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1937年以降のソモサ一族による、長い独裁政権から、
ニカラグア革命を経て左翼化が進みすぎ、経済面では
1.3万%ものハイパーインフレ、貧困化を経て、一時は
親米化に方向転換し、その後、再び左翼化しているが、米国と
の深い関係は維持している。
現大統領の再選問題では、「再選禁止規定と憲法下での
平等原則が相容れず、再選禁止規定は無意味」という、
最高裁判決となり、この国では「再選結果オーライ」である。
重債務問題を抱え、中南米で最貧国の一つであるが、
ベネズエラの 巨額の支援が幸いし、維持できている。
人間開発報告書を見ると、18~29歳の失業率が、30歳以上
の失業率に比較して2.3倍と深刻である。
資料が錯綜して(小生の頭が付いていけず)、サマリーが旨く
行かないかも知れないが、これこそ、脳幹梗塞のリハビリ。
しかし、この作業は意外に疲れ、リハビリとはならないとの
心配もつきまとう。
毎日一国の写経日記は小生には難しい。
三日一国、一週間一国が呆け老人には適度の脳運動かも。
原則、写経なので、オリジナリティは全く期待できないが。
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 先コロンブス時代 |
チブチャ系諸族の居住地で、北方のトルテカ族、アステカ族の影響を受け、美しい陶器、石像が残る。アステカ帝国最南端交易所があり、中米地峡の北・南を繋いだ。 |
| 1502年 |
コロンブスにより「発見」 インディヘナのニキラノ族のニカラオが侵略に立ち向かうが、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバの過酷な支配に置かれ、金鉱山、カカオ栽培などでの奴隷労役を強いられて、疫病(天然痘)、虐殺で人口はほぼ絶滅した。これにかわり、アフリカから黒人奴隷が投入された。 |
| 1573年 |
グアテマラ総督領に編入 ヌエバ・エスパーニャ副王領のグアテマラ総監領の一部として農業、牧畜業が営まれたが、ホンジュラスやコスタリカと並んで開発は立ち後れた。メスティーソ(白人とインディオの混血)が増えていった。 |
| 1821年 |
独立宣言 グアテマラ総監領が中央アメリカの連合州として独立し、翌日には第一次メキシコ帝国に併合される。 |
| 1823年 |
メキシコ帝国の崩壊後に旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、政治的混乱が起き、モラサン(自由主義者のエルサルバドル派)とカレーラ(保守主義者のグアテマラ派)の内戦でモラサン率いる政府軍が敗戦し、中米連邦は1838年崩壊。 |
| 1838年 |
完全独立(中米連邦の再独立) 自由主義派・レオン(ニカラグアの都市)と保守主義派・グラナダ(ニカラグアの都市)の主導権争いが続き、1853年グラナダ出身の保守主義者フルート・チャモロが大統領で収束するかに見えた。1854年米国南部人・傭兵出身ウイリアム・ウオーカーが自由党傭兵として上陸、混乱に乗じて支配権を掌握し、1956年大統領に就任した。環カリブ海帝国を夢見て英語公用語、黒人奴隷復活、米国人土地取得有利化などの法律を制定した。中央アメリカ諸国はこれに対して反発し、「国民戦争」が始まる。英国や財閥の支援を受けて、コスタリカを中心の中央アメリカ連合軍は、リバスの戦いでウオーカー軍を破り、1857年に打倒した。以後は、保守党政権が続いた。 |
| 1893年 |
自由党のホセ・サントス・セラヤ政権 米国資本の援助で鉄道建設を行い、1894年大西洋側にあるイギリス領・ミスキート王国を米国支援で併合、両大洋に面する国家となり、グアテマラに代わる中央アメリカの指導国家を目指して、エル・サドバドル、ホンジュラスと共に1896年に中央アメリカ大共和国を樹立するが1898年に崩壊。その後、独裁者として長期政権を維持するも、1909年米政府を激怒させ失脚。 |
| 1927年 |
セラヤ失脚後は様々な政権が交代し、中米地峡運河建設計画でのパナマ案と並んで候補にあったニカラグア案は放棄され、1927年に保守党ディアス政権に対する自由党・モンカーダらの戦争開始・停戦となる。停戦後に、選挙監視で上陸した米海兵隊と、停戦に応じない自由党のサンディーノ将軍が衝突、サンディーノ戦争は「ニカラグア国家警備隊+海兵隊+ラテンアメリカ諸国軍」VS「サンディーノ軍」が密林の中でのゲリラ戦へと展開するが、互いに決め手が無く、選挙監視任務終了、世界恐慌での駐留費用捻出がままならず、1933年米海兵隊は撤退して戦争は終結。翌年サンディーノは米国子飼いの国家警備隊長ソモサに暗殺される。 |
