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■「コロナな日々から」「日本漫画家協会 関西ブロック展」が開催7月7日(水)~12日(月)2021年06月29日(火) この度、日本漫画家協会 関西ブロック所属の作家による漫画展「日本漫画家協会 関西ブロック展」が開催されます。「日本漫画家協会 関西ブロック展」--------------------------------------■期間:2021年7月7日(水)~12日(月)■会場:アートギャラリー北野 1階〒604-8005 京都市中京区三条通河原町東入ル恵比須町439-4 コーカビルTEL:075-221-5397Web:https://www.gallery-kitano.com/ ■時間:11:00 - 19:00■出展者外村晋一郎/岡本治/篠原ユキオ/武田秀雄/高月紘/柳たかを/筑濱健一/ラッキー植松/田中智海/丸岡昴洋/桑原まさはる/たむら純子/南洋 (敬称略)■「コロナな日々から」口を開けばコロナからという日々が続いています。『3密』を避けたひきこもり生活は、漫画家にとってはごくノーマルな状態ではあるものの、それぞれの生活に多くの変化をもたらしました。そんな中で失ったものは色々ありますが、新たに見えてきたものもたくさんありました。今回の展示はコロナ禍で浮んだそれぞれの想いを作品にしたものを中心にご覧頂きます。まだまだ油断できない状況が続きますが、十分な予防を心掛けて無理のない範囲でお出かけ下さい。--------------------------------------どうぞよろしくご来場をお願い申し上げます。注 山田企画事務所・山田博一も日本漫画家協会会員なので関西ブロック長の許可を得て告知させていただきます。
2021年06月29日

6月13日放送NHK大河ドラマ「青天を衝け」敦賀にある武田耕雲斎/水戸天狗党等の墓です。2014/09/29撮影。武田耕雲斎等の墓 水戸烈士記念館Matsubara Shrine,Shrine024
2021年06月13日

6月13日放送NHK大河ドラマ「青天を衝け」敦賀にある武田耕雲斎/水戸天狗党等の墓です。2014/09/29撮影。
2021年06月13日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/26/源義経黄金伝説■第27回★西行は奥州、藤原秀衡に平泉を第二の京都にいかがと告げる、その考えは後白河法皇も考えていた源義経黄金伝説■第27回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube西行はその平泉東稲山の、京都東山の桜に似た風景を愛でた。「変わってしまったのは、我らのほうです。西行殿、自然はこの後千年も二千年も桜の花を咲かせましょう。が、我々の桜はもう散ってしまったのです」「何を寂しいことを申される、秀衡殿。平泉という桜も今は盛りに咲いておるではございませんか」「しかし、西行殿。平泉という桜は、いずれ、散ってしまおう」「西行殿だからこそ、話もいたしましょう。この陸奥の黄金郷、末永く続けたく思っておるが、悩むのは、私がなくなった後のこと」「なくなるとは、また不吉な」「いやいや、私も齢六十七。後のことを考ておかねばなりません。六年前までおられた義経殿を、ゆくゆくはこの我が領地の主としようと画策致しましたが、我が子の清衡は、いかんせん、私の言うことを聞きそうにありませぬ」「ましてや、義経殿が、この奥州を目指していられるとの風聞もある由、そうなれば鎌倉殿と一戦交えねばなりますまい」「西行殿、再び、平泉全土をご覧になってはどうじゃ。この平泉王国、けっして都に引けは取りますまい。この近在より取れる沙金、また京の馬より良いと言われる東北の馬が十七万騎。いかに頼朝殿とて、戦火を交えること、いささか考えましょうぞ。そこで西行殿、ご相談だ。この秀衡、すでに朝廷より大将軍の称号をいただいておる。加えて、天皇の御子をこの平泉に遣わしていただきたい」「何、天皇の御子を平泉に…」「さよう。恐らく、西行殿も同じことをお考えになっておられるに相違ない。この平泉、名実ともに第二の京都といたしたいのです。今、京の荒れようは保元事変以来、かなりの酷さと聞き及びます。どうぞ、御子をはじめ公家の方々、この陸奥ではあるが、由緒正しき仏教王国平泉へ来てくださるようにお願いいたす。秀衡この命にかえましてお守り申しそう」 平泉を第二の京都に、その考えは後白河法皇も考えていたのである。が法皇はそれにある神社を付け加えたいと考えていた。保元の乱にかかわったあの方。そして西行もかかわったあのかた。崇徳上皇である。京都は霊的都市である。京都を建設した桓武は怨霊の祟りを封じ込める方策をした。当時の最新科学、風水、陰陽道である。東北にあたる鬼門には、比叡山を置き、西北には神護寺がある。文覚の寺である。またその対角線には坂之上田村麻呂を意味した将軍塚をおいた。将軍塚は東北征伐を意味する。坂之上田村麻呂が征服した東北、鬼門が奥州である。奥州平泉に比叡山にあたる神社をおけばよい。そうしれば、後白川は、京都朝廷は崇徳の祟りから防衛できる。そう考えていた。西行は、「しきしま道」すなわち言葉遣い士、言う言葉に霊力があり、西行が歌う言葉に一種霊的な力があるとした。和歌、言葉による霊力で日本を守ろうとし、西行を始めとする歌人を周回させている。西行はその意味で歌という言霊を使う当時の最新科学者。言葉遣い士である。西行は、それゆえ歴史に書かれてその名が残るように行動した。現世よりも死後歴史著述にその名が残るように行動した。そういう形で西行の名が不滅であるようにした。西行の行動様式こそが歌人の証明であった。いわば祝詞という目出度い言葉を口にさせで、目出度い状況をつくりあげるのだ。万葉集という詩華集以来、日本は世界最大の言霊のたゆとう国である。平泉を第2の京都には、実質は奥州藤原氏によって立ち上げられている。後は祭事行為をどこまで、認めるかである。「秀衡殿、そうならば、鎌倉の頼朝殿の攻撃から逃れられるとお考えか」「甘いとお考えかもしれぬ。しかし、我が子泰衡の動き、考え方などを見るにつけても、泰衡一人で、この陸奥王国を支配し、永続させていく力はございません」「が、義経殿がおられましょう」「義経殿は、いまだ、どこにおわすか」「秀衡殿、お隠しめされるな」西行は語気強くいった。「何と…」秀衡は慌てていた。「すでに義経殿は、秀衡殿の手に保護されておられるのではないか」西行は疑う様子が見える。「何を証拠に…」慌てる秀衡に対して、西行は元の表情に戻っている。「いえいえ、今の一言、この老人のざれ言、気になさらずとも良しゅうございます。もし義経殿がおられるとしたらどうするおつもりかな」「そうよ、それ、もしおられるとすれば…。西行殿もご存じのように、津軽十三湊とさみなと、我が支配にあることご承知でしょう」「知っております」そうか、その方法があったのかと西行は思った。海上の道である。「あの十三湊は、大陸との交易につこうています。今、大陸では、平清盛殿のおりとは違って、宋の力も落ちているとのこと。もし鎌倉殿の追及が激しければ、義経主従、かの国に渡っていただこうと思っております」「おお…、それはよき考え」「つまり、義経殿は、この日の本からいなくなるという。