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★☆ 「堺雅人」演じる銀行業界を背景にした壮烈な男のドラマ ★☆ 池井戸潤原作のビジネス界の男の闘争ドラマ小説 ~ 正義、友情、職責、裏切り、復讐・・・「倍返しだ!」 ~ 報道によると、関東地区では、この22日に放送された「堺雅人」主演のTBS系ドラマの日曜劇場『半沢直樹』最終回(後9:00~10:19)の番組平均視聴率が、40%を超え、42.2%だった。また、瞬間最高視聴率も46.7%、一方、関西地区では、これをさらに上回り、平均視聴率は45.5%を記録。視聴率調査のビデオリサーチが現在の調査方法になった1977年以降に放送されたドラマで過去最高の視聴率となるばかりか、瞬間最高視聴率でも50.4%に上り、関東地区と同じ、午後10時17分に記録した。 ・・・ちなみに、この瞬間時間帯のシーンは、ドラマ最後の中野渡頭取(北大路欣也)から子会社の「東京セントラル証券」への出向を命じられた半沢直樹(堺雅人)が眉間にしわを寄せたクローズアップ直後のシーンだったそうだ。 これまでの最高視聴率を記録したのは、日本テレビ系のドラマ、『家政婦のミタ』であり、その最高視聴率は40%だったそうだ。今回の記録的な視聴率を記録した理由は、その原作のストーリーの素晴らしい内容構成もあるが、ドラマ主演の堺雅人ばかりか、香川照之、北大路欣也、片岡愛之助、上戸彩などの迫力ある連続した個性的な好演技にこそ最大の要因があるのは間違いないだろう。現代の銀行業という特殊なビジネス界の一面をノゾキ見る様な熾烈なリアルさもあり、観る者をグイグイと引き付ける魅力があった。 『日曜劇場『半沢直樹』やられたら倍返し!型破りのバンカー登場! 』By YOUTUBE最終回の最後のシーン・・・まさかのどんでん返し!まさか・・半沢が「東京セントラル証券」に出向なんて!・・・意外な終わり方だが、これが、原作どおりの筋書きなのだそうだ。それにしても、なんとも中途半端な終わり方だった。・・・で、原作では、これに続く続編があるそうだが、テレビでもその続編を求める声が多いらしい。そのため、「もしかすると、続編があるのでは?!」という希望的観測も出ている様だ。今後の推移が気になるところだ。『テーマ・オブ・半沢直樹 ~Main Title~』By YOUTUBEこのドラマのバックミュージックに関しては、特に意識して聴くこともなかったが、ドラマの場面場面のシーンでそれにふさわしく展開されるその効果は見事なものだった。改めて、YOUTUBEで聴いてみると、やはり素晴らしいものだと感じた。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/09/24
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★☆ 涼しい静寂な朝のまばゆい朝焼けとの遭遇 ★☆ Dazzling morning glow~ 早寝早起きの秋!、ウォーキングの秋! ~ 秋の足音が近づくここ最近、夕飯後には、ウトウトと凄い睡魔がやってくる。というわけで、PCにへばりつくのは最小限にして、眠いうちに寝床に直行する「早寝早起き」に生活のリズムを変えた。・・・とは、言っても、「半沢直樹」だけは見逃さない。 昨日、早寝して、午前5時半に起床、朝のウォーキングに出た。さすがに、この時間だと住宅のある団地もひっそりとしている。しかし、歩いていると、既に私同様にウォーキングや犬の散歩で歩いている人は何人もいた。 川沿いの道を歩きながら進むと、まもなく進行方向正面の小高い山の上に出た太陽から視界の範囲内一面にまばゆい白っぽい光線が一気に降り注いできた。まばゆいが目にやさしい神々しい光だった。ここをしばらく歩いていると、後方から足早の足音と荒い呼吸が近づいてきた・・・そして、黒づくめのランニングスタイルの若い女性が私を追い抜き、そのまま力を抜きスタスタ歩いて付近の民家に消えた。早朝ランニングで頑張っている女性だが、何か目標でもありそうだ。ここを歩き通すと、次は長い登りの坂道が続くことになる。 小川のある道沿いを歩いていると、コスモスの群生が現れた。ここのコスモスは、大部分がオレンジ色で、わずかにピンク色や白色があった。それにしても、朝日を浴びたコスモスたちの元気そうなこと。どれも生き生きしていた。観ていた私もちょっぴり元気をいただいた気分だった。 小道に差しかかり、彼岸花の群生があった。この時期は、仏事でもお彼岸の季節。彼岸花とお墓参りのお彼岸とは何か関係があるのだろうか?調べてみると・・・「お彼岸」は年2回あるということだ。それは、「春分の日(今年は3月20日)」と「秋分の日(今年は9月23日)」を中日として、その前後3日を合わせた7日間を「彼岸」といい、お墓参りをする風習があるということだ。それなら、なぜ、お彼岸に墓参りなのかということだが、春分と秋分は、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日で、仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私たちが迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸(しがん)」というそうだ。春分と秋分の日が彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考えられ先祖を供養するようにうなったということで、インドなどの他の仏教国にはなく、日本だけの独特な風習がこの「彼岸」という墓参りの風習だ。・・・といわけで、その日は午後から花屋に行き、お線香を買い求めお墓参りに向かった。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/09/22
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★☆ 唯一、中国共産党に制御されない中国人スタッフによる報道機関 ★☆ NTD is the Chinese media of the justice, fair, and the truth. ~ 世界に誇るプロフェッショナルな報道機関の代表格 ~ 悪辣な中国共産党に完全に支配されコントロール下にある『新華社通信』及び『中国国営中央テレビ(CCTV)』は、いずれも極めて反日的な中国メディアの急先鋒であり、中国共産党の思うがままに利用されるだけの広報宣伝媒体に過ぎない。その内容も極めて偏狭で不公正・不正義・不正確、さらに虚偽や捏造による真実隠しを得意とする独裁国家に共通する典型的な御用メディア機関だ。 それに比べ対照的なのが、中国共産党がコントロールできない、しかも純然たる中国人スタッフによる正義・公正・真実を貫く世界に誇るプロフェッショナルなメディア機関、それが『新唐人テレビ(NTD)』だ。中国(中共)の真の実態を知りたければ、中共の支配下にある「CCTV」ではなく、中共の影響下にない中立的な立場の「NTD]だ。 『新唐人テレビ(NTD)』は、アメリカのニューヨークに本部を置く中国語非営利衛星放送局で、いかなる政府・政党にも偏(かたよ)らない独立メディアとして、中立的な立場で情報を正しく提供している。 『安倍首相「日本は戻ってきた」 米シンクタンクで演説 』(『新唐人TV』より) 安倍総理嫌いの「中国国営中央テレビ(CCTV)」は勿論、反日左翼関係者の多い日本のメディアでもなかなか報道しない安倍総理の演説をこの『新唐人テレビ(NTD)』では、正確に報道している。『新唐人への遅れた評価 カナダ政府が表彰 』(『新唐人TV』より) カナダ政府は、表面上の現象に惑わされず、長年にわたり真実の報道を続け、社会からの信用を築いてきたこと、また、さらに中国の人権に対する長年の報道を評価し、特に、中国政府当局による法輪功学習者に対する臓器狩りの悪行を継続的に暴露したことを高く評価している。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/09/17
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★☆ 両者に共通する反日報道プロパガンダの誤報 ★☆ Untrustworthy news organization ~ 共に信頼できない報道機関の代表格 ~ 9月8日、2020年の東京オリンピック開催が決定したのは紛れもない事実だが・・・実は、報道によると、日本の反日的な論陣を張ることで有名な「朝日新聞の公式ツイッター」の「朝日新聞オリンピックニュース」が、2020年の五輪開催都市を決めるIOC総会について、『東京は、落選』と誤った報道をしていたことが9日、分かった。また、一方で・・・中国(中共)の政府系メディアの「新華社通信」及び「中国国営中央テレビ(CCTV)」もほぼ同時に『五輪招致東京敗退』と誤報していたことも判明した。 『・・「東京、落選!」朝日新聞公式ツイッターが誤報 』記事By MSN産経ニュースどうして誤報を流したのか?報道がいとも簡単に自由に流せるとは思えない。正式に流すまでにはいくつもの関門を越えなければできないはずだが・・・・誤報を流した関係者は、中国メディアの誤報を信じてそのまま流したのだろうか?誤報を簡単に流す報道機関には「信頼」という文字は似合わないし、「信頼できない報道機関」だと断定できる。 同じ中国人メディアでも、中国(中共)の信頼できないメディアと異なり、アメリカのニューヨークに本部を置く『新唐人TV』は、中国語非営利衛星放送局で、いかなる政府・政党にも偏(かたよ)らない独立メディアとして、中立的な立場で情報を正しく提供しているので、次の動画を紹介する。『中国メディアが誤報「五輪招致東京敗退」 』(『新唐人TV』より) 悪辣な中国共産党に支配された中国(中共)の政治プロパガンダ広報媒体である『新華社通信』及び『中国国営中央テレビ(CCTV)』は、いずれも極めて反日的な中国メディアの急先鋒だが・・・、完全な共産党のコントロール下にあり、この手の誤報も当然に中国共産党の指示によるものだ。この直後に、尖閣付近の上空には、初めて中共軍の大型爆撃機や無人機が飛来し、中国艦船が8隻も領海侵入を繰り返し挑発行為をした。中国という国は、それにしても何と言う無礼な国だろうか。ただただあきれるばかりだ。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/09/11
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★☆ あの、感動的なシーンをもう一度! ★☆ The revival of Japan will be achieved. ~ 日本の再興をめざせ! ~ しばらく、ブログを休眠していた。 本日、遂に、2020年の『東京オリンピック』が決定した。バンザーイ! ただただ、嬉しいので、久しぶりにブログアップした。 「2020年開催予定の東京オリンピック」は、戦後第2回目のオリンピックだ。 夕方、郵便受けに投函されていた読売新聞の号外! これは、東京オリンピックの新しいロゴマークなのだろうか? 新聞紙上に掲載されていたものだ。 戦後、初めて日本の復興を世界に示した「1964年開催の東京オリンピック」開会式の感動的シーンがある動画を見つけたので、ご紹介する。『感動の東京オリンピック1964開会式(15分)ブルーインパルス有』 勇壮な「東京オリンピックマーチ」とともに整然と行進する各国選手団!素晴らしい記録だ。しかし、アメリカの選手団とこれに続くソ連(旧ロシア)選手団の行進に差しかかると、突然、マーチが旧ドイツ軍マーチの「旧友」に切り変わる。・・・当時は東西冷戦時代で、米ソが激しく世界中で対立していた時代だった。しかし、それでも先の第2次大戦では、米ソは共に連合軍側であり、日本、ドイツ、イタリアの枢軸軍側と戦っていた旧友だったのだ。わざわざ「旧友」が選定され演奏されたのは、スポーツの祭典を通じた米ソ対立の雪解けか和解に狙いがあったのだろう。なかなか粋(いき)なことをしたもんだ。 以下は雑談だが・・・ ところで・・・日本の男子バレー選手チームは、あまりに弱すぎる! 今日のTV中継だが・・・「2014世界バレーアジア最終予選」で観戦したが、あっけなくも・・対韓国戦であっさりストレート負けした。 まず、選手に覇気がない!、大事なシーンでのサーブミスの連続ばかり!、韓国側のレシーブやスパイク攻撃にまったく歯が立たず、ブロックがほとんどできない!、選手同士の連携不足も一目瞭然!・・・・特に、サーブミスは致命的だ。自滅しているとしか思えなかった。これは、監督にも問題があるだろう!「いったい、どんな練習をしているんだ?どんな指導をしているんだ?」と歯がゆかった。あれほど、サーブミスをするのなら、手から血がにじむほどサーブの練習をすべきだろう。彼らにプロフェッショナルさは感じなかった。 しかし、それにしても・・・そのあとの日曜劇場の『半沢直樹』は素晴らしい! ビジネスシーンの中にある激烈な男と男の戦いぶりが、観ていてスカッとする。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/09/08
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★☆ 荒涼とした原野で咲く宝石の様な花たち ★☆ Akiyoshidai Kokutei Kōen is a Quasi-National Park in Yamaguchi Prefecture, Japan.~ 山口県美祢市秋芳町秋吉『秋吉台』 ~ しばらく、ブログを休眠していました。 久々の復活ですが、遅ればせながら、前回の記事の続きで・・・4月27日(土)に訪れた『秋吉台(国定公園)』で出会った花たちをご紹介します。もう、夏に近い暑い季節になりましたが、季節違いの春の花たちのご紹介です。 これは、『スミレ』ですね。この花は、比較的多く咲いていました。上品な紫色が印象的でした。 特徴から『ホタルカズラ』という花だと思うのですが・・ ただ、通常は、この花が青紫花のはずが、独特な品の良いブルーなんです。『ウマノアシガタ』と呼ばれる花です。 『タンポポ』に似ていますが、背が高く『コウゾリナ』という花です。 これは、おそらく・・・『コウゾリナ』の花が咲く前のつぼみだと思います。 得体の知れない伸びた髭(ひげ)の様な花の一種。これは、「チングルマ」だった。ここでは、珍しいし、初めて見た。 平凡ですが、『セイヨウタンポポ』の種子の群れ。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/06/20
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★☆ 平家の落ち武者の権勢誇る大邸宅の遺構『長者ケ森』 ★☆ Akiyoshidai Kokutei Kōen is a Quasi-National Park in Yamaguchi Prefecture, Japan.~ 山口県美祢市秋芳町秋吉『秋吉台』長者ケ森 ~ 前回記事の『秋吉台』のトレッキングの帰路の途中に『長者ケ森』を初めて訪れた。伝説によると、ここには、かつて、「壇之浦の合戦」に敗戦して落ちのびた平家の武将が移り住み、次第に付近一帯で勢力を強めこの地に大邸宅を構えていた。しかし、三代目で一族の間で内紛が起こり四散し、その後、江戸時代となり、一族の子孫が先祖を偲(しの)んで邸宅跡に木を植えたものが成長し、現在の姿になったというものだ。 『長者ケ森』南側にある案内標示板。 北側から観た『長者ケ森』の風景。 ここだけ茂った小さな森は目立つ。 北側からの森への入口。 南側から観た『長者ケ森』。 『長者ケ森』に関する説明標示板。詳細な説明があり、「壇之浦の合戦」、「平家の落人」・・山口県の歴史を感じる。 内部に入り撮影、薄暗く直射日光を避けることができ、涼しい。 上を見上げると、木漏れ日が見える。太陽の光がわずかにまぶしい。 内部をパノラマ撮影、地面は草が茂っておらず、居心地はよい。 大木を下から見上げた。ここにどんな人々が生活していたのだろう?どんな建物が存在したのだろう?・・少し想像してみた。 森の片隅にかなり古めかしい石の祠(ほこら)があった。平家の先祖を弔(とむら)うものか?(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/06/02
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★ カルスト台地の『北山(376.5m)』・『冠山(377m)』・『地獄台』 ☆ Akiyoshidai Kokutei Kōen is a Quasi-National Park in Yamaguchi Prefecture, Japan.~ 山口県美祢市秋芳町秋吉『秋吉台(あきよしだい)』~ REALISTは、4月27日(土)、初めて『秋吉台(国定公園)』を歩いた。天候にも恵まれ、気温もしのぎやすい涼しさだった。3億年の歴史が刻まれた広大なカルスト台地は、まるで別の天体の星にでもいる様な不思議な錯覚を感じた。約30分の食事休憩を含み、7時間の総距離約25km余りをひたすら歩き続けさまよった。秋吉台をこんなに歩いたのは今回が最初であった。『秋吉台』の『 冠山(かんむりやま・377m) 』山頂付近の様子。 秋吉台は山口県美祢市中・東部に広がる日本最大のカルスト台地。北東方向に約16km、北西方向に約6kmに広がり、台地上の総面積54km²、石灰岩の分布総面積93km2、台地面の標高180〜420mだ。また、『国定公園』、国の『特別天然記念物』に指定されている。県道萩秋芳線(カルストロード)沿い「長者ケ森」付近の駐車場(70~80台収容可)、準備完了!イザ!出発! 写真中央のこんもり茂った小さな森が『長者ケ森』、絶大な繁栄を誇った平家の落人の大邸宅が存在した遺構だ。トレッキングの最後に訪れたが、詳細は次回の記事で。REALISTは、それを左に観ながら『北山』を目指す。 青い空と澄み切った空気、はるか前方に見えるのはなだらかな草原と白い石灰岩のまだら模様、人工構造物は存在しない。踏み込まれた歩きやすい道だ。 白く見える露出した石灰岩は、海洋生物や珊瑚(サンゴ)などの生物の死骸が堆積(たいせき)したもの、約3億年が経過してこうなった。山口県は以前は海底だった!まるくスリ鉢(ばち)状にくぼんだ『ドリーネ』と呼ばれる部分は、地中内の石灰岩が雨水に溶け空洞となり地表の重さでくぼんだもの。ここ一帯の地下は、『秋芳洞・大正洞』などの200以上の膨大な洞穴がある。 白いまだら模様の山や月面の様な風景、遥か先の山も見える。 『北山』までもう少し!なだらかな坂道を歩く。 山頂到着! 右側は、三角点の標示石。『秋吉台「北山」(標高367.5m)』山頂からの眺望(2013年4月27日)REALIST撮影 中央に『長者ケ森』、左側に駐車場が見える。 遥か先まで見えるカルスト台地、右側に『冠山』がある。明治時代以降から終戦まで、陸軍演習場だった。石灰岩は樹木が育ちにくい?毎年、山焼きのためか、大木が存在しない。 地球外の他の星の上を歩いている様な妙な錯覚。 天国に続く階段の様な不思議な雰囲気。 何処までも続く尾根筋のゆるい坂道。 進路左側を見るとドリーネのくぼみが・・あと少し!そして、『冠山』山頂到着! 休憩!石灰岩に腰かけ、昼食のおにぎりと凍らせたペットボトルのお茶が美味しい。『秋吉台』「冠山」(標高377m)山頂からの眺望(2013年4月27日)REALIST撮影 さあ出発!はるか前方の『地獄台』を目指す。 なだらかな下りの道。 何処までも続く巨大なサメの歯の間を歩いている様な奇妙な雰囲気。 落ちたら助からない?洞穴の穴。こういうのが沢山ある。ようやく、『地獄台』の入口に到着! 『地獄台』意味が書かれている。なるほど、迷路の様で踏まれた道や標示板がなければ迷うだろう。コンパスと地図があるので大丈夫。 これから、天国から地獄へ?環境省・山口県指定の「中国自然歩道経路」の標示。「北斗の拳」のケンシロウ気分で?記念撮影。『秋吉台』「地獄台」付近からの眺望(2013年4月27日)REALIST撮影 道がどこまでも続く。 緑のある山が見えた。 自然が描いた不思議な模様。この先で、距離もあり帰れなくなるので『 長者ケ森 』方向に帰路に向かった。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/29
