PR
Calendar
Keyword Search
Comments
Freepage List
Category
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 先住民時代 |
約8千年前メラネシア系パプア人がこの地に住み付き、その後トンガ人が移住し、ポリネシア文化の影響を受けた。 |
| 1643年 |
蘭人探検家タスマン、フィジー諸島の北部発見、上陸。 |
| 1774年 |
英国人航海家クックが南部に上陸。 |
| 1874年 |
英国の植民地 となる |
| 1879年 |
英国は、これ以降1916年まで、砂糖プランテーションを形成するために印度人契約労働者479人をフィジーに移民させ、この定住化が社会に劇的な変化をもたらす。 |
| 1881年 |
ロツマ島が英国の植民地となる |
| 1913年 |
フィジー系住民運動がアポロシ・ナワイにより「ヴィチ・カンバニ運動」として始まる |
| 1970年10月10日 |
英国より独立( 英連邦王国 、立憲君主制)。(国名: フィジー ) ロツマ島を保護領とする |
| 1987年5月、9月 |
ティモチ・バヴァドラ首相政権下で、ランブカ陸軍中佐による無血 |
| 1987年10月 |
英連邦から離脱 し、共和制へ移行。(国名: フィジー共和国 ) (ロツマ島については、ロツマ共和国の宣言がNZでなされたが、12月には鎮圧される) |
| 1990年7月 |
フィジー系を優遇する改正憲法 発布 |
| 1997年9月 |
改正憲法公布。 英連邦再加盟 |
| 1998年7月 |
民族融和を目指す新憲法発効。(国名: フィジー諸島共和国 ) |
| 1999年5月 |
労働党党首チョードリーが初のインド系首相 に就任 |
| 2000年5月 |
武装グループによるチョードリー首相人質、 国会占拠事件 が発生 |
| 2000年7月 |
軍が戒厳令を発令、人質は解放、イロイロ大統領、セニロリ副大統領を 伝統的評議会( GCC ) が任命。 ガラセ(フィジー系)首班の暫定文民政府 が発足。 1997年憲法は「政令により廃止」の扱い 。 (注)伝統的評議会: 構成員は大統領、首相、各州代表など50名程度。なお、現暫定政権は、GCCを抜本的に見直していく方針であり、その活動を休止させている |
| 2001年9月 |
総選挙を経て ガラセが首相 に就任 |
| 2006年5月 |
ガラセ首相が再任 。労働党等の複数政党内閣を組閣、フィジー系、インド系対立改善を図ったが、10月頃から、先の国会占拠事件の恩赦等をめぐり、徹底的糾弾等を求めるバイニマラマ国軍司令官との対立が深刻化。 |
| 2006年12月 |
バイニマラマ国軍司令官 による行政権奪取、非常事態宣言で 無血クーデター、セニランガカリを暫定首相 に任命 NZ,豪州、EUなどが援助停止、入国禁止措置、中国は援助を急増。 |
| 2007年1月 |
セニランガカリ暫定首相辞任、 バイニマラマ司令官が暫定首相の 暫定内閣。5月非常事態宣言解除。フィジー民主化共同作業グループが太平洋諸島フォーラム(PIF)に設置され(2007年4月)、民主化ロードマップが策定され、暫定政府は2007年10月のPIF首脳会議(於トンガ)で、2009年3月までに総選挙の実施を公約。 移出で総人口に占める印度人割合36%に落ち込み。 |
| 2008年1月 |
内閣改造、閣僚数は従来の17名(含む首相)から13名に減少。2008年6月、同暫定首相は上記公約の実施不可能を表明、2009年1月のフィジー問題PIF特別首脳会合(「バ」暫定首相欠席)では、本年末までの総選挙日の設定、かつ5月1日までに対外的公表しないなら、PIF各種会合の参加資格停止等厳しい措置検討をおこなう内容をコミュニケに盛り込む。 |
| 2009年4月 |
国名を再度「フィジー共和国」に変更 (WIKIPEDIA などでは2011年2月?とある) |
| 2009年5月 |
政府は、「選挙制度改革が先決で、選挙はその後」の立場を主張、5月1日までに上記コミュニケを守らず、翌2日、PIF関連会合参加資格停止。2009年4月、控訴審判決(バイニマラマ暫定首相率いる暫定政権の非合法、大統領に対し、新暫定首相及び暫定政権の任命指示命令)を受け、イロイロ大統領はバイニマラマ国軍司令官を今後5年間の政権の首相に任命し、2014年までに総選挙を実施するよう指示するとともに、現行憲法の廃止(abrogation)及び全裁判官の罷免を行い、出版・放送への制限なども含む緊急事態令を発布した。2009年7月、 バイニマラマ首相は「変化のための戦略的枠組み」を発表。当ロードマップでは、2012年9月から2013年9月にかけて新憲法を策定、2013年9月から約1年間かけて総選挙準備を行うとしている。 また、2009年9月、フィジーは英連邦閣僚行動グループ(CMAG、53ヶ国)が求める民主化プロセスに応じず、 英連邦からの完全資格停止を受けた。 2012年1月,バイニマラマ首相は緊急事態令を解除した。また、3月には、2013年の2月末までの新憲法策定プロセスを発表。 |
NewZealandの2024年10月の貿易収支 Nov 25, 2024
Ⅰ.豪州の2024年8月度の貿易収支 & Ⅱ.… Oct 4, 2024
Ⅰ.豪州の2024年8月度のCPI(=消費者物価… Sep 27, 2024