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忙しくなりたい人におすすめの場所があります。神社です。ぜひ、行って見てください。場所は宮崎県と熊本県境の熊本県、大和町(旧蘇陽町)にある、その神社の名は「弊立(へいたて)神宮」です。九州のど真ん中にあるそうです。山の中にあり癒されます。今ではパワースポットとしてメジャーになりつつあり全国各地から参拝にきているそうです。神宮ですからでかいです。神社の横を下って数分歩くと龍神さまを祭っている所に湧き水でています。その水、パワーの水を持ち帰り飲むといいみたい。とにかく忙しくなりたい人は行って見てください。どういう形で忙しくなるかは人それぞれです。仕事でいそがしくなるのか、遊びが忙しくなるのか。私の場合は自営ですので仕事が増えて忙しくなりたいので弊立に行ったのですが、なんと忙しくなったのは妻(弊立には行っていない)方です。毎日、残業、残業で家のことができなくなり、かわりに私が家事に追われて忙しくなりました。(笑)いろいろな形でやってきますよ。宮司はストーンズのキースみたいな人でした。
July 27, 2006
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昨日、飯田史彦さんの講演+ミニライブを聴きに熊本へ行ってきました。行く途中、阿蘇を通ります。阿蘇は船井幸雄さんが言ってるようにイヤシロチです。阿蘇市に入っただけで気分が爽快になりました。阿蘇はいい所です。阿蘇山もありますし九州に来たらぜひ阿蘇へおこしください。熊本県腎移植者の会、設立10周年記念講演ということで飯田さんは来られたようです。飯田さんの講演の前に、こうだひろこさん(移植を待つ家族の会、代表)の講演がありました。移植についていろいろ考えさせられました。日本はおくれているんですね・・・・飯田さんの講演ですが著書等で知ってはいましたが、やはり生飯田はいいですね。笑いあり涙あり最高の講演でした。ミニライブのほうですが、飯田さんの歌を聞くのははじめてです。けっこう場慣れしていて上手でした。この人の職業はいったいなに?・・・・(笑)1曲目は「いつまでも、いつまでも」さだまさし風の曲でした。2曲目は「生きていく明日からも」坂本龍一さんが作曲したニュース23のテーマソング風の曲でした。2曲ともすごくいい曲でした。飯田さんには悪いのですが、さっそくパンク風にアレンジしたいと思います。(笑)
June 13, 2005
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本日ついにグッドシャーロットの福岡公演(7月4日ZEPPU FUKUOKA)のチケットをゲットしました。やったーやったー発売5分ですんなり購入できたので、グッドシャーロットの認知度はまだまだ低いのかな・・・・思ってしまいました。ライブはきっとスタンディングでしょうから2時間近く「わあーわあー」「ぎゃーぎゃー」。おじさんの私には体力がもちません。よって私のかわりに息子(グッドシャーロットの大ファン)がライブに行きます。それでは後日、グッドシャーロット福岡公演の詳細をレポートします。
June 11, 2005
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ほとんど毎日グリーンデイのアルバム「アメリカン・イディオット」聞いています。今年の1月からずうーっとですよ。不思議なことにぜんぜん飽きないんです。普通これぐらい聞くと飽きてくるんですけどね。「なぜなのでしょうか?」、たしかに素晴しいアルバムですよね。すでに750万枚もセールスしているそうで1000万枚こえるでしょうね。全曲シングルカットしてもいいんじゃないかと言われているそうですが、やってほしいですね。グリーンデイは名実ともにビックバンドになりました。日本のライブはアンコールはクイーンの「ウィウィルロックユー」をやったそうでクイーンとかたを並べたということでしょう。すごい。
April 16, 2005
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クイーンがボーカルに元バッドカンパニーのポールロジャースを迎え再始動。3月末からヨーロッパツアー、残念ながらオリジナルメンバーのジョンディーコンは参加してないようです。日本に来ないかなあ?継続して活動するのかなあ?アルバムを作るのかなあ?・・・いろいろ考えちゃうよ。さらに、オアシスのニューアルバムが5月に発売。ストーンズもニューアルバムを作成中、U2がこの秋に来日?などなど、GOODニュースが飛び込んでいます。楽しみ楽しみ。そんな中、2005年、注目バンド、オーストラリア出身、3人組のネオン。中年ロッカーの心を揺さぶるギターロックです。「サンシャイン・ラブ」のようなリフで始まる「ヒット・ミー・アゲイン」一度、聴いてみてください。人気急上昇中です。
March 19, 2005
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3月13日九州では季節はずれの雪の中、自ら選択した険しい道を夢実現のため、長男は博多に出発しました。ずいぶん前からこの日がやってくることはわかっていたのに・・・・笑顔で別れるつもりが、涙がとまりませんでした。18年間もいっしょに暮らしていたら、別れは寂しい。
March 13, 2005
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某誌が選んだ2004年のアルバム・オブザイヤーで堂々の1位になったグリーンデイの「アメリカンイディオット」アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアで初登場1位を獲得した作品です。グリーンディはあまりよく聴いたことがないので「アメリカンイディオット」を本格的に聴いてみました。音楽誌の解説はゴチャゴチャむつかしいことを書いていて、わけのわからないことを言っておりますが、単純に表現いたしますとメロデイ、メロデイしていない。コーラス、コーラスしていない。パンク、パンクしていないのです。とにかくバランスがいい。聴いたら爽快な気分になるロックでした。すばらしいアルバムです。
January 30, 2005
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2005年を迎えました。おめでとうございます。2005年はロック誕生50周年だそうです。ロックの誕生は、1955年アメリカ、映画「暴力教室」が公開されました。その主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」この曲がロックの最初の曲と言われています。唄っているのはビルへイリー。翌年、エルビスプレスリーの出現によってロックは若者に認知されます。60年代に入るとロックはイギリスに渡りビートルズやストーンズを誕生させ、その後、ハードロックやパンクの出現、へヴィメタル、ビート、レゲエ、ラップ、ヒップホップなどなど融合と変化を繰り返しながら現在に至っていると思われます。ロックの定義は広いのだ。Y新聞のよりますとロック誕生50周年と題しまして名盤50作品を紹介しています。選考者の好き嫌いもあると思いますが、50年を4つの期間に区切り、納得のいく選考になっています。(1月1日の新聞に載っています。)ちなみに1995~2004は再構築期だそうですが2005年はロックにとって何期の始まりになるのでしょうか?
