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ロンドンからバンコクに向った。その飛行機の中では隣に子供連れの夫婦が座っていた。妻はずっと、寝続けている。その間、夫はタダ酒を飲み続け、二人の子供の世話をし続けていた。前方の席ではずっと泣き続けている子供がいて、その子供をじっと憎しみを込めて見ている初老の男がいた。なんか、やるせなかった。バンコクについたのは深夜で、トランジットに約6時間かかる。外に出てもしょうがないので、空港内で横になれるところを探した。この空港の中にもホテルがあるが相当高い。照明の暗い待合席があったので、そこで横になると眠気が襲ってくる。外は暑いはずなのに空港内のエアコンはがんがんに利いており、寒くなってきた。アランセーターがバッグに大事にしまってある。土産用に買ったのだが、取り出して着てみると暖かい。温もりも手伝ったのだろう、いつの間にか、眠り込んでいた。貴重品を枕代わりにしていて、身なりも汚れていたせいか、なくなっているものは何もない。気づくと、ざわざわする音が聞こえ、暗かった待合席も照明が点いていた。体を起こして、周りを見渡すと、人の数が多くなっている。向こうの方に日本人の団体客が見えた。お互いにお辞儀をして、お世話になりました、と挨拶しあっていた。何か、日本人ていいな、と感じた。バンコクからの帰りの飛行機では、隣には外人(何人だかわからない)が座り、またこれがとんでもなく太っていて、エコノミークラスの席の肘掛から腹の肉がこちらの席にまではみだしている。私もつらかったが、太った彼は息をするのも苦しそうだった。自宅の近くの駅まで電車で戻り、駅から外に出ると雨が強く降っている。今回の旅行で初めて雨に困らされた。※この旅行はもうかなり前のことを想いだしながら書いており、 ルートやコストはまったく参考にならないので、あしからず・・・
2005年06月05日

朝の出勤タイムの前なのだが、なんといってもこの荷物は邪魔になる。まわりの人達からも浮いちまうだろう・・・まず宿を探し、邪魔者を処理して落ち着くことにした。大体この辺だろう、というとこまで数キロ歩き、空き部屋があったので予約した。予約?そう、まだ早いせいか部屋には入れないのだ。荷物を置かせてもらうのと、明日の朝食の代わりに今朝、たべさせてくれ、と言ってみたらOKしてくれた。食堂に入ると、若い人が多い。パンをお代わりしようとして断られている若者がいた。アイム、ハングリーっ、と何回も繰り返していたが、無駄だった。街中を歩く。公園の中でジャズの演奏会をしていた。しばらく腰掛けて聞いてたが、向こうを見ると、立ち飲みバーの看板がある。そこでテイクアウトでギネスを買って、演奏会場まで持ってきた。まずくはない。でもギネスの味は、ここよりもアイルランドの方が数段美味い。夜、宿に戻ると部屋の中に据え置き式のシャワーがあった。このシャワーで汗を流すと部屋に湿気がたまる。翌朝早く起きて廊下を歩いていると、床がみしみし音をたてて鳴っていた。
2005年06月04日

駅に行くと周りはすでに暗い。列車が入るまでは間があったので、さっきのリカーを取り出し飲み始める。ところが、これが甘い酒で、ちょっと苦手・・・あまり飲むことができない。どうしたものか考えていると、駅のプラットフォームに浮浪者の姿が見えた。勝手に入り込んで、くつろいだ格好で、座っていた。じっと見ていると、向こうでも気づいたようで手を振ってやがる。私は先ほど買って処理に困ったリカーを、彼にあげることにした。彼はにこにこ笑っているが、ありがとう、とも何とも言わない。まるで、お前はもてあましてるんだろう、・・と見透かしてでもいるようだ。そのまま、瓶に口付けで、がばがば飲み込み、ふうっ、と一息ついた。そんなことをやってる内に列車が入ってきて、アナウンスがある。さっそく中に乗り込む。これに乗ってれば、明日の朝にはロンドンに着く予定だ。車室は2人用のコンパートメントなのだが、発車しても乗って来る人はいなかった。走り出すと、すぐに闇の中に入りこんでいく。心地よい振動で上の寝床で眠りこんでると、夜中に乗り込んで来た人がいた。大きなバックパッカーを背負っている。山の中にでも入ってたらしい。軽く会釈をして、また眠りの中にもぐりこむ。早朝、目を覚ますと列車はロンドンの駅の少し手前を走っており、外の景色は街中である。しばらくすると駅構内にゆっくり入っていった。
2005年06月03日