それで頼朝殿からの追及を逃れる。加えて法皇様の力で、この平泉政庁を第二の京都御所にしとうございます。そうすれば、この平泉仏教王国は、京都の背景を受け安泰でござる。そのためにはぜひとも…」秀衡は砂金を使い、砂金をそれこそ、金の城壁にして平泉を守ろうとしている。京都はそれできくだろう、が、鎌倉は、頼朝殿は、そうはいくまい。西行は思った。源頼朝は、源氏の長者は、その金そのものがほしいのだから。「その東大寺の沙金、そうした意味の使い方もございますか」「さようです。無論、東大寺の、重源殿に渡していただければ結構。しかしそれがすべてではございまぬ。どうぞ、後白河法皇様にこの秀衡の話を、取り次いでいただけませぬか」「わかりました。この西行がこの老いの身をおして、再び平泉の地を訪れたのも、この極楽郷、平泉の地がいかがなるかと気に致してのこと。秀衡殿、この地、永遠に残したいという思いあればこそ、二ヵ月もかけて、この陸奥の地を踏みました。よくお受けくださいました。法皇様も喜ばれることでございましょう」西行の思いは半ば成立している。崇徳上皇様、法王様、喜び下されい。これで少しは鎌倉殿の勢力を押さえる事が可能かも知れない。西行は四国の寒々した崇徳上皇綾を思った。同じ寒さでも、ここは、崇徳上皇様にとって暖かかろう。西行は、この平泉平和郷を守りとうしたかった。ここでなら、西行の守る西国王朝、京都の言葉の武器「しきしま」道も守れるかもしれん。平泉の衣川べりの高い台地に、新しい館が建っている。高館たかだてと平泉に住むものどもは呼んでいる。 館の下を二人の雑色がとうりかかり、館を見上げる。「おお、あれはどなた様のお館なのだ」「お前、知らぬのか。あれは高館御所。義経様と郎党の方々が住んでおられる」「おお、あの義経殿か。それでもお館様の伽羅御所に比べれば、小さいのう」「まあ、これは俺が聞いた話だが、泰衡様が、義経様に対して、あまりよい顔をなさってはおられぬ」「なぜだ」「それは、お前。秀衡様は、我が子泰衡様より義経様をかっておられるからだよ」続く201208改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月07日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/25/源義経黄金伝説■第26回★平泉・秀衡屋敷で西行を待ち受ける藤原秀衡。四十年の旧交を温める。源義経黄金伝説■第26回★ 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所anga Agency山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube西行はようやく平泉にたどり着いていた。平泉全土の道路に1町(約108m)ごとに張り巡らされた黄金の阿弥陀佛を描いた傘地蔵が、ここが、新しい仏教世界を思わせる。この地が仏教の守られた平和郷である事をしめしている。長い奥州の祈念が読み取れるのだ。「おお、ここだ。この峠を越えれば平泉は望下の元だ」「では、西行様、我々はこれにて姿を消します」東大寺闇法師、十蔵が告げた。「何、お主は、私と同じ宿所に泊まらぬつもりなのですか」「はい、私の面体にて、藤原秀衡殿に変に疑いを生じせしめらば、東大寺への勧進に影響ありましょう。私は沙金動かすときに現れます」 十蔵は、西行の前から音もなく消え去る。また背後の結縁衆の気配も同じように消えている。西行の前に、平和なる黄金都市平泉の町並みが広がっている。平泉は京都とそっくりにつくられている。賀茂川にみたてられた北上川が、とうとうと水をたたえ流れている。東の山並み束稲山は比叡山である。この桜を、西行との友情のため秀衡が植えてくれていた。 平泉は当時人口十数万人を数え、この時期の日本では京都に次ぐ第二の都市となっていた。清衡以来、わずか100年でこのように発展したのは、この黄金の力によるのだろう。奥州王国は冶金国家であり、その基本は古来出雲から流れて来た製鉄民の集まりである。金売り吉次が重要な役割につけたのも、岡山のたたら師であった出自であったからである。 平泉・秀衡屋敷で西行を待ち受ける藤原秀衡は、この時六十七歳である。「西行様、おおよくご無事で、この平泉にこられたました」秀衡はまじまじと、西行の顔と姿を見る。「秀衡様、お年を召されましたなあ」西行も嘆息した。「前にお会いした時から、さあもう四十年もたちましたか。西行殿、当地に来られた本当の理由もわかっておりますが、私も年を取り過ぎました。息子たち、あるいは義経様がおられましたら、法皇の念ずるがままに、この平泉の地を法皇様の別の支配地に出来ようものを。残念です」「季節はすぎております。お見せしたかった。おお、東稲山の桜は、きれいに咲いておりまする。その美しさは、ふふ、四十年前と変わらぬではございませぬか」続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月07日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/24/源義経黄金伝説■第25回 西行は、多賀城にある吉次と義経救出について話しあう。平泉に向かう奥大道を歩く 静かの一行と出会う。その後静かは黒田の悪党に拉致される源義経黄金伝説■第25回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube平泉で、義経が感激している時期、西行は少し離れた、多賀城たがじょう(現・宮城県多賀城市)に入っている。奈良時代から西国王朝の陸奥国国府、鎮守府がおかれている。つまり、多賀城は西国王朝が東北地方を支配がせんがためにもうけた城塞都市である。いわば古来からの西国征服軍と先住アイヌ民族戦争での最前線指揮所である。ここから先は、慮外の地、今までに源氏の血が多く流されしみついていた。今も奥州藤原氏勢力との国境にあり、世情騒然たる有様である。鎌倉と平泉との間に戦端が開かれるかいなか、民衆は聞き耳をたてている。西行は、多賀城にある金売り吉次の屋敷を訪ねる。屋敷はまるで、御殿のようであり、「大王の遠つ朝廷みかど」多賀城政庁より立派な建物と評判であり、金売り吉次の商売の繁盛を物語っている。ここ多賀城だけではなく、日本中に吉次の屋敷はあるのだ。二人は先刻から、座敷に対峙していた。吉次は赤ら顔でイノシシのような太い体を、ゆらゆらと動かしている。体重は常人の倍はあるだろうか。西行は、思いが顔にでていまいかと、くるしんでいる。話はうまく行ってはいない。「吉次殿、どうしても秀衡殿の荷駄の護衛を受けてくれぬか」吉次はふっとためいきをいき、上目つかいで、ためないながら言った。「西行様、、、、いくら西行様のお願いとて、吉次は、今はやはり商人でございます。利のないところ商人は動きませぬ。今、藤原秀衡様は鎌倉殿と戦いの火ぶたを切られようとするところ。さような危ないところに、吉次の荷駄隊を出すことはできませぬ。やはり、昔のような事ができませぬ」「わたしとお主との旧い縁でもか」「牛若様、いや義経様が、鎌倉殿とあのような、今は、、、やはり、時期が悪うございます」「吉次殿、お主も偉くおなりだな」 西行は吉次に嫌みを言った。