January 5, 2005
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2004年もあと数日となりました。2004年はどんな1年でしたか?私自身のロック的な出来事は、やはり8月のあの熱い夏の日に聞こえてきた「リッチアンドフェイマス」と「ホールドオン」そうです、グッドシャーロットに出会えたことです。彼らに出会えたおかげで、忘れかけたあの熱い想いを取り戻すことができ、本当にロックが好きな自分を再認識できました。ロックとかかわって生きていく事が天命なのだと気づいたのです。本当にありがとう、感謝しています。ベンジー殿話は変わり、2004年、アメリカで最も多くのライブチケットを販売(売上高)したアーチストが発表されていました。1位はプリンス8740万ドル(90億7800万円)2位はマドンナ7950万ドル(82億6300万円)2人とも80年代を代表するスーパースターです。がんばっていますね。歴代1位は94年のローリングストーンズです。1年間で1億2120万ドル、日本円にしたら150億円ですか、すごいの一言です。上には上がいます。2005年はグッドシャーロットが上位に来ることを期待して・・・・・今年を終わります。
December 28, 2004
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今年も残すところ1週間程となりましたが、来年2005年はパンクキッズにとりましては最高の幕あけとなりそうです。そうそうのパンク、ビックバンドの来日ラッシュです。全部見に行きたいよー。1月にはスティング、デュランデュラン(パンクじゃないよ)2月にはブーの今、最もお気に入りの必ず毎日聴いている、前置きが長いが、グッドシャーロット、3月に入るとグリーンデイとSUM41とやってきます。特に注目はグリーンデイとグッドシャーロットです。ともに最近ニューアルバムを出したばかりです。グッドシャーロットはワールドツアーの最後は日本でやる、と言っております。嫁さんも日本人がいいと言っております。とにかく日本大好きなようですね。今回の来日は単独公演ではなくロックフェスの参加のための来日のようです。次回は単独で来てくれ。九州に来てくれ。グリーンデイ、パンクの王者の風格。アルバム「アメリカン・イディオット」は彼らの重さを感じるのだ。なぜ、グリーンデイあなたも九州に来ないのだ。SUM41は来るのに。
December 23, 2004
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もうすぐクリスマスですが今年の冬は記録的な暖冬が続いています。先日、車を運転中、熱くてクーラーをつけて走りました。生まれて初めて12月にクーラーをつけて車を運転しました。鹿児島では「ひまわり」が咲き、愛媛では「つくし」が芽をたくさん出し、きわめつけは宮古島ではなんと「セミ」が鳴いたそうです。でも、これくらい暖かいほうが私は過ごしやすくていいです。クリスマス、アメリカではブラジルの「リオのカーニバル」に匹敵すり一大イベントです。(たとえが変・・)アメリカの12月の消費は1年のうちの3分の1にもなるそうです。12月のアメリカは1年のうちで最もお金や物が動く月のようですがクリスマスの夜はホームパーティで過ごす人が多いようです。その時に欠かすことのできないのがBGM。クリスマスソングと言えば何でしょうか?ジングルベル?山下達郎?BoA?Bz?マライア?それともワム?私はなんといってもありきたりですがジョンとヨーコの「ハッピークリスマス」です。この曲を聴くと「今年も終わるなー」と「ジョンの死んだ月なんだな」という感覚になります。もちろんクリスマスという感覚にもなりますが12月8日ジョンレノンがこの世を去って24年が経ちます。生きていれば64歳になっています。でも、おじいちゃんのジョンレノンはイメージできないなあー。
December 18, 2004
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ジョーストラマーが亡くなって早いもので2年が経ちます。死因は心不全。きっと食べ物が原因なのです。肉、玉子、牛乳、ファーストフードなどを食べ続けると間違いなく死の四重奏と言われる高脂血症、高血圧、糖尿病、肥満なり、これらは痛みがないために気がつかないうちにどんどん進行します。最後はジョーのように心臓か脳のどちらかで突然、死んでしまいます。食べ物には注意しましょう。亡くなるちょっと前のジョーの写真を雑誌で見ましたが、かなり太っていました。ジョーストラマー享年50歳、あのパンクロッカーが50になっていたなんて信じられない。最近、ミックジョーンズの自宅から「ロンドンコーリング」を制作中に撮られたクラッシュのビデオが発見されました。それをDVDにして「ロンドンコーリング」+DVDで発売されています。「パールハーバー79」もCDでリニュアル販売されています。うれしいですね。今一度、聞きなおしてみると、あのストラマーのけしてうまくない叫び声のような一生懸命な歌い方、これがたまらなくいいのです。ルックスもいいし、言うことなし。ストラマーも役割と使命を終えて帰っていったのかなあ。もう、ジョンレノンに会ったかな・・・・
December 11, 2004
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今日もまた全国津々浦々で国内外のミュージシャンによるライブやコンサートがおこなわれている。そしてCDやDVDの新作が次から次へと発売され、おびただしい数の新人が生まれ消えていく。その中で生き残れるのは、わずか数パーセントです。この日本という国の音楽市場もきっと世界第2位なんでしょうね?欧米のミュージシャンにとっては日本のマーケットは重要。本国の成功よりも日本で成功して世界的になったので有名なのはクイーンです。逆輸入成功型。ロック界で成功して今も存在しているミュージシャンにはある共通した部分があります。それはロックが大好きでロックを通じて人々に感動と喜びを与え続けているという点です。「女にもてたい」「お金がほしい」「カッコいい」などのエゴ的動機でロックを始めた連中は長続きしないようです。必ず消えています。昔、山口百恵さんの歌に「もてたいためのロックンローラーあなた動機が不純なんだわ・・」ありましたよね、そのとおりです。・・ちょっと古いかな。ポールマッカートニーの「イエスタディ」は夢の中で聞いたメロディだそうです。マイケルジャクソンの「スリラー」のリフは木に登り遠くを眺めていたら突然、空から送信されたそうです。クイーンのフレディは入浴中にひらめき「愛という名の欲望」をその夜のうち数時間で書き上げています。このように本当に心の底から音楽を愛している人には、きっとロックの神様からの贈り物があるのでしょう。
December 4, 2004
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米音楽誌ローリングストーン最新号で史上最も偉大な500曲の中で第1位はボブディラン「ライクア・ローリングストーン」第2位はローリングストーンズの「サティスファクション」第3位はジョンレノンの「イマジン」でした。ローリングストーン誌の第1位は「・・・ローリングストーン」第2位はローリングストーンズの・・・やたら、ローリングストーンが出てきた・・・シンクロ?それではローリングストーンズ、今やロック界のシーラカンス、カリスマおやじを通り越しカリスマじじい軍団。イギリス出身のアメリカデビュー。ビートルズの対極として存在、今も現役バリバリなのだ。ビートルズにはジョンとポールの2人の偉大な作曲家がいました。それに勝るとも劣らないミックとキース、ストーンズにも偉大な作曲家が2人いるのです。個性的な2人ですから曲作りの時はいつも意見が対立するそうです。そのため対策として1曲にミックバージョンとキースバージョンの2パターンを作るそうです。その後グループでどちらにするか、あるいは2人で話し合って決めるようです。あの名曲「スタートミーアップ」はなんと70テイクも録ったそうです。金持ちバンドのやることは違いますね。その中にレゲエバージョンの「スタートミーアップ」があるそうです。一度、聴いてみたいな。
