおられる。活動に無理が生じてきた。ここに来て再びグループが崩れ始めた。止める手立てはなかった。とても残念で、悔しい思いをした。また一人になったのだ。それから間も無く、Aさんが再び一言も無くグループから居なくなった。その時も数日間、私は知らなかった。またしても人から聞いたのだ。運が悪かったのは、この時ちょうど鬱真っ盛りの時だったのだ。私の心は打ちのめされた。信じていたものが音を立てて崩れ去ろうとしていた。私は2度もAさんから裏切られたのだ。もう立ち直れなかった。Aさんを恨む事は出来なかった。Aさんは、悪気が一切無いからだ。私が一人傷ついただけなのだから。父との事での人間不信、そしてAさんとの事での人間不信。闇につき落とされた私の気持ちを代弁する言葉は見当たらない。もう何も信じられない。自分だけが全て。誰の声も聞かない。これ以上私の心に傷を付けないで欲しい。私は第一線から身を引いた。純粋さは時には周りを観察する能力を鈍感にしてしまう事がある。信じたものを追い求める時は、それ以上の冷静さと観察力が必要なのだ。今日のヒーリングカラー(水晶ヒーリング)はレインボー。全てのカラーを内包し、エネルギッシュにしてくれます。写真では判りにくいですが、水晶内部のルチルに色んな光が当たって虹のようにキラキラ輝きます。
2006.02.28
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私は度々、言葉の大切さについて書いてきた。愛してるよと言う言葉のパワー。他人も自分も癒されていること。今日はそんな言葉の一面をご紹介します。 水に言葉を見せました。 ガラスのビンに水を入れ、ワープロで文字を打った紙をビンに貼って水に言葉を見せました。 書いた文字は【愛・感謝】 どうです美しい結晶でしょ。完璧と言っても良いほどの美しさを見せてくれます。大自然の生命現象は「愛と感謝」が根本であることを物語っています。 上と同様に水に文字を見せました。 書いた文字は【ばかやろう・You Fool・ムカツク殺す】 どうでしょう、結晶すら出来ませんでした。 人間の体の80%は水で出来ています。もしあなたがこのような言葉を口にしたなら、相手にも自分にもこのような結果が待っているのです。 だからいつも【愛・感謝】で言葉を埋めて下さい。プラスの波動は広がっていくでしょう。 参考文献: 水は答えを知っている 江本 勝
2006.02.27
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私の母は愛情深い人間では有るが、相手を傷付ける言葉もよく口にする。母の方程式はこうだ。注いだ愛情=帰ってくる愛情。勘違いもはなはだしい。愛とは無条件の奉仕。見返りを求めていては愛とは言えない。愛ってなんだろう。【エーリッヒ・フロムの愛するということ】(哲学書)を読むと深い理解が得られるのではないでしょうか。難しくてわけ分からん様になるかもね。基本的に母はヒステリックな人で、自分が気に入らない事が有ればすぐキーキー声でわめき散らす。その原因が私である場合、そのキーキー声を止める為に父は私に暴力を振るう。父の暴力には感情は無いのだ。ただ母のキーキー声がたまらなく嫌いなだけなのだ。母は自分が幼い頃貧しく苦労した分、子供にはお金で辛い思いをさせまいと、ひたすら働いていた。母は貧しさの中にでも幸せというものを見出せなかったのだろうか。子供にとって家に母が居るのと居ないのでは、子供の精神状態はまったく違うのだ。子供が求めているのは、いつもにこやかで、優しい母。金を稼いで来て高い授業料の塾に無理やり入れる母ではない!父の給料は安かったらしいが、それでも共稼ぎしなければならないほどに生活は困っていなかった。母の頭の中には、ひたすらお金の事しか入ってなかった。お金が有れば幸せになれるとさえ信じて居たかもしれない。子供の仕事は? 1.遊び 2.勉強である。しかし遊びもまた勉強でもあるのだ。