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先週の金曜日、某サイトの管理画面の使い方のマニュアル全ページをダウンロードし、カラーで両面印刷しました。”ここ”の操作の仕方がわからない ― というピンポイントな場合なら、オンラインマニュアルを見ながら操作するのですが、まったく初めて使うサイトゆえ、ざっくりとでいいので全体像をつかむ必要がありました。コストを考えるとモノクロ印刷にしたいところですが、老眼になった目にはマニュアルのような細かな字が並んでいるものをモノクロで見ると、何かしら見落とす可能性があります。。見やすい状態で確実に内容を把握するには背に腹は代えられぬと、表紙も含めて148ページあるマニュアルをすべてカラーで印刷しました。(せめて用紙の枚数を減らそうと両面印刷した次第…)印刷したのは15時ごろ。管理画面の細かい操作法はとりあえず置いておいて、どこに何が書いてあるかを把握する程度にパラパラと眺めていました。すぐにでも取り込まなくてはならないデータファイルがあったので、その手順だけしっかりと見て、月曜日の朝イチで作業できるような準備をしました。そして、印刷したマニュアルをクリアファイルに入れ、机の引き出しに入れて帰りました。週明けの月曜日。朝イチに予定していた作業に取り掛かろうと、マニュアルを取り出したところ、クリアファイルがぺろんと反っている。。机の引き出しに入れたときの入れ方がマズかったのか!?と思いました。角を反った状態で入れちゃったとか。重いものを上に載せて重しにし、反りが反対側に戻らないかとやってみましたが、火曜日の今日もそのままの状態です。「これ(クリアファイル)って、どうしてぺろんと反るのかね?」何気にTくんに言ったところ、すぐさま調べてくれました。彼にも思うところがあったようです。そして、教えてくれたのがこのページ↓クリアファイルが反る-----クリアファイルの素材であるPP(ポリプロピレン)は、比較的安定した素材で、酸やアルカリに対しても耐性は良好です。しかしながらひとつ大きな弱点があります。それは、ある種の溶剤(キシレン、シンナー等々)が生地に溶け込んでしまうという点です。「クリアファイルにパンフレットを挟んでいたら、いつの間にかクリアファイルが外向きに、めくれあがるように、反りかえってしまった」もし、こんな現象に出くわされたとしたら、それは、溶剤がクリアファイルに染み込んだことによる膨潤作用です。クリアファイルの内側に、溶剤が染み込んだために、生地の内側だけが膨張し、外側へ反り返ったのです。その溶剤はどこから来たのか?犯人は、中に挟んだパンフレットです。紙に印刷をする場合、通常のオフセット印刷等ではインキに溶剤が含まれています。溶剤ですから、どんどん蒸発していってしまいますが、その印刷物に溶剤がまだ残っていたのです。そのパンフレットに残留していた溶剤が、クリアファイルの生地に接触し、クリアファイルに染み込んだのです。必ず起こるとはとは限りません。まれな現象です。私の経験で申し上げると、たくさんインクを使ったフルカラーのパンフレット、しかも、そのパンフレットが出来立てホヤホヤで、すぐクリアファイルに挿入した。これが一番危険です。もちろん私の感覚的な意見です。どれぐらいの量の溶剤が残留していたら、その現象がおこるのかなどの、数値的な基準はわからないのです。めったにおこらないのです。しかし、起こってしまったら、もう元には戻りません。-----この説明で納得しました。全ページカラー印刷したマニュアルを、比較的早いタイミングでクリアファイルに仕舞っています。いちばん危険なことをやらかしていましたw さもありなんwwwぺろんと反ってしまったクリアファイルはとても使いにくいので、処分させていただきました。。みなさんもご注意を!
