放浪の達人ブログ

浮浪者

    【浮浪者】

山口県の秋吉台というカルスト台地で野宿をしてきた。
夜は寝袋にくるまって満天の星空を眺め、夜明けと共に起き出して
石灰岩で出来た奇岩が林立する草原を歩いて朝陽を眺めた。
草原からは鳥が飛び立ち、草花は夜露に濡れて光り輝いていた。
そんな国定公園を独り占めして見事な朝焼けを見ることができた。

翌日は青海島に渡って最高峰の山に登って日本海を見下ろしたり、
温泉に入ったり瀬戸内海まで行って夕陽を眺めたりした。
その夜は瀬戸内海の浜辺で寝袋に入ってまた野宿である。
その次の日は岡山の備前焼きの窯元を訪ねて一輪挿しを購入したり
夜の京都でふらふら迷子になったり、滋賀で野宿してから帰宅した。

俺は時計も携帯電話も嫌いなので持っていない。
家の者に「いつ頃帰って来るの?」と訊かれても
「わからない。気が向いたら帰る」とだけ言い残して出発して、
旅の最中は「今ここにいるよ」なんて連絡も一切しないのである。
車にはナビもついていない。ナビに指示されて走る事すら嫌いなのだ。
いやあ、実に自由奔放でワイルドな旅じゃねえか。

最近の若モンはツイッタ―だかラインだか知らねえが
現在の状況を逐一連絡しないと寂しいようである。
いつも他の誰かとつながっていないと不安なんだろうか?

逆に俺はどこかに出掛けた際、特に自然の中にいる時などは
人間と出会うのが嫌いだし、人工的な音が聞こえるのも嫌だ。
とにかく独りっきりになって自然の中に埋もれていたいのだ。

しかし、こんなロマンチックな行動が似合うのは若いうちだけであり、
俺のような中年男性が山奥や海辺で野宿していると様子が若干変わってくる。
野宿している当人は孤高の幸せの中で「男の浪漫」とやらを感じているが、
ハタから見たらホームレスの浮浪者と区別がつかないのである。(笑)
以前は公園や橋の下に住んでる浮浪者を負け犬みたいに捉えていたが、
今では俺の自由という感覚は彼らに程近くなっているのである。
俺は20代の時にインドからネパールまでヒッチハイクで行ったことがある。
あれも若いからできたことで、中年になってヒッチハイクをしようとしても
誰も乗せてくれないんじゃないかなあ、なんて思ったりもする。
ヒッチハイクや野宿の旅は若いうちにやっといた方がいいぞ。


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