November 20, 2004
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本名 ジョン・サイモン・リッチ、1979年2月2日ニューヨーク、クリニッヂ・ビレッジのガールフレンドのアパートで死亡。死因はヘロイン中毒死とされているが本当は不明。享年21歳。ジョンサイモンリッチもう一つの名はシド・ヴィシャス。1977年、腐れきった世の中、退屈な音楽シーンの反動から生まれたパンクロックその先駆者セックスピストルズのベースギターとして参加する。ピストルズはあっというまにパンクムーブメントがおこり頂点へ上り詰める。ハードな男、ステージでの暴力性、シドは人気者になりパンク界のカリスマ的存在となる。彼はいつも「大人は嫌い、大人になる前に死ぬのさ」と言っていた。ある友人はシドはジキルとハイドのような人間だったと言っています。パンク界のカリスマ的存在だけが大きくなりイメージを崩さないようにシドは振舞っていたようだ。本当のシドはやさしく、未来に希望を持った若者なんだ。でもかわいそうにシドの頭の中には何人もの悪魔がいて苦しんでいたんだ。そうコメントしています。シドは予言通り大人になる前に死んだ。彼の死から1ヶ月後、ピストルズの「サムシン・エルス」がリリースされる。シドのリードボーカルです。シドの死によってピストルズは解散、パンクムーブメントも終息にむかいます。シド・ヴィシャスあまりにもはやい死によってパンク界の伝説の男となり今も若いロッカーに影響を与え続けている。
November 9, 2004
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ジョンレノンとポールマッカートニー言わずと知れたビートルズのメンバー。音楽の歴史を変えた偉大な作曲家でもあります。数々の功績は今もまだ多大な影響を与え続けています。音楽史上このコンビを超える作曲家は今世紀も現れないであろうと言われております。この2人の歴史的出会いは、時は1959年、7月6日、場所はイギリス、リバプール、セントピーターズ教会この日教会のバザーに前代未聞のロックンロールを演奏するバンドがいます。17歳のジョンレノン率いる「クオリーメン」です。それを見るためにやって来た少年が15歳のポールマッカートニーです。大音量とともに始まるクオリーメンのロックンロール、ポールはロックンロール大好きなのですぐにノリノリになり「ここにも、こんないいバンドがいたんだ」そう思いました。それとすぐにボーカルのジョンレノンのことが気になったのです。「あのボーカルはいったい何者なのか?」人を惹きつける存在感をポールはジョンに感じたのです。クオリーメンのライブ終了後、ジョンとポールは2人の共通の友人、アイバンボーンによって出会います。後はご存知のサクセスストーリーの始まりです。しかし、このアイバンボーンがいなければビートルズは存在しないわけですからアイバンボーンに拍手です!
November 2, 2004
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アメリカ大統領選挙がいよいよ明日に迫っています。アメリカでは日本とは違いロックスターや映画俳優が候補者の応援をします。共和党のブッシュ氏にはカリフォルニア州知事でハリウッドの大物俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーが民主党のケリー氏にはジョン・ボンジョビや80年代アメリカンロックの大御所ブルース・スプリングスティーンが応援にかけつけ「ボーンインザUSA」を唄っていました。ブルース・スプリングスティーン80年代を代表するアメリカンロックの雄。アメリカロック殿堂入りを果たしている。Tシャツにジーンズというスタイルで政治的メッセージを含んだ歌を多く唄っている。「ボーンインザUSA」は全世界で2000万枚のセールスを記録した大ヒット作です。レーガン大統領時代、大統領選中に当時、若者から支持され彼の発する言葉や行動が若者に影響を与えていた大人気のブルース・スプリングスティーンの名前を演説に引用する事件が起きました。ブルースはすぐに不快感を表明「大統領も政治もおれには関係ない」と、数年前に言っていたブルースですが今回ケリー氏の応援をするのには「とにかくブッシュが嫌いなのだ」とか、よほどのわけがあるのでしょう。はたして、どちらが勝つのでしょうか?日本も、若者がもっと選挙や政治に関心を持ってもらうために候補者の応援に今、人気のある浜崎やグレイやゆずなどがやればいいのだ。きっと投票率は上がるでしょう。
November 1, 2004
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デュランデュラン1981年デビュー、イギリス、バーミンガム出身。当時はニューウェーブだとかニューロマンティックスと言われシンセサイザーを使ったポップなサウンドとイケメン5人組です。「リフレックス」「ノトーリアス」などデュランデュランサウンドは心地よいのだ。全盛期(82年~85年)全世界で7000万枚のセールス英国ロック史上デュランデュラン以降、彼ら以上の成功をおさめたバンドは登場していない。デュランデュランは解散したと思っていたのですが、解散ではなく休止していたようです。19年振りに再集結してオリジナルメンバーで新作アルバム「アストロノート」を発表。まだ聴いてないのですが、そこにはデュランサウンドが復活しているようですね。いきなり英国チャート3位を記録しています。さすがにスゴイデュランデュランの第2期黄金時代が到来するのでしょうか?イケメンもちょっと太りぎみのようですね。糖尿病になりますよサイモン・ルボン
October 29, 2004
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ギター少年なら誰もが知っている27歳の若さで亡くなった伝説の天才ギターリスト、ジミヘンドリックス。アメリカ、シアトル出身でなぜか、活動の中心はイギリス。黒人、左利き、ギターを歯で弾いたり背中で弾いたりします。また、ギターに火をつけ最後は破壊します。ギターを破壊するミュージシャンはたくさんいますが元祖はジミヘンなのです。今も彼はいろいろなギターリストに影響を与え続けています。デイープパープルのリッチーブラックモアは彼を崇拝しておりました。「紫の煙」をよくステージで演奏しています。話はジミヘンの私生活へ、彼は夜の帝王と言われています。いつも女性に取り囲まれいる人気者です。とくにベッドの中ジミヘンはさお師と呼ばれるほど強く彼が連れて歩く女性は5人を下回ることはなかったそうです。ジミヘン死後30年以上経っているのですが、ここに珍しい遺品?お宝、秘宝が残っております。ジミヘンのあそこはすごいので勃起した状態を石膏で残そうと言うことになりシカゴに住むシンシアとダイアンという2人の石膏細工師によってかたをとり作られたそうです。その時「あんなに大きい道具は見たことない」と言うことです。さすがに、このお宝はオークションなどには出品されないようですが、出品されたら値段はいくらになるのでしょうか?
