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東にジブチ、南にエチオピア、西にスーダンと接し、北に紅海に
面しその沖の対岸にイエメンに対して、隣国との緊張状態が続き、
政情が臨時政府のままの不安定な国である。
国連も、エチオピアとの国境問題から停戦監視を諦め、安全保障
理事会は反政府ソマリア勢力の支援先として「武器の全面禁輸」
などの制裁措置を採択した。
私事ながら、しばらく日記は休み勝ち?となりますので、
ご勘弁を
エリトリア国
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 1890年 |
(スエズ運河の開通後)イタリアの植民地支配下におかれる |
| 1942年 |
(第二次世界大戦で英が占領し)英の保護領となる |
| 1952年 |
国連の決定により、エチオピアと連邦を形成 |
| 1962年 |
エチオピア議会がエリトリアのエチオピアへの併合を決議 |
| 1972年 |
エリトリア人民解放戦線(EPLF)を結成 |
| 1991年5月 |
(ティグレ人民解放戦線TPLFとともにエチオピア・首都アディスアベバに突入し、エチオピアに政変を起こし)EPLFがエリトリア臨時政府樹立を宣言 |
| 1993年4月 |
国連の監視の下、エリトリア地域の分離・独立を問う住民投票実施 |
| 1993年5月24日 |
エチオピアより独立 |
| 1998年5月 |
エチオピア・エリトリア国境紛争勃発 |
| 2000年12月 |
エチオピアとの包括的和平合意成立 |
| 2002年4月 |
国境委員会によりエチオピアとの(地図上の)国境線確定 |
| 2004年 |
第3回地方議会選挙 |
<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>
| 国名 |
エリトリア国 |
| 国名の由来 |
ラテン語で「紅海」の意味。ギリシャ語で「赤」を意味する。 |
| 渡航危険情報 |
<退避勧告>エリトリア南部のエチオピアおよびジブチ国境付近(スーダン国境付近も危険) <渡航延期勧告> デブバウィ・ケイバハリ地方北部 <渡航是非検討> アスマラ市以外 <十分注意> アスマラ市 |
| 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) |
162位 |
| 通貨 |
ナクファ(Nakfa) 1米ドル=15ナクファ |
| 国花 |
コーヒーの花 |
| 国旗 |
中央のオリーブのリースはエリトリアがエチオピアと連邦制をとっていた1952年当時のエリトリア国旗からとっている。 緑は土地の肥沃さ、農業を表し、青は海を表す。赤は自由への闘争で流された血を表す。赤の使われている部分が左から右にかけて細くなっていき、右辺で消えているのは、この流血が将来無くなってほしいという願いを表している。 |
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