1
今東光は明治31年(1898)3月26日午前5時に生まれた。日の出と共にうぶ声を上げた。で、両親が「東光」と名づけたのである。弟・日出海も「海からの日の出」である。これはお父さんが外国航路の船長さんだから船上でその誕生の知らせを受け取ったのかもしれない。 母・綾は明治2年(1869)生まれ。ミッション・スクールを出ている。英語はペラペラ、『平家物語』は暗唱していたという。才媛である。親戚に外交官がいた。自分の息子は外交官と決めていた。しかし、子供の出来は期待したほどではなかった。 小遣いを貯めては外国の文学書を買ってくる。原稿用紙に小説とやらを書きなぐっている。ろくでもない不良になった。 文学書は風呂の焚きつけにした。原稿用紙は本人の目の前で破り捨て、これも焚きつけにした。 中学はミッション・スクールに入れたが3年の一学期に退学になった。女学校の生徒との交際が発覚した。本人は「本を貸しただけだ」というが当時そのこと自体が問題視された。別の学校に転入したが二学期でまた、退学となった。校長を殴りつけたらしい。本人は「ちょっと・なでた・だけ」というが、校長の顔がはれ上がっていたという。 今東光は母を恨んだ。 今東光は父のタバコをくすねて吸った。16歳であった。隠れて便所で吸った。ある時、自分の机の上にタバコが二箱置いてあった。不思議に思って父に尋ねた。父は「タバコを吸いたければ親の前で堂々と吸え。便所の中ではタバコが不味かろう」という。英国紳士はかくあるべしという。 20代の今東光、夫ある婦人と駆け落ちをした。夫は当然、今東光の父親に抗議をしにきた。父は「うちの息子は悪い。しかし、あんたの妻も悪い」といい、その夫を追い返してしまった。 父は霊知学(神智学)を学び、今東光から見てもつかみ所のない超然とした存在だったようだ。 母は88歳で亡くなった。今東光が看取った。正確に言えば今東光の奥さんが看取った。周りからは親孝行だと言われたそうだが、今東光としては恥ずかしい、ただただ、妻に感謝するのみだという。
2004.10.06
閲覧総数 470
2
アルバム「臨月」1981・3・5 の中にある。この曲が「友情」というタイトルと知ったのはYouTubeを見始めた2年前だった。 まだ、CDがなかった。レコードかミュージック・テープだった。私はミュージック・テープでタイトルなど確認しないで、アルバムを繰り返し聞いていた。だから、タイトルが分らない。 この曲のタイトルが「友情」と知って、幾重にもひねくれた・性格の悪い・中島みゆき、私も同様に性格が悪いのだが、それが納得できる。 小島慶子さんも中島みゆきに共鳴しているという、その性格の悪さが共通項なのだろう。 あれから30年が経って、瘡蓋・かさぶた・が塞がらないで、流れ出ている血の匂いを嗅ぎながら、自分が生きていることを確認している。
2011.06.14
閲覧総数 76
3
高田集蔵は明治12年10月1日、岡山・勝山の商家に生まれた。(1960年10月10日没) しかし、家からの援助を受けずに大阪で暮らしていた。 初めはキリスト教で奥さんもクリスチャン(大阪ウイルミナ女学校の先生)だったが、途中で仏教の思想を身に付けた事で、奥さんが立腹、高田が旅行中に母親と二人の息子を連れて家出をしてしまった。 高田は出戻りの妹と二人暮らしだった。友人に一灯園の西田天香(京都南禅寺の老師の影響)がいた。 その高田に新しい妻が出来た。九津見房子である。高田36歳、房子24歳。大正2年のことである。 高田は大阪の教会を出て、いわば内村鑑三のような無教会主義なのだが、その無教会にも拘らず、旅の生活に明け暮れた。働かないけれど、神のオボシメシで「生かされる」という。仏教では「御同御同行(おんどうおんどうぎょう)」同じ信仰を持つ友人を訪ねて同じ信仰を喜び合う。 その高田と房子の間に子供が生まれた。大正3年に長女。大正5年に次女。 高田は印刷機と活字を自前で持っていた。それで自分の新聞を作り、全国に読者を持っていた。その読者の間を旅して歩いた。お布施を受けての生活だった。 九津見房子はそういう生活を嫌い、印刷機や活字を売り払って、東京へ出た。大正7年のこと。 後に、房子は大杉栄の秘書となり、共産党宣言のガリきりをすることになるのだが、ここでは高田集蔵を語らねばならない。(つづく)
2006.10.31
閲覧総数 733
4
ニッテン(日曜天国)のAD中山いっき君が退職だという。多分、どこかの大財閥の御曹司なのだろう。 結婚式の司会は安住さんかも知れない。
2010.12.27
閲覧総数 789
5
秋雨前線で明日も休みかも。6年前、この時期、同じように雨での休みが続いた。 で、朝、テレビ神奈川をなんとなく見ていた。女の子と人形が楽しいお話をしていた。女の子は「為口」で、オジサンであろう人形の主に突っ込みを入れていた。この女の子が木村カエラであることを横浜市営地下鉄沿線新聞で年末に知った。 翌年の1月、横浜駅近くで仕事だった。お昼、東口の新星堂に寄った。「アルバムを出しました。横浜の皆さん、応援してください」と木村カエラの声が店内に流れていた。 私も横浜の皆さんの一人であるので、アルバムを買った。若い女の子の作品だから、気恥ずかしかったが、買った。 去年は紅白に出た。30年ぶりに紅白を見ただろうか? さて、今年の秋雨前線、明日、休みなら、若葉台温泉に行こうと思っている。朝、7時からやっている。朝風呂、2時間で500円。
2010.09.26
閲覧総数 13