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★☆ 佐々木亨著作『 今から始める山歩き 』 ★☆ Walking in mountain started now~ 大きな自然とふれあうトレッキングに行こう ~ プロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、なんと!80歳7カ月で3度目の世界最高峰・エベレスト(標高8848メートル)登頂を23日午前9時(日本時間午後0時15分)達成した。これで、これまでの記録を塗り替え、最高齢登頂記録となった。山登りに対する執念とともに、その人並み外れた体力や健康度に驚くばかりだ。実は、REALISTがたまたま登山途中で出会った女性の中に年齢が自称78歳の方がいたが、一見どう見ても60代前半としか思えない若さみなぎる美しい人で、「私は富士山を5合目からでなく、海抜0mから挑戦して達成しました」と笑顔で話していたのを思い出した。その女性も山を登る足取りは健康な20代、30代の女性と変わらない体力があるのを見て、ただただ『すごい!』と驚いたものだった。 今回の紹介する本は、山頂を目指す写真に登場するのが女性中心なので、主に女性をターゲットにしたもの、あるいは、登山を気軽に挑戦できることを意図に作成されたものだ。それでも、内容は男女の別なく共通した登山の魅力や登山に必要な装備の種類、ストックやコンパスの使い方、登山に関する重要なポイント、山歩きの基本講座、高山に咲く花のミニ図鑑、山歩きの計画と技術などを多くの美しい写真とイラストなどでA4版サイズで初心者にもわかりやすく解説されている。【 主な内容 】山歩きの準備ーこんな用具をそろえて歩きはじめよう(はじめにそろえる山歩きの用具とは 山の基本装備/山を歩く、もっとも基本となる用具 トレッキングシューズ/必要な荷を背負って歩くための用具 ザック ほか)/山歩きの計画と技術ー時期やコースの選び方と安心で快適な山歩き術(四季の自然と気象を知り、計画を立てる 山歩きのシーズンと気象/いろいろなコースの取り方 山歩きのコース設定/やさしいコース、むずかしいコースの違い コース選びのチェックポイント ほか)/山小屋泊まりのトレッキングー日帰りから泊まりがけの山歩きへステップアップ(山小屋ってどんなところ?/山小屋の設備/山小屋への到着から出発まで ほか)【 著者情報 】佐々木亨(ササキトオル)1961年生まれ。高校時代から社会人山岳会に所属し、谷川岳一ノ倉沢、北岳バットレス、冬季の八ヶ岳をホームグラウンドとしてクライミングに熱中する。85年に編集オフィス・フォーエバー設立。『山と渓谷』『ヤマケイJOY』各誌の山岳ライター・カメラマンとして各地の山岳取材を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)【中古】 今から始める山歩き 大きな自然とふれあうトレッキングに行こう /佐々木亨(著者) 【中古】afb楽天で購入『 登山靴の選び方 』By YOUTUBE 山登りで大切なのが、登山靴の問題だが、「低山で日帰り程度か?」、あるいは「山小屋泊で富士山や険しい山道が続くアルプスなどの高山を目指すのか?」などの登山路の難易度や目的地までの歩行距離などの違いによって、それにふさわしい登山靴を準備することが重要だ。このビデオでは、その違いなどを丁寧に説明されているので参考になる。いずれにせよ、登山靴を購入する場合は、店頭で実際に靴を履いて歩行することで、長時間でも疲れないのかをしっかり確認して試し履きをすることが必要だし、この動画の様な詳しい店員に相談してみるのもいいだろう。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/24
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★☆ 花や野草の名前を図鑑で確認!! ★☆ Flower and wild grass ~ 花や野草は自然の芸術 ~ REALISTが5月6日に登山に訪れた十種ケ峰(とくさがみね)で登山路の道すがら花や野草を撮影していた。今回は自分自身の知識不足を補うためにも、花や野草の図鑑の写真を対比しながら花の名前を調べてみた。 20種類の花やシダ類の写真を見て、こんなに種類があったのかと今さらながら驚いた。 ヤマシャクヤク山頂付近に、きちんと整備され群生が保護管理されていた。清楚な美しさがある花だ。 山つばき鮮やかな紅色の花びら、中心の花弁の黄色が美しい。 クサイチゴこの花は、山の麓(ふもと)で比較的よく見かける花だ。シバザクラ上品なピンクが綺麗だが、群生していた。 ラショウモンカズラ正面から撮影した形状と真横からの形状が極端に違うのがわかるだろう。 ハナウド小さな白色の5枚の花びらの集団が群生していた。 イカリソウこの花は、角(つの)が生えた様な形状が特徴だ。 シラー色違いだが、同じ種のものだ。この名の「シラー」だが、ゲーテと並ぶドイツの詩人・歴史学者・思想家のフリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)を思い出したが、直接は無関係で、主にヨーロッパ、中央アジア、アフリカの温帯に分布する球根植物のようだ。 オオバノハチジョウシダ シダ類でもよく観察すると違う種類があることを知った。ミヤマシケシダこのシダは直径1.5m以上の大きな円形で放射状に茂っていた。 ミツバコンロンソウ直径1cmもない小さな可愛い花だ。山頂近くのヤマササの陰に咲いていた。 ヒメオドリコソウ葉が赤みを帯びた様な花の植物。葉か花なのかよくわからない。 ザルジアンスキア純白の清潔感ある直径3cm程度の可愛い花の群生だった。ヤマツツジ品のある私の好きなピンク色に染まった花が目にまぶしかった。山頂近くの高い登山路途中に生き生きと咲いていた。 カキドオシこの花は、図鑑と花の形状や模様で、「カキドオシ」と断定した。 キランソウこの花は、山頂付近の草むらに地を這(は)うように咲いていた。特徴ある独特な形状でしかも、小さな花だが、花の図鑑でようやくわかった。 キジムシロこの花は、どこの山でも比較的よく見かけるが、愛らしい花だ。スイバ葉や茎に酸味があるのが、その名の由来だそうだ。登山口に入ってすぐそばに咲いていた。一見、花にはとても見えない花だ。ユリワサビ小さな白い4枚の花びらで構成された花だ。部分的に群生していた。 セイヨウタンポポ タンポポは、子供のころからなじみのある花だ。よく、種(たね)のある茎をもいで、息で「フッ」と吹き飛ばして遊んだものだ。【送料無料】 野山で見かける山野草図鑑 見分けかたや名前の由来など、野山を散策しながら見つ...価格:1,470円(税込、送料込)(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/19
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★☆ 俗名『 長門富士 』&『 長門のマッターホルン 』に登頂す! ★☆ Mt.Tokusagamine(Altitude:988.8m)~ 山口県山口市阿東地区『 十種ケ峰(とくさがみね) 』 ~ REALISTは、5月6日(月)、春のこの季節、自生する「ヤマシャクヤク」の花が特に美しいという噂(うわさ)を耳にして、山口県と島根県の県境にそびえる『 十種ケ峰(とくさがみね) 』登山を決行した。広い山頂に登れば、そこは別世界、周囲をさえぎるものなく360度の大パノラマを味わえる。 当日は、山頂は涼しく天候も良く、青空のもと花も咲き乱れ、ウグイスなどの鳥の鳴き声にも癒された最高の登山日和であった。 登頂時刻午前11時15分。記念すべき山頂の標示板!前方に山ガール軍団を発見!国道315号の「坂田」から右に分かれる地方道に入り「神角バス停」を目指すと、この看板のある登山道入り口。 左上にそびえる山が「十種ケ峰」、中央の鳥居が「神角神社」、右側に「登山者用の駐車場」。「神角コース」から登れば、自生する「ヤマシャクヤク」を鑑賞できる。ただし、花が咲くのは、春の4月末から5月中に期間限定。左が「神角神社」、右が「駐車場」、午前9時35分時点で既に10数台の車あり、みなさん、登山装備などを身に付ける作業中! ここが登山口!イノシシやシカの出入り防ぐ柵がある。登山者は、開けたら必ず閉める。最初は、なだらかな道がしばらく続く。やがて、傾斜のある林道がしばらく続く。ぐんぐん前方を進むと、前方に4人の山ガール軍団発見!軍団を追い抜きざま、「こんにちは~!」と互いに明るい挨拶!行けども行けども、背の高い杉の木の傾斜のきつい林道が続く。ウグイスの「ホーホケキョ」の鳴き声が森に響き、癒される。林道は続くよどこまでも! 次第に空気が冷えてきた。草深い道に突入! 大小の岩がゴロゴロした川底の様な急登を駆ける!さらに・・・ムムッ!ロープが1本垂れ下がり、これをつかんで坂道を這(は)い上がる!苦あれば、楽あり!「ヤマシャクヤク」の自生地に到着!しばし、じっくり鑑賞、撮影。「ヤマシャクヤク」は、ブナなどの樹林下に生育するボタン科の多年草、4月末から花開き、5~7枚の白い花弁で直径5cmの美しい花。登山道の両側に白いロープで見える無数の「ヤマシャクヤク」の群生。山ガールは、大きな一眼レフで撮影しているが、REALISTはコンパクト!重いし、邪魔になるし、やはり登山はコンパクトがよい!やがて、急傾斜の道に、上を見上げると、山ガール軍団奮闘中!まもなく・・・ヤマササの道に入ると、山頂は近い!ヤマササは、高山に繁殖しているからだ。ヤマササのなだらかな道を行く。 やがて、空が!傾斜は急だが心はウキウキ!山頂は近い!『十種ケ峰(とくさがみね・標高988.8m)山頂の鳥の鳴き声(2013年5月6日)』By YOUTUBEREALIST撮影「ホーホケキョ!」と撮影中にもウグイスの鳴き声!どうぞ、聴いてください!美しい鳥の声が響き渡る!あと少しで山頂!・・別の山ガール軍団が前方に!山頂!到着!午前11時15分!・・右は「1等三角点」石標。『十種ケ峰(とくさがみね・標高988.8m)山頂(2013年5月6日)』By YOUTUBEREALIST撮影既に30人程度が景観を楽しみながらお弁当中。山頂は広いし奥行きがある!天候よし!青空よし!パノラマよし!おにぎりよし!遠くの山々が見える・・しばしパノラマを楽しむ。山頂は気温15度程度で過ごしやすい。REALISTも、オニギリを頬張りジャスミン茶を飲んで、約30分天空を観ながら寝ていた。お隣の島根県側の山々が眼下に見える。周囲をヤマササのみで何もさえぎるものなし!それにしても素晴らしい景色だった。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/13
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★☆ 苦しい時も辛い時も笑ってごらん! ★☆ Smile (CHARLES CHAPLIN) ~ チャールズ・チャップリン作詞作曲 ~ 『 Smile(スマイル) 』という曲をどこで?いつ?聴いたのか・・・・遠い過去のことなのでよく憶えていない。しかし、その何とも言えない「笑ってごらん!」という意味のやさしいあたたかい言葉を耳にするととても懐かしい空気と思い出がよみがえってくる。 ・・・というわけで、前からREALISTがファンのお気に入りのスペインガールが唄う『Smile』、それとマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)、ナット・キング・コール(Nat King Cole)が唄う同じ曲のシーンをYOUTUBEで見かけたのでご紹介する。 この曲は古く、チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin )が作詞・作曲で、主演の映画「モダン・タイムズ(Modern Times )1936年作品」の中で唄ったシーンで紹介された曲だ。『 Smile (: (CHARLES CHAPLIN) 』 彼女は、スペイン語圏では、YOUTUBEの作品でかなり有名で人気の女の子だ。当初は可愛らしさにもまだ幼さがあったが、最近ではかなり大人の女性になりつつある。それでもまだ独特な彼女特有な愛らしさは変わっていない。前置きはこのくらいにして、まずスペイン語で曲の説明があるが、1分8秒から英語で唄い始める。声もいいが感情のこもった何とも切ない表情で唄うのがまたいい。『 Michael Jackson - Smile 』 この曲は、マイケル・ジャクソンもアルバムで唄っていた。もう、現実には存在しないマイケルの笑顔が若くして亡くなった天才の悲劇を残念に思う。それにしても耳に優しい響きだ。『 Smile - Nat King Cole』 ナット・キング・コールと言えば、1950年代~60年代に活躍したアメリカのジャズ界の名ピアノ奏者・歌手で有名な黒人だが、彼もわずか45歳で亡くなっている。この動画では、歌の和訳が用意されているので意味が知りたい方は見るとよい。男性が唄うのだが、甘くやさしい言葉が耳にやさしい。ただし、この動画はこのままでは見ることができないので、画像の上の件名の表示をクリックすることでYOUTUBEが別画面で起動すれば見ることができる。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/11
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★☆ 由布岳の火口外輪山『西峰』・『剣ノ峰』・『東峰』を縦走 ★☆ I climbed Mt.YUFU. ~ 大分県由布市湯布院町 『 由布岳(ゆふだけ) 』 ~ REALISTは、4月23日、『 由布岳(標高1583.5m) 』を登頂した。通常は、単独若しくはせいぜい2~3人の少人数でアタックするが、今回は、プロクライマーの男性2人を含む男性7名、山ガール15名の陣容でのアタックだ。圧倒的に女性が多いが、そこは、平素から低山で身体を鍛えているだけあって、並みの男性以上の体力とその身体能力には驚いた。 今回、初めて目の前で山頂を雲が越える様子を観ることができた。 由布岳登山口のモニュメント、ここから出発! 『 火山が育んだ秀峰、豊後(ぶんご)富士 』と呼ばれる由布岳に進む。かなり歩いた・・ようやく由布岳に接近。前方の山ガール達は足取りも早く、スポーツウーマンばかり!うかうかしていると置いて行かれる!先頭はプロ先導、ハイスピードの進行速度。皆と歩くのでか疲労感はない。 予定より早く昼食予定の『合野越』到着! 5分程度休憩。時間にゆとりあり、昼食は山頂付近の『マタエ』に変更。 傾斜のある道をひたすら登る! 周囲が開けて、女子から『ワーステキ!遠くまで見える~!』と歓声!こんな時も、女子は明るく元気で強い! 温泉の町湯布院が眼下に! しばし山道で座り込み、お茶の休憩!いざ、出陣! 火口の割れ目『マタエ』を目指し急傾斜を登る。 『マタエ』到着!この火口淵で昼食。寒くて風が強い。 食後、全員、防寒用レインウェア上着を着用。これから登る目の前の急峻な岩の山を撮影。ウワーッ・・これ登るのか~!かなりの高度で後方を撮影!あの高い部分は、火口を時計方向に回り最後に登る『 東峰 』。 ほぼ垂直に近い岩のくぼみに足を載せ、手で岩をつかみ、三点確保で一歩一歩前進。あと…少し!やった~!最高峰『 西峰 』登頂! みなさん感動! 『由布岳西峰 標高1583.5m にて(Mt.YUFU:2013年4月23日)』REALIST撮影雲が山頂を乗り越えていく!風の音聞こえますか?いや~、すごかった!雲が!流れる! 『 西峰 』を下って、次はあの先の『 剣ノ峰 』だ!『 剣ノ峰 』山頂から、先ほどまで登ってきた眼下を撮影。 次は、最後の『 東峰 』を目指す!氷の結晶があちらこちらに! 『 東峰 』はまだまだ・・はるか先。 『由布岳山頂の「剣ノ峰」から「東峰」へ縦走中!(2013年4月23日)』REALIST撮影岩を越えては降り、また登る。岩を数度乗り越え・・ようやく先に見えてきた『 東峰 』! 遂に・・『 東峰 』にも到達! 『由布岳 東峰(1580m)山頂にて(Mt.YUFU 2013年4月23日)』REALIST撮影『 東峰 』で、みなさんホッと休憩。『 東峰 』山頂に鎮座の菩薩様。 下山は、曇り空で霧に覆われ、危険も多く時間もかかった。でも、湯布院の湯に1時間もゆったり至福の時。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/05
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★☆ 下関で最高峰「華山(げさん)」の麓(ふもと)にある滝 ★☆ Mystery waterfall~ 山口県下関市豊田町江良「徳仙の滝」 ~ REALISTは、2月11日(月)、下関市豊浦町の「狗留孫山(くるそんさん・標高618m)」の登山を終え下山し、車で狭い山道を延々と1時間ぐるぐる進み、下関で最高峰の「華山(げさん・標高713.3m)」の麓(ふもと)にさしかかったところ、偶然、道沿いで高さ12mの大きな滝に立ち寄ることができた。 滝は、『 徳仙(とくせん)の滝 』と呼ばれる、少なくとも1300年以上前の奈良時代から僧侶や山岳信仰の山伏(やまぶし)などに修業の場、信仰の場として利用されていたようだ。 山道にしては、舗装状態の良い車道だったが、まったくすれ違う車両に遭わなかった。偶然見かけたこの案内表示板のおかげで、この滝の存在を知った。 山口県下関市豊田町江良、徳仙にある滝。 県道34号線から「華山」方面へ行く県道262号線に入り、約2km行くとある。高さ12mの2段の美しい滝だ。”夏はソーメン流しやキャンプで多くの人が訪れる”・・そうだ。滝手前に車が数台止められる駐車場有り。 『 「 徳仙(とくせん)の滝 」 (山口県下関市豊田町江良) 』 REALISTが撮影。 滝の流れる音が聞こえますか? 奈良時代から変わることなく水はよどみなく流れる。 この説明文にある『 役小角(えんのおずぬ) 』とは・・・、 ”平安時代の山岳信仰のなかの修験道の開祖”を意味するようだ。 大昔のことだが、山に対する神が宿る存在としての信仰があったのだろう。 知識不足で意味がわからず、Wikipediaの説明で何となく理解した。 この説明文では、・・・ 西暦705年に『 役小角(えんのおずぬ) 』が「華山」に訪れた時代、 「徳仙上人」という高名な僧侶がこの滝にこもり修業していたことが由来で、 『 徳仙の滝 』と呼ばれる様になった・・・とある。 滝の傍に設置されていた『 華山(げさん) 』の登山コースの案内板。 この山も登ったが、そのうち時間差でブログに載せることになる。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/05/02