2017年01月31日
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朝、会社に行くのに家を出ようとしたら、玄関ドアのチェーンが抜けない。。何度やっても抜けない。。10分くらい格闘しましたが、やっぱり抜けない。このままでは家から出られず、会社に行けないので、観念して大家さんに電話。その後、「家でトラブルがあって出社が遅れます。でも、何時になるかわかりません」と会社に電話。大家さんはすぐに見に来てくださいましたが、チェーンをかけたままドアを開けると、ほとんど開かない(隙間がない)状態。「これだけしか開かないのか? これでは電動ノコギリも入らない」そのとき、お互いに気づくべきでした。なぜこれだけしか開かないのか?チェーンが短くなっているから…ということに。そして、チェーンが短くなっているのはチェーンが短くなっているから…ということに。が、お互いに気づかなかったため、大家さんはベランダから侵入することに。晴れた日でよかったです。。ベランダから侵入なさった大家さんは、チェーンを見てひと言。「チェーンがねじれてますね」それによってチェーンが短くなっているため抜けないということに大家さんは気づいたようですが、私はまだわからない。。ねじれが解消され、長さが元通りになったチェーンはあっさりと抜けたのでした。。ああ、恥ずかしい。。大家さんに電話してから30分ほどで脱出できたため、さほど遅れることなく出社できたのでした。あまりにもアホ過ぎて、何があったのか会社の人には言えない。。(またトイレの調子がおかしくなったのか?と思った人から尋ねられたので、その人には正直に言いました)こんなアホなこと、ほかにも経験したことがある人はいるだろうか?と思ってググってみたら、いらっしゃいました。でも、ご自身で解決なさっています。------------------------------------------------------------------ドアチェーンが上の穴に届かず外れない&開かない!外に出られない場合新しく引っ越した部屋で、毎回玄関のドアチェーンをかけていました。たまに、チェーンが外れにくいな~とか思っていました。日に日にチェーンの長さが短くなっているような気がしましたが、気にせずにチェーンをかけていたら、2週間後くらいにチェーンが外れなくなり、外に出られなくなりました。引っ張ってもドアチェーンの長さが足りずに、上の穴から取り外すことができないんです。今までもドアチェーンのある部屋には何回も住んだことがありますが、今回の様になったのは初めてなのでちょっとパニックに。特に約束などの予定のある日じゃなくて良かったです。「ドアチェーンが外れなくて遅れました」とか信じてもらえ無さそうですし。状況としては、このヤフー知恵袋の人と全く同じでした。外に出れない!と思って、最終的には鍵屋さんなんかにドアチェーンを外から切ってもらうことになるのかなとか思いながら色々やってみました。ドライバーでドアチェーンのネジが外せそうだったんですが、固くて1つしか外れませんでした。もう一つの固くしまったネジはドライバーの持つ部分が壁にぶつかるため、取るの無理だろうという位置にありましたし。落ち着いて「チェーンがなぜ短くなったか?」を考えると、ねじれている(絡まる)可能性が高いわけですよね。だから、何周かひねってみたらチェーンが長くなり、無事外すことができました。ひねる方向は2択で、どちらかにひねるとチェーンの長さが短くなるか長くなるはずです。長くなる方向にひねり続けましょう。結局15分から30分くらいドアチェーンと格闘していたのでした。こんなにねじれやすいドアチェーンは初めてだったので、「ドアチェーンがねじれる」「ドアチェーンが絡まっている」ということに最初気づきませんでした。ドアチェーンが丸いチェーンではなく、ひし形っぽい感じのチェーンなので絡まりやすいようです。引越し直後にドアチェーンがどういう物かは確認した方が良いということを学びました。------------------------------------------------------------------私は、一人暮らしを始めてかれこれ25年近く経つのですが、こんなことは初めてでした(笑)。出社後は、そんなことがあったことも忘れてふつうに仕事をしました。さて、帰宅途中でスーパーに寄り、求人誌をもらいましたが、手にした瞬間に「薄い!」と思いました。そりゃそうだ。帰宅後は数独を1問。
