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米大陸部で比較すると「国土」は、最小だが、「聖救世主」を
指す首都に人口の1/3が集中し、「人口密度」は最も高い。
国外に大量の移民(不法を含む)が住んでおり、彼等の
送金がGDPを支えている。
サッカーが盛んであり、「サッカー戦争」という本物の戦争が、
サッカーの中米地区予選の試合を契機に、1969年ホンジュラス
との間に 勃発したが、主因は「国境問題、移民問題」である。
政治における軍部の力が強く、1931年から1982年まで
軍・軍出身者の政治が続いた。
エルサドバドル共和国
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 先コロンブス時代 |
インディヘナが居住、オルメカ文明(ゴムの国の人を意味し、巨石・宝石加工技術、ジャガー信仰を持つ)の影響を受ける。1世紀の火山噴火で、グアテマラの低地マヤ地域に避難、6世紀末に別の火山噴火で集落ホヤ・デ・セレンが埋没、10世紀マヤ系小王国が群立、ピピル族はクスカトランを首都にした統一王国を16世紀までに建設しつつあった。 |
| 1524年 |
スペイン人エルナン・コルテスの部下・アルバラードが征服を試みるが、インディヘナはこれに勝利し、グアテマラに撤退させる。 |
| 1525年 |
再びアルバラードが攻撃し、攻略した市をサンサルバドル(聖救世主)と改称、1528年にはこの国のほぼ全域が征服され、グアテマラ総督領に編入。農業、牧畜業が営まれ、グアテマラとともに開発が進んだ。 |
| 1821年 |
<1789年のフランス革命後、政治混乱の中でナポレオンのスペイン支配に対し、スペインおよび植民地での独立運動がおこり、グアテマラ総監領が1921年中央アメリカの連合州として独立、エルサルバドルも解放される。しかし、その翌日に独立した第一次メキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国とともに併合される。> |
| 1823年 |
中米諸州連合結成 メキシコ帝国の崩壊後に旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、政治的混乱が起き、モラサン(自由主義者のエルサルバドル派)とカレーラ(保守主義者のグアテマラ派)の内戦でモラサン率いる政府軍が敗戦し、中米連邦は1838年崩壊。 |
| 1841年~ |
「エルサルバドル」として暫定的に独立。(米合衆国への併合を求めたが拒否される) その後直ぐに、中米連邦再建を求めての内乱、グアテマラとの戦争が発生。また、ニカラグアでは、米人傭兵ウイリアム・ウオーカーが、環カリブ海帝国を夢見て英語公用語、黒人奴隷復活、米国人土地取得有利化などの法律を制定したため、中央アメリカ諸国はこれに対して反発し、「国民戦争」が始まる。英国や財閥の支援を受けて、コスタリカを中心の中央アメリカ連合軍の一員として、リバスの戦いでウオーカー軍を破り、1857年に打倒した。 軍事政権が相次ぎ、その間、対外戦争、独裁打倒運動が行われ、コーヒー等のプランテーションが建設された。 1872年から1898年にかけて、グアテマラに代わる中央アメリカの指導国家を目指して、ホンジュラス、ニカラグアと共に1896年に中央アメリカ大共和国を樹立するが1898年に崩壊。 |
| 1907年~ |
1907年メレンデス一族の独裁時に世界恐慌で主要産業・コーヒーが不振となり、クーデターによる独裁政権で、言論弾圧、「ラ・マンサの虐殺」(犠牲者3万人)が行われた。第一次世界大戦で親米派として加わるが、クーデターが相次いだ。1951年には「サン・サルバドル憲章」を中米5ヶ国で採択、1960年発足の「中米共同市場」の有力国となった。 |
| 1962年 |
国民協議党政権成立 |
| 1966年 |
大統領選挙でエルナンデス政権が発足し、安定化 |
| 1969年 |
「サッカー戦争」 国境紛争、農業移民、経済摩擦など諸問題で不和だった、ホンジュラスとサッカーの試合を原因に勃発。戦後、30万人もの移民が送還された。1973年には選挙結果捏造、極右テロで「汚い戦争」となり、中米No.1工業国としての地位から没落。 |
| 1979年 |
ロメオ政権がクーデターで打倒され、革命評議会発足(ニカラグアのサンディニスタ革命と同時期) 聖職者までも殺害の極右テロに対し、左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、エルサルバドル内戦が勃発。 暫定政府の米国支援要請で、ロナルド・レーガン米大統領が、「中米紛争」に「エルサルバドル死守」を外交命題に掲げて介入し、1982年に一時的に政府・革命勢力間連立は成功したものの、政府軍対FMLNとの内戦は泥沼化。1984年にナポレオン・ドゥアルテ大統領(民族主義共和同盟ARENA右派)がFMLNと首脳会談したが内戦状態は継続。 <政府軍とゲリラ勢力間の内戦での戦死者延べ75千人> |
| 1989年 |
クリスティアーニ大統領就任 (民族主義共和同盟ARENAの治安改善、社会経済開発、教育開発取組は、比較的高い支持率を維持するも、内戦は収拾できず。) |
| 1992年 |
和平プロセスの国連監視・検証のもとで、政府とゲリラ(ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)は合法政党化)の間で和平合意調印、内戦終結 <国連平和維持活動 PKO の成功例として高い評価> |
| 1994年 |
カルデロン大統領(ARENA)就任。FMLNは第二党となる。 |
| 1998年 |
<和平合意の完全履行を宣言> |
| 1999年 |
フローレス大統領(ARENA)就任 |
| 2001年 |
1月及び2月に大地震が発生、死者1,259人、被災者150万人。 <ドル化政策で通貨「コロン」に代わり「米ドル」を自国通貨として流通。> |
| 2003年 |
<親米政策からラテンアメリカからイラク派兵を行った唯一の国となる。(2008年末まで駐留)> |
| 2004年 |
サカ大統領(ARENA)就任 |
| 2009年~ |
フネス大統領(FMLN)就任。得票率51.32%で対立候補アビラ(ARENA)は48.68%と接戦。 貧困層支援、格差是正など社会的公正を政策目標。2009年1月国会議員選挙ではFMLNが35議席(/84議席)を獲得したが、2012年3月議員選挙では31議席に減少、ARENAが33議席で第一党に返り咲いている。 |
(エルサルバドル その2 に続く)
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