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★☆ 目先の利益で失う高度な産業技術情報と危機管理 ★☆ Bad case where only technology was stolen by China~ 蓄積された技術を狙う隣国にはご注意を! ~ REALISTは、4月24日、久しぶりJR西日本『 新幹線 』に乗った。乗った車両は、午前6時36分小倉発で午前6時53分着の「こだま851号」で、この車両は、『 700系 』新幹線を改良した時速300km以上も走行可能な『 N700系 』と呼ばれる車両だ。 車両に乗る直前、偶然に到着したRAIL STAR(レイル・スター)『 700系 』や他のホームに停車中の『 500系 』新幹線を見かけたので撮影した。 隣接するホームに「博多駅」方面から進行してきて、まさに「小倉駅」に停車しようとするRAIL STAR(レイル・スター)の『 700系 』新幹線。この同型車両をJR東海が台湾高速鉄道で購入受注し、台湾でも走行している。 目の前に到着した、RAIL STAR(レイル・スター)の『 700系 』新幹線。 2つ先の新幹線ホームをよく観ると、キオスクの店舗で先端が見えないが、時速300kmの営業運転速度を誇った『 500系 』の車両が見えた。その前部の側面に『カンセンジャー』という文字とロボットの絵が描かれていた。 これが、JR西日本の『 500系 』新幹線の完全な前部の姿。列車に見えない宇宙船の様な未来的で斬新なスタイルだ。 これは、REALISTが乗る「こだま851号」と同形の『 N700系 』車両。『 700系 』のコストパフォーマンスに加え、加速能力や速度向上を達成した改良版だ。 早朝午前6時20分ごろの「小倉駅」の「博多駅」方面下りホーム、朝早いこともあり、人の姿はまばらだった。大半の人はもう乗り込んでいる。 まさに、乗車直前に撮影。この車両は一両だけがグリーン席で他は全て自由席だった。 車内は、スカイブルーを基調としたシートと壁面は落ち着きのあるホワイト、とても明るく清潔感のある雰囲気で、前席との間隔もゆったりしている。 電光掲示板なども以前に比べ大きめサイズになっている。列車の車内というより、旅客飛行機内の様な感じだった。走行中の音は、発車時に「キーン」というかすかな金属音の他は・・・空気を切る様なわずかな音しか聞こえない静粛性は、素晴らしい。車両停車時のショックもほとんどないソフトなものだった。 日本の新幹線技術は、世界に誇れる素晴らしいものだと改めて感じた。 この写真は、今回のJR西日本とは関係のないJR東日本で営業運行している『 E2系 』の新幹線車両だ。この車両は、2003年に速度向上試験に使用、時速362kmを記録した。この写真をここにあげた理由は、次の写真と関連する話題展開のためだ。 これは、中国が誇る”自称「国産」と主張する”『 CRH2形 』高速車両。・・・実は、日本の新幹線『 E2系 』のコピーに過ぎない。 巨大市場に目がくらみ中国に技術だけを盗まれた悪い事例 この車両と上の日本の『 E2系 』と比較すると、まったく同じ車両だ。独特の流線形の凹凸部の車体フォルム、2本のワイパーの位置や形状、車両前部の特徴ある先端部、運転席最上部にある特徴あるヘッドライト、”何から何までコピー”そのものと言ってよいだろう。異なるのは、「和諧号」の漢字の文字と車両の塗装部分だけ。中国は、これは「自力開発した国産車だ!」と豪語して、アメリカなどに売り込みにかかり、アメリカに国際特許申請までしたというから、抱腹絶倒だ。 実は、日本の川崎重工業が中国の巨大市場に目がくらみ騙(だま)されたあげく、日本の数十年にわたる新幹線技術をまんまと盗み取られたというのが真相だ。完成品の『 E2系 』の3編成24両、部品輸出が6両編成48両にとどまり、中国はこれら車両をすべて分解し、すべてをコピーしてその技術情報を盗み、その技術情報を使った生産体制を中国側メーカーが完了した時点で・・・、川崎重工業は不要となり、用済みとなったわけである。 要するに、大商談成立かと思いきや・・その高度な技術だけ盗まれたという話だ。中国で生産する場合、「すべての技術情報を中国に開示しなければならない」という制度がある。したがって、中国では、欲しい先端技術情報は、産業スパイを使って苦労しなくとも、中国のその有利な国内制度で合法的に堂々と中国の技術陣が手に入れることが可能になるわけだ。したがって、中国で生産する場合の外国企業はノウハウもブラックボックスも一切なく、すべて盗まれてコピーされてしまえば、その時点で用済みになるという仕掛けだ。 これと同様なことは、中国の戦闘機の大半がロシアの戦闘機のコピー機というのも一目瞭然だ。わずか数機だけの最新戦闘機をロシアから購入し、新幹線同様にすべて分解し、部品単位で同じものをコピーして組み立てる。そして、国産戦闘機と称して中国名の名称で生産している。このことは、ロシアでも問題となり、先の習近平がロシアを訪問、プーチンとの間で最新戦闘機の購入を求めたが、ロシアは中国の過去の数々のコピー機製造に懲(こ)りており、数機の要望を蹴(け)り、大量機購入の商談を成立させている。 日本の企業も、中国でのビジネス展開もこのことを念頭に産業技術の危機管理上の対応をしなければ、技術だけまんまと盗まれ何の利益もなく、大変な国益を失うことを覚悟しなければならないだろう。その挙句に、その技術を国際特許申請までされるという二重の被害を受けることになる。 中国は、ある意味で北朝鮮と酷似しており、独裁的軍国主義国家であり、国家的な犯罪国家とも言える点が共通している。これは、尖閣で中国政府の船を日本の領海に進入させる挑発を繰り返したり、日本やアメリカの産業中枢部にサイバー攻撃で侵入し高度な技術情報を盗むなど、これが悪辣な中国共産党の実態を示す良い例だと言えよう。 こういうことこそ、日本のマスコミが国民にもっとわかりやすく説明すべきことだが、NHK等のテレビをはじめ、朝日新聞などのマスゴミは、この点についても、何故か、国民に知らせようとしない情報の遮断をしている。いったい、マスゴミの裏にはどんな不可解な仕組みがあるのだろうか?、国民に知らせない目的は何なのか?言論権力機関による何かの策動があるのだろうか?また、これについての、批判的なコメンテーターも少ないのも異常としか思えない。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/26
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★☆ 『 20歳若く見えるために私が実践している100の習慣 』 ★☆ Instruction book for rejuvenation~ 現役医師の「南雲 吉則」の著作品 ~ 「 若くありたい 」という気持ちは、古代でも近代でも、一部の例外を除き、大半の誰もが望む欲望だろう。「人間は、生まれたその瞬間から限りなく死に向かっている」と言われる様に、美人でも金持ちでも権力者でも誰もが絶対に逃れられない生物的な運命がある。しかし、それでも人間の欲望はとどまることはない。大昔の逸話に、ある国の絶大な権力を誇る王様が「不死の薬草」を求めて、世界中に特使を派遣して求めたという史実があるくらいである。 今回ご紹介する本は、その表題にあるとおり、死は免れないまでも、「20歳は若く見えるため」の現役医師が自ら実践してそれを実現している指南書だ。ただし、この方法を実際に実戦できればの話でそれは当然に楽な方法ではないが、試してみる価値はあるだろう。現在56歳なのに「脳年齢38歳、骨年齢28歳、血管年齢26歳」である著者が実践している、驚異のアンチエイジング法を解説。「寝るときはカーテンを閉めるな」「痩せたい人間はスポーツをするな」「免疫力を高めるな」など、これまでの常識を覆す数々の健康法を指南している。「激しいスポーツは体に毒、早死にの原因」、「一日一食で健康になる」、「体臭は野菜中心の生活で抑えられる」、「ゴボウは若返り薬」、「夜更かしは老化する、午後10時~午前2時の睡眠のゴールデンタイムに寝る習慣」・・・などが印象的だった。 【 主な内容 】スポーツは早死の原因。「一日一食」で健康になる。体臭は野菜中心の生活で抑えられる。冷え症は「水シャワー」でなおす。南雲流「心・美・体」で人生100年計画を達成する方法をわかりやすく解説している。【 著者情報 】 南雲吉則(ナグモヨシノリ)ナグモクリニック総院長。乳腺専門医、医学博士。東京慈恵会医科大学・近畿大学非常勤講師、韓国東亜医科大学・中国大連医科大学客員教授。1955年生まれ。父は日本の美容外科のパイオニア吉和氏。東京慈恵会医科大学卒業後、東京女子医大で形成外科を、癌研究会付属病院外科で癌治療を学び、東京慈恵会医科大学第一外科乳腺外来医長を経て、乳房専門のナグモクリニックを開業。東京・名古屋・大阪・福岡の4院で癌手術、乳房手術を行う。乳癌学会、形成外科学会、美容外科学会では毎回セミナー講師を担当【送料無料】20歳若く見えるために私が実践している100の習慣 [ 南雲吉則 ]価格:1,365円(税込、送料込)『 ゴボウ茶を飲むと20歳若返る! Dr.ナグモの奇跡の若返り術 』この本で食品で特に強調していたのが、「リンゴの皮つきのままの食事」や「ゴボウ茶のすすめ」だった。ゴボウ茶は薬局などでも市販されているが、ゴボウを薄切りにして天日で干すなどのゴボウ茶の簡単な作り方も紹介されている。ゴボウには、特殊な成分が含まれており、継続して摂取することで高脂血症の改善やダイエットにも優れた効果があるそうだ。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/24
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★☆ 鎌倉幕府の平家追討を逃れ隠れ住んだ落人たちの悲劇 ★☆ Heike's fugitive legend ~ 平家の落人伝説~ 山口県下関市大字高畑 『 平家塚 』 ~ REALISTは、3月25日午前、下関市大字高畑の『 霊鷲山(りょうじゅせん:標高288m)』登頂を目指すと途中、その高畑の地に壇之浦の合戦(1185年)で滅亡した平家の落人(おちうど)が隠れ住んでいた部落があった地に『 平家塚 』と呼ばれる平家の墓や平家の落人の霊が祀(まつ)られていたという『 霊神社 』を訪れた。 平家の落人伝説は、日本中に存在するがここは間違いなく実在した地だ。 県道246号沿いの『 霊鷲山(りょうじゅせん) 』と『 平家塚 』入口を示す案内表示板。ここからは、平家の里、高畑部落への入口でもある。 REALISTは、関門海峡の壇之浦沿いの国道9号線から高畑方面に向け、住宅街を北進、県道246号線に出た。壇ノ浦の戦いがあった早鞆の瀬戸から直線距離で約2kmしか離れていない谷間の集落。あまりに近すぎたため追手に気づかれなかったと言い伝えられている。平家塚と呼ばれる場所に五輪塔などがある。 車で通るにはやや狭い一本道をしばらく進むと・・・その部分だけ広くなった道に到着、そこに、この『 平家塚 』の石碑があった。 石碑の裏の丘に登る道を歩くと、間もなく『 平家塚 』がある。 『 平家塚 』の説明文。平家の落人が隠れ住んだ部落は、時が流れ・・・「平家やぶ」と呼ばれ、近づくと「たたり」があるとしばらくの間は恐れられていたようだ。しかし、最近になって、整備され、地元の婦人たちの手で清掃やお香が手向けられているとある。これが、平家の五輪塔のお墓だ。2基が寄り添うようにたたずんでいた。夫婦だったのだろうか? この様な五輪塔の形状は、平安期、鎌倉期の特徴だ。 鎌倉幕府の平家追討軍が平家の落ち武者や落人を必死に探していたようだが、命からがら逃げのびて隠れ住むのも大変だったに違いない。 地元の婦人たちの手でよく手入れがされている。 『 平家塚 』から、さらに奥の道を進んだ。こうした竹藪(やぶ)の道が続く。 平家の落人は800年前から、こんな竹藪で生活していたのだろうか?まもなく・・・目の前に『霊神社』、『旗かけの松跡』とある標示板が現れた。何だろう?と・・・左折して『旗かけの松跡』に向かった。 すると、開けた広場に出たが、平家の末裔の墓だろうか?沢山ある。正面の奥に何やら説明文のある看板がある。 近づくと・・『旗かけの松跡』とある石碑と説明文のある看板があった。右の木が松の木。 「壇之浦の合戦で傷ついた落ち武者がここまで辿(たど)りついて平家の赤旗をそばの松の木に立てかけて休んだ」・・・とある。 来た道を戻り、次は『霊神社』方向に再び竹藪(やぶ)の中を奥に進んだ。 一番奥に至ると、 『霊神社』の鳥居が現れた。こんな竹藪の奥に神社があるとは・・・ 『霊神社』の説明板。平家の落人の霊を祀(まつ)った『霊神社』は、元々は、『平家塚』のあった付近にあったが、明治時代に大火に遭い、この地に移されたとあった。 焼けた建物は再建されていないが、狛(こま)犬や祠(ほこら)、灯篭等が設置されて当時を偲(しの)ばせる雰囲気があった。 なんとも静寂で厳粛なミニ神社だったが、平家滅亡に伴い京都の生活から、落人はこんな不自由な山奥での生活を強いられたという歴史の悲劇を感じた。 ここを守る狛(こま)犬の表情は、威厳のある力強さを感じた。 この辺りを歩くと、いたるところに、この種の石垣が多数残っている。平家の住んだ居宅の基礎だったのだろうか?石垣の上の平地はどこも雑草や木々が茂り、人々が住んでいた当時を想像するしかない。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/22
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★☆ その名のとおり山頂に「門司城跡」がある『古城山』 ★☆ Old castle mountain~ 福岡県北九州市門司区和布刈公園内「古城山」 ~ REALISTは、3月25日、古い城があったとされる門司区の和布刈公園内にある『 古城山 』を目指した。標高はわずか175mの低山で、公園として整備され、道もほとんど舗装済みのわかりやすい道を登るため、冒険気分もなく物足らなさを感じたが、それでも、遥か昔に平家が山頂に建てた城があったという『 門司城跡 』の記録に魅力を感じ、是非、山頂から観る下界の眺望を体験したいと思い登頂した。 山口県下関側から観た関門海峡越しの対岸に見える福岡県北九州市門司区和布刈(めかり)側にある『 古城山 』だ。 和布刈(めかり)神社付近から和布刈公園内を登って行くと、5分程度で、この案内表示板が見えてくる。この地点から約1kmを登ると入口だ。 こんな感じの舗装された車道と一体型の歩道側を歩いて行く。これは、登山というよりも散歩だ。車でも行けるけど、歩くことに意味がある。 20分程度で、『 門司城跡 』入口に到着。ここから左に登って行くことになる。道は狭くなるが舗装されている。 すぐに、この『 門司城 』の解説碑文がある。・・・それによると、「門司城」は、当初、源氏との決戦に備えて、平家の平知盛が築城させた。 1244年、平家残党狩りを鎌倉幕府から命ぜられた下総前司親房がこの地に到着、間もなくその子孫が「門司氏」を称し、「門司城」を本城に、周囲に5つの支城を構え約350年間にわたり、北九州を治めた。南北朝時代は、門司氏の北朝方の居城となった。室町時代末期になると、この城をめぐって、大友氏、大内氏、毛利氏の争奪戦の戦場となった。特に永禄年間の大友氏と毛利氏による門司城合戦は壮絶を極めた。その後の門司城の城主は入れ替わり続いたが、細川忠興の豊前入国後の1615年に「一国一城の令」により、およそ400年続いた歴史を閉じた。 こんな感じの登り道がしばらく続く。 突然、山腹側に小さな鳥居が出現!鳥居の上にある文字は「山の神」とある。 奥へ進むと石製の頑丈な祭壇が合った。とりあえず、登山安全を祈願する。 再び登山道を進んで行く。犬と散歩中の人と出会いご挨拶。 先を見ると・・・石垣の様な物が見える。 間もなく、巨大なレンガ造りの頑丈な入口のある構造物発見!入口は閉鎖されて中に入ることはできない。奥行きはかなりある大きな施設だが・・・・これは、対岸の下関側にも同様のものが残っている戦争中の対空砲陣地の跡で、火薬庫や兵員室を備えた施設の跡だ。 それから、すぐに山頂となる。 山頂に到着!・・・そこの中央にあるこのセメントの構造物は、戦争中の対空砲陣地の台座の跡だ。ここに対空砲が据え付けられ、戦時中は、アメリカ軍機が接近すると、直ちに兵士が駆けつけ、ここから360度回転する対空砲により対空射撃をしていた。 これが、山頂にある『 門司城跡 』の石碑だ。周囲を見渡したが、城跡を示すような遺物は見当たらなかった。ここから、下界を見ると、関門海峡が見渡せる。『 古城山(門司城跡)山頂(175m)から関門海峡を観る』 REALISTが、山頂から観える関門海峡を撮影した。ここに城があった当時は、ここからいつも下界を見ていたのだろう。 山頂から関門海峡をパノラマ撮影。 同様に関門海峡を少しだけ望遠撮影。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/18
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★☆ 春を喜ぶ元気な花たちに出会いました ★☆ Flowers who are pleased with spring!~ もの言わぬ花たちでも喜びがわかる ~ REALISTは、この春先になり、近場の里山を歩く道すがら、様々な花々に出会いました。知識不足で花の名や種類はわかりませんが、美しいので撮影しました。 花たちは、人間の様にしゃべることができませんが、カメラを向けて撮影しながら観察していると、まるで春を喜び『 嬉(うれ)しい! 』と満面の笑みを浮かべて幸せそうな表情を感じることができます。その明るい表情を観ていると、こちらまで元気やパワーがもらえそうです。 白い星の様な特徴のある形状の花びら・・・小ぶりで可愛い花たちが、「ようこそ!」と笑顔で迎えてくれました! こちらは、綺麗なイエローの花たち・・・いたずらっぽい笑顔の幼子たちが群れています! 仲の良い二人が寄り添っている様な感じで、こちらに向かって笑顔で「こんにちは!」とご挨拶してくれました。 「ワーイ!お日様いっぱい浴びれるから嬉(うれ)しいな~!」と風で揺(ゆ)れながらはしゃいでいるようです。 「春はやっぱりいいわね!」と声をかけられたので撮影!と赤く色づいた花たちが生き生きしています。 花の直径が1cmにも満たない小さな花たち、よく注意しないと見落としてしまいそうですが、青白い小さな花びらで必死に生きている姿はとても美しいものです。 この風変わりな形状の花は、直径5cm程度のもの・・花全体が笑顔の表情に見えてしまいます。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/17
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★☆ 『 山歩きはなぜ体にいいのか~大切な仲間に教えたくなる山の効用 』 ★☆ Effect on health of a climbing mountain~ 山岳フリーランスライター「柏 澄子」の著作品 ~ REALISTが登山をはじめて2年余りとなったが、そのきっかけは、まず第一に運動不足解消のための健康のためを意識して指向していることだった。続けているうちに、筋力が増加し、基礎代謝が増えることでダイエット効果があること、心拍数も増えることで身体の循環器系も改善されること、山に登るために余暇は必然的に室内にいる時間よりも外出時間が増えることで精神衛生上も良い効果があること、趣味の写真撮影も登山と並行して一石二鳥で同時に楽しめること、山好きな交友関係の輪も少しづつできること、自然の高山植物や珍しい動物、昔の遺跡や城跡などを自分の目で実際に見て学ぶことができること、コンパスや地図の見方を学び、サバイバル的な技術も高まること、楽しい割には他のレジャーに比べ、比較的安価な費用で楽しめること・・・・など、数えたら良いことばかりだ。 最近、山岳関係の図書にも興味が増えつつあるが、今回の本は、特に登山が与える様々な健康への効用を著者の経験を土台に、健康に関する様々なデータや客観的統計資料などを加味してとてもわかりやすく解説している。登山経験者ばかりでなく初心者でも、「なるほど!」と共感できる内容だ。余計に登山したくなる気分になるはずだ。 山歩きは体によい、心にもよい。しかし、具体的にどのような点が魅力であり、どのように体によいのか? 山歩きが健康的な体を作る理由、病気の予防につながる要素、心に与える影響などを説明している。 【 主な内容 】1 心と体を見つめ直そう/2 山歩きで健康な体を手に入れる/3 病気の予防につながる山歩き/4 “脳トレ”効果もある山歩き/5 ストレス解消で心も健やか/6 体によい山歩きを実現するために【 著者情報 】柏澄子(カシワスミコ)1967年、千葉県生まれ。フリーランスライター。登山全般のほか、ヒマラヤ山岳地帯やチベット文化圏に住む民族の暮らし・文化をテーマに、山岳雑誌、新聞、書籍などに執筆する。高校、大学時代に山岳部で登山を学び、2000年ヨセミテでのクライミング、02年チョ・オユー(ヒマラヤ・8201m)登頂、04年牛心山(中国・4942m)南東稜登攀、05年スンメル・アルプス(ノルウェー)でのテレマークスキー滑降などのほか、毎年、ヒマラヤ地域でのトレッキング、ラフティング、旅を繰り返す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)【送料無料】山歩きはなぜ体にいいのか [ 柏澄子 ]価格:1,000円(税込、送料込)『 登山靴 紐の結び方 』 山登りで大切なのが、登山靴の問題だ。長距離を険しい悪路を歩く前提で、しっかりとした紐(ひも)の結び方も重要なポイントであり、初心者は参考にすべきだろう。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/15