遊びがどれほど重要か今の社会を見れば一目瞭然だ。ここで言う遊びはテレビゲームなどではない。人と人とのコミュニケーション、自然との触れ合いである。小さな頃から勉強勉強。それではいつコミュニケーションを学び身に着けるのだ?コミュニケーションは遊びの中で自然と身に付く物である。喧嘩も大切だ、喧嘩から痛みを知り、相手の痛みも分かるようになる。ろくに喧嘩もしたことの無い子供が、人を刺したりするのだ。上下関係や秩序も遊びから子供は学ぶ。そして運動能力も遊びでしか身に付かない。アスレチックジムに通っているお子さんをみた事がありますか?鬼ごっこや、かくれんぼや、ジャングルジムなどから子供は体力を付けていく。今では外で遊んでいる子供を見ることは少ない。ましてや、遊具自体が公園から消えようとしている。ほんとに情けない話だ。私の母も 1.勉強 2.勉強。自分は高校中退のくせに、子供には高学歴を押し付ける。カエルの子はカエルである。間違った愛情表現の母、それに振り回される父、そして被害を受ける私。まさに反面教師、多くのことを学びましたよ。
2006.02.26
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私は病院という所が大嫌いだ。今までまともな医者に会った事が無いせいかもしれない。特に心療内科の現状はよく知っていた。薬を出せば儲かる商売。鬱でもない人たちが鬱を装って向精神薬などを出してもらっている。カウンセラーもアメリカなどのように教育もまだまだ発展途上で、腕のあるカウンセラーはめったにお目にかかれない状態。だから行きたくないのだ。しかし、行かざるをえない状況に追い込まれてしまった。2回目の実家へ戻ったとき(鬱との戦い11)。両親を無理やり引っ越させて、車庫の整理をしていた時。懐かしいカバンが出てきた。それは私が小学生時代に使っていた旅行カバンだった。中が荷物でパンパンだったので、何だろうと開けてみた。!!!!!・・・・。言葉も出なかった。中には無数の女性の下着。どう見ても新品ではなく使用中の物。瞬時に理解した。止めてなかったんだ。しかも常習犯だと。一度捕まったのに下着ドロボーをやり続けていたのだ。それも、ものすごい量。母に話した。母も家の車の中で、見たことの無い女性のパンツが落ちているのを見つけたが、見なかったことにしたと言った。警察へ通報するべきだと思ったが。田舎でうわさが流れるのは早い物。商売なんかあっという間につぶれてしまう。結局、正義は通されなかった。心はとても痛んだ。自分に怒りさえ覚えた。父の行為によってどれほどの女性が恐怖の体験をしただろう。どんなに気持ちが悪く、どんなに怖かっただろう。自分を守るために、多くの女性を犠牲にした自分を責めた。悲しかった。私は弱い人間です。本当に申し訳有りませんでした・・・。どうなろうとも、あの時点で食い止めておくべきだったんだ。いまさら後悔しても始まらないが、この事件は私の心から離れることは無い。今でも父は「下着ドロボー」をコツコツやっているのだろうと思う。特に性癖犯罪者の再犯率は、ほぼ100%と警察は言っている。今ではコンタクトさえとらない父、どうすればいいのだろう。この事件を通して私の中の父への憎悪はさらに大きな物となり、視界に父が居るだけで、顔が引きつるようになった。一度妻が用事で職場へ来たとき私の顔を見て怖い顔をしていると言った。そして私は職場へ向かうと思うだけで顔がこわばり、引きつる様にまでになっていた。とうとう限界を感じ、ようやく心療内科へ行くことになった(鬱との戦い13)。鬱症状を自覚しだしてから8年は経っていた。
2006.02.25