一体誰のお陰で、、この身上を吉次がきづけたのかという思いが西行にはある。「西行様、もうあの頃とは時代が違ごうてございます。今は世の中は、鎌倉殿、頼朝様に傾きつつまると、吉次は考えます」「そういうことなら、仕方あるまい」 西行、吉次の屋敷振り返りもせず出て行く。先を急がねば、いつの間にか、姿を消していた重蔵の姿が現れている。この2人をとりまくように、人影がまわりを取り巻き歩いている。鬼一方眼が使わせた結縁衆である。西行は重蔵に語りかけるのでもなく、、一人ごちた。「不思議な縁だよ。いろいろな方々との縁でわたしは生きておる。平清盛殿、文覚もんがく殿、みな、北面ほくめんの武士の同僚であった。清盛殿は平家の支配を確立し、文覚は源頼朝殿の旗揚げを画策し、この私は義経殿をお助けしたのじゃ。がしかし、この治承・文治の源平の争いの中を、この私が生き残ってこれたのも、奥州藤原秀衡ひでひら殿のお陰だ」西行は昔を思い起こしている。西行は、多賀城にある吉事屋敷をでて平泉に向かう奥大道を歩いていた。前を歩く小者と乳母をつれた女性が静であるとに気付き、呼び止める。「静殿、静殿ではござらぬか」「ああ、西行様」静は西行に気づいている。静も平泉を目指していると言う。「お子様のこと、誠にお気の毒でござる。が、御身が助かっただけでもよいとはせぬか」西行はなぐさめようとした。「我が子かわいさのため、あの憎き頼朝殿の前で舞い踊りましたものを。ああ、義経殿の和子を殺されました。ああ、くやしや」「その事を確かめるのも、みどもの仕事であった。後白河法皇さまから、言われておったのじゃで、静殿、この後はどうされるおつもりじゃ」静は、少し考えて言った。「行く当てとてございません。母、磯禅尼とも別れたこの身でございます」「禅師殿とのう。さようか、そうなれば白河の宿の小山家こやまけまで行ってくだされぬか。我が一族の家でござる」西行の一族、藤原家はこの板東に同族が多い。その一の家にとどまれと西行はいうのだ。「白河の関。まさか、義経様がそこまで…」「はっきりしたことは言えぬ。が、義経殿に会える機会がないとも言えぬ」「私が、西行様と同道してはならぬとお考えですか」「ならぬ。儂の、この度の平泉への目的は、あくまでも東大寺の勧進だ。秀衡殿から沙金を勧進いただくことだ。女連れの道中など、目立ち過ぎる。鎌倉探題の義経殿に対知る詮議も厳しかろう。それに、いくら私が七十才を過ぎた身なれば、何をいわれるかわかり申さぬ」しづかは、ある疑いをたづねた。「ひょっとして、西行様。わが母、磯禅尼とはなにか拘わりあいが、若き時に」静はつねから、疑問に思っていたのである。「これ、静殿、年寄りをからかう物ではない」が、静は自分の疑問がまだ広がっていくのを感じた。 西行は、自分と乙前があったあの神泉苑で、その思い出の場所で、この若い二人が、義経と静が、出会うとは思っても見なかった。縁の不思議さを感じている、やがて西行は意を決して言葉を発した。「これは義経殿よりの便りじゃ」「えっ、どうして、これが西行のお手に」「儂がこのみちのくへ旅立つ前のことじゃ。実は、儂の伊勢にある草庵に、義経殿の使いの方がこられて、これを鎌倉のいる静殿に渡すよう頼まれたのじゃ。あの鎌倉では危のうて渡せなんだ」「西行さま、義経さまとは」「たぶん、平泉であえるだろう」「平泉。どうか、私もお連れください」「それはならぬ。頼朝殿の探索厳しい、そのおりには無用だ。この地にある小山氏屋敷に止まっておられよ。きっと連絡いたそう。これが私の紹介の書状です。私の佐藤一族がこの地におる」「きっとでございますよ」静は祈念した。 西行と分かれ旅する静たちに気付く数人の騎馬武者がいる。遠く伊賀国黒田庄に住まいしていた悪党、興福寺悪僧、鳥海、太郎左、次郎左を中心とする寺侍、道々の輩の姿の者どもが板東をすぎる途中に、14人に膨れあがっている。その一行である。 黒田庄は東大寺の荘園であり、東大寺の情報中継基地の一つであった。大江広元からの指示を得て、西行のあとに追いついてきていた。そこでめざとく静をも見染めている。「おい、あれは静ではないか」鳥海がつぶやいた。「おお、知っておる。見たことがあるぞ」「あれは京一番の白拍子と謳われたのう。が、確か義経とともに吉野へ逃げて、どうやら頼朝が離したらしいのう」 鳥海が付け加えた。「ふふう、ちょうどよい。ここでいただこうぞ」「おう、そうじゃ。女子にもとんとご無沙汰じゃのう」「よき話。幸先がよいのう。静は西行へのおさえにもなろう」 なかの三人はゆっくりと、旅装の静たちを追い越し、一定の距離で止まっている。静は何か胸騒ぎを感じた。 騎上の三人がこちらを見ているのが、痛いほどわかる。それも好色な目付きで、なめ回すように見ている。首領らしい三人とも、普通の武士ではない。加えて、心の荒れた風情が見えるのだ。この戦乱の世でもその人間の壊れ具合が静かには手に取るようにわかる、「そこなる女性、我々の相手をしてくれぬか」静たちは無視して通り過ぎようとした。「ほほう、耳が遠いと見えるわ」「いや、違うじゃろう」「義経の声でないとのう、聞こえぬと見えるわ」すわつ、鎌倉探題の追って、静は思った。 静は走り出していた。が、三人は動物のように追いかけて捕まえている。小物と乳母はその場で切り捨てられいる。「ふう、どうじゃ。我が獲物ぞ」「兄者、それはひどいぞ」「次郎左、よいではないか。いずれ、西行が帰って来るまで、こやつは生かしておかねばならぬからのう」「それも道理じゃ。ふふ、時間はのう、静、たっぷりとあるのじゃ」 ひげもじゃの僧衣の男がにやついている。静の顔をのぞき込んでいる。 街道の近くにある廃屋の外にひゅーっと木枯らしが吹いていた。 可哀想な獣たち。 静は、太郎佐たちを見てそう思った。 きっと、この戦乱が悪いに違いない。静は舌を咬んで死のうかと思った。が、万が一でも、義経様に会えるかもしれない。この汚れた体となっても、義経様はあの子供のような義経様は許してくださるに違いない。 静はそう思い、いやそう念じていた。この獣たちと生きて行くが上の信仰となっていた。 この獣たちは、静の体を弄ぶとき以外は、非常に優しかった。静という商品の価値を下げてはいけないという思いと、以外と京の白拍子という、京に対する憧れが、静を丁寧に扱わせているのかもしれなかった。「おい、鳥海。あの笛、止めさせぬか。俺はあの音を聞くとカンが立つ」太郎左が言う。 静が廃屋で、源氏ゆかりの義経からもらった形見の薄墨の笛を吹いているのである。「よいではないか、兄者。笛ぐらい吹かせてやれ」「次郎左、お前、静に惚れたか。よく庇うではないか」静は、我が体が死しても義経に会わなければならなかった。こうなった今はなおさら、続く 201308改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月06日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/23/源義経黄金伝説■第24回「我が子よ」 秀衡は、義経の体をがっしりと抱き締めていた。義経の少年のような健気さを、奥州の帝王は愛した源義経黄金伝説■第24回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★奥州の黄金都市平泉にはすでに初雪が舞っている。