October 25, 2004
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ビートルズにブライアンエプスタイン、ピストルズにマルコムマクラレン、彼らを発見して世に送り込むことに成功した腕利きのマネージャー達。スーパースターの影には必ず優秀なマネージャーが存在するのです。1970年代後半、商業主義にとらわれない新しい自由な音楽性とこだわりによってパンクロックは出現します。ムーヴメントのおこりはアメリカ、ニューヨーク、パティスミスやニューヨークドールズなどが活動していたが当時のアメリカはエアロスミスやキッスなどハードロック全盛の時代でパンクロックは受け入れてもらえなかった。しかしパティスミス、ドールズのこの活動がこれからの音楽シーンを変えることになるとは、この時、誰も知らないのです。当時ニューヨークドールズのマネージャーをやっていたのがマルコムマクラレン。彼はロンドンでブティックを経営していた。ニューヨークのパンクをイギリス、ロンドンでやりたいと思っていた彼は自分のブティックに買い物に来るバンドを組んでいる反逆的なグループを見つけます。長髪を短く切り、髪を立たせ、ピンや鎖を身につけ、グループの名は「セックスピストルズ」レコード会社と契約、デビューさせるのです。音楽的にはヘタクソでも情熱は誰にも負けない。俺たちのメッセージを聞いてくれ。たちまちに若者たちの支持を獲得し人気は全英に広がりました。1977年6月18日 セックスピストルズの「ゴッドセイブザクィーン」が全英ヒットチャート1位となりこの後、次々とパンクバンドがデビューしてパンクロックは世界へと広がります。パンクロックはニューヨークの局地的な動きであったがマルコムのちょっとしたアイデア(イギリスに渡る)ことで世界的になり今日まで続いているのです。
October 22, 2004
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「フランスでスピード違反で逮捕」「スピードは200キロをこえていた」逮捕されたのは、なんと「スローハンド」のスローなはずのエリック・クランプトン氏ではないですか。何かイライラする事でもあったのでしょうか?もう歳なんですから安全運転してくださいよ。クランプトンと言えば92年、アコースティックブームを巻き起こしたと言われています。MTVのアンプラグドコーナーに出演、いろいろな曲のアコースティックバージョンを披露した。その後アルバム「アンプラグド・アコースティック・クランプトン」を発売。クランプトン史上一番成功したアルバムとなり1500万枚のセールスを記録した。その中に「いとしのレイラ」と言う名曲があります。この名曲には裏話があります。親友の妻に恋をしてしまったクランプトン。その想いをおさえきれずに歌にまでしてしまったのが、この「いとしのレイラ」です。その恋は実り、ついに親友の妻と結婚します。しかしロッカーはすぐさめてしまうのでしょうか?離婚してしまうのです。親友とは・・・今は亡きビートルズのジョージ・ハリスンでした。われわれ日本人は「いとしのレイラ」と言えば「いとしのエリー」となり、おなじみのスーパースター、サザンオールスターズです。桑田氏は歌い方や曲までクランプトンの影響をもろに受けている1人です。そっくりです。
October 16, 2004
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児童虐待容疑、訴訟中のマイケルジャクソンですが世界的大スターであることは、かわりありません。70年代~90年代を代表するスターでありマイケルはマドンナ同様ダンスがうまく歌もうまい。聴かせるよりも魅せるミュージシャンです。ムーンウォークはよく練習しました。うまくはなりませんでした。1982年、アルバム「スリラー」は4700万枚というとてつもないセールスを記録。今もこの記録は破られていない。同時にプロモーションビデオも評価されグラミー賞も受賞している。「スリラー」のプロモーションビデオはミュージカルのホラー映画を見ているような気分で、とてもおもしろいのです。この「スリラー」の成功によりプロモーションビデオが重視されるようになりました。80年代アメリカではMTV(ミュージックテレビジョン)24時間の音楽専門のケーブルテレビが登場します。プロモーションビデオにより新曲をアピールできるようになったのです。今まではレコードを発売、ライブ活動をするパターンから+新曲発表時にプロモーションビデオも作製するようになりました。また、その出来によって売り上げ、人気が左右される時代へと突入したのです。今はプロモーションビデオはあたりまえの時代です。いい作品たくさんあります。
October 14, 2004
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エルトンジョンから指摘されたライブでの口パク疑惑で話題を呼んでいるマドンナ。本名、マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ長くてへんてこな名前です。出身はデトロイト学生時代は成績優秀で大学まで進学していますが途中ダンスと音楽の夢を捨てきれずアメリカンドリームへと進みます。マドンナは最初からうまくいったわけではありません。仕事は少なく生活苦からヌードモデルの仕事をしたり無名時代のシルベスタースターローンとの競演あのビデオは有名です。過酷な生活でも夢を捨てなかったマドンナ、思いは実現するのです。歌ってダンスができ、綺麗なプロポーションで顔もいい人気がでないわけがありません。1984年発表の「ライクア・バージン」がシングル、アルバムともに全米NO1となり、ここから快進撃が始まります。87年発表のアルバム「トゥルー・ブルー」は世界28ヶ国で1位になりアルバム売り上げ当時のギネス記録になった。世界的シンガーへと進みます。2002年、映画の主題歌、シングル「007 ダイ・アナザー・デイ」は全米トップ10入り、通算35曲目となりビートルズを抜いてプレスリーと並ぶ史上2人目の大記録となりました。これでまちがいなくマドンナはロック界の女王なったのです。
October 11, 2004
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2005年1月、スティング来日します。2000年の来日の時はライブに行きました。スティングのステージは見せるではなく、さすがハイクオリティーな音楽で聴かせるでした。そりゃもう最高でした。今回も行きたいのですが行けません。残念スティングは1978年トリオグループ「ポリス」を率いて「ロクサーヌ」でデビュー。79年発表のシングル「孤独のメッセージ」とセカンドアルバム「白いガレッタ」がビックヒットを記録。その後発表するシングル、アルバムは常に世界的なセールスを記録して巨大メガバンドの仲間入りをする。ポリスの初期はパンク、ビート、スカ、レゲエ。末期はスティング色が強くなり「スパニッシュラテンアメリカンポップス」へと移行した。86年に人気絶頂期におしまれながらポリスは解散する。スティングはその後ソロ活動へと。スティングはポリス加入前は小学校の先生だったという話はあまり知られていない。