まだお昼過ぎで、時間はたっぷりある。散歩でもしてみよう。この街は歩いていると方々に花壇があって、花がたくさん植えられている。花壇と言えないまでも、橋のところにちょっと花を結んだりして、おしゃれなとこがある。適当にあっちだ、こっちだと歩いていた。気付くと川のほとりを中心に、歩いていたようだ。川沿いを歩いちゃ、橋を渡り、また川沿いを歩く・・・気ままに歩いているつもりだったが、不思議と何度も同じ人に出会ってしまう。向こうの方でも覚えてるらしく、いい加減3度も会えばお互いに会釈するようになった。一言に川沿いと言ってもその場所によって雰囲気が違う。大きな川と小さな浅瀬、木が生い茂っているところと、花で飾られている所、などなど。自然が豊かなのだが、時おり人の手が入ってるのを感じさせもする。また犬や鴨、鳩、ウサギなどが適度に遊んでいて、突然目の前を横切る楽しみも与えてくれた。さ~て、なんだかんだしてる内に夕方になってきた。そろそろ、土産でも買おうとしたが、あれれ?5時になると店じまいしはじめてるじゃないか!あわてて買い物を始めたが、後の祭り、結局ろくなものを買えんかった・・・せめてスコッチの小瓶ぐらいを、と思い酒屋を何軒も訪ねたが、小瓶などなかった。そもそも小瓶って、こっちであるのかい?しょうがないので小さなリカーを買って、荷物に無理やり詰め込んだ。
2005年06月02日

旅行へ出たときの習性で、やはり朝は早く、目が覚めてしまう。今日はインヴァネス観光をするつもりだ。夜まであっちゃ、こっちゃ行って、夜行列車でロンドンに戻るのだ。さて、このインヴァネスの近くにはネッシーで有名なネス湖がある。半日コースの観光バスが出てるので、それに乗ることにした。バスは、まず、噴水があってその中にちゃちなネッシーの飾り物があるところに寄る。これがネッシー博物館?ここで一通りネッシーをおさらいしてから、いざ本番!ネス湖へと向う。湖畔の道を走っていると、少し広い路肩に止った。そこには、バグパイプを吹いて記念写真に応じ、テラセンをもらう人などがいる。その横の木々から湖が見え隠れして、それなりの雰囲気があった。ネス湖に着くと、バスを降りてぞろぞろと湖畔まで歩いていき、フェリー乗り場でフェリーが来るのを待つ。船は、近づくと切り替えしを上手に行い、客を船中へと誘導した。この湖はほとんど波風がたっていない。穏やかな湖面だ。岸を離れて湖の真ん中くらいに来ると、突然、・・・ということはなかった・・・でも何となくネッシーが出てきそうな雰囲気がある。他の湖も同じなのかなぁ?一通りフェリーで湖中を周ると、はい、おしまい。またバスに乗って街に戻ってきた。
2005年06月01日

