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< むしろ、外様大名が統治する植民地のような扱いで虐められた旧陣営である。 >
***

| 年月 |
略史 |
|---|---|
| 17世紀 |
この地域に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが,各地に割拠する群雄を征服し,ほぼ現在の国土に相当する地域で聖俗界の実権を掌握。 |
| 19世紀末 |
東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭 |
| 1907年 |
同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲藩王に就任,現王国の基礎を確立 |
| 1952年 |
即位した第3代国王は,農奴解放,教育の普及などの制度改革を行い,近代化政策を開始 |
| 1964年 |
地方豪族間の争いに起因する当時の首相暗殺や,その後に任命された首相による宮廷革命の企み発覚を契機に,首相職が廃止され,国王親政となった |
| 1972年 |
16歳で即位した第4代国王は,第3代国王が敷いた近代化,民主化路線を継承・発展させ,王政から立憲君主制への移行準備を主導 |
| 1980年代 |
政府の国家のアイデンティティー強化施策(例:ゾンカ語の普及,ブータン式の服(「ゴ」「キラ」)の公式の場での着用義務づけ等)を契機に、1990年秋に南部ブータンで一部ネパール系住民による反政府デモが展開され,反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生し,90年以降,ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入する。 |
| 2006年12月 |
第4代国王の退位により,現国王(第5代目)が王位を継承 |
| 2007年11月 |
第三国定住プロセスが開始される |
| 2008年4月 |
2007年12月及び2008年の総選挙を経て、民主的に選出されたティンレイ政権が誕生し,5月には国会が召集され,7月に憲法が施行し,王政から議会制民主主義を基本とする立憲君主制に移行した |
| 2008年11月 |
現国王の戴冠式が行われた |
| 2011年4月 |
ティンレイ首相のネパール訪問の際,2003年から中断していた両国政府による難民帰還に関する協議再開に合意した。 2011年8月まで約5万人の移住が完了した(内訳:米国(4万2千人),カナダ(2,400人),豪(2千人))。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっている。 (2012年1月時点で,ネパール国内のブータン難民数は約5.7万人いるとされる。) |
| 2011年10月 |
古都プナカ市で,ジグミ・ケサル国王陛下とジツェン・ペマ王妃陛下のご成婚の儀が行われ、両陛下は,同年11月15日~20日,国賓として訪日された |
| 国名 |
ブータン王国(雷龍の国、高地の意) |
| 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) |
8位 |
| 通貨 |
ニュルタム(NU) 1NU=1インド・ルピー=約1.49円(2012年12月現在) NU(BTN)per US dollar 53.28(2012) 46.67(2011) 45.73(2010) 46.68(2009) |
| 国旗 |
国旗はかなり複雑なもののひとつで、竜のうろこが細かく書かれている。
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| 国花 |
メコノプシス=ホリドゥラ(ケシ目ケシ科の属の一つ。)
|
| 面積:平方キロ |
38,394平方キロメートル (ほぼ九州くらい) |
| 国の位置 |
インド(アッサム地方)と中国(西蔵自治区)にはさまれ、西方にネパール |
| 人口 |
716,896人(2012.6末) 労働力人口:299,900人(2008年) |
| 人口密度:/平方キロ |
19人 |
| 首都 |
ティンプー 人口:89,000人(2009年) 東京からの大圏距離:4,787km 時差:JST-3時間 サマータイムなし |
| 民族 |
Bhote系(50%)、ネパール系(35%)、東ブータン先住民など15% |
| 言語 |
ゾンカ語(公用語)など Sharchhopka 28%, Dzongkha (official) 24%, Lhotshamkha 22%, other 26% |
| 宗教 |
チベット系仏教、ヒンドゥー教など 世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家である Lamaistic Buddhist 75%, Indian- and Nepalese-influenced Hinduism 25% |
(ブータン王国 その2 に続く)
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