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★☆ 壇之浦合戦(1185年3月)の陶製壁画 (めかり公園第2展望台) ★☆ Battle of Dan-no-ura (March, AD 1185)~ 高さ3m、長さ44mにわたる有田焼製の歴史大絵巻パノラマ ~ REALISTは、3月25日、山口県下関側から『 関門トンネル人道 』徒歩で渡り、北九州市門司区の『 和布刈(めかり)公園 』を散策した。その公園内の『 門司城跡 』が山頂に残る『 古城山(標高175m) 』を目指す途中に立ち寄ったのが、 壇之浦合戦のパノラマ歴史絵巻を有田焼の陶板1400枚で再現した『 壇之浦合戦壁画 』のある『 和布刈(めかり)公園第2展望台 』だ。 第2展望台の案内表示板。和布刈神社から徒歩で20分程度かかる。 この階段を登ると第2展望台! 展望台に到着、眼下に広がるのは門司港だ。明治以降から戦前まで国際貿易港として賑(にぎ)わい、1922年、アインシュタインも夫婦で訪れた。 下関側に目を向けると、高速道路と関門大橋が目に入る。向こう側の黒づくめの若い女性軍団がキャツキャツとはしゃいでいた。 『 壇之浦合戦の想定図 』。白が源氏側船団、赤が平家側船団、図の右側の上から下に、そして左側の上から下の順に説明がある。最初は、潮の流れに乗り圧倒的に優勢な平家側の攻撃で源氏側は防戦一方だった。しかし、潮の流れが逆流すると、次第に源氏側の攻勢が強まり、源義経の指示で兵士よりも船の漕ぎ手や水夫、舵取りに矢などで集中攻撃する作戦が功を奏し、平家側軍船が行動不能となり、形勢逆転!一挙に平家の敗戦、滅亡となる。 『壇之浦合戦のゆかりの地』の案内板だ。左上が『赤間神宮(下関市阿弥陀時町)』、右上が『みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)』、左下が小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説で有名な『耳なし芳一像(赤間神宮内)』、右下が平家ゆかりの『御所神社(門司区大里)』 『 源平最後の決戦の地 』の解説案内板。図の右から左に・・『一の谷の戦い(1184年2月7日)』、『屋島の戦い(1185年2月19日)』、そして、最後の『壇之浦の戦い(1185年3月24日)』だ。 展望台にある広々とした木製デッキ型施設。背景には、『 壇之浦合戦壁画 』の様子が見える。大き過ぎて全体が撮影できない。 、『 壇之浦合戦壁画 』の案内板。壁画は、赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)所蔵の『安徳天皇縁起図』から「壇之浦合戦」の模様を有田焼の陶板で再現!源義経、平教経、二位の尼(平時子)、安徳天皇、建礼門院(平徳子)などが描かれている。 『源平壇之浦合戦絵巻』の説明文。『 おごれる人は久しからず、唯春の夜の夢のごとし 』・・と『平家物語』の一節が書かれている。史上まれにみる海戦で、平家は白色の旗印、平家は赤色の旗印をなびかせ、実に両軍合わせて4000隻以上の軍船が最後の戦いを合いまみれた。 長刀(なぎなた)に刀の源氏と平家の若武者の一騎打ち。 陸上待機の源氏軍の軍勢。 右上の海中に身を投じたのは、安徳天皇の母である建礼門院(平清盛の娘・平徳子)で、源氏の兵士が引き揚げて助かった建礼門院は、出家して京都大原寂光院の尼僧として過ごした。写真右下の船の中央屋根の下にいる白服の女性が建礼門院の母で平清盛の正室の二位の尼(平時子)で、その左隣が安徳天皇だ。二位の尼は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。敗戦が迫ると、他の多くの女官や武将なども次々に海中に没した。 山口県の日本海側の長門市沿岸に『 二位の浜 』という海岸がある。その名前は、安徳天皇と共に海中に没した二位の尼(平時子)の遺体が漂着したことが由来の地名である。 関門海峡から日本海側まで、かなりの距離だが、潮流は早く、かなり以前に関門海峡で入水自殺した若い女性の遺体が、二位の尼同様に付近に漂着した事実があったことからも、これが不自然でないことはREALISTは容易に理解した。 『 めかり公園側から関門海峡の潮の流れを観る 』 合戦が終わったのが午後4時ころ、同じ時間帯にREALIST撮影! 平家の猛将「平教経(のりつね)」に追われ、「八艘飛び」で逃げきる源義経 。 当時の屋根付きの軍船の形などがわかり、興味深い。 両軍の旗印は、長い長方形の形状の布張りだ。平家の女官たちが目を押さえて泣いている。 手前右に注目!イルカの群れだ。この日の合戦当日、イルカの群れが現れたと伝わっている。現在ではイルカは見れない。 展望台から門司側の海峡をパノラマ撮影。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/14
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★☆ 日本を夢見る海外クリエーターが作ったアニメビデオが大反響! ★☆ Our Dreamland - Japan ~ 日本を『夢の国』とイメージした作者は、まだ来日経験なし ~ 『Our Dreamland - Japan (私たちの夢の国ー日本) 』と題したYOUTUBEに投稿された動画は、美しいアニメや実写とバックミュージックが見事に結合している。美しい日本を見事に凝縮したイメージの映像として多くの海外ネットユーザーからも「美しい……ただただ美しい!、美しい映像だ!、これを見ていると、日本に行きたくなる!・・」などと大反響になっているそうだ。REALISTも鑑賞したところ、短時間の作品だが、日本特有の文化や伝統もうまく結合した質の良い「美しい」仕上がりを感じた。 作者であるこの海外クリエーターは、その作品について、・・・「私は日本に行ったことが一度もありません。でも “夢の国” への旅行は今でも私の夢です。この動画では、その日本についての夢を描きました」・・・と解説している。『 Our Dreamland - Japan 』これを観ると、日本に対する外国人の視点からのイメージがよくわかる。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/11
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★☆ 関門海峡直下を徒歩で山口と福岡を往復しました! ★☆ I walked in the submarine tunnel. ~ 山口県下関市みもすそ川町『 関門トンネル人道 』 ~ REALISTは、3月25日、『 みもすそ川公園 』前の国道をはさんだ向かい側にある『 関門トンネル人道 』の山口県下関側入口から、エレベーターで関門海峡の下まで降り、人道のトンネルを歩いて、福岡県門司側の和布刈(めかり)側までを往復した。海峡を渡る交通路には、関門トンネル車道や鉄道、関門大橋の高速道路や連絡船など様々あるが、関門トンネル人道と他の交通路との決定的な違いは、人道で徒歩の場合は通行料は無料であり、他の交通路はすべて有料だということだ。 「海底トンネル」と言っていい、このユニークな施設の様子は、普段なかなか見ることができないので、写真撮影した。 下関側の『 関門トンネル人道入口 』がある施設の標示看板。英語と韓国(ハングル)文字でも表示されている。 写真手前は、『みもすそ川公園』、その先には下関側海峡沿いの国道9号線、車道先の左側の高い建物が『関門トンネル人道入口』がある施設、右側が付属施設、トンネル施設の前には無料駐車場がある。REALISTも駐車してトンネルを利用した。一見、施設は古く見えないが、人道が開通した昭和30年代に立てられた建物だ。開通直後は話題となり、修学旅行や学校の遠足で多くの学生が歩いたことだろう。トンネルに入る前に付属施設にある『関門プラザ』に立ち寄った。トンネルに関する歴史や写真資料、開通工事の模様などを展示。入場は無料。自動ドアの正面は、下関のシンボルで有名な「河豚(ふぐ)」の絵。 部屋の中は明るく、エアコンも常時動いていて快適だ。ここで、トンネルの勉強ができる。 「年譜」を見ると、トンネル工事は昭和12年に始まり、途中戦災を受け、昭和33年に開通まで、20年以上を要している。トンネルの構造は、上が「車道」で下が「人道」という構造だ。 相和30年代のトンネル工事中の模様と断面の状況がわかる写真。 この図を見ると、トンネル部分の総延長は3461m、そのうちの海底部分は780m、水抜きとあるが、海水の水漏れがあり常時ポンプで排出しているのだ。 『関門トンネル人道』の構造が模型で示されている。上がエレベーターで、下部分はトンネルに接続する状況がわかる。 関門海峡を結ぶ7つの交通路が表示されている。1.関門鉄道トンネル、2.関門トんネル車道部、3.関門トンネル人道部、4.関門大橋、5.新幹線新関門トンネル、6.関門連絡船、7.関門海峡フェリー トンネル工事の方法や状況が20分の1スケールで再現されている。 まるでプラモデルやプラモのフィギュアだ。 なるほど、文字で説明するよりも、ディオラマの方がわかりやすい。 人道口エレベーター前に設置された通行可能時間や注意書きのある掲示板。 海底トンネルに降下するエレベーターに乗車する。 エレベーターを降りると、目の前に下関側ホールがあるが、意外と広い。 いよいよここから先が海底の下となる。 トンネル内での現在位置を示す表示板。 海底部分が780mということがわかる。 まだまだ先は長い・・トンネル内はヒンヤリとしていた。 ここは、海峡の真ん中だ!ここが半分の県境地点! 15分後にようやく、門司側のホールが見えた。 このエレベーターに乗って門司側の地上に出る。 この建物が門司側の「和布刈(めかり)公園」内にある『 関門トンネル人道 』門司側出入口の建物だ。REALISTは、わずか15分で海峡を歩いて渡り、門司側でゆっくり楽しみ、再び、帰りもトンネルを歩いて下関に向かった。 門司側、下関側でも人道口近辺の住民には、毎日のトンネル内の散歩で健康的に楽しんでいる人が多くいるそうだ。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/09
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★☆ 山口県下関側からのビューポイント「みもすそ川公園」 ★☆ Scenery of history of Japan~ 山口県下関市みもすそ川町「みもすそ川公園」 ~ REALISTは、3月25日、日本の平安期末期の最後の源平の合戦となった『壇ノ浦の合戦(寿永4年:西暦1185年)』が繰り広げられた関門海峡、また、日本の近代の夜明けを迎える前、江戸幕府の「外国船打払令」を受けた長州藩による攘夷(じょうい)のための英米蘭仏(イギリス・アメリカ・オランダ・フランス)四国連合艦隊との砲撃戦(文久3年:西暦1863年)繰り広げた地で有名な古戦場の下関側のビューポイントとなる「みもすそ川公園」を散策した。 「壇ノ浦の合戦」で船と船の間を次から次と鎧甲冑姿で身軽に飛び移ったという伝説の「義経の八艘飛び」を表現した源 義経(1159~1189)像 REALIST作成の源氏の指揮官級クラスの兜(かぶと)(作品は源 義家のもの)長い「鍬形(くわがた)」と呼ばれる角(つの)部分が特徴で、 両側部分には、「毘沙門天(びしゃもんてん)」像が描かれている。『 源 義経(Minamoto no Yoshitsune) 』義経(幼少時:牛若丸)の生涯が簡単にまとめられた動画 『 みもすそ川公園 』は、国道9号線沿い関門大橋の下関側橋脚付近に位置し、道路の向かい側には、「関門トンネル人道口」がある。 「みもすそ川」とは、元々はこの様な漢字で表現された。この辺りに存在していた川の名称が、そのまま町名となっている。 関門海峡(壇ノ浦)、関門大橋、門司側の和布刈の古城山を背景にした「壇ノ浦古戦場跡」の記念碑、REALISTは、この日、あの古城山(門司城跡)にも訪れた。 源氏の義経(左)と平家の知盛(右)の像と関門大橋 義経、知盛像の前にある関門海峡の歴史説明文 源 義経は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、仮名は九郎、実名は義経である。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平家打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となったが、その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平家との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。 平知盛(たいらのとももり)(1152-1185) は、平安末期の武将で、平 清盛の四男。以仁王(もちひとおう)・源頼政の挙兵を宇治で鎮圧、源行家を尾張・美濃で破った。壇ノ浦の合戦で平家側の敗戦を前にして、「見るべき程の事は見つ」と鎧二領をつけ、碇(いかり)を身に付けて海に入水自害した。平家屈指の勇将であった。 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の主演の義経役だった「滝沢 秀明」の手形 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の建礼門院徳子役だった「中越 典子」の手形 2005年のNHK大河ドラマ「義経」の平 資盛役だった「小泉孝太郎」の手形 この石碑にあるのは、祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたと伝えられるが、そのとき二位尼の辞世の句だ。 長州藩が英米蘭仏四国連合艦隊との砲撃戦で使用した「天保長州砲」のレプリカ展示物。 「天保長州砲」のレプリカが安置された歴史的経緯の説明文。 「長州砲」に関する性能データ。 150年前の当時を再現した迫力ある「長州砲」レプリカ群。 史実では、四国連合艦隊と砲撃戦をした「長州砲」は、戦利品として連合軍が本国に持ち帰った。 公園内では、観光ボランティアが観光客相手に「高杉晋作」の紙芝居を無料で熱心に演じていた。 公園向かい側の関門トンネル人道口付近にある下関市の観光案内図。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/05
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★☆ 源氏と平家の最後の決戦、壇ノ浦古戦場跡に観る桜の花 ★☆ Cherry blossoms seen in platform bay old battlefield mark~ 福岡県北九州市門司区和布刈(めかり)公園 ~ REALISTは、3月25日(月)、山口県下関側から関門トンネル人道を徒歩で福岡県北九州市門司区の和布刈(めかり)側に渡った。関門大橋の和布刈側でもある付近は「和布刈(めかり)公園」として整備されている。 この付近の関門海峡は、「壇ノ浦(だんのうら)」と古くから呼ばれ、REALISTが訪れたまさに前日に当たる、寿永4年(西暦1185年)3月24日、源 義経(みなもとよしつね)をはじめとする源氏勢が、平家一門と最後の戦いを繰り広げた決戦場の『 壇ノ浦古戦場跡 』だった。REALISTは、海岸付近から観る海峡の激しい流れを観ながら過去の歴史を感じ、桜を眺(なが)めて楽しんだ。 海峡の海岸付近に咲く白い大きな桜の花がどれも美しくまぶしく感じた。春の訪れを教えてくれる汚れのない純白の花たちを眺めていると、心が洗われるようだった。 さくら by ケツメイシ もう懐かしい曲になったケツメイシの”サクラ”この時期になると聴きたくなる曲です。公園内を海岸に沿って歩くと、関門大橋の門司側の橋脚(きょうきゃく)付近にたどり着く。これは、門司側から関門海峡をはさみ下関側に向けて橋の下付近から撮影したもの。こうして観ると、意外と海峡が狭く感じた。ここで、関門大橋については・・・関門海峡の最狭部である山口県下関市壇之浦と福岡県北九州市門司区門司(和布刈地区)を結ぶ。1973年に開通。橋長1068m、最大支間長712mは、若戸大橋(橋長627m、最大支間長367m)をしのぎ、開通時点では日本および東洋最長の橋となった(1983年開通の因島大橋が関門橋を上回る規模の橋として完成し、その後もより大規模な橋梁が複数架設されている)。 壇ノ浦の古戦場だったこの海峡の潮の流れは早いことで有名だ。海面を観ていると・・・白く激しい波が大きく渦(うず)を巻いて激しく音を立てながら流れていた。こうして、平家一門の滅亡となった海戦では、どれだけ多くの人々が亡くなったのだろうか。祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。このとき安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。敗戦がいよいよ迫ると、船に乗船していた他の多くの女官や武将なども次々に海中に没したそうだが・・・・3月の海はまだ水温が低い。しかも、この急流の海の中に飛び込めば、まず助からないだろう。公園の海岸付近は、以前に比べかなり近代的な整備が進められており、一部は、まだ工事中のフェンスや縄張りの部分があった。「平家の一杯水」これは、下関側にも海岸に自然な石組のようなものが存在するが、ここはどんなものなんだろう?・・・と興味をあったので先を進んだ。 桜の花に観取れて・・・ついつい海峡をバックにパチリと撮影した。 さて、たどり着いたのが・・・これ!ウウムッ・・・これが・・!「平家の一杯水!」・・だが、中を見ることができない!入口が閉鎖して近づくこともできないうえに、周囲を完全に分厚いコンクリートで遮蔽(しゃへい)している。「な~んだ!これじゃあの案内表示板の意味はないではないか!」・・・なぜなら、「平家の一杯水」自体を何も確認できないからだ。北九州市は訪れる人々の目線で公園整備にもっと工夫をすべきだろう。「平家の一杯水」の説明内容が書かれているので、一応はその意味だけは理解できたが・・・・ ここ和布刈(めかり)に古くからあるのが由緒ある「和布刈神社」だ。REALISTは、幼稚園の修学旅行で和布刈公園を訪れた際にここにも母と同伴で立ち寄っていた。 「和布刈神社」を訪れ、神社なら必ずある境内の手水で身を清めるための「手水舎(ちょうずや・てみずや)」を撮影した。 公園内で見晴らしの良い「第2展望台」を目指して歩くと、あちらこちらに満開の桜が咲き誇っていた。 葉桜も咲き乱れていた。 関門港と関門大橋が綺麗に観えるビューポイントは、和布刈公園内の第2展望台だろう。ここから関門大橋を撮影してみた。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/04/01
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★☆ ヨーロッパ最高峰エルブルス山(5642m)を登頂したドイツ山岳猟兵 ★☆ Gebirgsjäger(山岳猟兵)~ 現在でも存在するドイツの伝統的な山岳専門軽歩兵部隊 ~ 『 山岳猟兵(さんがくりょうへい、独語: Gebirgsjäger)』は、ドイツおよびオーストリアにおける山岳兵の名称だ。“Gebirge”は山岳を、“Jäger”は猟兵(軽歩兵)を意味する。世界中でも山岳戦を専門とする部隊は少ないが、ドイツでは戦後も伝統をそのまま引き継ぎ現行陸軍に存在している。REALISTが思うに、山岳地帯が国土の70%以上を占める山岳国の日本で、国土防衛上の意味でもこの種の特殊部隊の必要性が高いと思うが、ドイツを学ぶべきだろう。 第2次大戦中におけるドイツ陸軍山岳猟兵の史実で有名なのは、1942年8月22日、カスピ海南西岸にある旧ソ連のバクー油田地帯占領を目指した『 ブラウ作戦 』のA軍集団指揮下にあった「第1山岳猟兵師団」の選抜兵がソ連軍山岳兵と交戦しつつ、ヨーロッパ州最高峰でコーカサス山脈に位置する『 エルブルス山(標高5,642m)』に登頂達成、頂上にハーケンクロイツ旗を立てたことだ 。 写真左は、山岳地帯の行軍と戦闘準備を完了したミュンヘン第98山岳猟兵連隊の伍長の姿を再現したもの。砂塵や強い日光から目を守るためのサングラスを兼ねたスモークゴーグルを山岳帽に装着している。制服の上に着用したヴィントヤッケには肩章がある。山岳ブーツの上にはズボンの下端をゲートルが巻かれている。登山用ピッケルは柄が木製、他の部分は鋼鉄製で、リュックサック(ザック)の革ストラップは、肩章の下を通し、MP40シュマイザー自動小銃のマガジンバウチに固定されている。また、ザックは、黒い革ウェストベルトで腹回りにベルトの上に固定されているのがわかる。写真右は、ヤッケを脱いだ1941年型戦闘服の姿で、右袖上部には、花のエーデルヴァイスの刺繍のあるエンブレムが縫い付けられ、右胸ポケットには、歩兵突撃章銀賞がピン留めされている。 冬季のエルブルス山の模様、コーカサス山脈の最高峰で標高は5,642mであるが、ヨーロッパの最高峰でもある。 エルブルス山は、黒海とカスピ海の中間点に位置する。ヨーロッパとアジアの境界線ともなる地点だ。第2次大戦中にドイツ軍でもっとも東方に進出したのはA軍集団(ドイツ、イタリア、ルーマニア混成軍、兵員100万人)だったが、快進撃でコーカサス周辺の都市を占領、さらに石油確保のための主目標であるバクー油田地帯を目前にしたが、伸びきった補給路のため燃料不足や補給物資が届かない状態となり、それにも加え北部のB軍集団(ドイツ、イタリア、ルーマニア、ハンガリー混成軍、兵員30万人)が「スターリングラード攻防戦」でソ連軍の包囲下で無補給の苦戦状態となり、このままではA軍集団も大攻勢のソ連軍に包囲される状況となりつつあるため、遂に12月末まで急遽コーカサス方面から西方に撤退した。 ★☆Panzerlied『 Es war ein Edelweiss ・ エーデルヴァイスの花』★☆ 写真は、いづれも珍しい第2次大戦中の山岳猟兵のカラー写真、左は山岳用ザイル(ロープ)を身につけ、ピッケルを握りしめている。右写真では、スモークゴーグルの形状がよくわかるものだ。この写真で特徴的なのは、この二人とも右肩から装着された銀色アルミ製のランヤード(モール)があり、よく判別できないが、何らかの優秀射撃者章などの長円形の勲章を装着していることだ。 写真左は、垂直の断崖絶壁をロープを使い降下する山岳猟兵、写真右はリュックサック(ザック)などの装備を装着した状態で、ザックには4つのポケットがあり、それぞれ革で縁を補強している。ベルトの右後部には雑嚢(ざつのう)が装着され、これに飯盒(はんごう)と水筒がこていされている。左後部にはヘルメットが装着されている。こうして観ると、これに武器や弾薬の装備を加えればかなりの重装備になるのがわかる。通常の山岳でもテント泊の場合は、50リットルサイズのザックを装備する場合が多いので武器などの装備を除けばほぼ同じだろう。 ドイツの山岳猟兵は第一次世界大戦におけるアルペン軍団(Alpenkorps)の伝統を一部受け継いでいる。また、ドイツ及びオーストリアの山岳猟兵は「薄雪草(エーデルヴァイス)の部隊章(写真左)」を共有し、第2次大戦中のドイツ陸軍山岳猟兵は、戦闘帽の左側に装着していた(写真右)。山岳帽は、良質のフィールドグレイウールで製造され、短いヴァイザーと2個の小ボタンで留める耳を覆う折り返しで構成されていた。 写真左の中央にある刺繍のエンブレムも花のエーデルヴァイスが描かれており、制服の右袖上部に縫い付けられた。写真右の山岳用ブーツは、7組の穴に革紐(ひも)を通すタイプで踵(かかと)と木製の底には鉄製の鋲(びょう)が打たれており、さらに周囲にアイゼン(すべり止め金具)が装着されていた。【中古】プラモデル 1/35 ドイツ山岳兵 1940-1941 GEBIRGSJAGER 1940-1941「’39-’45 SERIES」 [6345]【タイムセール】楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/28