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私はもう父とは会わない。縁を切ったとさえ思っている。愛情も無い。父が無くなたとしても、葬儀に出るかどうか分からない。多分出ない。私の父への憎しみはそれ以上だからだ。当の本人はなぜ自分が憎まれているのか、まったく分かってはいない。むしろ母のせいにしている始末である。昔さんざん体罰を与えたことや、自分のおかした事すら忘れている。私は高校受験の時にあまりにも勉強をしなかった為、父に殴られた。初めて取っ組み合いになった事は以前にも書いたが、この時は本気で殺してやろうと思った。この頃(鬱との戦い15)から家の中では心を閉ざし、表情一つ変えず無表情で、話もろくにせず、ただ居てるだけの自分を作り出した。両親は変化に気づかずで、ただ暗い奴だと思っていた様だ。だから私の外での素顔をまったく知らない。それ以来、父が家の中で大声で怒鳴ったり、母と言い争いをしていると、心の中の火山が爆発する。顔は無表情だが、戦闘モード200%にまで頭に血が上り、今にも殴りかかりそうな勢いになる。その感情を無理やりにぐっと心の底へ押し込む。そんな感情が心の奥に眠り続けていたのだろう。鬱状態になってからのある晩、夢を見た、ものすごくリアルな。それは父がいて、私が金属バットで何度も何度も何度も殴り続けているのだ。体中の骨と言う骨は砕け、床に崩れ落ちてもまだ、何度も何度も何度も殴り続ける。そしてミンチの様になるまで何度も何度も何度も延々と殴り続けていた。そして汗だくで目が覚めた。自分の心の中の狂気を垣間見た。親を殺す少年犯罪者の気持ちが痛いほどよく分かる。一歩間違えれば私が少年犯罪者になっていてもおかしくなかったのだから。親なら子供に何をしても良いのか?子供は親の所有物か?子供の人権は無視されて良いのか?・・・・民事不介入?警察がそんな事言ってるから少年犯罪は減らないのだ。子供はみんな始めは同じ。子供を狂わせているのは親達だと言う事を、いったいいつになったら世間は気づくのだ。子供の暴力は心の叫びだとなぜ分からないのだ。子供が言う事を聞かない?無理やり聞かそうとするからだ。一人の人間を思い通りに扱えるとでも思っているのか?それが子供ではなく他人だったらどういう風に接するんだ?子供も人間だぞ!一人の人として扱われなければ、抵抗はやまないだろう。
2006.02.24
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私の父は、家族への思いやりに欠けた人物で、私が小学生の高学年時、よくしんどいとか、ため息ばかりつくのを見ては、「根性が座ってへんからや」と怒鳴られた物です。まぶたの異常の時も同じ事を言われました。もちろん風邪や病気の時も。私だけでなく母と喧嘩する時も、お前なんか別におらんでもええと言い放つ。そのくせ、他人には腰が低くやたらと親切で、いつもヘラヘラしていて、会社の同僚がお金に困っていた時などは、母に黙って、通帳と印鑑を渡してしまう様な人間なのだ。また、とても自己中心的で誰にも相談せずに重要な事を決めてしまうのだ。1番驚いたのは、サラリーマン(自動車整備士)を辞めて自営業を始めるという時、1番必要なのは現金なのに、父は退職金の換わりに車をもらって来たのである。少なくても500万は貰えた退職金を、200万円程度の車で済ませてしまったのである。会社からすれば、お金は浮くし、成績も上がり、一石二鳥である。もちろん車が納車されるまで母は知らず、当然のごとく、この後夫婦喧嘩が行われたのは言うまでもない。しかし車が納車された後では後の祭りである。どこまで馬鹿なのだろうか。何より問題なのは性癖である。昔から夫婦の夜の生活は少なかったと母が話していたが、どうやらSEXには興味が無い様だ。実家の仕事を手伝う様になってから8ヶ月が過ぎようとしていたある日、朝一の仕事に出たまま帰って来ず連絡も途絶えた。他にも仕事が入っていたので私一人で何とかこなした。そして夕方、警察から連絡が入った。父が拘留されているとの事だった。理由は窃盗としか教えてもらえず、母が弁護士を通して事情を聞き出した。捕まった理由は窃盗。万引きでも空き巣でもない「下着ドロボー」だった。あまりにも呆れたのと、ショックと、おぞましさで、頭が混乱した。