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コンゴ共和国は双子と言うよりも、同一の国名を付けた二つの国が
ある時期同時に存在したこと、その親は同一の王国であることで、
ややこしい。
もともとコンゴ王国が、現在の当国、コンゴ民主共和国、北・アンゴラ、
ガボンに相当する地域を統治していたが、1568年にジャガ人の
侵入を排除するに際して、ポルトガルの占領下に入った。
その後、1885年のベルリン会議で、当時ベルギー王家私有地と
なっていた地域はベルギー(政府)領、その他はフランス領赤道
アフリカ(当国、現・中央アフリカ、チャド)を主に形成した。
当国は、後者のコンゴ州に当たる。
ベルギー領であった、コンゴ民主共和国ほどの危険性は薄いが、
内紛の後遺症は残り、渡航延期勧告が継続している。
先日、日本の中国大使公用車の「車載国旗奪取事件」が公道で
起きたが、コンゴ川流域の政情不安はこのような「次元」ではない。
赤道アフリカでは民主政治そのもののあり方の困難さが、個人
次元ではなく、部族・階級などの間で、素顔で現れている。
今すぐには近寄りがたい国である。
民主主義や社会主義は、国民のみんなに幸福をもたらすことが
できるか、どうか、が、部族・階級間闘争を通して直接に問われて
いるようである。
日本には「和」の心があるために、自由民権運動が息づき、民主
主義が成功しているが、「差別が強く生きる国」では極めて困難な
気がする。
呆けているから、当たっていまいが。
コンゴ共和国の基本事情
略史<外務省、WIKIPEDIAなど>
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 13~15世紀 |
コンゴ王国の最盛期 |
| 1910年 |
仏領赤道アフリカ・コンゴ州 |
| 1958年 |
共和国宣言 |
| 1960年 |
独立 [コンゴ共和国とする。元ベルギー領の隣国も全く同名の国名を採用(1964年まで)したため、コンゴ共和国(キンシャサ)と呼び、当国のコンゴ共和国(ブラザヴィル)と区別した。その後、当国は1969年12月にコンゴ人民共和国に一時改称。] |
| 1979年 |
サス・ンゲソ大統領就任 |
| 1989年7月 |
サス・ンゲソ大統領三選 |
| 1991年6月 |
[再び]コンゴ共和国に国名変更 |
| 1992年8月 |
パスカル・リスバ大統領選出 |
| 1997年6月 |
リスバ大統領,サス・ンゲソ前大統領の間で交戦勃発 |
| 1997年10月 |
サス・ンゲソ大統領就任 |
| 2002年1月 |
新憲法草案に関する国民投票 |
| 2002年3月 |
大統領選挙でサス・ンゲソ大統領当選 |
| 2002年5,6月 |
国民議会選挙,上院議員選挙 |
| 2002年8月 |
サス・ンゲソ大統領就任 |
| 2009年7月 |
大統領選挙でサス・ンゲソ大統領再選 |
<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>
| 国名 |
コンゴ共和国 |
| 渡航危険情報 |
<渡航延期勧告>プール地方(首都ブラザヴィルを除く) <十分注意>その他地域 内戦の後遺症や不安感がいまだに払拭されずに残っているほか、未だに職に就けない旧反政府勢力兵士(通称・ニンジャ)の不満や雇用問題がある。 マラリア感染危険地域。チクングニア熱、コレラ発生などに注意。 |
| 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) |
105位 |
| 通貨 |
CFAフラン 655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート) |
| 国花 |
ニオイマホガニー(センダン科、高級家具材)については、コンゴ民主共和国(旧・ザイール)と言う説、当国という説がWEBにあるので「不明」として扱う |
| 国旗 |
緑は希望と豊かな森林資源を、黄色は誠実・寛大・誇りを、赤は青年の熱意を表している。 |
| 国の標語 |
Unite, Travail, Progres(フランス語: 統一、労働、進歩) |
| 面積:平方キロ |
342,000平方km 日本の約0.9倍 |
| 国の位置 |
東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南にアンゴラの飛地カビンダと国境を接している |
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