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★☆ ああ!美味しかった!・・・また、行きたい! ★☆ Delicious ramen !~ 山口県下関市大字勝谷218-6 『らーめん匠屋』~ プラモデル完成後のラーメン、険しい登山を終えてのラーメンは格別に美味しいものだが・・、REALISTが下関市内で登山を終え、下山後にたまたま立ち寄ったラーメン店でとても美味しいラーメンに出会うことができ感動したのでご紹介する。店名は山口県下関市大字勝谷の道路沿いにある 『らーめん匠屋(たくみや)』 だ。 REALISTは、これまで、「食」に関する話題はほとんど取り上げていなかったが、今後は出会った中でも感動したものに限定してブログアップすることにする。 REALISTは、こってり博多系の「豚骨ラーメン」も好みだが、ここでは敢(あ)えて「醤油(しょうゆ)ラーメン」(550円)と「ご飯」(100円)のセットを注文した。観た感じでも、ギラギラこってり系の好きな人には物足らない極めてシンプルでアッサリ系であるが、麺の程よいコシのきき具合、喉越しの良い今までにない美味しさのスープには感動した。また、純白のライスも良かった。普通はスープは残すのだが、ここではついつい最後まで飲みほしてしまった。 『らーめん匠屋』は、道路沿いにあり、車の出入りは容易で、しかもよく整備された駐車場は広く、15台以上は駐車可だ。私が訪れた時間帯が平日の午後3時ごろだったので駐車場は空いていた。店舗はまだ新しく、店内はとても清潔感があり、カウンター席のほか和室で仕切られた席もある。客を案内する従業員の接客態度は極めて良好で、世話になった店員がたまたま良かったのか、とても親切で良い印象を受けた。思うに・・・店の繁栄の第一は、単にそこの出し物だけでなく、特に店の雰囲気、従業員の接客態度にかかっていると思う。訪れた客にそのイメージが記憶に残り、リピート客が増えるか否かという結果になる。どこでも同じだが、会社でも店舗でもその企業イメージを決定する「従業員(社員)教育」は最大のテーマだろう。その意味でもここはピカイチだった。ラーメン店の浮き沈みは激しいが、ここは頑張って欲しいと思った。 『 詳細情報 』★☆所在地:山口県下関市大字勝谷218-6★☆TEL・予約:083-257-0733★☆営業時間:11:00~22:00★☆交通手段:JR西日本山陽本線「長府駅」から2,224m★☆駐車場:15台程度可(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/22
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★☆ 山口県随一の鎖場を持つ展望の山 』 ★☆ Happy climbing mountain~ 山口県周南市鹿野(島根県境)莇ケ岳 ~ 莇ケ岳(あざみがだけ)は、周南市東部の内陸部の島根県堺に位置する標高1004.2mの山だ。山口県内では随一の鎖場のある山として有名で、山頂では大パノラマも楽しめる。 REALISTは、2013年3月10日(日)に登頂、鎖場を経験したものの、山頂の周囲を濃霧が停滞し視界不良で展望はできなかった。 山頂にある趣(おもむき)のある標示板だ。 登山口までの途中にある「 石鎚(いしづち)神社 」だ。ここは、四国の石鎚神社と関係がある。写真中央の鳥居奥の階段に鎖(一の鎖)がある。10台前後駐車可能な広場に到着、すぐに「登山口」のある方向を示す標示板がある。清流の沢を渡ると・・「クマ出没!!注意」の掲示板発見!杉林に到達、奥へ進むと「莇ケ岳登山口」の標示板あり!途中、梯子があり、このあたりから急登が始まる。 小雨の中を傾斜のある急登をぐんぐん進む。 右に蛇行した登山路。こんな岩場の道も所々にある。行けども行けども登山路は続く。分岐点での標示板、鎖場のある右側を進む。 「二の鎖」 「二の鎖」の下部分、上を見上げると・・ 垂直だが中央がふくらんだ大岩に鎖が張りついている。岩が雨に濡れて足場がないので腕力だけで登ることになるが、断念した。 「三の鎖」 鎖の下部分、傾斜角は80度位、部分的に突起がある。 鎖の上部分、手と足の三点確保の要領で登ることに決定! 片手で鎖を握りしめ、突起に足先を載せ、別の片手で岩の突起をつかみながら慎重に登る。高さ20m位の中間点で下を撮影、心臓パクパク! ようやくよじ登って、下を撮影、一度濡れた岩に足を滑らせ恐怖だった。山頂にようやく到着!山頂標示板発見!『 莇(あざみ)ケ岳山頂は濃霧で視界不良!(2013年3月10日登頂)』By YOUTUBEREAIST撮影の山頂の状況 山頂からの周囲の展望は、白い濃霧のため視界不良だった。 雨が降り、気温は7度で風もあり冷える、山頂奥の避難小屋で昼食した。暖かいラーメンの美味しかったこと! 帰りは、青い矢印のとおりに「ブナの尾根」伝いに1時間半で下山した。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/19
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★☆ 待望の”1/16 ワールドフィギュアシリーズ No.15” ★☆ 1/16 SCALE WORLD FIGURES SERIES NO.15 (By TAMIYA)~ 歴史考証学的にも素晴らしいタミヤの箱絵の魅力 ~ 久々のプラモデル関連記事だ。今回ご紹介するプラモデルは、『 WWIIドイツ国防軍将校(WWII WEHRMACHT OFFICER) 』で、1/16スケールのタミヤ模型の中でも最大サイズのフィギュアシリーズの最新ものだ。・・・とは言っても、タミヤによれば、2012年4月14日(土)に発売されたものなので、このシリーズの中では最新製品だという表現が正しい。REALISTが専門店の店頭で発見したのが比較的最近だったのだが、Myコレクションに加えたく即購入した。やはり、タミヤ模型は、プラモデルそのものもリアルで精巧なイメージがあるが、それにも加え素晴らしい箱絵にも格別な魅力がある。 リアルな箱絵(BOX ART) 第二次大戦中のドイツ将校は、制服のオーダーメイドが許されていたため、その着こなしはスマートで、材質も高級なものが使用されていた。大戦初期はにはアンダーシャツが襟(えり)なしのため、野戦服の襟にカラーを装着していた。その中でも国防軍の最精鋭部隊グロスドイッチュラント師団のメンバーは、右腕にアームバンドを着用し、肩章にはGDの組文字の装飾が付けられていた。箱絵の裏 ★精悍なスタイルのドイツ将校を自然なポーズと豊かな表情が魅力の1/16スケールでモデル化。★右腕はグローブ(皮革製手袋)を持ったポーズと持たないポーズが選べます。★上着の袖や騎士十字章、胸の鉄十字章、肩章は別パーツ。★襟元からのぞくカラーなどの彫刻もシャープな仕上がり。★アームバンドや階級章などはデカールを用意されている。問題は・・・プラモデルで如何にリアルに仕上げるかは、作り手の塗装表現の腕にかかっているということだ。 『 映画に観るドイツ将校の歴史考証 』ドイツ将校が似合う映画俳優 映画に登場するドイツ将校では、歴史考証的にも実際の記録映画に登場するものと変わらず、リアルなイメージをプラモデルに再現する場合には、参考になる場合が多い。ここで、勲章に関する歴史考証だが、ドイツの場合、1939年制定の騎士鉄十字章(IRON CROSS)は、高位の鉄十字章で、通常は襟元に装着された。第1級鉄十字章は、中位の鉄十字章で、左胸に直接装着、第2級鉄十字章は最初に授与される鉄十字章で、赤地にと白ラインのあるリボンのみを胸のボタン穴に通して装着した。 映画でドイツ将校のイメージピッタリなのが、1958年公開アメリカ映画(20世紀フォックス)の監督~エドワード・ドミトリク、原作アーウィン・ショーの作品 『 YOUNG LIONS(邦題:若き獅子たち)』に登場する・・ハイデンベルグ大尉役のマキシミリアン・シェル(写真左)とクリスティアン・ディーストル中尉役のマーロン・ブランド(写真右)だろう。いずれも若き二人のドイツ青年将校という設定だ。写真は、フランスのパリ占領直後を想定したシーンだが、ドイツの制服が似合うのは、マーロン・ブランドにドイツ系の血があるので納得できるし、マキシミリアン・シェルも、ドイツ系のオーストリア人だから似合うのは当然だろう。後者は、その後の映画でも度々ドイツ将校役に抜擢されているのは有名だ。 同じく、上の写真と同じ映画のマーロン・ブランドの別のシーンだが、若くて目が青く金髪という当時のドイツ青年将校の理想像に近い姿で描写されていた。 次は、ロマン・ポランスキー(ポーランド系ユダヤ人)監督が製作の2002年のフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作による映画『 The Pianist(邦題:戦場のピアニスト) 』に登場したヴィルム・ホーゼンフェルト大尉役のトーマス・クレッチマンだ。まぁ、彼の場合、ドイツ人だから当然にドイツ将校がよく似合う。この映画は、ドイツ将校がポーランドのユダヤ系ピアニストを救った実話のシーンが印象的だが、これ以前の1993年製作のドイツ映画『 Stalingrad(邦題:スターリングラード) 』でもフォン・ヴィッツラント少尉役でも彼は主演で成功している。 トーマス・クレッチマンの最近の登場映画では、2008年公開のトム・クルーズ主演のアメリカ映画『 VALKYRIE(ワルキューレ) 』がある。この映画では、総統護衛旅団司令官オットー・エルンスト・レーマー少佐役として出演したのがこの写真だ。余談だが、実在したこの少佐は、数々の武運功績で32歳の若さで史上最年少の少将に昇進している。 上と同じ映画ワルキューレのワンシーンでのトーマス・クレッチマン。ドイツ将校と言えば、下級兵士よりも長いブーツが支給されたためズボンもそれに合うスタイルにデザイン化されていた。1/16 ワールドフィギュアシリーズ No.15 WW II ドイツ国防軍将校 プラモデル[タミヤ]《取り寄せ※暫定》楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/17
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★☆ 日本最大の城『 大阪城 』の遺構を歴史探訪 ★☆ Osaka Castle Park~ 大阪府大阪市中央区大阪城 ~ 『 大阪城 』は、現在、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つであるが、戦国武将の豊臣秀吉が、1583年(天正11年)に築城、その死後、徳川家康軍15万5000人の攻撃を受けた「大坂夏の陣」の1615年(慶長20年)5月8日、秀吉の側室茶々(ちゃちゃ)(淀殿)とその子豊臣秀頼(ひでより)の死と共に落城炎上した歴史に残る日本最大規模の城だ。 REALISTが訪れたのは、今回で2度目であるが、じっくり探訪した。 天守閣のある現在の大阪城本丸は高さが54.8mあり、最近までも度々改修工事が施されたが、基本的には、最上部の五層目だけが黒塗りを基調とした壁のある豊臣時代のものが再現され、以下の部分は、炎上消失後に徳川氏が白塗りの壁を基調として再建した当時の様式を採用した折衷型として、1931年(昭和6年)に復興建造されたものだ。 公園内に設置されていた「大阪城公園案内図」、JR環状線の「大阪城公園駅」を下車すれば、大阪城は目の前にある。 駅から「東外堀」に向かい、「青屋門」から公園内に入る。 写真左が「東外堀」付近、右が「青屋門」前の風景。 「内堀」の外側から天守閣の最上部がわずかに見えた。 天守閣が観える「桜門」付近の石垣遺構周辺を散策。 石畳で舗装された通路は広く、確かに巨石で構成された石垣の規模は大きい。写真右は、城側から内堀側に向けられた多数の銃眼跡が残る石垣。当時は、屋根と壁のある構造物がこの銃眼の上に存在した。 1615年(慶長20年)5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼と母淀殿が山里丸にあった櫓(やぐら)の中で自害したと伝えられる石碑 。 別の銃眼付近から内堀を見る。巨大なダムの様だった。かなりの高さもあり、急傾斜の石垣をよじ登っての攻撃は困難だろう。 写真左は、城内の片隅にあった「南無阿弥陀仏」とある供養塔や仏像群、「大坂夏の陣」では、城内で女子供を問わず数万の老若男女が徳川軍に惨殺された。また、豊臣方の武将は12000人が斬首されている。それらの多くの霊を慰めるものだ。写真右は、城内にあるロマネスク様式の建物で、旧帝国陸軍第四師団司令部庁舎で、終戦後、占領軍の接収を経て、大阪府警警察本部、大阪市立博物館として使用され、博物館移転後は、大阪市管理下で空き家状態だが貴重な建物だ。 内堀から観た天守閣と近代的ビル。 秀吉は、通常の住まいとして、金箔瓦葺きの聚楽第(じゅらくだい)を使用したが、城も一部は金箔化していたのだろうか? 天守閣や城門などの一部が復元されているが周囲の石垣の上に存在していたであろう建物群を想像すると当時の大阪城がいかに大規模であるかがよく理解できる。写真右は、天守閣への建物入り口と左のその付近にあった大砲。写真左は、天守閣最上部から観た「金の鯱鉾(しゃちほこ)」、右は城を出て内堀の外から観た「桜門」。 「桜門」を出ると、「豊国神社」前に豊臣秀吉像あり! 「豊国神社」は、学業や出世、大願成就を祈る神社だ。 大阪城大手口を守る重要な隅櫓(すみやぐら)の千貫櫓(せんがんやぐら)と呼ばれる施設、大手門に向かう敵を側面から弓矢や銃撃で攻撃できる堅固な構造だった。 写真左は、「大手口枡(ます)形の巨石」と呼ばれる石垣の巨石、その上には規則的に並ぶ銃眼の穴がある。右は銃眼の内側の状況。この種の銃眼が城の内堀・外堀の周囲に外に向けて無数に張り巡らされていた。写真左の「大手門」を出て、外堀に至ると、間もなく右の「大阪府庁」を確認。 外堀周辺を歩くと、「ばけもの屋敷」跡が! ばけものを退治したとあるが、真相は如何に? 外堀から観た天守閣、観る位置によっては近く感じる場所がある。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/11
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★☆ 山登りの基本を女性山岳ガイドが丁寧に教授する本 ★☆ ~ REALISTが最初に読んだ登山関係基本書 ~ REALISTが登山に興味を持ち出したのは、およそ2年前からだろうか。それまでは、特に興味もなく山好きな人の話を聞いていてもピンとこなかった。それどころか『 山登りの何がいいの? 』と汗かくし、きついし、だるいし、疲れるし・・山好きな人の気持ちがまったく理解できなかった。 ・・・ところがである、映画『 アントキノイノチ 』の山岳シーンの映画ロケ地として使用された山口県防府市にある『 右田が岳(みぎたがだけ) 』に初めて、単独で登山して一変したのである。・・・「うう!素晴らしい!山は自然でいっぱいだ!自然の懐(ふところ)に抱かれている様で心地よい!健康的で体にいいし!」・・と感じるようになったのだ。REALISTが山に興味を持ちだしたころ、山登り関係の実践基本書で最初に読んだ本が、この『 安心!山のぼりバイブル 』(樋口英子著)だった。初心者向けだが、山登りの基本やコツ、必須などが凝縮されている。また、絵や写真でわかりやすく解説されている山登りの決定版だ。 【 主な内容 】山のぼりの計画から服装&装備、基本・難所の歩き方、地図の見方、山小屋&テント活用法、トラブル対処法までを、達人がやさしく教授。【 著者「樋口英子(ヒグチエイコ)」のプロフィール 】日本山岳ガイド協会公認ガイド。高校時代から縦走、沢登りに親しむ。社会人山岳会で様々な山を経験し、ネパール・ヒマラヤの遠征やトレッキング、アジア各地にバックパックの旅をする。無名山塾講師として長年活動した後、2000年に樋口英子山の会「オフィスヒグチ」を設立。【送料無料】安心!山のぼりバイブル [ 樋口英子 ]価格:1,365円(税込、送料込)『 登山靴の選び方 』By YOUTUBE登山やトレッキングでは、とても重要で必需品となる登山靴の選び方の基本についてわかりやすく説明している。登る山の厳しさの度合いや目的の違いで選ぶことになる。長時間の荒れた登山路を歩行するのを前提にして、必ず、店頭で実際に履いて足の靴とのフィットの具合を実感してから購入しなければならない。登山専門店なら、店員が足のサイズを計測してそれに対応する靴を選んでくれる。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/09
