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宮古島に移住して
史跡、人頭税石
先日紹介しました「仲宗根豊見親の墓」から海岸沿いに少し北上(砂山ビーチ・池間島・狩俣方面)すると、右側の一画に小さな石があります。
車で走っていると気づかないほど小さな石で、垂直に立っています。
これが「人頭税石」です。
名前の通り、かって税金取り立ての目安となった石です。
1609年に薩摩藩に侵略されて財政窮乏に陥った琉球王府が、1637年から1903年(明治36年)まで宮古島の島民から重税を取りたてていた名残りです。
というのも、15歳から50歳までの島民で身長が143cm(人頭税石の高さ)以上の者全員を対象とし、男性からは粟を、女性からは宮古上布を強制的に納めさせていました。
薩摩藩と琉球王府の2重支配を受け続けた宮古島島民の悲惨な歴史的史跡の一つです。
次の史跡は、18世紀に作られた道路跡(漲水石畳道)です。
(手前は掲示板です)
18世紀のはじめに、宮古島の治山・土木工事が精力的に進められていました。
こうした工事で得られた石を切り敷く事で、各村々の道路を2間半に拡張するための改修・新設が行われました。
その時に造られた石畳も、港の整備などで多くが消失してしまいました。
しかし、漲水御獄前から祥雲寺北東の辻へ昇る石畳がわずかに残っていています。
一つ々の石が角をなくして丸みを帯びていて、300年間の歳月や当時の様子を偲ばせてくれます。
それにしても、当時の道幅としてはずいぶん広く取ってあります。
人や馬車・荷車などの往来が多かったんでしょうか?
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