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先週の10日と11日に奇跡の星の植物館併設のバラ園で、バラの剪定と接ぎ木の講習会がありました。一日目は、午前10時から午後4時まで、そして、二日目は午後3時まで。もの凄く沢山あるつるバラや木立バラを、教えて頂きながら次々と剪定。我ながら感心するくらい、バッサリと剪定しました。ここで体験していなければ、我が家のバラたちも、勿体なくて、そんなに思い切っては切れなかったでしょう。春に立派な花を咲かせるためには、この思い切りが大事なんだそうです。二日目は、早めに切り上げて接ぎ木の実習です。ひとり3本ずつ接ぎ木用の台木を頂きました。穂木は、剪定の時に確保していたのを使います。先ず、先生が見本を示して下さった後、みんなで自分用のを接ぎ木します。用意するもの台木と穂木穂木の調整台木の調整台木のカット 穂木のカット台木と穂木を接ぐ出来上がり接ぎ木苗植え込み後の管理日当たりのよい屋内のカーテン越しに置くのがいいそうです。定植は、4月以降で小さめの鉢に植えること。春は、花を咲かせずに樹の育成の心がけ、秋から花を楽しみましょう。明日は、自前の台木と穂木で、もう一度、接ぎ木に挑戦するつもりです^^昨年末で終了したと報告されていた1円募金は、又始まっていますので、引き続きご協力をお願いいたします。
January 16, 2012
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「教科書でもう1度学ぶ日本史 奈良時代」の一回目は、7月1日(月)に行って来たのですが、2日後に東北旅行に行ったので、ブログに載せる機会がないまま一か月以上経ってしまいました。これからもずっと、この日本史シリーズに参加する予定なので、遅まきながら記録として残しておきたい思います。奈良に付いて、早めの昼食後、最初に行ったのは、平城京跡でした。710年、元明天皇は藤原京から、奈良盆地北部の平城京へと遷都しました。この後、山城国の長岡京・平安京に遷都するまでを、奈良時代といいます。平城京は、唐の長安に習って、碁盤の目に状に東西・南北に走る道路で区画された都市でした。平城京跡は、発掘調査の後、平城遷都1300年祭に向けて、一部復元されました。復元された平城宮の正門 朱 雀 門元日や外国使節の送迎の際に、この前の広場で儀式が行われました。朱雀門前での歌垣の様子朱雀門は衛士たちによって守られ、常時開いていたわけではありませんが、宮の正門としての権威とともにその勇姿を内外に誇示していたのです。朱雀門を潜ると、遥か遠くに第 一 次 大 極 殿が見えます。このだだっ広い広場も、国内外への権威の誇示のひとつです。日陰で、講師の先生から説明を受けました。復元された第 一 次 大 極 殿天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれた施設です。生憎、この日は月曜日でお休み。中へ入れなかったのですが、平城遷都1300年祭の時に大極殿の中に入ったので、他の人達ほどには残念に思いませんでした。大極殿の方から朱雀門を見ると、その前に阪神電車の架線が通っています。平城京跡の敷地内にです(苦笑)「こういう所は、奈良県人の大らかさだ。」と、奈良県人の講師の先生が苦笑されていましたが、ホントは、近鉄電車の前身である大阪電気軌道が開通時(大正3年)には、まだ史跡として保護されていなかったから。平城京跡MAPここには大極殿跡が2ヶ所あって、もう一つは、740年に平城京から恭仁京に都が移り、難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、元の場所とは別の場所に建てられました。これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。復元されたのは第一次大極殿の方で、第二次大極殿跡には基壇と、建物の柱のあった場所にはツゲの木が植えられて、円柱形に刈られています。宮跡からは、東の方に若草山と三笠の山西には生駒山が見えます。次は東大寺へ行きましたが、長くなるので、次回にさせて頂きます。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)「東北関東大震災」支援クリック募金お帰り際に1クリックをお願いします
August 5, 2013
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