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★☆ 山頂にある祠(ほこら)で毛利家の家紋を確認! ★☆ ~ 山口県山口市大内御堀金成地区東側 金成山 ~ 山口市内から防府市方面に向かう国道262号線沿いの大内御堀(みほり)金成団地入口付近に位置する仁保川沿いに「金成山(かなりやま)」という里山がある。名前がおめでたい御利益(ごりやく)がある様な山で、標高は175mと低山ではあるが、山頂が不自然に平坦に削がれている形の山で、REALISTはかねてから、この山頂には戦国時代かそれ以前から城があったのではないかと気になっていた山だ。 REALISTは、平成12年5月29日に登頂。 写真は、「姫山」の中腹の寺跡から撮影した「金成山」。写真のように、山頂が不自然に平坦に削がれているのがわかる。この山の地域に隣接する地区は、「氷上(ひかみ)」と呼ばれ、昔、「氷上城」という城があったと戦国時代の記録にあるのを読んだことがあり、もしや、この山の山頂だったのではないか?と勝手に感じている。 国道262号線方面から撮影した「金成山」。この日は、1日で低山2か所を登ろうと、午前中に「金成山」、午後からは、以前記事とした「姫山」に登頂した。しかし、この山の記録はこれまで未掲載だったため、過去の山行記録の記事として追加した。また、未掲載の山行記録は溜まる一方なので、今後は順次過去の登山記録を掲載していくつもりだ。 「 金成山東登山口」とある標示板。登山口は、ここ以外に、山口県立育成学校(山口県山口市大字大内御堀537-1)付近の空き地から登頂できる「西登山口」がある。 REALISTは、山頂からそのまま南進して尾根伝いに西登山口を下山した。最初の東登山口まで金成団地の中を迂回して徒歩で戻るのに約1時間を要した。 この登山口から一気にそのまま登頂できる。しかし、REALISTの場合、時期が悪かった。春ではあるが、登山道は草や枝が伸び放題の状態で、それにも増して、高山でありえない、最初から最後まで前方をさえぎる蜘蛛(くも)の巣状態で、絶えず前の蜘蛛の巣をストックで払いのけながら進まざるおえなかった。そのため、腕の疲労が残り、山行途中の写真撮影はほとんど不可能だった。この程度の標高の低い山では、蜘蛛や蚊の多さには、ウンザリする。山頂までの時間も平素の倍以上かかった。 途中、開けた岩場のある付近で休憩しながら、東側の眺望を楽しむ。低い山だが、それでもかなり先まで観ることができた。おまけに、前方にはこの低さでも雲が漂っていた。 さらに進むと、ようやく前方の視界が平けて山頂に到着だ。登山中の終始続いた蜘蛛の巣の撤去作業で、汗がしばらく止まらなかった。 山頂を進むと、割と立派な祠(ほこら)が鎮座していた。こんな小さな山にしては、えらく立派すぎると感じた。 前に回って、祠を観察していると・・上部に、紋章の様な記号が観えた。「あら!これは・・・”一文字に三つ星”の家紋!・・おおこれは、毛利家の家紋ではないか!」・・戦国武将の毛利元就が、大内、陶を滅ぼして山口の長門・周防を平定した戦国の世の歴史が伝わってくる。 祠(ほこら)の上部中央を観察すると・・「確かに、”一文字に三つ星”の家紋がある!」、これが何を意味するのか?・・最低限、毛利家の武運長久・繁栄を祈るためのものであることは間違いないだだろう。 山頂からは、悲惨な姫山伝説のある「姫山」が、遠く左側前方に見えた。また、右前方にはうっすらと雲がたなびいていた。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/04
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★☆ 「長野」が男女ともに長寿日本一!最下位は「青森」と判明! ★☆ 前回まで7回連続女性1位の「沖縄」を抜く!~ 厚生労働省最新調査結果(2010年) ~ 厚生労働省の発表によると、2010年の都道府県別平均寿命の最新調査結果によると、男女ともに「長野」が長寿日本一で、前回まで7回連続第一位の「沖縄」が第三位に転落、また、「青森」が男女とも最短の最下位であることが判明した。これを見ると、やはり自分の住む「山口」が気になり見ると、・・・あまり良くなかった。ドイツ軍憲兵と軍用犬(35/1 Scale)日々の犬の散歩でも体に良い運動習慣となる。 都道府県別によるこの格差は、様々な原因があることが推測できる。長野県では、「高い高齢者の就業率、野菜の摂取量、食生活の改善や医師の地域保健活動などにあるのではないか」と推測している。この結果から、ファーストフードなどの野菜摂取の少ない偏った食生活、仕事や社会活動に参加しない怠け者的ライフスタイルでは、長生きできないという結論になる。つまり、長寿の秘訣は、野菜摂取の多い食生活と日々の体を動かす運動機能の維持に尽きるだろう。 厚生労働省発表最新調査結果(2010年現在) 統計表の出典は、読売新聞2013年3月1日掲載記事と同一のもの。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/01
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★☆ ビートルズ旋風の影響を受けた「ザ・スパイダース」の曲 ★☆ 1960年代後半~1070年代前半の日本のグループサウンズ(GS)絶頂期~ 日本の当時のビートルズ世代の若者流行スタイル ~ 1960年代から70年代にかけて、イギリスのザ・ビートルズ旋風は欧米諸国を中心に当時の若者文化に衝撃を与えましたが、日本でもその髪型やファッション、エレキギターを使った音楽趣味などが学生を中心とする日本全国の若者たちに流行するとともに、ザ・ビートルズの音楽スタイルの影響を受けたグループ・サウンズが多数存在しました。その中でも、REALISTが小学生低学年の頃にテレビや映画で「カッコいい兄ちゃんたち」という感じで眺めていたのが・・堺 正章、井上 順、かまやつひろしを中心とする「ザ・スパイダース」でした。 彼らの曲の中でもとても印象的で思い出深い2曲を厳選したので、ご紹介します。(活動期間)1961年~1970年(メンバー)田邊昭知:ドラムス、加藤充:ベース、かまやつひろし:ギター、大野克夫:オルガン、井上尭之:ギター、堺正章:ボーカル、井上順:ボーカル、前田富雄:ドラムス 『 ザ・スパイダース「あの時 君は若かった」 』 音声に残る声は、スパイダースのメンバーがまだ20代前半の頃のものです。堺 正章、井上 順、かまやつひろしもみんな若い!!この様な髪形が当時の若者世代に流行していたようです。REALISTが子供の頃、近所のお兄ちゃんたちが集まり、さかんにエレキギターの練習をしていたのを思い出します。 『 ザ・スパイダース 』 これは、Jポップ名曲集で紹介された「ザ・スパイダース」の特集編。 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2013/02/18
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★☆「SFTS」とは、治療法なしの『 重症熱性血小板減少症候群 』★☆ 殺虫剤では死なない殺人ダニ『フタトゲチマダニ(Haemaphysalis longicornis )』~ ダニの一種『フタトゲマダチダニ』が媒介する危険なウイルス ~ 報道(読売新聞2013年1月31日付朝刊)によると・・厚生労働省は1月30日、日本全国の山谷や草むらなどの屋外に棲息する(・・・屋内に棲息する小型ダニ「コナダニ類・チリダニ類など」は無関係)大型の『 マダニ(詳細は、「フタトゲチマダニ」)』を媒介して感染する『SFTSウイルス』が原因の病気で、昨年(2012年)の秋に山口県内で中年成人女性が死亡したのを日本国内で初めて確認したと発表した。 発表によると、女性の臓器などからウイルス遺伝子が検出され『SFTS』と断定されたもので、先に発症例がアメリカや中国にあるが、女性は海外渡航歴もなく、中国のものと遺伝子が異なるため日本固有のものらしい。女性は、昨年秋、熱や嘔吐(おうと)などで入院、血小板と白血球が大幅に減少、血尿や血が混じった下痢が続き、約1週間後に死亡した。 また、2月15日付け読売新聞の報道でも、その後、愛媛、宮崎各県で確認された同様の死亡例のほか、『SFTSウイルス』が原因で死亡や重篤状態に陥った可能性の疑いのある例が5件新たに厚生労働省に報告されたそうだ。 これは、読売新聞に掲載されていたものと、ほぼ同一の『フタトゲチマダニ』の写真。しかし、この形状は、吸血により大量の血液を腹部に溜めこんだ状態のものが撮影された正確性に欠けるものだ。なぜなら、吸血なしの通常時は扁平(へんぺい)状の形状とは大きく異なり、吸った血で風船のように数十倍も膨らみ大豆状の写真の様な形状に激変するからだ。一般に、吸血前の状態では・・雄は3mm、雌は4mmで小さいが、吸血して飽血すると5~10mm(1cm)に巨大化する。自分の体重の100倍以上の血液を溜めても移動できる。 重症熱性血小板減少症候群(SFTS) についてSevere Fever with Thrombocytopenia Syndrome(SFTS) この病気は『 重症熱性血小板減少症候群 (SFTS)』と呼ばれ、感染後の潜伏期間6~14日で発症し、風邪とよく似た症状で38度以上の発熱や吐き気、下痢が起きる。重症化すると、血液中の血小板や白血球が減少、皮膚の下でも出血し、最悪の場合は他臓器不全などで死亡する。現在は有効な治療法や抗ウイルス薬やワクチンがなく輸血や点滴などの対症療法でしか方法がない。世界中で最初のSFTSの存在が確認なれたのが、アメリカのミズーリ州(2009年)で、その後、2009年3~7月に中国中央部でもあり、原因不明の疾患が集団発生して存在が明らかとなり、2011年に初めて原因ウイルス(SFTSウイルス、ブニヤウイルス科フレボウイルス属)が特定された新しい感染症で中国での致死率は10~30%と報告されている。人は主にウイルスを持ったマダニ類(フタトゲチマダニ等)に刺されて感染する。野山などに入った人で、高熱が数日以上続けば医師の診断を受ける必要もあるだろう。『 殺人虫 マダニの恐怖――中国・河南省で恐怖の病気 』 アメリカ在住中国人による中国語放送局「新唐人テレビ」による報道だ。内容は、いたってマトモで真実を追求し民主化された健全なものであり、共産党検閲下にあり捏造(ねつぞう)や嘘(うそ)を得意として、中国国民の洗脳を主目的とする中国本国内のテレビメディアとは大きく異なり、隠蔽のない正確な内容で評価が高い。『 フタトゲチマダニ 』についてフタトゲチマダニ【学名】Haemaphysalis longicornis【成虫体長】3~10mm【生態・特徴】●牛などの家畜、鹿、犬、人から吸血する。●褐色の体色をしていて、吸血すると体を何倍にもふくらせる。●卵→ 幼虫→ 若虫→ 成虫と成長する。●飢餓に強く、吸血しなくても1~2年は耐えて死なない。●草むらや森に棲息する。●主に春から秋にかけて活発に活動する。●触手は髪の毛よりもずっと細く、咬まれても、痛みやかゆみを感じない。●殺虫剤では死なない。これが、吸血前の薄っぺらな体に比べ8本の足が大きく観えるこれが通常の標準の形状だ。 しかし・・その、空腹時の実際の大きさというと・・ 体長3~4mm程度とすると、実際は、こんな感じに観えるのだろうか?しかし、吸血で満たすと直径1cm程度の巨大な大豆(だいず)状に変貌する。マダニが媒介する病気 バベシア症犬などの赤血球に寄生する原虫。感染したマダニが動物の血を吸うときに、動物の体内に唾液を注入する事により感染する。本州以西に広く分布し、特に山間部に多く見られる。貧血、発熱、食欲不振などを起こし、急性例では死亡する事もある。ライム病ボレリアという菌を、マダニが血を吸うときに犬などにうつす。発熱、全身性の痙攣、起立不能、歩行異常や神経過敏などの症状がみられ、人間にも感染する。その他Q熱、ヘパトゾーン症、野兎病、日本赤斑熱、ダニ媒介性脳炎などの病気も媒介する。『 犬に寄生するマダニの駆除(1) 』 マダニが嫌がる薬剤を犬に付けた状態を観察している模様。マダニが嫌がるペット用の薬剤があるようだ。動画がバイエル薬品提供なので・・この動画に観るマダニの形状が、まさに通常の扁平的な標準な姿だ。この動画の姿こそマダニをイメージできるものだ。8本の足をばたばたと動かし、体の動きもとてもすばしこい。『 柴犬リュータ 不埒なマダニを退治だぞ! 』 この動画は、愛犬を散歩から帰宅後におやつを与えて撮影中、体の毛に付いていたマダニを発見したものだ。既に吸血後らしく、丸く太った状態に見える。実は、REALISTも同様の体験がある。中学生の頃、飼い犬の柴犬の雑種を散歩から連れ帰り、頭を撫でながら耳を触ると・・耳の端に赤緑色の豆の様な物を感じた。「何だろう?」と観ると・・小さな足のある大豆の様な虫がへばり付いていた!「あ、この野郎!吸血虫だな!」・・と、指でつかんでもぎ取ろうするが、簡単には取れない。無理に引っ張ると犬が痛みで「キャンキャン」と泣いた。それでも、このまま放置もできないと、無理やり力づくで抜き取り、地面に落ちたマダニを見ると、バタバタと足が動いていた。足で踏む潰すと真っ赤な血で地面が染まった。マダニについて調べると、吸血する際に、逆向きののこぎり状の触手を差し込むため簡単には抜けず、無理に引き離すと鋭い顎(あご)部と触手を体内に残すことになる。 『 ダニを観察するニダ 』 これが、『フタトゲマダチダニ』が吸血後に巨大化した様子だ。わずか3mm程度のものが1cmにも巨大化する。この動画の説明では、飼い犬の紀州犬に吸血していたものを発見して捕獲撮影したもの。『 SFTS 』予防対策のために必要なことまず、ダニに咬まれないことが重要。登山や農作業で山や草地などに入る場合には、長袖、長ズボン、足を完全に覆う靴を着用し肌の露出を少なくすることが大事。トレッキング、登山では、帽子をかぶり、頭髪からの侵入を防ぐ。山野での犬の散歩後は、ブラッシングで耳や目もと、首を観察。屋外活動後にはダニに刺されてないか確認。吸血中のダニに気がついた際には、病院で処置。ダニに咬まれた後に、発熱等の症状があった場合は、病院で受診。マダニに関するリンクサイト「ちちぶ動物病院」(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/02/14
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★☆ 衝撃的プロローグシーンのバックグラウンドミュージック ★☆ サム・ペキンパー監督作品(1977年・イギリス・ドイツ合作作品)~ 戦争の悲惨と狂気を訴える反戦映画テーマ音楽 ~ この映画作品『 CROSS OF IRON(日本語邦題:「戦争のはらわた」) 』については、以前感想などを紹介しているので、ここでは省略する。(過去の映画紹介記事はこちら)CROSS OF IRON(戦争のはらわた) さて、この映画の最初のプロローグシーンでは、当時の歴史的記録映画をサム・ペキンパー監督の独特なタッチで織り交ぜて、映画視聴者に視覚的に訴えるとともに、さらに、音楽担当のアーネスト・ゴールドが衝撃的な映画テーマにふさわしい効果をもたらしている。YOUTUBEで、この映画音楽を忠実に再現している日本の演奏グループの秀逸な作品を発見したので紹介する。この音楽を鑑賞するだけで映画シーンがよみがえるほどの見事な演奏ぶりだ。 『 映画音楽コンサート/戦争のはらわたCross Of Iron 』サウンドトラックかと思うほどの見事な迫力ある演奏! ジェームズ・コバーンが演じた将校も恐れる軍神の様な凄みのあるドイツ陸軍戦闘下士官シュタイナー伍長だ。・・・彼は、高い戦闘能力で数々の戦闘功績により鉄十字勲章を与えられた優秀な戦士だが、昇進にはまったく興味なく、ただ与えられた任務を見事にこなすというタイプの軍人に設定されている。 プロローグの最初に始まる、ヒトラーユーゲントの少年たちによる登山シーン、これは、当時のヒトラーユーゲントを讃えるプロパガンダ的な記録映画だろう。プロローグの最初と最後をこのシーンが締めくくる。 少年たちが、ハーケンクロイツのあるヒトラーユーゲント隊旗を手に持ち、急峻な岩肌の山を登っていくシーンだ。この間、ヒトラーの登場シーンや無敵を誇ったドイツ軍が初めてソビエト軍に敗北したスターリングラード戦などの当時のモノクロ記録実写映画などが挿入されている。 やがて、最後の山頂の岩場に到着、整列して、旗がはためく中での一斉のナチス式敬礼のシーンとなる。この瞬間で、プロローグが終了し、小太鼓とシンバルのけたたましい音がしばらく続き、このテーマ音楽も最後を締めくくる。 蛇足だが、・・・ヒットラーユーゲントについては、1936年の日独防共協定の締結に伴う日本とドイツ(後にイタリアも参画)の同盟強化に伴い、1938年にヒトラーユーゲントの一団数十名が青少年相互訪問の一環として来日、日本各地を訪問旅行している。また、北原白秋作詞の歓迎歌「万歳ヒットラー・ユーゲント」が作られるなど日本国民を挙げての大歓迎を受け、親独気運の醸成に大きく寄与した。同時期には、日本から各地の学生、青少年団体職員、若手公務員から成る「大日本連合青年団」の訪独団がドイツに派遣され、ナチス党大会の参観、ヒトラーと会見してナチス・ドイツの見聞を広めたなどの歴史的経緯がある。【送料無料】【DVD3枚3000円5倍】戦争のはらわた [ ジェームズ・コバーン ]価格:1,000円(税込、送料込)(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/02/08
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★☆ とは言ってもw・・5等と6等に当たりました! ★☆ ~ 存在を忘れていた購入宝くじの思わぬ当選 ~ 昨年の12月に「年末ジャンボ宝くじ」を連番で10枚を購入したままずっと放置していました。昨日、「ああ、そういえば宝くじを買っていたなあ・・・あれ、どこに置いたかな?」、しばらく探して・・・やっと、本棚の箱の中にあるのを発見!期待はしていませんが、ネットで、宝くじ当選番号を確認!・・・なんと!末尾番号「07」(5等)、「00」(6等)が当たっていたのです。当選金額は、二つ合わせても合計3300円に過ぎませんが、5等が当たったのが初めてのことだったので、とてもうれしい気分になりました。宝くじ売り場では、1万円までの換金が可能なので、「おめでとうございます!」とのお言葉とともに現金をいただきました。 末尾番号の5等「07」と6等「00」の当選当たりくじです。これが、高額当選なら・・・もちろん!公表しませんね。wナイショです。 毎年、数億円以上の当選金が交換されずに残るそうです。多分、私のように、購入した宝くじを忘却したままなのだろうと思います。みなさんも、購入したまま放置なら、是非、当選番号を確認してください。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/02/01
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★☆ 山口県唯一の『 新日本100名山 』の山 ★☆ ~ 山口県山口市上宇野令 東鳳翩山 ~ 東鳳翩山(ひがしほうべんざん)は、山口市北西部内陸部に位置する標高734.2mの山口市内で最も高い山、多くの登山愛好家が訪れて踏み固められた登山路は、わかりやすく登りやすい。その山頂からは周囲360度の大展望を楽しめる。 REALISTは、2013年1月12日(土)に「二ツ堂コース」から登頂。 『東鳳翩山』山頂の立派な標示板。「一の坂ダム」前を北上し、最初の交差点を左折、約1.5km進行した先の「東鳳翩山駐車場」に設置された掲示板の図。駐車場は、6台程度駐車可だが、運よく1台分が空いていたので駐車できた。出発が遅くなり、到着したのが午後0時を過ぎていたので、やむ負えず比較的短距離で直路の『 二ツ堂コース 』を選択、ここから約120m東方を徒歩で進めば、目指す登山口がある。 さあ!東鳳翩山登山口( 二ツ堂コース )に到着!ウキウキ!登山口に設置された標示板、よく手入れされている。山頂まで80分!・・REALISTの場合、自然観察や写真撮影で無理だな。この階段がスタートだ。間もなく本格的な登山路に入る。よく踏みならされている。 木の根がむき出しに露出した階段状の登山路。前方を力強い足取りで山ガールが先行していた。 この様な階段状の登山路が延々と続いた。それでも、疲れにくい安心して登れる道だ。 明るくなだらかな傾斜の登山路だ。ホッとするひととき。前方の木に何やら旗の様なものが!・・ウーム!『 忍耐 』とある。下山中の中年男女とご対面!互いに「こんにちわ~!」、山では誰でも紳士淑女です。 この様な踏みならされた道がしばらく続いた。森林浴!美味しい空気!ぜいたくな時間! 夏のやぶが覆い茂る道や蚊が飛び交う山と比べ、雪のない冬山は本当に楽チンだ。 いよいよ頂上が迫ったのか、傾斜の急な階段が続いた。この辺りから残雪がある。標示板には、「東鳳翩山山頂まで0.5km」、階段状の登山路は、凍結部分があり、転倒防止のため2本ストックで3点歩行だ。山頂も迫ってきた周囲は雪が残っている。 突然、現れた『 中国自然歩道経路図 』の掲示板。 やっと、目の前に山頂が見える最後の階段路、この間、下山中の若者グループや単独の男女クライマー8人と対面した。やはり、誰もみな礼儀正しい紳士淑女ばかり!午後2時過ぎ、ワーイ!山頂だ!どっしりとした山頂の標示板が凛々(りり)しい。手前に白い三等三角点の標示石がある。山頂には、既に7人の先客が食事などで休んでいた。REALISTもエネルギー補給した。眼前は、周囲360度の大パノラマ!ここで接した人によれば、晴れた空気の澄んだ日は、大分県の由布岳も観えるとか。山頂から南東方中央のくぼみに「一の坂ダム」が見えた。北西方を見ると、右手の突起状の山は、萩市の「男岳(798.3m)」。南方は、中央に見えるのは、「古城ケ岳(367.4m)」だろう。 右手に見える「地蔵峠」とそれに続く中央の「西鳳翩山」が見える。ここから、尾根伝いに西鳳翩山を目指す人もいる。標示板の横にある温度計を見ると、摂氏8度。冬の山頂にしては暖かい。下山は、同じ道を通る予定が途中・・・・夕闇迫る中、道なき道に迷ったが、コンパスを頼りに脱出(午後5時過ぎ)できた。今回の教訓は、午前中の早目の出発と午後3時までの下山完了の厳守だと痛感した。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/01/25