昔から嫌いだった父が、さらにおぞましい生き物に見え、近くに居てるだけで吐き気がした。父は私が事情を知っていることを知らないで居る。そういえば以前、母からこんな相談を受けていた。(まだ自営業が軌道に乗る前、食べていく為にゴルフ場エントランスの夜間掃除のバイトを夫婦でしていた時の事)父が掃除中に居なくなり、心配になった母があちこち探し回った所、女子更衣室から出てくる父とばったり会ったそうだ。母を見てびっくりした様子だったと。どう思うかと聞かれたがなんとも言えなかった。下着フェチだとは分かったが、まさか下着ドロボーをするまでになるとは。この事件が原因となり、このまま実家に居ると頭がおかしくなりそうだったので実家を離れ一人暮しを始める事となった。(鬱との戦い1)私はこの事件以来人間不信になってしまい、誰も信じなくなった。身近にしかも家族に犯罪者が居るからだ。妻には決して外に下着は干さないように何度も何度も言ってある。
2006.02.23
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高校生活も無事終わりを迎え、就職が決まり親元から離れて会社の寮で生活する事が決まった。後日談だが高校時代のバンド仲間が卒業式の帰り、電車内で私の親の横に座っていたらしく話していた会話を教えてくれた。母は同級生のお母さんと一緒に帰っていた様で、こんな話をしていた「今まで一緒に居た息子が、これから離れ離れになると思うと、悲しくて毎晩泣かずには居られない」と。聞かされた私はどう言葉を返して良いか分からず、「ハハハ」と苦笑いをした。子供だった私が始めて相手の気持ちを知り相手の立場になって物事を考える、貴重な一瞬でも有った。他人に言わずに、私に直接言ってくれればどんなに嬉しかっただろう。どれほど、今までのマイナスの貯金が清算されただろう。どんなに愛情を感じ取っただろう。言葉はエネルギー。大切な言葉は、どんどん話さなければ、伝わらないよ。だから私たち夫婦はいつもそうしてる。私が子供をきつく叱った時、必ず妻は黙って見ていて、叱り終えたら妻が子供を抱きしめて落ち着かせ、どうして怒られたのかを教える。そして私を呼び、子供と話をさせる。私は再度なぜ怒ったのか、どうしてしてはいけないのかを話して、子供を抱きしめて、「お父さんはお前のこと好きなんやで、怒ってごめんな、でも、もうしないでね」という。これを子供が喋れない時からして来ている。正しい方法かはさておき、この中に私の体験して学んできた全てが集約されている。怒るときは徹底して怒り、妻という逃げ場を作ってやり。話し合いの場を設け、納得いくまで話し合う。それからスキンシップしながら、忘れてはいけない究極の言葉「好きなんだよ・愛してるんだよ」決してマイナスの貯金をしてはいけない。そうそう、謝る事も忘れないこと。話が出来ない子供でも、話の内容は分かっているのですよ。この事実を多くの親は知らない。誠に残念です。社会人になり、会社の寮生活が始まった。自由で新鮮な環境、夢でもあった電気設計という仕事にも就けて、意欲にも燃えていた。小学生低学年時代の私がそこには戻ってきていた!楽しかった。貯金などせず遊びまわった。毎晩毎晩先輩たちと、ドライブやボーリング、居酒屋にカラオケ、夏は海、冬は毎週スキー。毎週金曜は夜からバンド仲間とスタジオで練習、毎月の定期ライブ。楽器や機材に120万はつぎ込んだ。昔の仲間とその縁に感謝します。これが私の本来の姿だー!と叫びたい気分である。そんな生活が4年半続いた。設計の仕事も一人で出来る様になっていた。そんな折、実家から仕事が忙しくなったので手伝いに帰ってきて欲しいと連絡が有った。放っておくわけに行かず、上司に相談した。上司も家庭の事情では仕方が無いと、辞表を受け取ってくれた。大変素晴らしい上司だった。尊敬もしていた。上司と、その縁に感謝します。と、言うわけで実家に帰ってまいりました。年始年末等に実家へは帰ってきていたが気づかなかった事が有った。