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2日目 前夜にコペンハーゲン港を出ると、そこは、スウェーデン
との国境の境界にある エーレスンド海峡 (大きくはカテガット海峡
南端部分)である。
北に向かえば、30kmさきに、エーレスンド海峡の 海峡通行税
を徴税するための、大砲を海に向けて構えた、世界遺産の クロン
ボー城があるはずだ。
(ボーは城なので、当地では「城」は付けない。先のノルウェー・
オーロラクルーズの旅ではノールカップをノール「岬」という。)
北への航路は、後日の8日目から9日目にクダンスクからオスロ
に向かうクルージングまでお預けである。
船首を南に向けてバルト海に入り、船首を「北北東」に舵を切る。
午前中は曇天・小雨であったが、昼頃から快晴となり、北の青空を
見上げる。
みんな一斉にデッキに出て、プールに入る人はわずか数分で
寒さに震えている。
一体全体、当地の白人は、体温が高いのか、肌が鈍いのか、
半袖のTシャツ、薄手の胸開きブラウスで悠然としている ?
バルト海 ?
日本のお相撲さんの 大関・把瑠都 ( バルト )凱斗関の名前。
彼はこれから行く バルト海の奥のエストニア出身だ 。
地図をみれば、 Baltic Sea (バルティック・シー)とあり、
バルティック ? バルチック艦隊。
ロシアないし旧ソビエト連邦海軍のバルト海に展開する艦隊を
バルト海艦隊(バルト艦隊、バルチック艦隊、Baltic Fleet)と
言うが、日本では、日露戦争の時に 帝政ロシアが編成した第二、
第三太平洋艦隊 であり、旅順に封じ込められた極東太平洋艦隊
を救助すべく、ここから引き抜かれた、あらたな艦隊を指す。
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日露戦争では、バルチック艦隊(その基地は、当初のレニン
グラード 近くの港から、ラトビア共和国のリエパーヤ港へ移動
している)が、 本来の守備範囲を離れて、その主力の戦力を
はるか日本まで送っている。
中・重量級は喜望峰沖経由組に、軽量級は地中海スエズ
運河経由組 とに別れて出港、マダガスタル島で合流し、遅れ
て出発した追加派遣組と、 ベトナムのカムラン湾で、 再度合流
した後に、ウラジオストクを目指したが、対馬沖で 東郷平八郎の
率いる日本の連合艦隊と激戦の後に敗れた。
バルチック海は、彼等の本来の守備範囲であり、通っていった
海路の 始まりなのである。
余談であるが、 彼等の航海は、すばらしく長距離であり、
バルト海から カテガット海峡、スガゲラグ海峡を抜けて、
北海に出て、イギリスの 東岸沖で、英国の漁船を、敵国
日本艦隊が待ち受けて いると誤認して砲撃し、漁民を殺
傷した。
怖いと思えば、夕闇で芒が幽霊に見える譬えもある。
勇猛で怖い顔の軍人でも怖いものは怖いのである。
これで、日本との同盟国でもあった英国とは戦争寸前にまで
緊迫した状態がうまれ、 敵視されたから、その友邦国・フラン
スや海外領土からも協力してもらえず、補給もままな らない、半年間の航海となり、 本来の遠洋航海には 不向きな、小さい
不向きな、小さい駆逐艦まで連れた遠征は、 「奇跡の航海」とも言われて、
「高く評価されて いる」という。
あまりにも遠い国を、傲慢にも攻撃するという「無茶な覇権
主義」を、 自らの 危うい 内政統治よりも優先した帝政政治は、
脳幹梗塞の 小生には「航海(後悔)先に立たず」としか思え
ない暴挙であった。
「小指」ではなく、「航海」で、帝政は崩壊したのであった。
NHKの1年越しドラマ・坂の上の雲を思い出す。
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おりしも、水平線ぴったりに太陽が真っ赤に沈んでゆく。
時刻は夜9時32分を指している。
本日は、 終日のクルージング であった。
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