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★☆ 女優『 市毛 良枝 』さんは、有名な登山家だった!! ★☆ ~ 人生の転機に嫌いだった山が、魅力の虜(とりこ)に! ~ 直前の記事でご紹介した映画『 岳(がく) 』の作品中に山小屋の料理人・世話人の「谷村文子」役で登場した女優の「市毛良枝」さんだが、昨年の暮にテレビで観た彼女の山ガールとしての富士山登山のドキュメンタリー番組を観て衝撃を受けた。 彼女が、嫌いだったはずの登山が、その魅力にひかれ登山家にまで至った女優「市毛 良枝」の秘密が書かれた本が、まさに、彼女の書いたエッセイ 『 山なんて嫌いだった(山と渓谷社) 』であり、登山やトレッキング好きな人だけでなく、その人間的魅力、山や自然の素晴らしさまで、彼女の生き生きした文章で感じることができる本だ。市毛 良枝著「山なんて嫌いだった(山と渓谷社)」924円(税込) 今や芸能界一の山好きで知られ、日本トレッキング協会の理事を務める市毛良枝さんが、山と出会い、こころひかれてゆく過程を素直に綴った初の書き下ろしエッセイ。「努力・根性・汗かく、キライ・・・・・・」。そんな、大の運動嫌いだった彼女が、山に登ることによって大きく変わってゆく様子が、飾りのない文章で描かれている。初登山の北アルプス燕(つばくろ)岳(2,763m)から、南アルプス塩見岳、八甲田山、安達太良山、八ヶ岳、双六岳、槍ヶ岳、九重山、天城山、キリマンジャロ等、10年間の山旅の紀行はもちろんのこと、『山と溪谷』誌取材の裏話、登山家たちの人物評、エコロジー問題、そして自身の内面の変化なども描ききった話題作を文庫化したエッセイ集(2012年2月初版)だ。 市毛さんは、この本を執筆後も、登山に臨み、ヒマラヤ」・ヤラピーク(5,520m)登頂や単独で南アルプス聖岳(3013m)~赤石岳(3120m)~悪沢岳(3141m)などの荒川三山をテント泊縦走するなどの登山経験を重ねている。女優・登山家の「 市毛 良枝 」さん 彼女は、1950年、静岡県伊豆市生まれ、1971年にドラマ「冬の華」でデビュー以来、舞台、テレビや映画などの様々なドラマ出演でお馴染みのとても優しそうな笑顔が魅力的な好印象の女優だ。・・・通常の富士山登山は、5合目までを自動車で行き、5合目から頂上を目指すのが一般的であるが、しかし、・・・その156cmの小柄な女性の力強い足取りで麓(ふもと)から5合目まで登り、5合目の山小屋で一泊の後、そこから、また山頂まで到達した力強い姿には驚きを感じた。それで、・・・REALISTは、彼女が「山ガール」の有名な登山家でもあることを初めて知ったのだ。たまたま、楽しい山歩きを経験したことがきっかけで、本来はスポーツの経験もなく山嫌いだったのにもかかわらず、突然、山の魅力を感じたらしい。日本全国の高山をはじめ、東京都内の里山を知り尽くし、1993年には、キリマンジャロにも登頂している。彼女は、「登山に会えなかったら、女優を辞めたかもしれない」と言っているほどで、現在は女優であり趣味の登山家、また、「山なんて嫌いだった(山と渓谷社)」、「市毛良枝の里に発見伝 - 関東近郊の里山21コースを徹底ガイド (講談社)」の書籍を著作する執筆活動や講演会、山と渓谷社の「DVD登山学校シリーズ」の作品にも登場、環境問題にも強い関心があり、環境カウンセラー(環境省)の登録もしている。さらには、特定非営利活動法人「日本トレッキング協会」理事として活動している。DVD登山学校 第1巻 山の歩き方(DVD) ◆20%OFF!急峻な岩場を登る市毛さん 名峰を舞台に、登山の基礎技術を女優・市毛良枝と学ぶことができる作品。アウトドア・ジャーナリストの細田充を講師に迎え、端麗な山容の名峰赤岳(八ガ岳)を舞台に、疲れにくく安全な山の歩き方を学ぶための山岳教養動画DVD。 『 加賀谷はつみ - 本日のスープ 』歌って登れるシンガーソングハイカー(山ガール) 昨年、全国ソロ・ストリートライブツアー「はつみ前線」を敢行。47都道府県すべてをまわり同年8月にデジタルシングル「君がいる」をメジャーリリース。その後、大泉洋が自身のワンマンショーで「君がいる」をカバーし話題に。アウトドアファッションを身にまとい路上ライブをする歌って登れるシンガーソング・ハイカー。http://www.kagayahatsumi.com/ 残念ながら、このままでは映像が観れない、画面上の表題部分にカーソルを当て、ダブルクリックすれば、別窓でYOUTUBEが開いて鑑賞できる。 余談だが・・・ついでに登山好きな有名人を少しだけ調べてみると、ざっと・・・市毛良枝、田中澄江、田中律子、和泉雅子、原日出子、岡崎朋美、みなみらんぼう、故橋本龍太郎首相(エベレスト登頂)、最近の若い人では、KIKI、華恵(はなえ)、加賀谷はつみ、古瀬絵里、小島聖、イモトアヤコ、工藤理沙・・・などを発見した。 山なんて嫌いだった ヤマケイ文庫 / 市毛良枝 【文庫】楽天で購入 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ
2013/01/11
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★☆ 山岳遭難救助をリアルに描いたヒューマンドラマ ★☆ 長野県の日本アルプスがドラマの舞台~ 人気コミック「岳 みんなの山」原作の実写化 ~ みなさん、あけましておめでとうございます! 最近の剣岳の遭難事故などの報道でもあるように、冬山登山は危険がいっぱいだが、それでもそれに果敢に挑戦する人がいる。REALISTは、冬山登山に挑戦する暇も資金も勇気も乏しいため、せめて冬山登山気分だけでもと、2011年5月公開された山岳映画 『 岳(がく) 』(監督 片山修)のDVDをレンタルして鑑賞した。 標高3000m級の山が立ち並ぶ日本アルプスを背景の主人公の山岳救助ボランティア「島崎三歩」役の「小栗 旬」、REALISTは、この俳優の名は記憶はあれど、それほどの興味もなかった。それが、偶然にも、昨年の秋に山口県周南市湯野にある「城山」を登山終了後、汗を流そうと下山した先にあった湯野温泉の「紫水園(しすいえん)」に立ち寄り、温泉に入り、施設のフロント付近の壁に掲示してある写真を眺めたところ、ここに立ち寄った芸能関係者の記念写真があり、その中に、独身時代と思われる若かりし頃のまさに「小栗 旬」が複数回にわたり、「紫水園(しすいえん)」を訪れていることを知った。なぜなら、撮影年月日の異なる記念写真が複数枚あるのを確認したからだ。おそらく、映画などのロケで立ち寄ったものだろう。それが、・・・この映画の主演男優も知らずに鑑賞したところ、再び「小栗 旬」が映画に登場したので、偶然とはいえ、ますますこの俳優を知るきっかけとなった。 この映画の感想は、・・・主演の「小栗 旬(しゅん)」やヒロイン役の「長澤まさみ」の演技は、実に素晴らしいものであった。笑いあり、涙ありの感動的作品に仕上がっている。この映画を観るだけでも、自然の山の厳しさや山岳遭難救助のリアルな実態を知ることができると感じた。『 映画『岳-ガク-』オフィシャルサイト 』 山を知り尽くした山岳救助ボランティアの「島崎三歩」が暮らす山に、長野県警山岳遭難救助隊の新人救助隊員「椎名久美」がやってくる。久美は三歩の指導の下、着実に成長していくが、自身の未熟さや厳しい自然の猛威により遭難者の命を救うことができない日々が続く。そんな折、猛吹雪の雪山で多重遭難事故が発生し……。“山岳愛好家のバイブル”とも言われる「ビッグコミックオリジナル」に連載され、2008年に第1回「マンガ大賞」、2009年には第54回「小学館漫画賞」を受賞し、発行部数は累計400万部を記録している「石塚真一」の同名ベストセラー漫画を、「小栗 旬」主演で実写映画化したものだ。命は、命でしか救えない。人を愛し、山を愛する男 島崎三歩が日本アルプスを舞台に繰り広げる感動の人間賛歌!! 主人公の山岳救助ボランティア「島崎三歩」役の「小栗 旬」と新人山岳救助隊員「椎名久美」役の「長澤まさみ」のツーショット。過酷な雪山での撮影は、日本を代表する標高3000メートル級の山々(八方尾根、奥穂高岳、立山連峰ほか)で敢行した厳しいもので、高所恐怖症であった「小栗 旬」は、このために7ヶ月間にわたり10の名峰を登頂制覇、筋トレによる体力づくり、カラビナ、ザイル、ピッケル、アイゼンなどを駆使した登頂訓練、150mの垂直の岩の絶壁を7時間余りかけ登頂までしている。映画にかける彼のすさまじい役者魂を感じた。岳 -ガクー [ 小栗旬 ]楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/01/07
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★☆ 新しい日本の夜明けが始まる期待の政治に! ★☆ ネガティブからアクティブな未来ある日本へ!~ 国民が支える安倍新生自民党総理の復活! ~ 12月16日の衆議院選挙が終了、前政権政党の民主党が惨敗(230議席 → 57議席)、自民党が圧勝(118議席 → 294議席)、26日に安倍晋三自民党総裁が第96代の日本国首相として復活就任した。これは、一人ひとりの国民が選択した結果だ。日本国内での決められない政治、大半が実現不可能なマニフェストと内紛分裂状態の民主党、低迷する経済、輸出産業力の減退、遅い東北被災地復興、中国・韓国との領土・領海を含めた危機的な外交、沖縄基地問題で悪化した日米関係など・・・様々な前政権与党の民主党の実績に失望した結果だ。 話題としてはもはや古い内容だが、今回の選挙結果についてのデータは、今後の日本の命運をかけるものだと確信している。 ここで注目すべきは、公明党(21議席 → 31議席)、みんなの党(8議席 → 18議席)、日本維新の会(11議席 → 54議席)に躍進した一方で、共産党(9議席 → 8議席)、社民党(5議席 → 2議席)、日本未来の党(61議席 → 9議席)と左翼リベラル政党が軒並み大敗している点だ。日本国民は、なかなか賢明で冷静な判断力を持ちつつあると感じた数字だ。おそらくこの変化は、従来の新聞・テレビの閉鎖的で偏狭なメディアと異なる、より自由で開かれたネットからの正確な情報を学びつつあるということを端的に示していると強く感じた。 国民受けを狙って「原発ゼロ」を訴えた「日本未来の党」だが、REALISTの予想どおり、「壊し屋」小沢一郎氏が嘉田由紀子滋賀県知事と主導権争いで対立、遂に分裂した(26日)。嘉田氏は、亀井静香氏、阿部知子氏(元社民党)と離党、小沢氏は、党名を「生活の党」に変更し、8億5千万円以上の政党交付金を手に入れる。一方、党創始者の嘉田氏は離党のため、一銭も交付金を受け取ることができない。錬金術師、小沢氏の作戦にまんまとはまったかっこうだ。(表は、読売新聞18日付記事から抜粋)ドイツ軍マーダーIIIM自走砲と搭乗クルー 民主党与党時代の選挙前は、247議席、それでも以前よりもかなり議席が減少していた。小沢一郎氏及び小沢チルドレンなどが大量離党(離党後「国民の生活が第一党」を結党)したためだ。 選挙後の衆議院本会議場の様相は一変! 政党別の色の配分で、選挙前と比べると、黒色勢力よりも白色勢力が一挙に増えて、明るくなった感じがする。安倍政権の期待度が高いためか、対ドル円為替相場は、民主党時代の一時は最悪の1ドル75円台から現在では既に・・86円台まで円安が進んでいる。また、株価も1万円を割る低迷状態から1万円台に上昇しつつある。産業界、特に輸出産業部門では歓迎すべき傾向だ。しかし、まだまだ今後の推移を見守る必要があろう。(上記2表は読売新聞27日付記事から抜粋)(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/12/30
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★☆ 実現不可能な甘い公約を主張する政党は、詐欺師と同じ!! ★☆ 「絵に描いた餅(もち)」の様なマニフェストにご注意!~ 詐欺を見破る能力を高める国民の努力が必要 ~ 衆議院議員総選挙の投票日が12月16日(日)が迫ってきた。今回の選挙は、将来の日本にとって、その命運を決める重要な選挙になるだろう。REALISTは、投票日に動きが取れないため、先日、市役所で期日前選挙を済ませた。 ここ最近、突如と雨後のタケノコの様に多数のミニ政党が生まれた。それぞれに、独自の公約を主張アピールし、競争相手の他党の批判を強めている。国民が投票する場合、どの政党や政治家個人を選ぶべきかという点が最大の問題となる。私の場合は、それは、「政党公約と信頼度」に関するものであり、それは、「消去法」で決めるべきだと思う。その中で、消去(排除)すべきものには、どんなものがあるかということだが、 まず第一に、・・できもしない実現不可能な夢のような内容の公約だ。これは、明確な財源もないのに、「国民にお金を配(くば)る的なもの」だ。前回選挙の民主党のマニフェストに代表されるだろう。また、何の明確な根拠もない思いつきの様な公約も危険だろう。私の場合は、これには、「即原発廃止」がこれに当たる。これは滅茶苦茶な論理で、これをやれば日本経済や産業は今以上に破壊され、破滅してしまうだろう。原発から再生エネルギーへの転換は将来の目標としても、いきなり即廃止はあまりに非現実的で乱暴な論理だ。 次に第二は、・・その政治家が、本当に日本の国益や発展、国民の幸福を考えているのか?という点だ。単なる感情で国民受けの良い非現実的な甘い蜜の様な主張は疑ってかかる必要があるだろう。国民受けの良い「減税」、「消費税反対」だが、財源不足のなか、毎年1兆円づつ増加していく年金の保障や社会福祉、介護・医療費を支えるための財源不足をどうするかという国民が嫌がる現実も隠蔽(いんぺい)するのではなく、きちんと説明すべきことが政治家や政党が国民に果たすべき使命だ。ドイツ陸軍戦車整備兵 今回の選挙では、報道機関マスコミやメディアが一番の争点を『 原発問題 』を一番に注目しているようだが、この動きには、「おかしい」と強い違和感を感じる。それよりも、国民が一番に関心があるのは、日本経済を発展させて景気を高めて国民の所得を高める『 景気対策 』を最大の争点とすべきだろう。余談だが、各政党の主張を比較してみると、「原発即廃止・反原発」の動きは、共産党、社民党を代表とする左翼政党に偏っているようだ。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/12/10
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★☆ 防府市最高峰「大平山」のロープウェイと雄大な景観を楽しむ ★☆ Yamaguchi Prefecture Hofu City Mure Mt. Ohira-yama~ 山口県防府市牟礼 大平山(標高631m)~ REALISTは、お天気の良い青空の日、防府市最高峰の山、『 大平山(標高631m)』にロープウェイを利用して訪れた。自分の足でなく、ロープウェイ利用の登頂では物足らなさを感じたが、数十年ぶりのロープウェイは、子供のころ親と乗った昭和の昔にタイムスリップした様な懐かしさがよみがえり、周囲の景色がぐんぐん遠くなり、遥か先の海や山が次第に広がっていく雄大な景観がとても視覚に刺激的で楽しい気分だった。 乗り場の建物の屋根にある『大平山ロープウェイ』の文字看板。付近には無料の広い駐車場があるのでマイカー利用が良い。 ロープウェイの運行は、運休日の水・木曜を除く日で、日中をほぼ20分間隔で運行。このロープウェイは、1959年(昭和34年)3月21日に開業した。それにしても懐かしい昭和の匂(にお)いがする形状をしている。運賃は、大人片道600円(往復1000円)、子供片道300円(往復500円)。麓(ふもと)の乗り場を出発!・・内部から乗り場を撮影。ぐんぐん離れていく。ロープウェイの長さは953m、所要時間は約6分だそうだ。 山頂から下界を見る風景とは明らかに違う。なぜなら、視界に入る景観が静止でなく、常に動いて移動しているからだ。 突然、目の前をロープを支えている巨大な鉄柱と滑車が目に飛び込む。そのメカニックな形状を見て、本体に動力のない極めてシンプルな乗り物だと感じた。 内部から西側の『 矢筈(やはず)ケ岳 』方面を撮影。かなりの高さだ。 瀬戸内海側の南側に向けて撮影。遠くには、旧長州藩の港があった三田尻港方面が見える。 下りと離合した。あれよあれよと遠ざかっていく。車体に動力部分がないので、ロープウェイ内部は極めて静かだ。先ほどの車体が遠く離れて見える。 そして・・もう見えない。地表の構造物がどんどん小さくなる。人家の見える方を眺めると、どれも小さくなっている。 二度目の鉄柱が目に入る。 そして、・・到着!! 久しぶりに子供の様にウキウキ気分。 山上の駅の内外の様子。 駅を出ると正面に最新式のトイレ、右(東側)に進むと展望所がある。展望所付近はどこに立っても瀬戸内海側が一望できる。海が銀色に輝いていた。素晴らしい眺めだ。防府市三田尻港の湾の形状がよくわかる。幕末は、吉田松陰や高杉晋作などの若者志士たちがここから旅立った。 南西方面の防府市街を撮影。 西側方面を撮影。向かって右側が、『 矢筈(やはず)ケ岳 』、その奥中央が『 右田ケ岳 』だ。頂上への登り口は、トーテムポールの様なモニュメント、頂上部分には、テレビ局の送信所などがある。送信所の建物群を抜けると『 大平山 標高631m 』の標示板! 山頂から見た展望所や公園の風景。 手前にローマ風の野外半円形劇場、右手奥が山頂駅、左奥に展望所施設。野外劇場では、音楽演奏会などのイベントも開催される。 山頂駅、さようなら! (注意)このロープウェイは、その後、老朽化に伴い再建が断念され、廃棄されました。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/12/04
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★☆ もっとも勇敢に官僚の壁と闘った元総理『 安倍 晋三 』★☆ 「事実は小説より奇なり」~Fact is stranger than fiction. ~ マスゴミの執拗で陰湿なイメージダウン印象捏造報道 ~ REALISTは、『 約束の日 安倍晋三試論 』(小川榮太郎著)を先月末に読了した。これを読む機会となったのは、新聞の書評から読みたいと思ったからだ。実は、わが山口県出身の安倍元総理であるにもかかわらず、その突然の辞任に至る経緯や真相、任期中の功績についても、ほとんど無知であったということ、・・「なぜ、安倍総理が突然の辞退となったのだろう?今の民主政権とどれほどの違いがあったのだろう?マスゴミやメディアは、お粗末な民主現政権には批判は少ないが、どうして当時の安倍政権にはあれほど極端な批判を繰り返したのだろう?」・・などと単純に真相や背景にある事実を知りたかったという知識欲からの理由もあった。約束の日 安倍晋三試論/小川榮太郎【RCP】価格:1,575円(税込、送料別) 2012年8月31日が初版であり、比較的新しい評論。 文芸評論家の小川榮太郎が、11月25日の同じ日に首を刎(は)ねられた吉田松陰と三島由紀夫になぞらえながら、文学とは対極にある政治家を文藝評論的手法で描いたスリリングな試み!明確な理念と果断な実行力で強い日本を目指した政治家安倍晋三の人間像、ドラマチックな挫折と葛藤、さらに、その背景にある不可解なマスゴミの実態を見事に分析している。・・・・「安倍の葬式はうちで出す、これは社是だ」という朝日新聞幹部の言葉を聞いた政治評論家三宅久之氏からの話題からこの書のプロローグの幕があがる。 2006年(平成18年)9月26日、国民の70%以上の高支持率の期待を受けて安倍晋三政権が発足したが、わずか1年で安倍総理の持病(潰瘍性大腸炎)の悪化から辞任となった(2007年9月12日)。 しかし、任期中から始まった朝日新聞、週刊朝日を筆頭とする新聞、週刊誌、テレビなどメディアの安倍総理や政権に対する猛烈な批判は止まることを知らず、普通の国民が客観的に観ても、その極端で異常としか思えないほどに執拗で陰湿だと感じるほどに凄まじいものであった。また、彼の残した任期中の功績については、マスゴミのイメージダウン戦術で、見事に国民にはその事実を知らせていない。『 安倍晋三政権に対するマスゴミの叩き方は異常 』 反日的で韓国に忖度するようなテレビのワイドショーや特集番組では、社民党などの支持率の低い政党関係者やわけのわからないコメンテーターを結集して、「これでもか、これでもか!」と陰湿ないじめに近い批判トークのオンパレードだった。テレビなどの極端なイメージダウン戦術が目立っていたのには、当時は国民の支持率が高いのにもかかわらず、マスゴミがそれを打ち消そうとする必死な状態に「これはおかしい」と異様さを感じたからだ。『 テレビ、新聞が安倍晋三を必死に叩く理由 』 どの政治家も手をつけなかった「国家公務員制度改革」で官僚の天下りを防ぐ改革に踏み込んだ安倍内閣が、それに抵抗する官僚や官僚の天下り先のマスゴミから執拗な攻撃を受けた経緯や流れを簡潔にわかりやすく説明している。「(嘘字幕】マスゴミの異常な安倍叩きをドイツのテレビが報じたようです」 野党自民党の総裁となった直後の模様の様です。日本を守る!、北朝鮮拉致被害者を救う!、日本経済を復活させる!・・などと訴えている。『 安倍晋三総裁街頭演説 熊本県・健軍商店街(2012 11 17) 』 衆議院解散が決まった翌日に熊本での街頭演説風景。 最後に・・・・これを見て、どう判断されるかは皆さんの自由だ。しかし、これだけは言えることは、新聞の記事やテレビの報道、ワイドショーなどでコメンテーターなどが一方的に訴える主張をそのまま鵜呑みにしないように心がけることが必要だと強く感じている。新聞記事でもテレビ番組でもそれを特定の関係者の手により、気にいらない人物を巧みな印象操作で編集して事実を伝えずに、イメージダウンをしている事実があるからだ。それは、つい先日にもあった、週刊朝日による橋下大阪市長(日本維新の会代行)に対する人権侵害報道の例にあったとおりだ。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/28