2020年06月10日
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富山の地元紙より五人展が最後との報を知り、出かけてきました。昨年亡くなった大島秀信さんの作品が好きでしたが、自然を描いた作品が師事なさった東山魁夷のそれと通ずるところがあるからかもしれません。私は東山魁夷も好きなのでして…。明日、アウェイ長野戦を観る前に東山魁夷館へ行く予定にしています。善光寺の御開帳最終日はパスして(笑)。-----最後の5人展 県民会館で28日開幕(2015年05月28日 00:13)ことしで最後となる「5人展」の展示作業が27日、県民会館美術館で行われた。メンバーの一人で昨年亡くなった富山市の日本画家、大島秀信さんの追悼展となる。会場には、新たな美の表現に挑み続けてきたメンバー5人の大作が次々と飾り付けられ、28日の開幕に向けて準備が整った。入場無料。北日本新聞社主催。5人展は1969年にスタート。斬新な発想の作品を毎年発表し、40年以上にわたって県美術界に刺激を与えてきた。メンバーだった洋画家の鶴谷登さん(高岡市出身)、鉛筆画家の頭川政始(まさし)さん(同)の2人が既に他界していることに加え、中心的な存在だった大島さんが亡くなったことから、今回で幕を閉じることにした。メンバーの洋画家、野上祇麿(ただまろ)さん(富山市)と林清納(きよの)さん(砺波市)を中心に作業を進め、色合いや陳列の間隔、順路などを考えながら会場を構成した。作家ごとに空間を仕切り、個展形式で作品を展示。新作や遺作をそろえ、5人展の軌跡を伝えるようにした。大島さんの色紙や愛用品も飾った。野上さんと林さんは「来場した皆さんと一緒に、自分たちの足跡をたどりたい」と話した。-----最後の「5人展」開幕 県民会館美術館(2015年05月29日 00:35)■大島さんしのび、「40年」振り返る今回で最後となる「5人展」が28日、県民会館美術館で開幕し、初日から美術ファンや画家らが続々と詰め掛けた。出品作家の一人で、昨年亡くなった富山市の日本画家、大島秀信さんの追悼展でもあり、遺作11点をそろえたほか、現役メンバーの新作など計36点を紹介。来場者は、40年以上にわたる歴史を振り返り、なおも尽きない創作への熱意を感じ取っていた。6月1日まで。北日本新聞社主催。5人展は、当時気鋭と呼ばれた作家たちが1969年に始めた。毎回、斬新な発想の作品が並び、県内外の作家たちに刺激を与えていた。メンバーだった鉛筆画家の頭川政始(まさし)さん(高岡市出身)、洋画家の鶴谷登さん(同)の死去も乗り越え回を重ねてきたが、リーダー的な存在だった大島さんが他界し、今回で幕を閉じることにした。作家ごとに空間を仕切り、個展形式で作品を飾った。大島さんは、過去の出品作の中から、第1回展に出した「赤いグラス」など代表作を集めた。洋画家の野上祇麿(ただまろ)さん(富山市)は「記憶の風景」シリーズの5点、林清納(きよの)さん(砺波市)は「ガンガーの女」シリーズの7点を発表。鶴谷さんと頭川さんのコーナーには、遺作計13点を飾った。開場と同時に大勢が来場し、急きょ解説会も開かれた。林さんはメンバーと主張をぶつけ合ったことを振り返り、「仕事への姿勢が厳しく、毎回どんな作品で挑んでくるのか、楽しみにしていた」と語った。野上さんは「終了は寂しいが、新たな一歩を踏み出すきっかけにしたい」と述べた。開幕直後に訪れた富山市の洋画家、水島紅児さん(73)は「大先輩の作品がそろう最後の機会と思うと、胸に迫るものがある」と話し、同市の日本画家、佐藤日出信さん(78)は「40年以上続けてきたパワーに圧倒された。刺激を受けてきたので残念」と惜しんだ。-----日本画家の大島秀信氏死去(2014年08月31日 01:10)県内画壇をけん引してきた日本画家で、元日展参与の大島秀信(おおしま・ひでのぶ)氏が29日午後9時7分、肺炎のため富山赤十字病院で亡くなった。