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モンゴル国の基本事情(2011年)
| 14世紀以降 |
しかし、その後はあまりに広大となった帝国を治めきれず、度重なる海側の遠征にも失敗、疫病も発生し、 チベット仏教信仰 が深まるにつれて大規模寺院造営が財政を圧迫、各地では国力が衰え地元勢力が台頭し、吸収された。中国領土では、南京を本拠に、白連教徒の紅布の乱が起こりモンゴルは万里の長城の外に追い出されて洪武帝が明朝(江南からの王朝として中国統一したのは明朝のみ)を樹立した。その後は、モンゴルの支配下にあった満州人(女真人改め)が勢いを高めて中国に攻め入り、中国では清朝を建設した。モンゴル人の戻った、モンゴル地区も清朝の支配下に入った。 |
|---|---|
| 1911年 |
辛亥革命、中国(清朝)より分離、自治政府を樹立 ボグド・ハーン(チベット仏教の活仏ジェブツンダンンバ・ホトク第8世)政権が内外モンゴルの独立を宣言 |
| 1919年 |
自治を撤廃し中国軍閥の支配下に入る |
| 1921年7月 |
外モンゴルのみは、活仏を元首とする君主制人民政府成立,独立を宣言(人民革命) |
| 1924年11月 |
活仏の死去に伴い人民共和国を宣言 |
| 1961年 |
国連加盟 |
| 1972年2月 |
日本とモンゴル外交関係樹立 |
| 1990年3月 |
複数政党制を導入、社会主義を事実上放棄 |
| 1992年2月 |
モンゴル国憲法施行(国名を「 モンゴル国 」に変更) |
P.S. (呆けの戯言)
このチンギス・ハーン一家の西進で、 モンゴル帝国 が
形成されたのは、遙かに遡り、フン族が( 匈奴の後裔?)
西進して、ドミノ倒しのようにヨーロッパでのゲルマン民族
の大移動が起こった大事件を彷彿させる。
小生には、ヨーロッパにとってはフン族の影響がより大きく
残って現れており、モンゴル帝国はアジアとその周辺に
影響が留まった ように見える。
匈奴が移動したのは、干魃やイナゴの大群の発生など
自然環境が 激変したことに因るらしい。
モンゴル人はかつて匈奴(やフン族)が西進した道を
途中まで
辿った様に思われる。
日本も含めてDNAに彼等の系統が含まれるのも
大移動を可能にした騎馬の活躍に依るものであろう。
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