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去る16日朝、入院中の個室のベットで終日を迎えた兄、2ヶ月半の闘病生活で入院時からすると可成りやせては居るが寝姿はとても穏やかな顔かたちでその人生を閉じた。まだまだ暑さの残る初秋に突然腰痛を引き起こし、家にいてはこども達の介護もままならず、自身ではトイレの用足しも出来ず二人のこども達と相談して市立総合病院に急遽入院することに決めた、家内と共に駆けつけて付き添った。幸いにして、健康に恵まれた日々からはその対応にも不慣れだった。本人には言えない事ながらレントゲン検査の先生からは一月くらいの余命と伝えられ、意外な気がしていた・・・昨日までは車にも乗り頼まれたら町内の街灯の取替などもしていたようだったからだ。病名は肺尖ガンの末期、実は本人は二年ほど前に告知されていて予期していない訳では無かったようだ。写真を見せられて可成り肺が冒されていることを知った・・・肺ガンに冒されて延命治療した知人の大半はが半年くらいで亡くなっている様でそれなら抗ガン剤などの治療は止めようと自身が決めていたようだ。それでも本人には腰痛治療の入院としか言えなかった・・・本人は3年生き延びたと思っていたようだった。普段、口数の少ない兄は、穏和な性格で先生や看護婦さんを困らせるような様子を見せず芯の強さをあらためて感じた日々だった。わが家では、母親が熱心な天理教信者で、小生の家内も信者だった。わが家は兄弟四人でしたが、下の弟は5歳で、姉は22歳で戦後間もなく死別している。兄と四歳違いの小生も80歳とまあ何とか長寿の仲間入りをしている。49歳の年で死別した父からしたら大金星かも知れない。身内の死に直面してあらためて命の重さのような重苦しさを感じていた。何時までも楽しい日々を生きていたいのは誰しもながら毎年わが命を自ら断つ人たちの有ることを考えると耐えがたい・・・しかしある意味突然のごとくやってくるこうした悲しみは生あるものの宿命なのか、世は無常という。幸いにして兄の一家は親子三人が楚々と暮らしてきて入院暮らしの生活にも子供たちは頑張った・・無口な長男は、院内でもその献身ぶりは話題になっていたようだ。男にしては珍しい位の献身ぶり介護に頑張った。二人の姉弟は父親の介護に一生懸命、しかし仕事熱心もこんな時は大変だった。役職をもつ中堅仕事人には職場の厳しさも身にしみたようだ。この二人の隙間を埋めて頑張った家内にも御苦労さまと感謝している。入院直後のブログで紹介した長野県の鎌田医師の言葉を借りると末期癌の病人にかける言葉は難しい・・・余命幾日もなく打つ手もない病人に、気軽に「がんばって」が言えない苦しみ、と困惑・・・なんとも重苦しい日々が続くそれでも「諦めないでと」自身にも心で祈る、小生も神にお仕えする身であってもひたすら安らかな終日をご祈願書にてお祈りする事のみ、この甲斐あって兄の苦しむ姿には一度も出会わなかった正に奇跡と思うしかない。感謝・感謝、神様ご先祖様有難うございました。以前から日本人は畳の上で死にたいと大部分の人達が思っていた、近年はそれは無理のようである。そんなことに真剣にとり組んで居る先生も居られると聞く。昔は家で寝て待つ患者を町医者の先生が往診治療していた。医療制度が変わり医師不足もありその仕組みは叶わない。「がんばらなくて良いのだよ」と最後の最後まで家族愛を賭ける終日。家族の思いはやり遂げた満足感と解放感で自身のこれからの生活をエンジョイしてほしいものです。関わりあった人々に感謝の心を込めて生きてゆく・・・子供たちの成長を期待して。江尻のまっこちゃん 心に張りつめていたものが消えてぽっかり穴を感ずる男 当年80歳
2010.11.24
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イベントはツインメッセの全館をあげて行われます チラシにてご覧いただいておりますが少し、補足致します。静岡ホビーフェア2011年3月27日◎会場えのアクセス路線バス(「登呂コープタウン行き」JR静岡駅北口6番乗り場) または「ツインメッセ静岡」⇒「JR東静岡駅南口」間をつなぐ無料シャトルバスをご利用ください元気アップ!! SHIZUOKA開催される・・・静岡ホビーフェア2011年3月27日まで 東静岡駅広場で開催中 同時開催として、模型の世界首都静岡にプラモデルの全てが集結しています。☆スタンプラリーは西館1階小展示場☆働く車大集合 南館 西側江尻のまっこちゃん 今年の秋はイベントづくしに頑張る男80歳の現役仕事人