86歳。自宅は富山市五福581の5。通夜は9月1日午後7時、葬儀は2日午前10時からいずれも富山市稲荷元町のセレモニーホール平安で。喪主は妻、和子(かずこ)さん。戦後間もなく日本画家を志した。日本画家の東山魁夷(かいい)と川崎小虎(しょうこ)に師事し、1951年に23歳で日展に初入選した。「自然との共生」をテーマに叙情的な画風を確立し、70年に特選・白寿賞、81年に特選を受賞した。69年には県内の中堅作家4人と共に「5人展」(北日本新聞社主催)をスタート。今年5月の41回展まで毎回、実験精神あふれる作品を発表し続けた。県美術連合会長や県日本画連盟委員長を務め、後進の育成に力を入れてきた。1995年に北日本新聞文化賞を受賞。2010年には、県と県立近代美術館、県水墨美術館に、初期作品や日展出品作など28点を寄贈した。今月6日、定期健診で肺炎であることが判明し、入院していた。■自然と文明 関係問う自然を破壊しなければ、繁栄を手にできない人間とは何なのか。29日夜に亡くなった富山市の日本画家、大島秀信さんは、作品を通して自然と文明の関係について問い続けた作家だった。幼いころから絵を描くのが好きだった。画家になることを決意したのは戦後間もなく。焼け野原になった富山平野から立山連峰を見て、無性に絵を描きたくなったという。「公募展に挑むなら、最も競争の厳しいものにしよう」と国内最大の総合美術団体・日展に出品。1970年には、氷見の巨木をモデルにした「樹蒼」で特選・白寿賞を受賞。自然を描きつつ、畏怖(いふ)の念を感じさせるメッセージを込めた画面は、師事した東山魁夷(かいい)ゆずりだ。日展という日本画壇の「保守本流」で会員、評議員と着実にステップアップする一方、富山という地方から表現の革新に挑もうとした。躍の舞台としたのは、同世代の仲間と始めた「5人展」。自然美を描いてきた日展出品作とは対照的に「社会」や「人間」をモチーフにした。時には愛車を会場に持ち込み、奇抜なペイントを施して来場者を驚かすこともあった。酒を酌み交わせば、作家仲間と芸術論を戦わせる一方で、自らの体験を交えたユーモラスな話で場を沸かせた。常に作家たちの輪の中心にいた。訃報を聞き、今さらながら86歳だったことに驚かされた。ジーンズを履きこなし、講師を務める北日本新聞カルチャー教室や展覧会などには自慢のスポーツカーで乗り付けた。「やりたいことができた幸せな人だった」と妻の和子さんは振り返る。美術の魅力を伝えようと全力で走り続けた人生だった。(文化部・黒田修一朗)■「ライバル失った」 県内外の画家悼む「ライバルを失った」「もっと教わりたかった」―。富山市の日本画家、大島秀信さんが29日夜、亡くなったことを受け、共に切磋琢磨(せっさたくま)してきた県内外の画家たちからは、突然の死を悼む声が相次いだ。大島さんは20代の時、日本画家の東山魁夷(かいい)と川崎小虎(しょうこ)に師事。小虎の長男で、当時大島さんと一緒に指導を受けた元日展参与、川崎鈴彦さん(89)=東京=は「東山先生に若手のホープとして注目されていた。世界に通用する美術の流れを起こそうと、一生懸命だった」と振り返る。県内作家による「5人展」(北日本新聞社主催)には、1969年の1回展から毎回参加。メンバーの一人、洋画家の野上祇麿(ただまろ)さん(84)=富山市=は「快活な性格で私たちを引っ張ってくれた。突然のことで言葉が見つからない」と肩を落とした。ことし5月に開かれた41回展には新作5点を発表し、次回展への意欲も示していた。もう一人のメンバーで洋画家の林清納(きよの)さん(78)=砺波市=は「どんな作品を出品するのか、毎回楽しみだった。ライバルがまた一人いなくなった」と言葉少なに語った。日展をはじめ、県展や越中アートフェスタなど、各種公募展の審査員を務めた。県日本画連盟委員長の坂田潤世さん(54)=立山町=は「私自身の作品の至らない点を的確に指摘していただいた。まだまだ教わりたかった…」と惜しんだ。-----
2015年05月30日
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