October 9, 2004
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クイーンを聴く時は必ず「ボヘミアン・ラプソディ」を聴きます。コマーシャル、テレビ等でたまに耳にします。長い曲で、30年前の曲です。同じ頃のレッドツエッぺリンの「天国への階段」を今聴くと古い感じがしますが「ボヘミアン・ラプソディ」は古く感じません。今でも充分通用します。「ボヘミアン・ラプソディ」は1975年10月にシングルカットされ5分50秒と、とても長い曲です。曲は3部で構成され最初はスローでバラード風、途中はオペラでミュージカル風、最後はバリバリのハードロック、そしてスローに戻り終わります。フレディの4オクターブの美しい声を聴くことのできる曲です。とても癒されます。実はこの「ボヘミアン・ラプソディ」シングルカットから大ヒットまでに、こんな話があります。シングルカットするかしないかでマネジャーとメンバーは意見が対立、6分もの長い曲なのでラジオでは流してはくれないヒットするはずがない、メンバーはシングルカットするなんて考えてもいないようです。ある日、「ボヘミアン・ラプソディ」のデモテープをラジオ番組をたくさん持つDJ・ケニーエヴェレットさんに聴いてもらいました。ケニーさんはとても気に入り2日間で自分の番組で14回も「ボヘミアン・ラプソディ」を流したのです。それから「あの曲は誰の曲」ラジオ局に問い合わせが殺到したそうです。当然「ボヘミアン・ラプソディ」はシングルカットされ爆発的なヒットとなりイギリスでは、こんなに長い曲が9週間連続1位となるのです。今も破られていない。今も昔も、やはりメディアの力はすごいですね。
October 5, 2004
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9月29日待ちに待ったグッドシャーロットのニューアルバム「クロニクル・オヴ・ライフ・アンド・デス」の発売日です。発売前から雑誌等でいろいろな情報から予測すると今回グッドシャーロットは3作目になるのですが「さらに進化して言葉では表現できないくらい、いいのだ」と言う事です。あらかじめ予約しておいたので、CD店に無理を言って28日の夜に買って帰りました。ずうずうしいぞーさっそく、息子(高3)と2人で聴くことに、息子とパンクロックを聴くなんて、うれしいような・・ずいぶん時が流れたんだなあ・・・なんと1曲目はいきなり日本語でスタート歌詞が「人生、人生、人生、死ぬ、死ぬ、死ぬ」ですよ「なんじゃこら、中身が違うんじゃねえのか」おもわずCDを止めて確認しましたが本物でした。66分22秒アルバムを聴き終わりました。息子に「今度のニューアルバムどう?」と尋ねると「1回聴いただけでは、よくわからん」という答えです。そーかもしれない。わたしの1回聴いた感想は「音がきれいで聞きやすいサウンドになっている、テクが上達している。すでにパンクロックではないぞ」といった感じです。また何度も聴くといろいろ違った感じがしてくるのでしょう。
October 2, 2004
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クイーン名曲「愛という名の欲望」は1979年8月に発売され全米NO1ソングになりました。本国イギリスでは2位、翌1980年1月、日本でも発売、当然1位になりました。ストレートなロックンロールでウェストサイド物語をイメージするような曲です。フレディはエルヴィス・プレスリーを意識して書いた曲と言っております。この名曲はフレディがホテルの一室で入浴中、突然メロディーが浮かび唄っていると、お風呂の中ですからエコーが効いて「これはいい曲だ」フレディは風呂から飛び出てあっというまに曲を全部書き上げたと言われています。ある日、ジョンレノンがクイーンの「愛という名の欲望」を聴き「なんと、すばらしい曲だ」「私もまた音楽をやろう」音楽活動を休止していたジョンレノンが再び活動を開始するキッカケになった曲です。その後ジョンレノンは遺作となるアルバム「ダブル・ファンタジー」を完成させるのです。このレノンの話を後にフレディは知り、たいそう喜んだそうです。そりゃそうだ。皮肉にもフレディもレノンも、もうこの世にはいないのです。
September 29, 2004
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私がギター少年だった頃、キッス、クイーン、エアロスミスは洋楽の3大バンドと言われていました。特にクイーンは音楽性の高さ演奏技術のうまさルックスのよさで、圧倒的女性ファンが多かったようです。あらゆる人気投票でいつも1位なのです。クイーンと言えば「ドンドン・ツー、ドンドン・ツー」の太鼓ではじまるお馴染みの曲「ウィウィル・ロックユー」よくメジャーリーグの中継やスポーツ中継で必ず使われています。最近ではカバーされてCMでよく聞きますが誰が歌っているか知らないが、この曲は知っていると言う人も多いようです。クイーン=「ウィウィル・ロックユー」=「伝説のチャンピオン」の公式が成り立つようです。今年の春。木村拓哉、主演のテレビドラマ「プライド」の主題歌、挿入歌にクイーンが使われました。私もドラマを見ましたがドラマの内容と曲がすごくあっていて感動しました。このドラマの影響もありましてティーンエイジャーを中心にクイーンの人気は急上昇。主題歌に使われた「ボントゥー・ラブユー」は大ヒットしたようです。ドラマ「プライド」に合わせて発売された日本編集のベストアルバム(この1枚を聴けばクイーンのすべてがわかる)「クイーン・ジュエルズ」は27年振りに日本で1位に輝きました。パチパチーフレディマーキュリーは死んでこの世にいませんが、まだまだ影響力はすごいのだ。さすがですね。
September 27, 2004
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奇抜なメークとキンキラの宇宙服のような衣装で70年代を代表するデトロイト出身のアメリカン・ハードロックの雄、キッス。現役バリバリ。今年はエース・フレーリー(g)ピータークリス(dr)初期の黄金時代のメンバーで活動しているようです。キッスは日本人大好きなので、よく日本にやって来ます。今年も来日。昨日、初来日の時の日本武道館のコンサートの映像を見ました。引き続き、今年行われたコンサート映像を見ました。20年以上経過しているのですが、まったく変わっていないに驚いてしまいました。スタイルは抜群、髪はロングヘアーのふさふさ、メークと奇抜な衣装をつけているため顔のしわは、わかりませんが、とにかく若い。変わったところと言えば、ギターがコードレスになっているぐらいかな。「デトロイト・ロックシティ」を演奏しているポール・スタンレーとジーン・シモンズを見て思ったのですが、2人とも50をとっくに過ぎている、後半?にもかかわらず、髪がロングでふさふさなのです。メークしているため生え際は、よくわかりませんが、何か不自然さを感じます。まあ、どうでもいいことなんですけどね。これからも、キッスは、あのメークと奇抜な衣装で60になってもバリバリのロッカーでいてほしいな。