| 1936年 |
ソモサ将軍政権掌握クーデター アナスタシオ・ソモサ・ガルシア (1937-1947,1950-1956) ルイス・ソモサ・デバイレ (1956-1963) アナスタシオ・ソモサ・デバイレ (1967-1972,1974-1979) <ソモサ一族の独裁政治(ソモサ王朝1936-1979)。傀儡大統領を据えて政治と国家を私物化、第二次世界大戦では「敵性国民」を理由に独系地主財産没収や、隣国との紛争をコスタリカ2度、ホンジュラスと1度起こした。1972年マナグア大地震が首都を壊滅させ、世界中からの義捐物資を一族が着服したことで国民の不満は一層高まった。> |
| 1979年 |
サンディニスタ革命<第一次ニカラグア内戦=「ニカラグア革命」> <1978年1月に反体制派新聞の社長ペドロ・ホアキン・チャモロが政府により暗殺され国民の不満は頂点に達し、武装蜂起したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は中道・左派の幅広い結集と、ラテンアメリカ諸国、国際社会を味方に付け、大統領はマイアミに亡命し、ソモサ王朝は43年間の幕を閉じた。> |
| 1981年 |
米国レーガン政権が発足し、反革命武装勢力「コントラ」支援、ニカラグア経済制裁」始まる。<第二次ニカラグア内戦> |
| 1984年 |
大統領選挙 (革命政権「国家再建会議」からの民政移管) |
| 1985年 |
オルテガ大統領就任(FSLN) 党首で再建会議議長のオルテガは大統領になるや、鉄道接収、大規模な私有財産の接収、弾圧を行い、知識人・富裕層は米国へ亡命し、中米一の繁栄を誇った経済は破壊された。 1986年米国のコントラ支援の増強が、イランへの武器輸出代金に流れていることが発覚(イラン・コントラ事件)。 第一次オルテガ政権末期のGDPはソモサ末期1979年の3割以下に低下。 <年平均インフレ率10年推移 571%、885%、13110%、4775%、7428%、3004%、116%、21.6%、13.5%、3.7% 出所:ネタ帳> |
| 1988年 |
前年の中米和平合意に基づき、1988年暫定停戦合意。 |
| 1990年2月 |
国連監視下での大統領選挙 |
| 1990年4月 |
チャモロ大統領就任(UNO) <初の女性大統領「国民野党連合(UNO)のチャモロ政権が成立、親米保守派で、平和構築、民主化、経済自由化の大変革に着手。僅差で敗れたオルテガは弟を国軍最高司令官に就任させ、国軍のクーデターの動きは制した。> |
| 1997年1月 |
アルノルド・アレマン大統領就任(AL) ニカラグア自由同盟(AL、中道右派連合) <アレマン政権(元ソモサの部下)が発足。同時にオルテガの養女へのセクハラなどFSLN幹部のスキャンダルでサンディニスタ革新運動が分裂。> |
| 2002年1月 |
エンリケ・ボラーニョス大統領就任(PLC) 前・副大統領。旧アナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ソモサ王朝最後の大統領、中米のアミンと呼ばれる)の流れを継ぎ、アレマンとニカラグア自由同盟(AL)の影響の強い立憲自由党(PLC)から選出される <前大統領アレマンを汚職疑惑で拘束したが、自らの在任時に「勤務実績のない親族に公務員給与を数千万円支払う」という、汚職疑惑が社会問題化。> |
| 2007年1月 |
オルテガ大統領就任(FSLN) <カトリック教会を味方に付けて貧困撲滅を訴えて、38%の得票率をえて17年ぶりの復帰。2008年の統一市長選挙で与党FSLNが7割の市長ポストを獲たことに疑念が国内外からでる。> |
| 2012年1月 |
オルテガ大統領再任(FSLN) <「大統領の連続再選は憲法違反」との非難が出たが、60%の得票率での当選(再選)で、国会議員選挙でも与党FSLNが68%の議席を占めた。選挙監視団(OASやEUから派遣)は不正、不規則的事項を多数指摘し、改善を求めた。同国の最高裁の判断は、「憲法の連続再選禁止規定」は「憲法の法の下の平等の原則」に抵触し、規定適用は不可である、というもので再選の道が開かれた。> |
(ニカラグア その2 に続く)
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