10万の人口を抱える中心にある藤原秀衡屋敷が騒がしかった。多くの郎党が玄関先に並んでいる。「我が子よ」 秀衡は、義経の体をがっしりと抱き締めていた。それは親子の愛情よりも、もっと根深いものであった。いわば、お互いに対する尊敬の念であろう。が、この二人の仲むつまじさが、秀衡の子供たちの嫉妬を義経に集めたのである。「よくぞ、ご無事で、この平泉まで」義経は肩を震わせている。それは平氏を打ち破った荒武者の風情ではない。「遠うございました。が、秀衡様にお会いするまでは、この義経、死んでも死にきれません」「死ぬとは不吉な。よろしいか、この平泉王国、ちょっとやそっとのことでは、頼朝を初めとする関東武士には、負けはいたしませんぞ。おお、どうなされた、義経殿」義経は涙を流し、秀衡の前にはいつくばっていた。「くやしいのでござる。実の兄の頼朝殿の振る舞い。それほど、私が憎いのか。疎ましいのか。一体、私が平家を滅ぼしたのが、いけなかったのか。私は父の敵を打ちたかっただけなのです。おわかりでございましょう」 秀衡は、義経の肩を抱き、慰めるように言った。「おお、そうでございますよ。よーく、わかっております。その願いがなければ、あなたを戦の方法を習わせに、女真族の元まで、いかせるものですか」奥州の帝王、藤原秀衡はゆっくりと義経の全身を見渡し、顔を紅潮させている。「そうなのです。私の戦い方は、すべてこの奥州、さらには秀衡様のお陰で渡れた女真の国で学んだものでございました。おもしろいほどに、私は勝つことができたのでございます」義経は、頼朝のことも忘れて、目をきらきらさせて、戦の話始めていた。義経の圧倒的な戦い方は、日本古来の戦法ではなかった。外国、特に騎馬民族から学んだ戦い方、異なる戦い方をするということが、坂東武士から嫌われる原因の一つともなっていたのである。 義経は、純粋の京都人でありながら、平泉王国という外国へ行き、そこからまたもう一つ遠くの女真の国へ出向き、新しい地平を見たのであった。 義経は、自分の力を試したかったのだ。自分の力がどれほどのものか。外国で培った戦術がこの日本で、どれくらい有効なのか。義経は、そういう意味で、戦術の技術者であった。技術者同志ということで、不思議と冶金の技術者であった金売り吉次と気があったのかもしれなかった。もっとも、吉次は、今は商人という技術者だが。 義経は京都人であった。ましてや、源氏という貴人の血を持っていた。また義経は十五歳以降源頼朝の元へ参じる二十三歳までは、奥州人でもあった。奥州は京都から見れば、異国である。義経はいわば奥州という外国生活をした訳である。後年、戦術においては、それまで存在していた戦い方を一変させた義経の戦闘方法は、いわば奥州という外国製である。 義経にとって育ての親は、藤原秀衡である。秀衡は当初義経を京都に対する政治的道具として使おうとしたであろう。義経の素直さ。また何とも人を引き付けるいわば少年のような健気さを、この奥州の帝王は愛したのである。続く2014改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★
2021年06月05日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/22/源義経黄金伝説■第23回■鎌倉の大江屋敷で、静の母である磯禅師と、大江広元が密談する。2人共京都との微妙な関係の上にたっている。源義経黄金伝説■第23回 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube 鎌倉の大江屋敷で、静の母である磯禅師と、大江広元が密談している。大江広元は西行との会談後、磯禅師を呼びつけている。「ここは腹を割っての相談だ。二人だけで話をしたい」 怜悧な表情をした広元はゆっくりとしゃべる。「これはこれは何事でございましょう。頼朝様の懐刀といわれます大江広元様が、この白拍子風情の禅師にお尋ねとは?」磯禅師は身構えている。広元は京都の貧乏貴族、昇殿できない低格の貴族だった。それが、この鎌倉では確固たる権力を手にしている。侮れぬこの男と禅師は思う。「あの静、本当はお前の娘ではあるまい」 磯禅師の返事は少し時間がかかる。やがて、答えた。「さすがに鋭うございますね。大江様、確かにあの娘は手に入れたもの」「禅師殿、赤禿あかかむろを覚えておられるか」 急に大江広元は京都の事を問い始める。 磯禅師の頭には、赤禿の集団が京都を練り歩く姿が思い起こされた。「何をおっしゃいますやら、平清盛殿が京都に放たれた童の探索方、平家の悪口を言う方々を捕まえたというは、大江様もご存じでございましょう」 続いて白拍子が清水坂にたむろしている姿も思い出していた。「いや、まだ話は続くのだ。この赤禿以外に、六波羅から清水寺にいたる坂におった白拍子が、公家、武士よりの悪口を収集していたと聞く。その白拍子を束ねていた女性にょしょうがあると聞く」「それが私だとおっしゃるのですか」「いやいや、これは風聞だ」「……」磯の禅師は黙った。次に来る言葉が怖かった。◎尼僧が禿かむろを呼び止めている。京都、六波羅の近くである。「どうや、あの方のこと、何かわかったか」「あい、禅師様。残念ながら、も一つ情報がつかめまへん」「ええい、何か、何か、手づるはないのかいな」「へえ、でも禅師様…」禿は、いいかけて言葉を止めた。自分の想像を禅師に告げたならば…。仕返しが恐ろしかった。禿の思いには、何故そのように西行様の情報を…、何か特別な思い入れがおありになられるのか…、答えはわかっているようであった。つまりは嫉妬である。西行が皇室の方々に恋をし、またその皇女の方も、西行を憎からず思っていることを…。、どうしても邪魔をしなければならなかった。大江広元の前、磯禅師の追憶で、顔色は変わっていた。がしかし、次の広元の言葉は禅師の予想とは違った。「が、安心せよ。本当に聞きたいのは、西行殿のことなのだ」「え、西行様のことですか」 磯禅師はほっとした。平家のために行っていた諜報活動を責めるのか。いやそうではない。私はお前の過去のすべてを知っているぞという威しであろう。ともかく、安堵の心が広がっている。そこは同じ京都人である。「そうじゃ。今日、西行殿が頼朝様の前に現れた。西行殿は東大寺重源上人より頼まれて、奥州藤原氏、平泉へ行くと言う。目的は東大寺勧進じゃ」「確か、西行様は、七十才にはなられるはず。西行様と重源様とは、高野山の庵生活の折りからお知り合いとか聞いております」「そう聴いている、が、その高齢の西行殿が、よりにもよってこの時期に、平泉へ行かれるというは、何かひっかかる」「それで、何をこの私にお尋ねになりたいのですか」「まずは、平清盛と西行殿の繋がりだ」「確か、北面の武士であられたときに知己であったとか、また文覚様とも知己であったと聞いております」「あの文覚どのと、重源どのは京都で勧進僧の両巨頭だ。清盛殿がこと。西行庵と六波羅とは指呼の間、六波羅へは足しげくなかったか」「特にそれは聞いておりません」 大江広元は、しばし考えていた。 広元の声が、磯禅師の耳に響く。「聞きたいのは西行とは奥州との繋がりだ。私も京都にいたとき聞いておるが、あの平泉第の吉次じゃ。あやつが数多くの公家に、奥州の黄金や財物を撒き散らしておるのは聞いておる。