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神戸の今のマンション
中山手という地名だ
このマンションより山手側には、昭和の香りがする住居や町並みが残っている
一方、海岸側といえば、平成の香りのみ
1995年1月17日、地盤がしっかりしていた山側は残り軟弱だった海側は倒れたり、火災が発生したのだ
そんな神戸
3か月前の11日は、オフィスにいた
コーヒーをいれて、席に戻ろうとしたとき
自分が揺れた
自分が揺れた、と思った
会社で倒れるわけにはいかん! と踏ん張ってみたものの
ゆらゆらゆらゆらゆーらゆら
ミーティングスペースからの「地震?」の声に
自分が揺れているのではなく
地面が揺れていることに気がついた
免震構造の神戸のオフィスそれでも、大きく、ゆっくりと揺れていた
インターネットの地震速報には東北地方のものしかなく
こんな遠くの地震と同じじゃないよななどと、思ったりもした
震度の情報が入ってきてから
これは大変
と、ようやく認識した次第だ
オフィスのテレビに映し出されたのは
大津波警報とともに、津波が地面を這う
ヘリコプターからの映像だった
隣の同僚は、しゃがみこんでしまった
高校生の時に被災したときのことがフラッシュバックしてしまったらしく
しばらく、じっとしゃがみこんでいた
私も、テレビの画面を見続けることはできなかった
非現実なのか、現実なのかそれすらも、判断できないような
そんな状態だった
それから3カ月
復興どころか、復旧すらままならない
できること、何だろう
3.11からずっと考える
何もできない
何もできない
何もできない
直接的には、何もできないけれど
私にできそうなことといえば
神戸から、経済をささえることくらいなのだ
4月にシンガポールでの国際学会に参加した私が日本人だとわかると、ほとんどの人が
「必ずや、日本は復興できる!」
と声をかけてくれた
そう、できるはず!
できるんだ!
きっと、私という一人も、ほんのちょっとの本当に、本当に、ちっぽけなことなんだろうけど