2010.11.12
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<font size="1" color="#000000">中西 大輔と聞いてもピント来る人は少ないと思いますが・・・昨日は「文化の日」秋の叙勲で晴れやかな栄誉を受け多くの叙勲者が喜びの一日を祝福されたことと思います。<br><br>少し、趣は違いますが少し前にNHKで取り上げられた異色の「冒険家」の事を思い出してブログ記事にしてみました。<br>「植村 直己冒険賞」を受賞された「旅の達人」中西 大輔氏について当時の記録を追ってみたいと思います。<br>直巳冒険賞は 過去には、登山、ヨット、極地徒歩行などで数々有るようですが、今回の受賞は異色の人となるようです。<br>受賞の冒険内容は自転車で世界を廻る(因みにその足跡は、地球2周、130ヶ国、11年間で15万キロメートル)そして彼は、無名であった。日本を出発して11年間、その間3回程帰国しているようだが・・・それは、やむない事情と言うか自転車の手入れとかが主で、何せ300回もパンクして修理、時にはアンデスの山中に車で転倒自身も怪我をして、愛車も壊れてしまい途方に暮れているとき親切なトラックの運転手さんに助けられ、300キロも離れた都市まで高速運転で送ってくれた親切な人に助けられた。このときは、車のリブが破損してしまい、走れない状態であった。この愛車は勿論日本製の特注車、リムも何処の国に行っても良いように世界中で手に入るタイヤの使えるモノにしていた、荷台は前後に付けた特製自転車、更にこれだけのパンク修理に欠かせないモノは、空気入れなのだが斯うしたモノの手入れには格別の注意をしている。この空気入れは、ホントに小さいモノで水鉄砲を想像したらお分かりかと思います。<br>日本に帰るのは、パスポートや、キャッシュカードの書き換えのためとか・・・<br>旅の始めには、三年ほどの旅にゆくと言って出国した。船に乗ったり、飛行機以外は全てサイクル、前後に大きな荷物を積み荷重は全体で50キロ、本人の体重を70キロ合わせて120キロを可成りの山道以外は乗って走った。砂漠も山も泣きながらの旅だったようだ・・・<br>砂漠のテント内に居たときに、二頭のハイエナに長い時間吠えられて恐ろしい思いをした。<br>10年一昔と言うが、そんな長い間世界中を旅をする思いとは何なのか考える。<br>初めの資金は学生時代から少しずつ仕事をして貯めたお金を持って出掛けた。仕事が有ったわけでもなく当然、収入はゼロ・・・<br>そんな日々の暮らしは大変なモノだったようだ。出来るだけテント暮らしで節約して居た。<br>33歳の頃、アラスカをはじめ、五大陸を巡り、62国となったが後3年は走りたいと云う。目標は120ヶ国以上、小さい頃の夢は「六太陸走破、自転車で世界一周」はじめは3年で60ヶ国をと計画したが・・・11年となり、パンクは300回以上、チェーン15回、タイヤ82本、ペタル5回。相棒は自転車。計画は28歳からスタートする。それまでに600万円の貯金、大学卒後、住宅会社で5年間勤務。廻った国は、北中南米、欧州、アフリカ、アジア、オセアニア、中東、などを一日100キロから150キロを走行、旅の思いでは限りない・・・本来人の好きな中西さん、そして自転車好きな中西さんそして自転車好きな旅人、世界の人々と交流し裸の付き合いで言葉は分からなくても人々の優しさや親切は身にしみているようだ。自転車は荷物と共に120キロ以上あり重くて盗難には合わなかった。<br><br><br> 植村直巳賞の他、JACC 日本ペダリアン大賞を受賞している。本年6月11日ゴール地点の大阪市に到着、この賞は日本アドベンチャー・サイクリストクラブが贈呈した。<br>1998年7月より2010年6月11日帰国までに151.849キロ。当年39歳 兵庫県川西市在住<br>旅の達人・中西 大輔氏の偉業を讃え少年時代の夢を更に一歩前進されることを祈ります。<br>江尻のまっこちゃん 人生に自らの夢を持つ男に!! 当年80歳の現役仕事人より・・・<br><br></font>
2010.11.04
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