September 25, 2004
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70年代後半、スコットランド出身の5人組、タータンチェックの衣装を身につけたアイドルグループがベイシティローラーズです。レスリーマッコーエンはカッコよかった。デビューと同時に全世界爆発的な人気となり、ワールドツアーは大成功、ビートルズの再来とまで言われていました。「サタデーナイト」は全米NO1になりました。日本でも当然人気となりタータンチェックは大流行となりました。ギター少年のわたしがベイシティローラーズを初めて見たのは「ヤング・ミュージックショー」という番組です。その時唖然としました。口パクなのです。おまけに演奏していないのです。なんだこのバンドは?キャーキャー言われているだけだ。あとでベイシティローラーズは演奏ができない事を知りました。そうなのですベイシティローラーズは意図的にアイドルとして作られたバンドだったのです。オリジナルの曲は少なく創造性に欠けるため急上昇した人気はあっと言う間になくなりました。だって演奏できない、口パク、それはプロじゃないさ。バンドじゃないさ。あっ、そう、そう、ローラーズと同じバンドがいました。「カジャ・グーグー」と言ったかな。
September 23, 2004
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1970年代後半パンクムーブメントがイギリスでおきます。東の横綱がピストルズなら西の横綱はクラッシュでしょう。77年、ジョーストラマー(v)を中心にミックジョーンズ(g)ポールシムノン(b)トッパーヒードン(dr)の4人組み、アルバム「白い暴動」で衝撃デビュー後のクラッシュはビートあり、ロックンロールあり、レゲエあり、タブありの音楽性に富んだパンクバンドです。アメリカには進出しないと言いながら80年代になると進出。ファンは失望した。シングル「ロック・カスバ」はアメリカで大ヒットした。ヒットチャート10位以内ランクされる。アメリカで成功するしたのだ。ミックジョーンズ脱退後は期待はずれが多く自然消滅のような形で活動は休止され個々の活動へ昨年末、ショッキングなことが起きました。クラッシュのリーダー、ジョーストラマーが急死したのです。はやすぎるよービートルズ、クイーン、ツェッぺリン、にクラッシュ、2度と再結成されることはないのです。伝説の仲間入りです。「ア・フォート・ロウ」が今自動車のCMソングに使われていますが、やはりクラッシュの名曲は「ロンドン・コーリング」です。きれのいいギターで始まり、コンバット風のベースが鳴り響き、盛り上がりの部分は犬の遠吠えのコーラスありです。一度聴いたら絶対忘れません。すばらしい曲です。おすすめですよ。私の携帯の着うたは「ロンドン・コーリング」です。
September 22, 2004
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1970年代後半イギリスでパンクロックは産声をあげた。いろんなことに怒りや不満を感じた若者たちが、今までとは違うサウンドに本当の自由を求めメッセージをこめてシャウトする。それがパンクロックだ。ロンドンを中心にセックスピストルズ、クラッシュなどいろいろなバンドが誕生する。そのパンクの波は当然のごとく日本へとやって来ました。1980年、国鉄職員の制服を着たナカノシゲル率いる5人の若者、日本初のパンクバンド「アナーキー」衝撃デビュー放送禁止用語すれすれのロックンロール、社会への不満を代弁して歌っている。あっと言う間に若者の心をつかみ人気者へと当時ギター少年だった私はすぐにアナーキーのファンになり、自分たちのバンドの名前は佐々木君がボーカルだったので「ササーキー」と名付けました。国鉄の服の代わりに雨ガッパを着てアナーキーのコピーをやっていました。それはもう大うけでした。なつかしいなーいまだに、いい年をしてカラオケでは「ノット・サティスファイド」を唄っています。その後アナーキーは何度か再編成をして活動をしていたようですがあまりパッとせず今は活動を休止しているようです。私個人としてはアナーキーはこのまま活動はせずに封印して伝説のバンドとして日本の音楽シーンにその名を残しておくことがベストだと思います。
September 21, 2004
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エルヴィスと言えば50~60歳代は必ずプレスリーと答えるでしょう。アメリカ人は間違いなくプレスリーでしょうね。パンクロッカーにこの質問をしたら、必ずコステロと答えるでしょう。ビートに乗ったパンク時代、今もメロディーメーカーとしてハイクオリティーな音楽性はグッドシャーロット、グリーンデイなど多くのバンドに影響を及ぼしている。コステロ・・・ヨーロッパではかなり支持されているが、なぜかアメリカではさっぱりダメなのです。あの、風貌がアメリカ人には受け付けないのでしょうか?とても残念です。日本でも一部で支持されているようです。CMソングや朝のワイドショーのテーマ曲に「ヴェロニカ」が使われていました。うれしいなー22日にはニューアルバム「ザ・デリバリーマン」が発売されますし、なんと言っても約1年振りに日本にやって来ます。うれしいことに私の住んでいる近くにもやって来るのです。必ずコンサートに行くのだ。こんなきれいな曲を書く人は、なかなかいませんからね。
September 20, 2004
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最近の音楽シーンで印象に残るギターのリフで始まる曲に出会っていません。私がギター少年だった頃、リフ作りの名人と言えば、あのジミーペイジ様です。ジミーペイジ、ビートルズ、ストーンズと並びロック史上にその名を残すレッドツェッぺリンのギターリストです。ハードロック、へヴィメタルの元祖として評され現在も絶対な影響力を誇っている。すごーいその昔、ギター少年だった頃ジミーペイジの影響を受けストラップをのばしギターを腰の位置まで下げて演奏するスタイルがバンド仲間で流行していました。しかし、指の短い(ギターリストとしては命とり)私はうまく演奏できませんでした。むなしージミーペイジはスタジオミュージシャン出身で当時は引っ張りだこで人間的にも信頼されていたようです。「胸いっぱいの愛を」「コミニュケーション・ブレイクダウン」「幻惑されて」「ロックン・ロール」いずれもギターリフの名作です。リフもいいのですが、私、個人としては「アキレス最後の戦い」のギターソロがペイジの中で一番なのだ。
