ラスカルの角砂糖
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「溺れる赤ん坊のメタファー」(「『社会を変える』を仕事にする」より)。先日もご紹介させていただいたこの↓本「社会を変える」を仕事にする読み終わったら「回覧」する予定でしたが、当分手許に置きたいのと(「附録」のリストが手放せない)、こういう本は是非みんなで買って売られ続けるようにしたいので「回覧」を待っていた方、是非購入するか地元図書館でリクエストしてください。特に図書館(公立図書館もだけど、学校図書館にも!)には1冊は置いてほしい本です。そんなこの本に「溺れる赤ん坊のメタファー」というのがありました。ちょっと長いのですが引用させていただきます。*****ここから引用*****社会運動に取り組む者が知っておくべき寓話がある。「溺れる赤ん坊のメタファー」である。それはこんな話だ。あなたは旅人だ。旅の途中、川に通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見する。あなたは急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し、岸に戻る。安心してうろろを振り返ると、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いでその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。そのうちあなたは、目の前で溺れている赤ん坊を助け出すことに忙しくなり、川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と川に投げ込んでいることには、またっく気づかない。これは「問題」と「構造」の関係を示した寓話だ。問題はつねに、それを生み出す構造がある、そして、その構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。*****ここまで引用*****このあと話は、溺れる赤ん坊を助ける「病児保育」だけでなく、投げ入れる男をとめる「企業のあり方を変える」「ワークライフバランス」へと続きます。が、私がこれを読んで考えたのはまったく別のことだったようで、これを読んだ翌日(=昨日)、ふと浮かんだのが昨日書いた「発達課題」。かなり強引な展開なのですが、「トラウマ」だとか「こどもときのあの記憶」とかって、ある意味「溺れる赤ん坊」と一緒で、ひとつ癒しても次、次を癒してもまたその次、そしてそのまた次・・・というように次々でてくるような気がします。よって癒しても癒しても癒しきれない自分をひきずる「セラピー・ジプシー」というのがあるのではないかとふと思ったのです。それがいいとか、悪いとかそういう判断をするつもりは全くないのだけど、ただ、一つ一つのエピソードを追いかけるのを一休みして、これを「『発達課題』でいうと一体どの課題をクリアしていないってことなんだろう?」というような目で見てみることも意味があるかもしれないと思うのです。そう、自分にとって「投げ入れる男はなんなのか」をエピソードを超えた、なにか大きな括り(くくり)で括ってみる作業が。そこがうまくできて、発達課題を一つ一つクリアしていくことができると、次から次へと湧き出る(思い出される)エピソードに対処しやすくなるような気がしたのです。蚊の大群を一匹ずつ叩くより、「蚊」の特徴をつかんで対処する・・・そんな感じです。もちろん、それは事業も同じ。
November 28, 2007
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