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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Dec 29, 2012
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カテゴリ: オセアニア州

「我々はどこから来たのか 我々は何者か

我々はどこへ行くのか」

 自由が丘氏への提案のクルーズはここです。

ソシエテ諸島のタヒチ島は、リゾート地として

最も有名な島で、「仏領ポリネシア」の中心地。

画家ゴーギャンが晩年に移り住んだ島でも有名。

ノルウエーの人類学者、海洋生物学者、探検家の

ヘイエルダールが、バルサ材筏「コンチキ号」で「南米

ペルー→南太平洋ツアモツ島(当仏領ポリネシア)」までの

約8千km(大圏距離計算では7,026km)を航海し、

体を張って、その方角への「文化移転を証明」しようと

したことでも有名。

この説の証明には、途中の激流があるフンボルト海峡を

軍艦の曳航で横断する「自力ルール違反(?)」があり、

異論も噴出している。

それでも、筏で冒険をして自説を実地に証明しようと

する彼の「意気込み自体」は世界から賞賛されている。

さて、仏本土からの輸入、観光産業、財政援助に支

えられて経済は中程度に発達。

「黒蝶貝真珠」に限れば、世界の9割以上のシェア。

真珠輸出特別税の直接税収が20億円超入る。

「自治大統領」は、2004年以来12回も不信任で崩

壊し、現自治大統領テマルは過去7年で4回目の

大統領就任という、政治・経済の不安定が続いており、

仏海外県担当相は政権交代後の安定、回復に深い

関心を持っている。

 最後の核実験場ムルロア環礁の位置は、首都

パペートから東南東1,214kmに、英領ピトケアン諸島

(バウンティ号の反乱水兵逃亡島)が更に東南東方

面969kmに位置する。

GDPの数字については、WIKIPEDIAでは、英語

で「名目5.65ビリオン(10億)ドル」、日本語で「PPP

 565億ドル」となっている。

CIAの数字と比べてみても、英文の「名目56.5億

ドル」が正しく思う(日本語訳時、小数点が消えた?)。

また、著者が異なるのか、なぜか同じ事を記載しても

年代がマチマチに見えて、困ってしまう。

仏語は知らないので、英文を「主に採用」してみた。

(仏語→英語翻訳版を使用したが、自動和訳文は

「ちんぷんかんぷん」であり、利用不可能であった。)

であるから、めいてい君の「写経の信頼性は低い」

ことを前提に見て欲しい。

 仏領ポリネシア

  略史<資料出所:CIA,WIKIPEDIA

      の英文を拙訳など>

年月

略史

ヨーロッパ人到来以前

ポリネシア人たちが、「フレンチ ポリネシア」の諸島に最初に住み着いたのは、マルケサス諸島がAD300年、    ソシエテ諸島がAD800年とされ、ゆるやかな酋長制度を組織した。

ヨーロッパ人との接触・交流事例

ポルトガル人探検家がプカプカ島を目視したのが1521年、蘭人がソシエテ諸島ボラボラを偶然見付けたのが1722年、英国人探検家ウオリスがタヒチを訪れたのが1767年、仏人探検家が1768年、英人クックが1769年、基督教使節はスペイン宣教師が1774年から   1年あまり滞在、ロンドン伝道協会からのプロテスタントがポリネシアに定住したのが1797年。

1595年

スペイン人アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイらが南米のペルーから出航、マルケサス諸島の4島に上陸。1606年にポルトガルの航海者が   トゥアモトゥ諸島のハオ島に到着。タヒチ島に、1769年英の航海者  サミュエル・ウォリスが  ヨーロッパ人として初めて来航。続いて1786年に仏人のルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルがタヒチ島を訪れ、1769年に  ジェームズ・クックもタヒチ島に訪れた。

1789年

<バウンティ号の反乱事件・・ 英海軍武装帆船の話

クックの元航海長・ ウィリアム ブライ 船長のバウンティ号が、西インド諸島奴隷の安い食料品としてパンノキ採集にタヒチ島に訪れ、バウンティ号の反乱事件が起きる。 ジャマイカへ向かう途中、航海士フレッチャー・クリスチャンを始めとする、ブライ船長に対して不満を持つ乗組員十数人が太平洋上で反乱を起こし、バウンティ号を乗っ取り、タヒチ島に戻り、タヒチ人男女数人を連れ、1790年に無人孤島ピトケアン島に住み着いた。