September 19, 2004
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15曲目の「アンセム」のアコースティックバージョンいいですね。聴けば聴くほどグットシャーロットの世界へと引きずり込まれます。味のあるスルメイカのようですね。アルバム「ヤング・アンド・ホープレス」はツアーの合間に作られた曲ばかりだそうです。多くのバンドのアルバム制作は、ヒット曲を出して売れたい。または、レコード会社契約上作らなければならない。が目的で数ヶ月間スタジオに入って曲作りに専念するパターンが多いようですが、グットシャーロットは「売れたい」とか「ヒット曲をつくらねば」とかいったエゴはなく、ただ自然にパンクロックが好きでパンクロックを愛している。そのために、すばらしいメロディーが浮かび、すばらしい詩を書き500万人の人々を共感させるのだと思います。グットシャーロットにとってアルバム制作のみが目的のスタジオ入りは、きっとナンセンスなことでしょう。ジョエルとベンジーはグットシャーロットはビックなバンドにはなりたくないと言っておりますが、私には「ビックバンド」の予感がします。アルバム「ヤング・アンド・ポープレス」を聴いて、これからもずうっと彼らを応援して行こう、そう決めたのだ。
September 18, 2004
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グットシャーロットのジョエルとベンジーは双子の兄弟です。上の兄ジョシュの影響でパンクロックの世界に興味を持ちはじめる。16歳の時、2人で「グットシャーロット」(子供むけの本から名前をとった)として音楽活動を開始する。当時2人の家庭内ではいろいろな問題がおきる。父親は家出をして母子家庭へ。生活は貧しく辛いものだった。その頃の思い怒りや絶望を音楽に込めている。だから、他のパンクバンドとちょっと違うのかもしれません。アルバム「ヤング・アンド・ポープレス」はサウンドはもちろんいいのですが、日本語に訳された詩を読むと、それはすばらしく感動してしまいます。メッセージ性の高さに驚かされます。12曲目のアルバムタイトルと同じ「ヤング・アンド・ポープレス」曲の途中、ピストルズのジョン・ライドン風の歌い方をしていて、とてもおもしろい曲ですが曲の内容についてジョエルとベンジーはこうコメントしています。「俺たちは有名になることでも何万ドルも稼ぐことでもない。世界一ビックなバンドになりたいとも思わない。みんなと一緒に好きな音楽を作りたい。それと終始変わらずに、ずうっとそばにいてくれる人たち、つまり俺たちの友達そして俺たちのファンを大切にしたいのだ。」人間とは何か?人としてどうあるべきかを問いかける、すばらしいメッセージソングです。
September 16, 2004
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グットシャーロットにはまって1ヶ月ほど経ちます。グットシャーロットは、あの曲の雰囲気からイギリスのバンドと思っていたら違うんですねアメリカ出身なんですね。今月の29日に約2年振りに3枚目のアルバム「クロニクル・オブ・ライフ・アンド・デス」が発売されるようです。待ち遠しいですが、その前に2枚目のアルバム「ヤング・アンド・ポープレス」を聴いてなかったので聴いてみました。全世界で500万枚、日本でも10万枚をセールスしたすばらしいアルバムです。1枚目に比べ、さらにグレードアップしています。メロディアスパンクとかヘビーポップとかいろいろ言われていますが、パンクロックというカテゴリーを越えた、どう表現したらいいのか、わかりませんが何か「凄味」を感じるアルバムです。アルバム収録全15曲すべていいのだ。その中で13曲目の「ホールド・オン」U2ぽいベースで始まる曲ですが、パンクロッカーやグットシャーロットを支持する若者の中で自殺者が多いため自殺をやめるよう呼びかける歌です。詩もなかなかいいです。ぞくぞくする曲です。グットシャーロットはパンクバンドぽくない本当にファンを大切にする人間的にもすばらしいバンドのようです。
September 14, 2004
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私がギター少年だった頃、音楽雑誌人気投票でギターリスト部門でいつも1位だったのが、ブライアンメイ(クイーンのギターリスト)です。圧倒的、女性に支持されていました。私はブラックモアが1位になるように、せっせとハガキを応募した事を思い出します。相手は強すぎる。クイーンは日本で人気が出て、そして世界に広がった珍しいバンドなのです。ルックス抜群で家柄もよく大卒で貴族のような、今までのロックバンドにはないエリートのにおいがします。とにかく、カッコよく、頭もいいのだ。ブライアンメイと他のギターリストとの最大の違いは、なんと彼はギターを自分で作っていることです。手作りギターなのです。クランプトン、ベックなどの天才ギターリストと言われる人達も演奏技術はよくてもギターを作ることはできません。かりに、ブライアンがミュージシャンとして成功しなくても、独自のギターが作れるのでギター工場を作りギターを販売して、きっとビジネスでも成功していたでしょう。「キラークイーン」「ボヘミアンラプソディ」世界に一つしかない手作りギターで弾くギターソロは何度聴いても美しい、美しい、美しいのだ。ブライアンのギターはいつもセミのように美しく鳴いているのです。
September 11, 2004
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当時、ギター少年の必修科目は「ディープパープル」、パープルのギターリストと言えば、言わずと知れた「リッチーブラックモア」です。私はブラックモア大好きでした。彼との出会いはアルバム「マシーン・ヘッド」でした。ギターを始めたばかりの私にとっては、今でもよくCMに使われている「ハイウェイスター」や「スモークオンザ・ウォーター」を聞いたとき、ギターソロを聞いたとき、あれがギターなのか?あんなに速く弾けるのか、あの衝撃は今でも忘れません。さらに、レインボーのライブ盤「キルザ・キング」のギターソロを聞いたときは・・・・TKOです。当時、ギターを速く弾けるのは、ブラックモアが世界で一番だと思っていました。(後にブラックモアよりも速く弾ける人はたくさんいました。)私はブラックモアのようになりたいと思いました。パープル、レインボーと聞きまくりました。そして、フェンダーのストラトをバイトして買いました。色はチェリーサンバースト、ピックガードは白のローズネックじゃないとダメ。こだわるねーこの秋にブラックモアは「ブラックモアズナイト」として7年ぶりに来日します。多少音楽性が変わったみたいですね。コンサートには行けませんが死ぬまでギターを弾いてくれ。それと、髪の毛の調子はどう?めんどくさいんでしょうね、最近、見る映像や写真はどれも帽子をがぶっています。でもそれが、リッチーブラックモアですもんね。