そこで、吉次と西行との関係を知りたい」 金売り吉次は、奥州藤原秀衡の家来であり京都七条にある平泉第ひらいずみだいの代表である。平泉第は京都の一条より北にあり、現在でいう首途かどで八幡宮のあたりを中心に、広大な屋敷を構えている。いわば異国の大使館である。 吉次の率いるの荷駄隊は、京都にて黄金を、京都在住に多くの貴族に贈り物として差し出していた。「そういえば、平泉第は一条より北にありましたな…」「西行法師は平泉第へは通っておらなんだか」「ともかくも西行様、平泉の秀衡様とも確か知己であったはず。そうなれば、京都での西行様の良き暮らしぶりも納得がいきます」「さらにだ、西行は西国をくまなく訪ねている。これは後白河法皇様の指示ではなかったか」「そこまでは私には断言できませぬ」「それもそうだな」「大江様は、西行殿をお疑いですか」「この時期に平泉に行くのが、どうもげせんのだ」 西行殿…、なつかしい名前を聞いた。思わず、磯禅師の顔は紅潮している。大江広元に気付かれなかったろうか。 京都・神泉苑でのことを、磯禅師は思い出している。多くの白拍子が踊っている。観客は多数である。その中に一際目立つ、りりしい武者がいた。磯禅師は、近くの知り合いの白拍子に尋ねる。「あの方はどなたなの」聞かれた白拍子が答えた。「ああ、あの方は佐藤義清様よ。このお近くのお住まいの佐藤家のご長男ぞ」 磯禅師は佐藤義清の方を見やって、溜め息をつくように思わずつぶやく。「佐藤義清様か」 その白拍子が、微かに笑って言う。「ほほほ、さては、磯禅師さま、一目ぼれか」磯禅師ははじらった。「ばかな、そのようなこと……」 が事実だった。頬が紅色に染まっている。禅師の十七才の頃の思い出である。日本を古代から中世へと、その扉を開こうとしていたのは、西行の嫌いな源氏の長者、源頼朝であった。 また頼朝の側にいるのは、貴族階級の凋落を見、新しい政治を求めて鎌倉という田舎へ流れていった貧乏貴族である。その代表が大江広元である。頼朝は西行の背景にいる後白河法皇に憎しみを滾らしている。「あの大天狗、私を騙そうと言う訳か。大江、大天狗にひとあわふかせるべく手配を致せ」 源頼朝が大江広元に命令する。「いかように取りはからいます」「西行へ、奥州藤原氏より、いだされる沙金を奪うのだ。が、平泉から鎌倉までの道中にてぞ。鎌倉についてしまえば、これから先は鎌倉の責任、黄金を奪う訳にはいかぬ」「さようでございます。また、よくよく考えますればこの沙金、奈良まで着きましたならば、西国にいまだ隠れおります平家の落人たちに渡るやも知れません」「あの大天狗の考えそうなことよ。北の奥州藤原氏と西の平家残党から、この鎌倉を挟み撃ちにしようとな」「では、義経殿もこの謀に加わっておられると」「可能性はある。実の子供よりも、源義経を考えておった藤原秀衡殿のことであるからな。また、後白河法皇もいたく、義経が気に入っておった。あやつは法皇の言うことなら何でも聞く」「頼朝さま。やはり、沙金を必ず奪い取らねば、我が鎌倉の痛恨となりましょう」「さっそく梶原と相談し、しかるべく手配をいたせ」「わかり申した。すでに手は打って御座います。私、京都におりました時より、東大寺にすこしばかり手づるがございます」 大江広元は、先手うちとして、東大寺の荘園、黒田荘の悪党への使者を、すでに旅立たせていた。続く2016改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月04日
建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/21/源義経黄金伝説■第22回★源頼朝屋敷を出た西行に、元の北面の武士の折、同僚であった、文覚が声をかける。源義経黄金伝説■第22回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube源頼朝屋敷を出ようとすると、背後から声が掛かる。西行は後方を振り向く。「西行、ここで何をしておる」聞いたことのある声だが…、やはり、、頼朝の荒法師にして政治顧問、文覚もんがくが、後ろに立っている。傍らに弟子なのかすずやかな眼差しをした僧をはべらしている。「おお、これは文覚殿。先刻まで、大殿(頼朝)様と話をしておりました」「話だと、何かよからぬ企みではあるまいな」 文覚は最初から喧嘩腰である。文覚は生理的に西行が嫌いだった。西行は院をはじめ、貴族の方々とも繋がりをを持ち、いわば京都の利益を代表して動いているに違いない。その西行がここにいるとすれば、目的は怪しまなければならぬ。「西行よ、何を後白河法皇ごしらかわほうおうから入れ知恵された」 直截に聞いている。元は、後白河法皇から命令され、伊豆の頼朝に旗をあげさせた文覚であったが、今はすっかり頼朝側についている。それゆえ、この時期に、この鎌倉を訪れた西行のうさん臭さが気になったのだ。「さあ、さあ、もし、大殿に危害を加えようとするならば、この文覚が許しはせぬぞ」 西行も、この文覚の怒気に圧倒されている。文覚は二〇年ほど前を思い起こした。1166年京都「西行め、ふらふらと歌の道「しきしまみち」などに入りよって、あいつは何奴だ」 文覚は心の底から怒っていた。文覚は怒りの人であり、直情の人である。思うことは直ぐさま行い、気に入らぬことは気に入らぬと言う。それゆえ、同じ北面の武士ほくめんのぶしのころから、気が合わないでいた。西行は佐藤義清さとうのりきよという武士であった頃は、鳥羽院とばいんの北面の武士。院の親衛隊である。西行は、いわば古代豪族から続く政治エリートであり、それがさっさと出家し、歌の道「しきしまみち」に入った。それも政治家など上級者に、出入り自由の聖ひじりなのである。西行は文覚に言う。「文覚どの、私はこの世を平和にしょうとおもうのです」「平和だと、うろんくさいこと言うな。おぬしの口からそんな言葉がでようとはな」「では、この国の形を変えるともしあげればどうだ」「くっつ」文覚は苦笑いしている。「その笑いは同じく国を変えようとされているからであろう」「何年たっても私の考えがおわかりにならないのか」「わかりたくもない」「で、藤原秀衡殿を呪殺されようというわけか」「主ぬしは何を企む。平泉と何を企む。まさか、」文覚は思う。「主は崇徳上皇にも取り入り、弟の後白河法皇に取り入り、また平泉にも取り入るつもりか」崇徳上皇は30年前、1156年保元元年、弟の後白河法皇に敗れている。保元の乱である。この後、四国に流されている。「文覚どの、鎌倉には法皇の命令で、今は鎌倉のお味方か」「だまれ、西行、貴様こそ、由緒正しい名ある佐藤家の武士でありながら、「しきしまみち」を使うとは先祖に対して申し開きできるか」「文覚どの、その言葉をお主にそのまま返そうか。お主も武士でありながら呪殺を江ノ島祈願いたしておろう」「うぬ。敵、味方がはっきりしたならば、お主を平泉に行かせまいぞ」「よろしいのか。大殿とのご命令は」確かに頼朝の命令は西行を平泉に行かせよである。「しかたがないな。ここで雌雄を決、、、」二人はにらみ合っている。恐るべき意識の流れがそこに生じていた。「御師匠様、おやめ下さい」かたわらにいる子供の僧が言いた。子供ながら恐るべき存在感がある。その顔は夢みる眦に特徴がある。「おおう、夢見ゆめみか。わかった。