(ブライ船長他は救命ボートで追放され、同船長は苦難の末に 英本国 に戻り、その後も2度の反乱を乗り越えて、英植民地豪州ニューサウスウエールズの総督にまで昇進した。彼の「怒りやすい、妥協を知らない、高圧的態度」は「反乱の原因」となり、職を解かれる結果となったが、反乱の責任を問われることなく結果的には「次々と昇進」し、最後は英海軍中将、英王立協会会員となった。)

19世紀

仏植民地化

1803年、タヒチのポマレ2世王がモアレ(Mo'orea)に逃亡を余儀なくされて、1812年プロテスタントに改宗。   仏カトリック伝道師が1834年にタヒチに上陸、1836年の彼等の追放が1838年の仏の砲艦派遣となり、1842年タヒチやタフアタ(Tahuata)は仏保護領として、 カトリックの伝道を邪魔しないことを宣言させられた。 首都パペーテが1843年に建設され、1880年、 タヒチを保護領から植民地に地位を変更 。1880年代に仏は、従前はポマレ王朝に帰属していたツモアツ諸島(Tuamotu Archipelago)の権利を主張した。1842年タフアタの保護領を宣言したことで、仏は    全マルケサス諸島(Marquesas Islands)を仏の物とみなした。1885年に仏はガバナー(総督ないし知事)を任命、議会を設立し、植民地に行政権を与えた。 リマタラ(Rimatara)島およびルルツ(Rūrutu)島は1888年の英国保護のロビー活動に失敗し、1889年仏に併合された。郵便切手が1892年に初めて発行されたが、植民地の最初の公式名は「オセアニア植民地」である。1903年、一般議会は諮問議会に変わり、植民地名は「オセアニアの仏植民地= French Settlements in Oceania 」に変更。

1891年

ゴーギャン滞在 :仏ポスト印象派の最重要かつ独創的画家の一人>

1891年4月~1893年 ゴーギャン滞在 (タヒチ)。

1895年~1903年5月 ゴーギャン再滞在 (タヒチから辺境の  マルキーズ諸島に渡り満54才で没す)。

1914年9月

第一次世界大戦時に独帝国海軍艦隊の艦砲射撃を首都   パペーテが受ける<パペーテ砲撃>

1939年~1945年

第二次世界大戦中に仏本国が独に占領されると、自由仏側につき「Free French Forces」として、連合国に協力した。

日本帝国近衛内閣は、島民が知らない内ながら、1940.9.16に戦後世界で日本領とされる諸島群にフレンチ ポリネシア を含めていたが、太平洋戦争の過程において 日本軍が仏領諸島に実際侵入することはなかった。

1946年

島民は仏市民権を与えられ、島の地位は、「oversea territory= 海外領土 」 となる。

1957年

「フレンチポリネシア= French Polynesia 」と命名

1962年

フランスは当初核実験場をアルジェリアとしていたがその独立により、新実験場をムルロア環礁に選んだ。(1974年以降実験は隠密に遂行された。)

1963年

シャルル・ド・ゴール仏大統領 が太平洋核実験センター(CEP)設置。なおムルロア環礁などでは、仏による核実験が1966年~1996年まで行われていた。

1977年

部分的な内政自治権を認められ、1984年自治権は拡大された。

1995年9月

シラク仏大統領 が核実験再開を発表、タヒチで住民抗議運動、核実験反対運動が世界各国で起こる。最終実験を1996年1月27日に行い、1996年1月29日付けで包括的実験禁止条約を受け入れた。

2003年

「フレンチ ポリネシア」は完全なoversea collectivity となった。

2004年6月

仏領土となって初めて先住民族として行政長官(自治大統領)に就任したオスカー・テマルが仏からの独立を主張、観光業を軸に仏依存経済からの脱却を提唱。

2006年6月

第2回仏・オセアニア首脳会議で、仏シラク大統領は、「大多数のタヒチ島民は独立を望むとは思わない」と語る。

2011年4月

ガストン・トン・サン自治大統領不信任案投票 で、議員57名中29名(50.9%)が賛成し、オスカー・テマルが大統領と同時に「民主連合( Union for Democracy )」党主に選出された。 2004年以来、12回も政権が不信任で崩壊 しており、テマル大統領自身も過去7年間で4回目の就任となる。

(F.P. その2 明日へ)





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Last updated  Feb 22, 2013 10:26:10 PM
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