一緒に暮らしてまず驚いたのは。「なんじゃ?この陰気な雰囲気は!!!!」と、冷め切った夫婦の出す強烈なマイナスエネルギー。居心地が悪く、自分の居場所を探せなかった。自分もどんどん暗くなっていくのが分かった。そしてサラリーマンしか(しかも1つの仕事だけ)した事がない世間知らずに親父が経営する、ぐうたら・無計画・どんぶり勘定商売。開いた口がふさがらないとはこのことである。経営センスは0である。母は約9年間の美容院経営の経験者でそれなりの経営哲学もあり、そちらに任せて、作業だけしてれば良いものを。男尊女卑の世代の父にはそれは屈辱だったのかもしれない。だから母が横から口出しをすると、すぐに喧嘩になるという、構図が出来上がってしまうのだった。5年目にして仕事が軌道に乗ったのは、裏で母が努力したお陰だという事も父は知らない。4年目まで仕事はほとんど無く、赤字は1500万円にもなっていた。母が美容院でこつこつ貯めた貯金も使い果たしたそうだ。ごうを煮やした母は営業に回り始めた。(ってゆうか親父が営業まわらなあかんやろ)そして少しずつ顧客を取っていき、5年目に軌道に乗ったというわけだ。というわけで、ここで鬱との戦い1へつながるのです。鬱への引き金は鬱との戦い1から始まるのですが、元々、根源には鬱になる要素が潜んでいて、実家へ戻ったことで、心の容量をオーバーしてしまったんだと思っています。次回からは、鬱との戦いで書ききれなかったことなどを、書いていきたいと思います。鬱との戦いシリーズはこれで終了です。
2006.02.22
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高校受験になり、かろうじて得意分野の電子技術科の学校(私立)に合格し、高校生活が始まった。昔はワルの巣窟と呼ばれていた学校も入学時にはたいしてワルと言った風潮も無かった。後日、ある授業で入学者の順位表(合格した人数とランキング)を見せてもらう事が出来たが、私は下から2番目だった。危うく不合格になるとこだった。かくして、目の原因不明な症状を抱えつつ、高校生活が始まった。レベルの低い学校に入ったから授業が分かりやすいんですよね。勉強のコツ(テストで点を取る)が分かってしまったのです。1学年630人、1クラス45人、成績順位629位。入学したときは629位ですよ。3年後どうなったと思います?学年順位74位、クラス内順位7位になってしまいました。50位以内なら推薦で無試験で大学へ行けたんですが。今になってはどうでもいいことです。これが原因で親から怒られる事がほとんど無くなりました。するとどうです。2年生の半ば頃に、スーとまぶたの異常が無くなったんです。そう、ストレスから来ていたんですよ!心のシグナル、見落とし2回目。お子さんに勉強勉強と言っていませんか?自分の感情で怒っていませんか?子供も1人の人間です。自分がされたくないことは。子供もされたくない。簡単なことです。お子さんの話をじっくり聞いてあげていますか?貴方は貴方のお子さんの事をどこまで知っていますか。お子さんは何が好きですか?お子さんは何を考えていますか?お子さんの目標は知っていますか?子供が貴方との接触を嫌がる?貴方が今までマイナスの貯金をお子さんにしてきた利子です。利子と借金を返すには貴方からコミュニケーションを取らなければいけません。借金が大きいほど時間と努力が必要になります。お子さんからコミュニケーション取ってくれるのを待っていてもだめですよ。まずは許容すること。そのままの貴方で良いと言ってあげる事。困っている事が有れば話してネと言い続けること。(お金はあげてはだめですよ、それとこれとは別です)そして一番大切なのは、「貴方が生まれてきてから今まで一度たりとも愛情を注がなかったことは無かった。今でもこれからも貴方を愛してるよ」と言う事。難しいかもしれないけどね。愛してると言う言葉にはたーくさんのプラスのエネルギーが凝縮されています。親子でも夫婦でも、必ず言葉にして伝えること。科学的根拠もあるのですよ。水は答えを知っているを読めば、どれほど大切な言葉か分かります。貴方の一言が鬱患者を減らす。忙しくていらいらするのはみな同じ。親の方が一枚上手で無いとだめです。疲れているからこそ、愛してると言う。相手だけでなく貴方も癒されるんですよ・・・・つづく
