今、映画を一時停止させました。私にとっては今までで一番怖い映画。最後まで見続ける自信がない。
見たくないことからは目を背けていることが出来る。
この映画を見なければ、私は気づけなかったかもしれない。私の腕にある傷、脚にある傷……の意味を。
この部屋の中で何度”助けて”と叫んだことか
人は花や鳥を殺すことが出来るが、花には花の鳥には鳥の美しさがある。花にも言葉があり、鳥にも言葉があり、その心までは殺すことができない。
今、母親と話しました。相変わらず、自分の心のオリの中に引きこもっていました。必要以上に汚い言葉遣いをしていました。
私は悲しく、嘘と真実をないまぜにしました。直視する力がないのならば、フィクションを混ぜればいい。そして、真実に一歩一歩一歩
ああ、そしてまた一歩。人は自分の黒さを流す為に、忘れる為に、白を征服しようとする。それが、私の恋物語だった。
そのことがわかりつつ……助ける価値のない人間もいるということに。
私はその人を愛するという宿命だったのだろうか?
たぶんそうだったのだろう。一人の人間だけを愛することはできない。それが最も深い愛ということならば。聞く耳を持たないのならば、無理なのだ。
私に性的ないたずらをしかけた爺さんの隣で、その人はお酒を売る。その真実を知りながら、お酒を売る。私を口説きながら、結局は手に入れることができなかったその人は、私に欲望を持ちながら、他の女性と同棲し結婚するだろう。
気のせいならば、その人はとても苦しんで死ぬことになるだろう。テーブルに身をうつぶせるようにして、口から血を吐きながら。どうしてなのかわからない。気づくことが出来ず、何故自分がこんな目にあったのか、理解できず、苦しんで死んでしまうだろう。
お金の問題に巻き込まれることになる。女性は自殺するかもしれない。耐えられる人ではないから。その女性は私のことが好きだった。とても好きだった。
初めて会った時その人は名乗らなかった。一人で来てカウンターでお酒を飲んでいた。私から話しかけた。何故かカウンセリングのようなことをやった。私はその人が店長の恋人ではないか、と、思った。実際にそうだった。
混沌とした悩みの吐露を聞いた後に、私はその女性に言った。
”幸せじゃないですか。いい人がいて”
彼女は”何のこと?”と言った。彼女が話さないことをそれ以上突き勧めるわけにはいかない。私は待った。彼女は言った。
”いい人なんていないわ”
寂しさだった。
私は慰めた。心をこめて。
そして、彼女は私を好きになった。愛するようになった。
その後一生懸命私は彼女を避けるようになるが、彼女はその意味を知らないと思う。店の外で幸せそうに恋人を見つめる彼女を見た。信頼しきっている目だった。
私は後ろめたさを感じた。そして恨んだ。愛は憎しみと裏腹だった。
”やめろ”と彼は言うだろう。”やめてくれ””お前の活ける花は見たくない””花を店に活けることなど許すのではなかった”彼は思うだろう。
”花は見たくない”
ああ、今は私の花が誇らしげに咲いている。私のテーマとなる花が。彼はそれを見てしまったら思い出すのだろうか?あの忌々しい花。
シェフは言った。一緒に彼と出かける。
”友達ですね”と私が言うと、”俺は彼を友達だと思っているけれど、彼はそう思っているのかなぁ……”
残念ながら、人の業はその愛するものにかかる。
誰が彼らの業を引き受けるのか。それは彼らの子供達である。恋人である。妻であり夫である。
私にこの言葉を語らせているのが、誰かはわからない。
ふと待つと、言葉が降ってくるのだ。
これは何だろう。どういう力だろう。
長いこと眠っていないのに、穏やかな気持になれる。昨日から。ある出会いから私は少し変った。ある人との会話で。
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SEAL OF CAINさんComments