この西行殿が顔を覚えておけ」「西行様、初めてお目にかかります。拙僧の名前は、夢見でございます。京都神護寺からまいりました。師匠さまの事よろしくお願いいたします」夢見、後の明恵みようえである。法然ほうねんと宗教上で戦うこととなる。同時に、何かの集団が近きつつあった。「くそ、西行、味方が増えたらしいな。集団の守りで動くか。お主も。勝負はいずれ,まっておれよ」「文覚どの 生きて合えればなあ」西行も悪態をつく。 二人はふた方向にわかれた。「西行様、ご無事で」いつのまにか東大寺闇法師、重蔵が控えている。が、笑いをこらえている風情である。「おお、重蔵殿か。あいすまぬ」汗をかいている。「ふふ、私としたことが、つい歳を忘れてしまう。あやつにあうと」にが笑いをしている。「お知り合いでございますか」重蔵は、西行にもこのような面があるかと思い微笑んでいる。この有名なる京都「しきしきみち」の漢に子供のけんかのような、、「古い付き合いよ。北面の武士以来なのだよ。」西行は目に見えぬ廻りの集団が気に成っている。「結縁の方々、ありがとうござる。何でもございません。危機は、、もう終わり申した」重蔵の言葉に近くの樹木の影にいた気配がすべて消えていた。西行はにがりきった笑いをする。「法眼殿の手下か」先ほどの手勢は、鬼一法眼きいちほうげんが京都から連絡した結縁衆であろう。密かに西行を守っている。「あの子供の僧が気にかかります。夢見とか なにやら恐ろしげな、、」重蔵はつぶやいている。薄ら寒い10月の鎌倉の朝もやの中で、西行が先ほどの情景を思い出している。「重蔵どの。頼朝殿は、流鏑馬に熟達し、当代第一の弓持ちと言われたこの西行の前で、弓矢の技を見せられたのだ」東大寺闇法師重蔵が返した。「それは何をお考えなのでしょうや」「頼朝殿、平泉を攻めるつもりであろう」「えっつ、やはり」十蔵は西行を見た。が西行はすでに自分の殻に入り考えにふけっている。不思議な方じゃ、重蔵は最初の出合いを思い出している。「くそ、いらぬじゃまが、はいりおったわ。のう夢見よ」鎌倉になる文覚屋敷で。文覚が発した。夢見、後の明恵みようえは答えた。「西行様の背後には、あるやんごとなき想いが見えます」「和歌しきしまみちに対する想いか」「いえ、そうではございません。人で御座います」「女か」「いえ、ある男の方への想いで御座います」「では、まさか、あ、おの方へか、」文覚は、西行の想いが、待賢門院たいけんもんいんへかと思った。が,夢見ー明恵は違うという。待賢門院の兄は徳大寺実能、西行は藤原家徳大寺実能の家人であった。待賢門院は崇徳上皇の母である。夢見は感受性が強い、その人間の過去もうっすらと読み取る事ができる。夢見のよく見る夢は恐ろしい。きり刻まれた体の夢だ。夢見の父は,頼朝決起の戦いでなくなっている。母は紀州豪族、湯浅氏ゆあさの出身である。この時期の紀州は、熊野詣で大繁盛している。紀州熊野は仏教に在来の民間密教が結びつき、一大新興宗教の集積地として機能している。密教秘儀を身につけて貴族の保護をうける人物が、京都の政治を左右できる。桓武帝以降、宗教各派は、政治闘争を繰り返している。摂関政治に関与できた宗派が権威を持ち荘園を所有できる。仏教各教団は、経済組織でもあり、民衆もその権威に頼ろうとした。その夢見の夢想の中に西行が現れていた。続く2016改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所●http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月03日
G源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/20/源義経黄金伝説■第21回■西行と源頼朝はお互いの策謀を胸に話し合い、頼朝の矢懸場にて武技を競われる。源義経黄金伝説■第21回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube ◎「これは、これは有り難きご教示、有り難うございました。もう夜も白んで参りました」鎌倉の酉が鬨の声を告げていた。頼朝と西行二人は一晩中語り合ったのであった。 西行はわれにかえっている。まだ鎌倉にいて、頼朝の前なのだ。「西行殿、この鎌倉にお止まりいただけぬか」唐突な頼朝の提案であった。「いや、無論、平泉から帰られた後でよいのです」 と頼朝は付け加えた。「それはありがたい提案ですが」 西行は考える。黄金をこの地鎌倉に留め置くつもりか。加えて西行をこの鎌倉に留めおき、平泉の動き、京都の動きを探ろうとする訳か。「いやはや、これは無理なお願いごとでございましたな。それではどうぞ、これをお受取ください。これは旅の邪魔になるやもしれませんが…」 頼朝が手にしたのは、黄金の猫である「ほほう、これを私めに、それとも奥州藤原家に…」「いや、西行殿でございます」「私はまた猫のようにおとなしくなれという意味かと思いました」「いや、旅の安全を願ってのこと。他意はござらぬ」1186年(文治2年)、草深き坂東鎌倉に三人の男が対峙しょうとしている。東国で武家の天下を草創しようとする男。頼朝。その傍らにて、京都王権にては受け入れられず、坂東にて「この国の形」を変えようとする土師氏はじしの末裔。大江広元。対するに、京都王権の交渉家、貴族政治手法である「しきしまみち」敷島道=歌道の頂点に立つ。西行。頼朝にとって、西行は打ち倒すべき京都の象徴であった。京都から忌み嫌われる地域で、忌み嫌われる職業、武家。いたぶるべき京都。京都貴族王権の象徴物・大仏の勧進のために来た男・武士「武芸道」からはじきでた、貴族の象徴武器である歌道「しきしまみち」に乗り換えた男。結縁衆けちえんしゅうなる職業の狭間にいる人間とつながりのある男。さらには、奥州藤原氏とえにしもある。坂東王国を繰り上げようとした、平将門を倒した俵俵太の末裔。この坂東にも、そして、義経を育て平泉に送りこんだた男。対手である。その男がなぜ、わざわざ敵地に乗りこんだか。その疑問が頼朝の心に暗雲を懸ける。西行にとってこの頼朝との邂逅は、今までの人生の総決算にあたるかも知れぬ。その長き人生において最後の最終作品になるものかも知れなかった。心に揺らぎが起こっていた。その瞬間、西行に重源ちょうげんと共に歩んだ高野山の荒行の光景が蘇ってきた。山間の厳しい谷間、千尋の谷、一瞬だが、谷を行き渡る道が浮かぶ。目の前にあるその道をたどる以外にあるまい。「西行どのこちらへ」大江広元が頼朝屋敷の裏庭に案内される。矢懸場が設けられている。武家の棟梁、頼朝は、毎日犬追物をたしなんでいる。的と砂道が矢来をさえぎられ続いている。「ささ、こちらへ」促されるまま、西行は裏庭物見小屋へいざなわれる。遠くに見える人馬が、的を次々と射ぬきながら、こちらへ走ってきた、頼朝である。「いざ、西行殿の弓矢の極意を昨晩お伺いし、腕前の程をお見せしたかったのです」「大殿は、毎日武芸にたしなみを、」「西行殿は、我が坂東の武芸の祭りをご存知でしょうな」坂東のしきたりが、京都の弓矢道と結びついているのが、西行には理解できた。京都人でありながら、武芸は坂東と、頼朝は言っているのだ。馬をもといた場所にとって返し、再び、馬を駆けさせ、用意された的をすべて、射抜いている。