2006.02.21
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私はよく怒られましたが、理由が正当で怒られる分には良いのですが。家の場合、理不尽な怒られ方をするのです。例えば親が帰って来たときにTVを見ていたり、風呂掃除や家事を断ったり、成績が悪い時(いつも悪いが)など。しかも、母は自分ではかなわないと思っていたのか、シバキ役はいつも父。父親に無感情で殴られたりするんですよ。愛情の無いしつけや暴力は、子供の心に憎しみとなって積み重なって行きます。その回数が多ければ多いほど。殴られる度に腹の底が煮えくり返っていました。だから当時、頻繁にしんどいと、ため息をよく付いていたのは。心からのメッセージだったのです。その当時は鬱病なんてあまり広く知られていませんでしたから。心療内科もなかったのでは?そういう訳で、親からは、ただのだらしの無い仮病にしか見えなかったのでしょう。それが余計に腹が立ったのかもしれません。私はすごく勉強が嫌いでした。クラスでも後ろから数えた方が早いくらいに。教育ママだった母は、塾に入れたり、家庭教師をつけたり、とにかく色々させられましたが、こちらが嫌々してるので、成績が上がるわけ有りません。今でも言われます。あんたには大金使ってやったのにまったく無意味やったと。こちらこそ迷惑ですよ。中学まで私立受験させられました。無回答で0点(仕返しのつもり)。むかついたやろうな。普通に中学に入り、さらにおとなしい性格になりました。あまり友達も作らず、いつも一匹狼でした。性格上、悪から目を付けられやすいタイプ(おとなしくなってもガキ大将だった性分はかすかに残っていたのでしょうね)で、多少はちょっかいを出されましたが、それ以上はありませんでした。理由はクラブに有りました。私の入っていたクラブは吹奏楽部。一見清楚なイメージが有ると思いますが。ここは違いました。顧問が見た目も態度言動共にヤクザそのもの。だから集まる部員も当然ワルばかり。最も恐れられていたクラブだったのです。ワルで有名な先輩に気に入られていたので、私に手を出すと仕返しが怖かったんだと思います。でもクラブは厳しくよく殴られましたよ。中学も後半、3年になると受験が待ってます。『良い高校に』と塾に家庭教師、相変わらず・・・。成績が悪いと殴る。一度、本気で親父を殺してやろうと思ったことも有りました。この頃から、原因不明の症状が出始めました。瞬きがとても多く、ひどいときは完全にまぶたが閉じてしまう。自力ではなかなか開くことが出来ない。自転車に乗ると、まぶたが閉じるもんだから、あちこちに激突しました。目医者、耳鼻科、総合病院、大学病院。たらい回しです。結局原因は分からずじまい(後で分かりますけどね、それはまた後で)でした・・・・つづく
2006.02.20
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実家を離れて約1年目になろうとしていた。仕事も忙しくなってきた。と言うより、忙しくさせられた。疲労と鬱がまたピークを迎えてしまった。突然ある日、仕事にいけなくなる事だけは避けたかった。仕事は2人1チームでの行動。相方は、鬱の事はよく分からないが、少しは理解していてくれ、気遣いもしていてくれた彼を困らせる事だけは避けたかったのだ。限界を感じ彼に話し、上司に話をして1週間後に休職となった。彼には新しい相棒が付いた。会社って何処へ行っても言えるが、頑張る奴が損をする(ノルマ制以外)。みな同じ給料、サボった奴の仕事を出来る奴がしても同じ給料。