September 10, 2004
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バンド活動をやっている人達の目標の一つに、メジャーデビューをする、と考えている人は多いと思います。メジャーデビューのパターンを考えてみよう。その1 デモテープを作り直接レコード会社に売り込む。(矢沢永吉) 昔はこのパターンは多かったようですが、最近は少ないのでは?その2 優勝したらメジャーデビューできるコンテストに出場する。(世良正則) よくあるパターンですがデビューしてもなかなか生き残れない。その3 ライブ活動・自主制作でCDを発売する。売れずに自己満足の世界。その4 ストリートで活動する。(ゆず)お金がかからない。ストリートで客が500人~1000人集められるようになれば、実力もかなりのものです。必ずスカウトされメジャーデビュー後も売れ続けることでしょう。メジャーデビューの近道はストリートでの活動が一番いいようですね。うちの田舎でも週末になるとストリートでやっています。かんばれ。その場所がイヤシロチ化して「この場所でストリートをやると必ずメジャーデビューできる。必ずヒット曲が出る・・・・」なったりして。でも、そういった都道府県はあるみたいですね。昨日の風はすごかった。
September 8, 2004
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エリック・クランプトン、ジェフ・ベック、ジミーペイジといえば、70年代を代表するギターリストです。3大ギターリストとも呼ばれています。クランプトンはスローハンド奏法(後日詳しく)ベックはフィードバック奏法(後日詳しく)をあみだし、ペイジはリフ作りの名人、3人は天才的なギターリストです。この3人が在籍したことで有名なイギリスのバンドがヤードバーズです。ヤードバーズはその後の音楽シーンに多大な影響を与えています。特にアメリカのロックシーン、エアロスミスをはじめトトやボンジョビなどいろいろなミュージシャンに影響を与えているようです。残念ながらヤードバーズ5年の歴史の中で3大ギターリストが活動をともにしたことは一度もありません。ベックとペイジは1966年頃に半年間だけいっしょにプレーしています。作品はわずか3曲です。「幻の10年」「ストロールオン」で2人のギターが聴けます。ヤードバーズはその後メンバーチェンジを繰り返しながらボーカルにロバート・プラント、ベースにジョンポール・ジョーンズ、ドラムにジョン・ボーナム、ギタージミーペイジで新生ヤードバーズはスタートします。その後「レッド・ツエッぺリン」と改名されるのでした。おしまいヤードバーズは4期に分かれます。若いロッカー達には2~4期を是非一度、聴いてみて下さい。
September 6, 2004
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この秋、イーグルスが来日します。ここ数年70年代のビックバンドが再結成され来日するというパターンが続いています。日本はおいしいマーケットでしょうからね。この70年代、若者であった40代後半~50才代の方にとってはシビレルでしょう。でも、この手のビックバンドは必ず東京や大阪といった大都市にしかやってきません。ちくしょー私の住んでいる田舎には絶対こないでしょうし、いままで海外の大物アーチストが来たという話も聞いたことはありません。田舎に来れるもんなら来てみろー東京や大阪といった場所に物やお金や人などいろいろなものが集中することがいいこととは思えません。21世紀は集中から分散してバランスをとることが必要だと思います。宇宙はそのために何かをおこすかもしれません。ふふふー話はそれてしまいましたが、先日、鹿児島、桜島で長渕剛さんが長時間にわたってライブをやっています。観客動員は、なんと7万5000人、経済効果は50億円とも言われています。地元の人々は喜んでいます。このような企画をどんどんやってくれと言っております。ライブやコンサートに行きたい人達はどんな場所でも行くのです。企画会社はどんどん地方でやるべきですし経済活性のためにも地方の県や市といった自治体は喜んで受け入れるべきです。なんと、あのSMAPが地方でコンサートをやりますと言ってきたのに、断った県があるんですから、信じられませんよね。
September 4, 2004
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先日、ポールマッカートニーロシア公演をテレビで見ました。映像で見るポールは久しぶりです。見て思ったことは、歳をとったなあ、声もでなくなったなあ、です。番組の内容はロシアの赤の広場で外国のアーチストがコンサートを開く旧ソ連では考えられないこと、新しい国、ロシアは今ではここまで自由になったんです。プーチン大統領までポールを見に来ていました。すばらしいー当時、ソ連では西側の音楽さえも聴くことも許されなかったそうです。それでも人々はビートルズを知っています。闇でいろいろな形でビートルズサウンドは取引されたみたいです。ビートルズサウンドによってソ連崩壊のスピードを早くしたとも言っています。赤の広場で「バックインザ・USSR」を唄うポールを見て、音楽には国境はないのだなあ、と感じました。音楽に国境はない証明として日本で大ヒットした坂本九ちゃんの「上をむいて歩こう」がアメリカでもNO1ソングになっているんですから。
September 2, 2004
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ミックジャガー61歳、ふさふさの髪の毛にあのスタイルこの歳でバリバリのロックをやっている。すごいとは思いませんか。彼はきっと死ぬまでロックを愛し続けることでしょう。わたしの回りの60代と言えば、お腹は飛び出て頭は薄くなり北島三郎さんの歌をうたい、ロックとは縁のない人ばかりです。さみしー私自身も若い頃は「俺だけは歳をとっても、いつまでもロックを愛し続ける」そう思っていました。しかし・・・いつの間にか普通のオジサンになっていました。しょっくそんなある日のことです。本屋に行きました。となりのレンタルショップからサウンドが聞こえてきます。いつもなら「今日もうるせーなー」とノイズにしか聞こえないその音がおもわず立ち止まり、聞いているではありませんか「おっ! なかなかいいリズム」「ギターのカッティングもいい」「声もいい、コーラスもばつぐん」こりゃいいぞ。次の瞬間、無意識のうちにレンタルショップに入っていました。店員さんに「この曲は誰の曲ですか?」聞いているではありませんか。忘れかけていた”ロックの魂”に火がついた瞬間です。もー最高です。”グットシャーロット”
September 1, 2004
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