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★☆ スーパーのリンゴでは味わえない濃密の味 ★☆ Tokusa apple garden~ 山口県山口市阿東徳佐 りんご園 ~ 山口市内から国道9号線を島根県の津和野方面に北上すると、途中、JR西日本の山口線が並行しており、その「地福駅」、「鍋倉駅」、「徳佐駅」周辺一帯には、徳佐のリンゴ農園が散在している。徳佐は西日本一の大りんご園のある町だ。リンゴのシーズンには、観光バスの団体やマイカーで立ち寄ってリンゴ狩りを楽しむ人も多い。また、リンゴ農家が、国道沿いの店舗で種類も豊富なリンゴの販売もしている。 ここ山口県のリンゴ栽培のピークは9月~11月末だろうか。REALISTは、先月末、リンゴ園に立ち寄りたわわに実った新鮮なリンゴをもぎ取っては存分に味わった。県内のスーパーには主に青森産などの東北のリンゴが豊富に販売されているが、ここ山口県産の徳佐の独特なジューシーで甘酸っぱい蜜の味が口一杯に広がる美味しさを味わえば、多分、青森産など食べる気がなくなるだろう。それだけ、本当に美味しいのだ。ただし、リンゴ狩りは11月末がリミットだ。 リンゴの実の重さで枝が垂れ下っている。このリンゴは、「フジ」と呼ばれる種類だが、スーパーで販売されている通常のリンゴよりもひとまわり大きいサイズだった。どれもよく手入れされており、色も良く実がとても美しい。色々な種類のリンゴを味わったが、それぞれに特徴があり、どうにか5個食べることができた。 一昨年も訪れたのだが、その時は、外国人留学生が団体で訪れて、リンゴ狩りを楽しんでいた。白人、黒人、アジア人など数十人で大学の留学生だった。リンゴ農園では、バーベキューや焼き肉を楽しめる設備が併設しているところもある。 リンゴの木で美味しいリンゴを食べるなら、枝の高いところのものよりも、比較的低いところの方が美味しいそうだ。蜜が多く、ガブッとかぶりついたら、シャキッと歯触りがよく、リンゴの香りと甘酸っぱいジュースが口に広がる。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/26
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★☆ 日本の将来を危惧、警鐘を鳴らし敢然と闘った勇気ある戦士 ★☆ ~ 新聞記者から日本を愛する政治評論家に転身した人 ~ 政治評論家の『 三宅 久之(82歳) 』氏が11月15日(木)早朝に自宅で倒れ、搬送先の病院で午前8時46分、息を引き取った。ただただ、日本のために御苦労様と言いたい。心からご冥福をお祈りします。 三宅氏は、テレビ番組の『 ビートたけしのTVタックル 』、『 たかじんのそこまで言って委員会 』のレギュラーコメンテーターとして、その独特な頑固おやじの様な形相で激論を戦う姿で有名だった。その風貌は、REALISTの親父に似ていて何となく親しみを感じた存在だった。番組の中では、左翼関係者などのコメンテーターには、敢然と立ち向かう姿勢は、見ごたえがあり、勇気づけられることが多かったものである。笑顔がチャームミングであった点も隠れファンが多かった理由ではなかろうか。三宅さんは、早稲田大学第一文学部独文科を卒業後、1953年に毎日新聞社に入社、政治記者などで活躍。76年に退社し、フリーの政治評論家に転身、テレビ番組のニュース司会者、コメンテーターとしても活躍した。 『 三宅久之が巡る靖国神社 』これは、何かの番組の一部の様だ。何故か、感極まって泣く姿が痛ましい。『 三宅久之氏が「日本の国旗・国歌」について語る 』 私も記憶があるが、昭和40年代までは、まだ各家庭では、祝祭日には自宅の玄関などに国旗日の丸を掲げていた。しかし、その後の共産主義を崇拝する左翼の「日教組」などの影響から、国旗を罪悪視する様になった風潮を批判している。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/19
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★☆ 大岩の横たわる神々の棲む白石山 ★☆ ~ 山口県山口市徳地引谷 白石山 ~ 白石山(しらいしやま)は、山口市北部内陸部に位置する標高540.8mの神聖な里山、登山路には神秘的な数々の大岩が横たわり、大岩からの絶景の展望を楽しめる。 REALISTは、10月26日(金)に登頂。 遠くに先に見える『白石山』県道26号線(山口鹿野線)沿いの「白石口バス停」付近にある「白石山入口」の看板。広い駐車場(15台程度分)、奥に行けば登山口だ。 落ち葉に埋もれた歩きやすい登山路を行く。 途中、大木が倒れていたが、その下をくぐって通過。秋らしい登山路が続く、気温16℃(午前10時)で汗は出ない。 途中、展望できる『 大岩 』に立ち寄る。でかい!高さ10数mはあるだろうか。巨大な『 大岩 』の塊(かたまり)の頂上に登った。 『 大岩 』の上からの観る景色、「ウーム!素晴らしい!」さらに、ずんずん登山路を進む。登山路には、登りも下りも様々な巨岩が横たわっていた。 ここは、テーブル状の大岩の上を歩く登山路だ。 気持ち良いなだらかな登山路が続く。人が寝ることが可能な大きな直線的な切れ込みがある岩。まるで古墳時代の墓のようだ。岩の上で見かけた小さな石の祠(ほこら)。 巨岩沿いの道を歩く。階段のある岩の祭壇!中をのぞくと古い観音像がある。 直径10m前後の岩と岩の重なった間に空間がある。『 接待岩 』、ここにに入るとかなり奥行きがある。昔、ここに僧が住んでいたそうだ。空間は大きく二つ、湧水のある空間と人が10数人は寝れる空間、夏は涼しく宿営も可能。しばらく傾斜のある道を登り続け、ようやく辿り着いた大岩の広い展望所。 見晴らし最高の大岩展望所で昼食!お天気良好!暑くもなく心地よい。ここは、まるで贅沢な眺望を満喫できる山頂レストランの様だ。 山頂!540.8m!手前の白い石は、三角点。下山は、「引き廻し方面」に進んだ。 下山中も名前のある奇妙な大岩の連続だった。 のどかな風景を楽しみながら歩くと、駐車場に戻ることができた。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/15
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★☆ 『 領海侵犯 』が有れば、ロシアは即、停船命令と警告射撃!! ★☆ 日本尖閣領海への挑発的領海侵犯を命ずる悪辣な中国共産党~ 『 領海侵犯 』は、『 国境侵犯 』と同義、ロシアが普通の国の対応 ~ ここ最近、中国政府の漁業監視船を含む艦艇が日本の尖閣領海内での『 領海侵犯 』を挑発的に繰り返しているのは、報道にあるとおりだ。大半の日本国民は、この種の報道を見るたびに中国共産党への怒りや憤りを感じ、中国に対する好感度は皆無に等しいだろう。 REALISTは、『 領海侵犯 』に対する他国の対応について興味があり、隣国ロシアのロシア領海に侵入した不法操業の日本漁船に対するロシア国境警備隊の『 停船命令とそれに従わない警告射撃 』の模様を記録した過去(2010年1月30日付け)のニュース報道を確認することができた。 この様な『 領海侵犯 』行為は、『 国境侵犯 』にも相当し、世界の独立国の普通の国ではロシアと同様な対処をしている。日本でも過去には、海上保安庁船舶が威嚇射撃にまで至った事件では、1953年の「ラズエズノイ号事件」、1999年の「能登半島沖不審船事件」、2001年の「九州南西海域工作船事件」の3件があった。しかし、ここ最近の日本の悪意の中国政府侵犯艦艇に対する『 終始警告だけで見守るだけの対応 』というものは、普通の国ではない極めて不作為な消極的な対応だろう。普通の国と同じ対応をしないのは、『 経済的損失や不利益を考慮してからそうなのか? 軍事的対立を避けるためなのか?』と大いに疑問を感じた。こういうことも、政府の国民への侵犯行為に対する不作為の説明責任が問われるだろう。『 ロシア国境警備局 射撃した事実認め映像公開(10/01/30) 』 この動画は、北方領土の周辺海域で、2010年1月29日、北海道羅臼の漁船2隻がロシアの国境警備隊から射撃された事件で、ロシアの国境警備局は、射撃した事実を認め、その映像を公開したというニュース報道。北方領土は、終戦直後のどさくさにまぎれソビエト軍が不法侵攻、居留していた日本人を追い出し、強引に占領、そのまま現在までロシアが実効支配しており、同国の国境警備隊が配置している。ロシアは自国領土として、領海侵犯には容赦しない。◆◇日本尖閣領土と中国の国家的『 領海侵犯 』は明白!◆◇ 或る国の領海内への外国船舶の『 進入 』をもってただちに『 領海侵犯 』と解釈されることはない。沿岸国以外の国家の船舶に対して『 無害通航権 』が認められており、或る船舶の他国の領海においての『 無害な通航 』は、『 領海侵犯 』ではない。しかし、中国共産党の悪意に満ちた命令で中国政府所属の艦艇を他国の日本の領海に故意に侵入させる行為は、中国共産党を主犯格とする『 無害でない通行 』に該当し、『 領海侵犯 』にあたると言える。そうすると、これは、単独の個々の侵犯艦艇のみならず、それを命じる国家組織的な犯罪とみなすことになるだろう。 日本領が明白であることは、何よりも日本国内には、過去に中国政府が発行して使用した中国の教科書用地図が存在しており、中国政府が日本政府に送付した公文書文中や公式地図にも、中国自身が『 日本領土 』と記載して示していたことが明らかになっている。そればかりか、尖閣諸島には1880年代後半から1940年(昭和15年)にかけ、日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場跡などがあり、住民も数十人が存在していた事実があるなど多くの物的証拠が多数存在していることだ。 『 尖閣諸島は明らかに日本の領土 』であることは、誰の目にも明らかであり、これについても、先の2010年9月7日発生の衝撃的な『 尖閣諸島中国漁船衝突事件 』が起爆剤となり、尖閣問題についてはほとんど無知だったはずの多くの日本国民が、これを契機に・・改めて明白に日本の領土であることを学ぶ良い機会となった。これは、新聞などの消極的で閉鎖的な既存メディアよりも遥かに開かれたインターネットが果たした役割が大きかったと言ってい良いだろう。これにより、中国共産党首脳だろうが何だろうが、『 尖閣諸島は中国領土 』と声高に叫んでも、誰一人それを信じる日本国民は存在せず無力なものに過ぎない。それは、中国共産党の明らかな『 嘘(ウソ)、デタラメ、寝言 』と同じ雑音にしか聞こえないからだ。これは、政府が関与して様々な国民に政府の嘘(ウソ)や不正がわかる様な都合の悪い情報を国民に知らせないネット規制や監視体制で国民を政治誘導管理している中国とはまったく異なる日本であるからの強みだろう。『【九州南西海域工作船事件】 The Japan Coast Guard received the attack. 』 この動画は、海上保安庁艦艇が領海侵犯で停船命令に従わない北朝鮮工作船を20ミリ機関砲で威嚇射撃、自爆爆沈したした事件、2001年発生の「九州南西海域工作船事件」の模様を記録したもの。◆◇ 日本国民の中国に対するイメージは最悪に一新された! ◆◇ 中国政府艦艇の日本領海侵犯報道を見るたびに国際ルールに従わない身勝手で横暴な中国共産党に対する日本国民のイメージは、少し前の中国での出来事で一新された!・・無秩序な反日暴動で中国人の山賊の様な強盗暴徒大集団が、犯罪を取り締まるべき中国警察が機能せず不作為で見守る中で行われた。・・それは、映画の中で観たゾンビの様な集団の暴徒たちの犯罪行為はやりたい放題で日系企業を次々に破壊し、商品を略奪、放火し、日本車両を手当たり次第に破壊し、同国人の中国人日本車オーナーをも集団暴行で負傷させ、中国居留の日本人を標的に暴行負傷させるという・・・鮮烈な記録映像やニュース報道のイメージと重なり、中国共産党や中国社会、中国人の法令順守観や道徳倫理観に至るまで、日本人の中国に対するイメージがそれまでのぼんやりとした曖昧なものから、一挙に明確に『 中国とはこれが実態なんだ! 』と恐怖の姿でリアルに理解できた。これは、それまでの平和ボケだった日本人が、突然、暴漢に襲われて殴打されたかの様に覚醒し、『 現実で真実の中国共産党の実態 』というものを知る良い機会となり、日本ばかりか世界中にも中国の負のイメージを増大させ、恰好の共産主義社会研究の貴重な教材が提供されたと言えよう。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/10
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★☆ 悲しい美女の呪いの伝説が残る『 姫山 』 ★☆ ~ 山口県山口市大内(おおうち)姫山 ~ 『 姫山(ひめやま)』は、山口市大内にある『 姫山美女伝説 』で知られる標高199mの里山、四季を通じて川面に優美な姿を映し、地理的にも三田尻や陶、嘉川方面から山口方面に向かう旧街道を見下ろす要地として、その昔は城若しくは砦(とりで)が築かれていたと伝わる山で、付近には、国立山口大学吉田キャンパスが位置する。 REALISTの5月29日(火)登頂の記録。標高は低いものの、春山で登山道が荒れて極めて登りにくい山だった。山口市内大内北部にある『 金成山 』山頂からREALISTが撮影した『 姫山 』。山腹に見える白い四角形は、テレビ山口の電波反射板。 右手に「姫山」のある川沿いの道を進むと、石の鳥居(とりい)のある登山口に至る。姫山伝説」が書かれた看板、付近に軽自動車1台分の駐車場がある。『 姫山美女伝説 』・・・その昔、殿様が美女を見初めて、無体な恋慕をよせ、殿中に捕らえ入れて想いをとげようとしたが、美女は節操深く殿様の邪意を受け入れなかった。殿様は美女を縛って城の井戸に釣り下げ蛇(へび)責(ぜ)めにした。美女は悶え苦しみ、美しく生まれた身のつらさを、二度と後々の女性にさせぬため「この山の上から見えるかぎりの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように」と悲しみ悶え死んだという。姫山の名はこれに由来するというのである。崩れかかった階段がしばらく続く、この辺りはまだまだ登りやすい。 傾斜角の急な整備の良い階段が続いた。やがて、ゆるやかな階段に・・寺跡に到着、広い敷地に壊れた灯篭、新しい祠がある。寺跡に残る手を清める石鉢と水をたたえた池の跡。 寺跡から望む山口市大内方面、昔の寺の僧はここから観ていたのだろう。寺跡の奥を進むとシダ類の草が伸び放題、歩きにくい、草をかき分けて進む。まもなく、巨大なテレビ電波反射板出現!昭和44年設置と記載あり。木々の間を進む、右手の木の枝に赤色テープ確認! 急斜面の藪(やぶ)の道にロープあり、握りしめながら登る。 背まで伸びた草の中の道は、蜘蛛(くも)の巣だらけでストックで払いつつ進む。 進路をふさぐ折れた木。何か巨大な魔物に引き裂かれた様な木々が・・・。 奇怪な周囲の木々の様子がなんとも異様だ。赤いテープを確認。 まだ続く・・ここから早く抜けたい!何故か、この辺りを歩くと背筋がぞっとする恐怖心があった。 また、目の前に根元から引き倒された木が、「ここから入るな!」と・・・やっと、まともな林道に脱出!やれやれ、頂上部分だ!明るい空!・・ん?鐘の様なものがある!落ちていた『 姫山 』の標示板と三角点。 山頂ポストがある、休憩用の丸太椅子に蜘蛛の巣排除で活躍したストック。山頂からの眺め、山口市内の中園町方面、NHK山口、市立図書館が見える。 ここで、簡単な食事を済ませたが、一刻も早くここから逃げ出して下山したい気分だった。こんな陰気な空気を感じたのは初めてだった。登りの倍の早さで下山した。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/06
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★☆ ノルウェーから彗星のごとく出現した『 a~ha(アーハ)』の名曲 ★☆ "HUNTING HIGH AND LOW" by "a~ha"~ 1985年、全米1位・全英2位の大ヒットを記録 ~ 『 a-ha(アーハ)』は、モートン・ハルケット(ボーカル)、ポール・ワークター=サヴォイ(ギター)、マグネ・フルホルメン(キーボード、ギター)の3人で1982年に結成されたノルウェーの3人組バンド。「テイク・オン・ミー(Take On Me)」の世界的なヒットや『007 リビング・デイライツ』(The Living Daylights)の主題歌、1994年リレハンメルパラリンピックのテーマ曲(Shapes That Go Together)、2009ベルリン世界陸上テーマ曲(Foot of the Mountain)を歌ったグループとして知られている。REALISTが、このグループを知ったのは、映画『 007 リビング・デイライツ』を観た際のその主題歌がきっかけだった。 なお、a~haは、残念ながら2010年12月04日、ユニット結成の地であるオスロでのコンサートを最後に解散した。年月の過ぎるのはなんと早いものだろう、あれからもう2年も経っている。 写真は、1985年に発売された『 a~ha(アーハ) 』のアルバム『 HUNTING HIGH AND LOW 』のカセットテープのレーベル、カセットテープ全盛時代の当時は、REALISTは、レコードよりもかさばらない理由から小型のカセットテープを愛用した。このアルバムの中に、世界的大ヒットとなった名曲『 TAKE ON ME(テイク オン ミー) 』が挿入されていた。これがその曲の『 A-Ha - Take On Me (OFFICIAL VIDEO) 』 『 TAKE ON ME(テイク オン ミー) 』とは、「私を連れて行って!連れ出して!」という意味だが、このイメージ動画では具体的によくわからないが、フィーリング的にこんなものだろうという製作者の意図があるのだろう。男女の愛とか恋とか憧れに近い若いころの欲求を少し抽象的にアレンジして表現したものだ思う。残念ながら、こことこの下の画面でもこの埋め込みではそのまま観ることができないが、この画面の上にカーソルを当てると下線付きの題目が現れるので、それをクリックするとYOUTUBEにリンクされ聴取可能だ。 007の主題歌の『 A-ha- The Living Daylights 』 映画『 007 リビング・デイライツ』を観た際のその主題歌で、今までにない新鮮さがあったのが印象的だった。映画の中のジェームズ・ボンド役は、ティモシー・ダルトン(Timothy Peter Dalton, 1946年3月21日生)だった。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/05
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