どんなに特殊な能力にたけていても、へたれ上司の給料は抜けない。とても腹立たしく思う。休業してから3ヶ月が過ぎようとしている。鬱が良くなったかと言うと、そうでもない。無理にぎりぎりまで頑張っていたせいか、少しずつ悪くなってきている。ここ3ヶ月で2Kg体重が落ちた。168cm・52.5kg 妻には骨骨ロックと言われている。辛い辛いと言っているが、不幸だとは一言も言っていない事にお気づき?実は大変幸せです。辛いだけです。今、子供は3歳と1歳半。この時期に、毎日スキンシップが取れる父親がどれだけ居てるのだろうか。この時期の日頃の行動を目に出来る父親はどれだけ居ているだろう。子供は宝である。確かにそれを守るために仕事に出るのだが。私は運がいい。倹約家の妻のおかげで、傷病手当と貯金で、まだ当分は自宅療養出来ます。私が鬱だったおかげで、妻の妹の鬱も早期に分かり、彼女の病気の事を、その家族にも理解してもらうことが出来た。鬱でなかったら彼女と結婚してただろうか?彼女は私のソウルメイトです。全ては必然で、縁なのかもしれません。鬱の始まりから書いてきたが、鬱の根源へと話を変えましょう。私の両親は、私の鬱のサインを読み取れなかった。さかのぼること数十年(そんなに歳ではありませんが)前。小学生高学年のとき、突然の引越しがあった。何も聞かされていなかった。突然お別れ会が開かれ、家に帰るとほとんどがらんどう。翌日には新しい学校へ。ガキ大将だった私を待っていたのはその地域のさらに悪質なガキ大将。子分が沢山居るような奴。受け入れられなかった。ほぼ皆から無視状態。クラス内でも浮いた存在で。嫌われた。性格が変わっていった。内側へと入っていった。両親は共稼ぎ、仕事のストレスは子供に向けられた。家事手伝いや、言うことを聞かないと、すぐに父親の手が出てきた。あげくには革ベルトで殴られた。2~3週間はかさぶたが出来る。見られるのが嫌で夏でも長ズボンをはいた。この頃から毎日毎分、しんどい、ため息の連続。大学病院などいくつも回り精密検査をしたが、健康と診断された。・・・・つづく
2006.02.19
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前回の日記で書き忘れたのですが。子供が出来たときに、一緒に子宮の異常が判り、安定期までさわれない状態で、安定期まで体が持つかも危うい状態だった。そして安定期に入り、すぐに手術を受けて嫁さんの実家で休養を取ることになった。1ヶ月?だったかな?覚えていないが、2度も一人で過ごした時期があった。それは拷問のような物でもあったが、仕方が無い。子供が生まれてから何ヶ月か過ぎた。嫁さんの体調がおかしかったので、産婦人科へ行って見ると、手術した所が再度悪化していた。というより前回の手術は、お腹に子供がいたので応急手術しか出来ていなかったようだった。そして2回目の手術。片方の卵管を切除。そしてまた休養。また拷問の日々。だんだん人相が悪くなってきた。それからしばらくして、基礎体温をつけていた嫁さんが、今日は安全日と言うので。合体!・・・・・・チュ。すると、なんと基礎体温が乱れていただけで、排卵日!ど真ん中、命中!妊娠しました。そう言う事も有るさ・・・。そして2度目の出産。例のごとく、実家で子育て。一人ぼっち・・・。鬱が悪い方へ。う~ん勘弁して。男性へ一言いって置きますが、立会い出産は、感動も有るけど、かなりへこむよ。2回も経験した。もうごめんです。女性ってすごい!産道から出てくる写真撮っちゃいました。物事が分かる様になったら子供たちに見せようと思って。2人目が出来た頃。両親との関係は最悪な物となっていて、鬱もさらに悪化してきていた。ようやくここで心療内科を受けてみる決意をした。たまたま近くに一軒だけあった。すがる思いで診察を受けた。診察なんて、あっさりで症状聞いて「じゃお薬出しておきますから」だって。カウンセリングも受けましたが、カウンセラーが若葉マークでどっちが患者か分からん状態。がっかり。