我が坂東の武芸の祭りとは、坂東足利あしかがの庄にある御矢山みさやまで行われる八幡神を祭る坂東最大の武家の祭事である。「西行殿、奥州平泉からお帰りに、この祭りに参加いただきたいのです」馬上から、息をつきつつ、頼朝が叫んでいる。返事は無用という訳だ。答えようとする西行の前から姿を消し、再び馬首を元の方へ。西行は義経を助けなければ。が、藤原氏の黄金が、果たして役に立つのか。秋風の吹きはじめた鎌倉で、西行は冷や汗がでてきている。三度、的をすべて打ち矢って、頼朝は馬上から叫ぶ。「さらに、西行殿、義経のおもいもの、静の生まれし子供の事聞きたいのではござろうぞ。和子は男子がゆえに不敏だが、稲村ヶ崎に投げ捨てましたぞ」と言い捨てている。後ろ姿に笑いが感じられる。頼朝は、西行の策を、封じようとした。西行は動揺を表情に出さず。が、考えている。かたわらにいる大江広元を見た。広元殿、政子殿がいるなかば、わづかばかりの希望あろう。また、そうか、あるいは、静の母、磯の禅師が糸を引いているかも知れぬ。わずかだが、希望の光はある。極楽浄土曼陀羅、あの平泉におあわす方が。早く合いたい、さすれば、この身、西行法師の体は、まだ滅ぼすわけにはいかない、平泉を陰都となし、この世の極楽を、さらには、しきしま道にて日本を守れねばならぬと、西行は思う。頼朝は四度目もすべて撃ち終え、今度はゆっくりと馬を歩ませてきた。「西行殿、御家、佐藤家は、紀州にその領地がありと聞きます。弟君の、佐藤仲清殿。高野と争い絶えずときく。誠でしょうか」馬上の頼朝は、しばし、西行の回答を待っていた。「その御領地を、この頼朝の元に預けられぬか。さすれば、高野山との争いは解決して見せようぞ」佐藤家は、高野山山領地、荒川荘の領地におしいっている。西行のなりわいはこの弟の家からでている。いわば佐藤家の家作からから活動資金がでている。紀伊の国、那賀郡、田仲庄は紀ノ川北岸にあり、摂関家徳大寺の知行である。佐藤家はこの徳大寺の家人である。今では平家の威光を背景にしてきたのだ。その根っこを、頼朝は押さえよとしているのだ。「どうでありましょうな、西行殿、この申し出は」絡め手か。やはり、頼朝殿は、この西行と義経殿の関係を気づいているか。京都でもそのとこしるは、わずかだが、、大江広元が、秀才顔でしらぢらと西行をにらんでいる。大江広元は、水を得た魚。大江広元が京都から呼びだされ、この鎌倉に根付いた時、歴史は変わった。日本最優秀頭脳集団・大江家。元は韓国からくにから来た血筋。この関東坂東で同じ韓国からくにの史筋武家の平家と結びついた。「すべてのご返事は、平泉からの帰途におこないましょうぞ」西行は、頼朝の前から去ろうとした。「まて、西行殿」 大江が呼びとめようとするが、「勝負は、後じゃ」頼朝が止めた。「はっつ」頼朝が打ち据えた的が割れていた。的の裏側には、平泉を意味する曼荼羅が描かれているのだ。武家の棟梁頼朝が、打ち破るべき国だ。そして黄金もまた、、そして、西行は、まだ、最大の対敵、文覚もんがくとは、対峙していない。続く2016改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月02日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/19/源義経黄金伝説■第20回★東大寺大仏再建を計る重源は、東大寺闇法師、僧兵の中から選ばれた戦人、重蔵に命令する。源義経黄金伝説■第20回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube僧衣の男、十蔵じゅうぞうが重源ちょうげんの前に呼ばれる。十蔵は東大寺のために荒事を行う闇法師である。東大寺闇法師は僧兵の中から選ばれた戦人いくさびとである。十蔵は陰のように重源の前に、出現していた。「十蔵殿、わざわざ、かたじけない。今度の奥州藤原氏への西行殿の勧進、大仕事です。西行殿にしたがって奥州に行ってくださるか」「あの西行さまの……わかりました」「さて、十蔵殿、今、述べたのは表が理由です」「重源様、まだ別の目的があるとおっしゃいますか」「さようです。西行殿は私が思いどおりには動いてくださらぬ可能性があります。ましてや、この時世。鎌倉の源頼朝殿が、奥州藤原氏と一戦構えるかもしれません。いいですか、十蔵殿、西行殿が我々東大寺を裏切らぬとも限らせんぞ」「西行様が東大寺や重源様を裏切ると。しかし、西行様は、もう齢七十でございましょう」「いや、そうであらばこそ、人生最後の賭けにでられるかもしれません。西行殿は義経殿と浅からぬ縁があります。この縁はばかにはできませんぞ。十蔵殿、よいか、こころしてかかれよ」「西行様が 東大寺の意向にしたがわぬ場合は、、」「十蔵殿は、東大寺のために動いて下され」 重源は気迫のこもった眼差しで、十蔵に命じた。重源にとっても、この大仏再建の仕事は大仕事。失敗する訳にはいかなかった。重源は自らを歴史上の人物と考えていた。 重源の使命。いや生きがいは、今や東大寺の再建であった。先に重源は平家の清盛から依頼され、神戸福原の港を開削していた。この日の本に、重源以上の建築家集団を統べる人間は、存在しないのである。 重源は世の中に形として残るものを、生きている間に残しておきたかったのである。重源の背後には宋から来た陣和慶という建築家がいた。また朝鮮半島から渡ってきた鋳物師もいる。 そして、有り難いことに運慶、快慶が同時代人であった。この日本有数の彫刻家、運慶工房とも思える彫刻工房を作り上げ、筋肉の動きを正確に表す、誠に力強い存在感のある彫刻像を続々と作り上げていった。日本の始まって以来、二度目の建築改革の波が押し寄せて来たかのようであった。「重源様のご依頼でございますならば。このことをお断るわけにもいきますまい」 十蔵はにやりと笑う。そしてつけくわえた。「西行様のこと、承知いたしました。が……」東大寺闇法師は自らの意志などもたぬ。その東大寺闇法師の十蔵が、何らかの意向を重源に告げようとしていた。不思議な出来事であった。「十蔵殿、まだ何か、まだ疑問がございますか」 切り返す十蔵の問いにはすごみがあった。「私十蔵の死に場所がありましょうか」 重源は冷汗をかき答えた。死に場所だと、闇法師は東大寺がために死ぬことが定め。が、その十蔵とかいう男は、別の死に方を求めている。それも自らが東大寺闇法師中の闇法師という自信を持って言っているのだと、ようやく重源は思い答えた。「十蔵殿、、、時と事しだいでしょうな」 それにたいして「わかりもうした」平然と言う十蔵だった。 十蔵はすばやく姿を消した。「十蔵め、この仕事で死ぬつもりか」 重源は、十蔵が消えた方向を見遣り、つぶやく。「まあまあ、重源様。そう悩まずともいいではございませんか。重蔵殿にまかしておかれよ。茶を一服どうでございますか」 話を聞いていたのか、後から一人の若い僧が手に何かを持って現れている。巨大な頭のハチに汗がてかっている。 栄西であった。 重源と栄西は、留学先の中国で知り合い、友人となっていた。 そして、栄西は、仏典とともに、日本の文化に大きな影響をもたらす「茶の苗」を持ち帰っていた。栄西が手にしているのは、茶である。まだ、一般庶民は、手に入れることができぬものである。「ほほう、どうやら、茶は根付いたと見えますな。よい匂い、味じゃ。妙薬、妙薬」 重源は、栄西が差し出す茶碗をうまそうに啜った。