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| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 先コロンブス時代 |
オルメカ文明(巨石、宝石加工技術、ジャガー信仰)の影響が強く、BC1200からBC400ころの埋葬から長頸壺、「炎の眉」の蛇を刻んだ鉢が出土、高さ20m、南北70m、東西110mの ピラミッド 、その周りには2km超の掘、防壁が確認された。古典期には426年にテオティワカンの影響を強く受け、神殿、球戯場を造り権威を誇り、「神聖文字の階段」をもつ神殿、王の肖像を刻んだ祭壇などを残し、放棄された。 |
| 1502年 |
コロンブスが4度目の航海で「発見」、1519年コルテスが米大陸に上陸し、1521年アステカ帝国征服の後にこの地も征服。この地から豊富な金・銀が産出し、植民が進行。1537年に酋長カシーケの反乱の鎮圧を最後に植民地化が進んだ。 |
| 1539年 |
グアテマラ総督領編入。1570年代に首都の周辺で銀山が発見されたが、ブームはすぐに終焉。 |
| 1821年 |
1789年の仏革命でヨーロッパは政治が混乱、ナポレオン戦争でスペインがナポレオン兄の帝位となるや、スペイン独立戦争、植民地での本国偽王への忠誠拒否、ひいては解放運動へ繋がり、本国のリエゴ革命の翌年にグアテマラ総督領は独立。同年独立した第一次メキシコ帝国に併合される。 |
| 1823年 |
メキシコ帝国の崩壊後、旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。 ホンジュラス出身の モラサン将軍 (自由主義のエルサドバドル派)は連邦維持を目的に、カレーラ将軍(保守主義のグアテマラ派)との戦いを続けた。 |
| 1838年 |
1838年中米連邦が瓦解、「ホンジュラス共和国」として独立。 <中米諸州連合瓦解により分離した形で独立> |
| <20世紀に入るまで周辺諸国との国境紛争が頻発> 1855年ニカラグアで米国南部人傭兵・ウイリアム・ウオーカーが大統領となり、中米諸国は団結して排除する「国民戦争」が起こり、これを敗北せしめて、同人は英国海軍により処刑される。 1870年代以降、コスタリカを筆頭に中米各国ではコーヒー・プランテーションが発達するも、ニカラグア、ホンジュラスでは人口不足、労働力不足で根付かず、代わりにバナナ・プランテーション(当初は建設工事中の鉄道沿線での労働者向けの安いバナナ栽培)がマイナー・キースにより設立され、合併して中米全体でも強大なユナイテッド・フルーツ社を君臨させ、最初に「 バナナ共和国 」と呼ばれるようになった。 1880年マルコ・アウレリオ・ソト大統領が自由主義憲法制定、直接選挙を保証、1894年ポリカルボ・ポニージャ大統領が憲法条文に中米諸国との連合の可能性を導入。1893年ニカラグア大統領ホセ・サントス・セラヤの打ちだした中米大共和国構想に、ホンジュラス、エルサドバドルも賛同するが、グアテマラの干渉で水泡に帰した。 1907年ニカラグアのホセ・サントス・セラヤ大統領はホンジュラスに進攻し、全土を支配したが、その拡大を恐れた米国の仲介案で、ホンジュラス大統領にダビラが就任する妥協(この処理に中米司法裁判所が設置さる)となる。1911年反乱によりダビラは失脚、翌年ボニージャが返り咲くが1年で逝去し、ベルトランド大統領政権が1919年まで続く。 1919年内戦勃発により、米国がバナナ権益保護の名目で内政干渉。1920年代に世界のバナナ市場の1/3のシェアを要していたホンジュラスは1929年の世界恐慌で大打撃を受け、ユナテッド・フルーツ社の労働争議が活発化する。これを沈めるために、1933年ティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍がクーデターを起こして軍事独裁強権統治を米国のバナナ会社との強い関係を背景に17年間続いた。 第二次世界大戦後も政情不安から、軍事政権が相次いで誕生。米国石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見したことを契機に、同国のソモサ王朝と、ホンジュラス東部が戦場となり、国際司法裁判所提訴で紛争解決。 1960年中米共同市場が結成されたが、ホンジュラスがエルサルバドル製品市場に偏在化、エルサルバドル人が30万人も ホンジュラス領内で不法移民 として農業を行っている中で、農地改革を行ったことが軋轢となり、「 サッカー戦争 」(1969年)に発展した。 |
|
| 1963年~ 1980年 |
軍政(1963年~1980年)が続く中、中米共同市場を1971年脱退。1979年のニカラグア革命以後、ホンジュラスはニカラグア・サンディニスタ政権に対する 最有力コントラ基地 となり、米陸・空軍、イスラエル国防軍、アルゼンチン陸軍などが駐留。 1980年制憲議会選挙、1981年総選挙 |
| 1982年 |
民政移管、コルドバ大統領就任(自由党政権) |
| 1986年 |
アスコナ大統領就任(米国への接近で軍事経済関係が強化) |
| 1990年 |
カジェハス大統領就任 |
| 1994年 |
レイナ大統領就任 |
| 1998年 |
フローレス大統領就任 <中米襲来のハリケーン・ミッチで36億ドル(GDPの68%)の被害を受けたが、国際機関等支援(日本は初めて国際緊急援助隊として、 自衛隊医療部隊を派遣 し、診察、防疫を行った)で復興> |
| 2002年 |
マドゥーロ大統領就任 |
| 2006年 |
ホセ・マヌエル・セラヤ大統領(自由党:中道左派)就任 |
| 2009年6月 |
セラヤは「大統領の再選禁止」のなか、国民投票による憲法改正を目指したが、軍や裁判所が再選を目指す動きとして猛反発、(最高裁も再選は違憲との判決も出ている中で、) クーデターが発生。軍がセラヤ大統領を拘束し、国外移送 。 OAS、米国の仲介で2009年10月セラヤ大統領側と「暫定政府側」が合意、翌月の大統領選挙・総選挙で、 ロボ国民党候補 (当時野党)が当選。 <国際経済危機で建設業、マキラ産業が打撃を受け、クーデターによる国際協力停止の影響から厳しい不況に陥り、経済立て直しが急務。> |
| 2010年1月 |
ポルフィリオ・ロボ・ソサ大統領(国民党)就任。 就任式には、大統領としては台湾、パナマ、ドミニカ共和国の3ヶ国、副大統領はコロンビア、米国国務省から国務次官補の出席に留まった。 2011年5月コロンビア、ベネズエラなど南米7ヶ国の仲介でロボ大統領、セラヤ元大統領は和解し、セラヤは帰国し、米州機構(OAS)に復帰が承認された。 帰国したセラヤ氏はクーデター後に組織された全国国民抵抗戦線(FNRP)を率いるが、大統領再選を禁じた憲法規定で2013年の大統領選に立候補できない。夫人の出馬を期待する声もでているとのこと。 |
(ホンジュラス その2 に続く)
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