とりあえずもらったお薬を飲んでみる。しばらくのみ続けたが何の効果も出なかった。と医師に言うと、「じゃあお薬変えてみますね」だけ。それから1年間、ありとあらゆる薬を試したが何も起こらなかった。眠気も、副作用も、良くもならず。いったいどうなってんだろう。診察も1年を迎えようとしていた頃には親とも仕事のこと意外で話をすることはなくなっていた。近くに居ると思っただけで、むしずが走った。ここを離れなければ。症状の軽い時期を選んで就職活動を初め、そして親元から遠くへ離れた。新しい仕事にもなじめ、症状も割りと楽だった。しかし、やはり性格のせい(頑張り屋でテキパキ効率よく仕事が出来る)で、仕事量は増え、ストレスとなり、再び強い苦痛に悩まされるようになった。薬物療法なんか無駄だと思いながらも、心療内科へ通うしかなく、前の先生の紹介で、近所の診療所へ通う事となった。郵送されて来ていたカルテを見て、先生は唖然としていた。お薬を出し切っているといわれた。それでも何とか合いそうなお薬を探してもらった。当然効き目は無かった。でももう、ないんですよねこの薬しか・・・。これで我慢するしか。のんだら楽になると思い込むしか。・・・・つづく
2006.02.17
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結婚式は小さな公民館を借りて、公民館が主催の安い結婚式を親族のみで挙げた。トータル13万円。それでも、彼女のお父さんは喜んでくれた。結婚式にお金をかけなかった分、生活道具はとても良い物をそろえる事が出来た。新婚生活は順調にスタートを切った。相変わらずの鬱に、うんざりしながらも病院へは行かなかった。どうしても薬物療法は気に入らない。そこで今度は、ヒーリングをはじめた。まず初めはレイキ療法(良く知られている)。レイキエナジーを伝授してもらうのに30万円使った。レイキでは満足いかず、オーラヒーリングも受けた。今は練習をやめてしまったのでエーテル体までしか見えないが。がんばればアストラル体やメンタル体までも見えるそうです。TVでも最近オーラが見える人が出てきていますよね。あれです。これが11万円。その次がプラーナ療法という物。人間の体には血液と同じ様に、目には見えないがプラーナ(宇宙の生命エネルギー)が巡回していて、ストレスなどで不具合を起こすと正しい経路からそれてしまったり、何処かへ噴出してしまうらしいです。これを正常に戻す技が、プラーナ療法です。これが30万円。最後にムーエナジーの伝授、シャーラムー(仮名)さんがヒーリングエナジーを呼び起こさせてくれます。元々誰もがヒーリングは出来ます。怪我を治すのに手当てってよく言うでしょ。そう、言葉の通り手からはエネルギーが出ているのです。経験の度合いが違うだけ。大きな経験値の人と接したりヒーリングをしてもらうと、能力が目覚めます。これは1.5万円と良心的でした。ここまで、大金をつぎ込んできました。催眠療法、レイキ、オーラ、プラーナ、ムーエナジー。悲しい事に、私自身には一向に改善の兆しすら見えないのです。落胆しました。せめてもの救いは他人には絶大な癒しが起こるようです。民間資格ですが全て資格を取っていますので、鬱が治ったら人の為にヒーラーの仕事もして見たいと思っています。妻が出産のとき腰が痛いので手を当てて置いてくれと言われ、ずっと当てていました。産後に訪れる強い痛みのときも、おなかと腰に手を当てると、痛みが和らいだそうです。子供が生まれ、妻は育児の為1ヶ月ほど実家へ戻りました。この1ヶ月は、言葉では言い表せられない苦しみが待っていました。仕事が終わって帰ってきても、眉間にしわを寄せ、悶々とする。とにかく落ち着かない。自分に、効きもしないヒーリングをして、1ヶ月をすごした。やはり妻の存在は私には、とても大きな物だと痛感しました・・・・つづく
2006.02.16
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