「さすがじゃのう、栄西殿。よい味です」 その重源の様子を見て、栄西が尋ねる。「重源様、どう思われます。この茶を関東武士たちに、広めるというのは」「何と、栄西殿。あの荒々しい板東の武者ばらに、この薬をか…」重源は茶に噎せた。 重源は少し考え込む。やがて意を決したように、若者のように眼を輝かせながら言った。「いい考えかも知れません。思いもかけぬ組み合わせですが。京都の貴族よりも、むしろあの武人たちをおとなしくさせる薬効があるかもしれませんな」 なるほど、栄西はおもしろいことを考える。 重源や栄西には、自負があったのだ。日の本を実質動かしているのは、貴族でも武士でもない。我々、学僧なのだ。僧が大和成立より、選ばれた階級として、日の本のすべてを構築してきたのだ。それを誰もが気付いておらぬ。が、大仏再建がすでに終わり、この東大寺再建が済めば、我々の力を認めざるを得まい。重源の作るものは形のあるもの。そして、栄西は、茶というもので、日の本をいわば支配しようとしている。おもしろいと重源は思った。続く2016改訂★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://www.yamada-kikaku.com/yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月02日
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/18/源義経黄金伝説■第19回■源頼朝と鎌倉で話し合う西行法師は、奈良東大寺での勧進職であり、昔からの高野山聖以来の友人、重源との会話を思い出している。源義経黄金伝説■第19回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube★yamadakikaku2009ーyoutubehttp://www.yamada-kikaku.com/ 西行は、奥州藤原氏のことをしゃべり終わると、急に無口になった。頼朝は、話題を変えた。歌曲音舞、そして弓道のことなどである。頼朝はこの伊豆に住みながら、いつも京都のあのきらびやかな文化を、生活を恋い焦がれていた。武士という立場にありながら、京の文化を慈しみ愛していた。それゆえ、その京の文化に取り込まれることを恐れていた。 義経は、京の文化、雰囲気という、得も知れぬものに取り込まれ、兄頼朝に逆らったのだった。同じように義経より先に都に入った義仲も、京都という毒に当てられて死んだ口だった。 京都は桓武帝以来、霊的都市であった。藤原道長のときの安倍晴明を始祖とする土御門家が陰陽師として勢力を張っていた。 京のことを懐かしむ頼朝に、西行は佐藤家に伝わる弓馬の術などを詳しく述べていた。これを語る西行は、本当に楽しげである。 鎌倉幕府の史書『吾妻鏡あずまかがみ』には西行と頼朝、夜をあかして話し合ったとある』西行の頭の中に、急に奈良での重源ちょうげんとの会話が思いおこしていた。一一八〇年の平家による南都焼き打ちにより、東大寺及び大仏は焼け落ちていた。都の人々は、平家の横暴を憂える。また、貴族は、聖武帝以来の東大寺を焼き打ちする、平家、武家の所業が人間以外の動物に思えた。また、自分達、貴族に危機が及んでいると考えざるを得なかった。 東大寺の大仏は硝煙の中、すぐに再建に着工され、すでに大仏は開眼供養が一一八五年、後白河法皇の手で、行われていた。大仏を囲う仮家屋や、回りの興福寺を中心とする堂宇の修復が急がれていた。今、南都は立て続く建築物が現れ、ある種の気に満ち満ちている。 西行は東大寺焼け跡にある仮建築物にいる重源(東大寺勧進僧)を訪ねている。重源は齢六十五才であったが、精力的に各地を遊説し、東大寺勧進を行っていた。また全国に散らばらせている勧進聖から、諸国の様子を手にとるように得ていた。 勧進聖は、当時の企業家である。技術集団を引き連れ、資材を集め、資金も集める。勧進の場合、費用のために半分、残りの半分は聖の手元に入る。 西行は、佐藤義清という武士であった頃は、鳥羽院の北面の武士であった。 西行の草庵は、鞍馬、嵯峨などで、草庵生活を送っていた。草庵といっても仙人のように山奥に一人孤独に住む訳ではなく、聖の住む位置はほぼ決まっていた。そして藤原家を縁とする寺塔が立て並んでいる。 また、難行苦行の生活をするのではない。政事の流れから外れて、静かに物事を考えるのである。日々の方便については、佐藤家は藤原家の分家であり、大豪族であり、日々の心配はないのだ。 数日前、伊勢の庵に重源の使いの者が訪ねてきて、ぜひ東大寺再建の様子を見に来てほしいというのだ。若い頃、高野山の聖時代に知り合った二人だったが、すでに重源は二度、中国の宋に渡って、建築土木の技術を習得して帰国していた。「重源殿、お久しぶりでございます。このたびの大勧進抜擢、誠に祝着至極でございます」「おお、これは西行殿。わざわざ伊勢から奈良まで御足労をおかけいたしました。実はお願いがございます。さてさて、西行殿の高名にすがりたいのです」「はて、それは……」「奥州に勧進に行っていただきたいのです。奥州は遠く聖武帝しょうむていの時代より、黄金の産地。できますれば、黄金をこの東大寺のために調達いただけまいか。平泉は黄金の仏教地と聞き及びます。もし、藤原氏から、黄金が手に入りましょう」 重源は、西行と奥州藤原氏とのかかわりあいを知っていた。話の出所は後白河法皇に違いなかった。 時期が時期だ。奥州へ、それは朝廷から藤原氏への意向を伝えるために違いない。思ったより大きい仕事だ。が、これも私を信じておられるゆえんか。私の最後の一働きになるかもしれん。「それと、これは平泉におられる方々への手土産です」「何でござりますかな。重源殿のことでございますから」「これは…」 鎌倉の絵図である。「ありがたく頂戴いたします」 西行の顔色は変わっている。相手は、当代希代の建築家・都市建築家の重源である。「あの方の役に立てばよろしいですが」「役に立ちますとも。では、重源様、私にあのまちをよく見て参れというわけですな」「そうです。その鎌倉の様子を、詳しく書状にしたためてください。この重源が、いろいろな技者と語らって、新たな絵図をお作りしましょう」「ありがとうございます」「よろしいか、重源がかようにするは、京都の法皇様のためにでございます」西行は、重源がさりげなく奥州の秀衡たちに、自分の腕前を披露しようとしていることに気がついている。西行が去ったあと、重源に雑色ぞうしきが話しかける。「この御時世でございます。西行様のため、「東大寺闇法師」を護衛に付けた方がよろしいのではございませんか」「おう、よい考えです。誰か「東大寺闇法師」の中で心当たりの者はおりますか」「十蔵じゅうぞうが、いま比叡の山から降りてきております」「わかりました。ちょうどよい。十蔵を呼んでください」続く2016改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://www.yamada-kikaku.com/ yamadakikaku2009ーyoutube
2021年06月01日
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