車を返し、ここから駅まで戻る方法を店の人に聞いてみる。カイル・オブ・ロハルシュ行きのバスが出ているとのこと。教えてもらったバス停でさっきから待ってるが、バスはなかなか来ない。やっと1台やって来たので、さっそく乗り込んだが、これがまずかった・・・行き先をきちんと確認しなかった為、どうやら違うバスに乗っちまったようだ。途中から変な方向に曲がって、どんどんロハルシュの駅から遠ざかってしまう。結局、タクシーに乗り換えた・・・つまらぬ出費をして駅に着けたが、ぎりぎりの時間で列車に乗ることができた。やれやれ、疲れたわい、と思ってたが、帰りの列車からの眺めがそれを癒してくれる。行きは午前中だったが、夕方の光景はまた違って見えた。インヴァネスまでに戻る間に陽が落ち、すでに暗くなっていた。面倒なので前に泊まった宿に自然と足が向かう。宿で荷物の整理をしてから、食堂で食事をし、それから飲みにいった。前回までの過ちを繰り返さない為だ。何の過ち、かって?食事をしながらのギ・ネ・ス。このミスマッチ。前に行ったパブでエールビールを飲み、ギネスを飲んだ。カウンターに座っていると人の数がだんだん多くなる。あれ、前もこんなに人が多かっただろうか?と思いながら周りを見渡してたが、食べながら飲んでいる人はやはり、少ない。みんな、わかっているのだ。これが日本の居酒屋との一番大きな違いなのかなぁ・・
2005年05月31日

専・用・のダイニングで朝食を食べて、身支度を整える。といっても、バッグ1つ持つだけなのだが・・・宿を出て車を走らせ、小さなT字路で右折しようとした時である。草むらから急に若者が飛び出してきた。なんだ、と警戒して見ていると、右手の親指を立ててにこにこ笑ってやがる・・・車を止めると、寄ってきて話しかけてきた。どうやらヒッチハイクをしているらしい。○○まで行くかと聞かれたのでそうだ、と答えると、乗せてってもらえないか、と言う。悪そうな奴じゃなさそうだし、乗りな、と合図した。彼はフランスから来て、旅行してるらしい。高校生だと、言っていた。フランス人はみんな英語をペラペラしゃべるのだと勝手に思っていたが、彼の話し方を見てると、大きな誤解だったようだ。途中大きな岩山があって、写真を撮る為車を止めると、一緒におりてきて写真を撮ってる。全・然・急いでるようではなさそうだ。それならばと、ゆっくり走って周りの景色を楽しむことにした。海沿いの廃墟のような城で海辺を見渡してると、イルカだっ、という声がした。向こうに確かに何かが、ジャンプしてるように見えるが、結局なんだかわからない。広い草原の1本道を走ってると、前方に牛が道をはみだして占領している。こっちに気づいても、何の反応もしめさない。気のせいか、嬉しそうに見えた。結局、その高校生は○○では降りずに、私とだらだらとドライブをして、3時過ぎまで車に乗っていた。彼の泊まっているドミトリーが戻る途中だと言うので、そこで降ろしてやる。
2005年05月30日

暗くなったので、この日は島の北の方のウイグというところで泊まることにした。2軒の宿があって、交渉してみると、値段も高くはない。海沿いの方を選んでみた。部屋はきれいに片付いているし、シャワー室・宿泊用のリビングは誰も使っていない。また、専・用・の・宿、として使える・・・宿も決まったし、食事をしに海のほとりのパブ?に行った。バーカウンターと古いゲーム機?があり奥にテーブル席がある。テーブル席で食事とビールを頼んだ。客は2~3人いたが、一人で来ていた年配の人が向こうのゲーム機の横でスコッチをちびちび飲んでいて、私と目が会うと、グラスをちょっと上げて、会釈した。食後に外に出て、深呼吸すると海の深い匂いがする。後ろを振り返った時、さっきのレストランが暗闇に浮かんで見えた。フェリーの乗り場に向かって歩いていると、両岸にはヨットが停泊していた。その一艘からラジオの音がかすかに聞こえる。それ以外には何の音もしない。小さな波音と、自分の足音だけがぱたぱたと鳴っている。宿に戻り部屋に入ると、天窓がついていた。寝ながら夜空を眺めると、星がこんなに多いのか、と驚くくらいたくさん見ることができた。翌朝起きて外に出てみると、この宿の子供達が庭で遊んでいる。よぉ、って感じであいさつすると、照れたように手を振りかえしていた。その庭からすぐ近くまで海がきている。触れると冷たいが、潮の匂いはしない。しばらく眺めていると、船がゆっくり前を進んでいった。
2005年05月29日

約30分程走っただろうか。途中、橋も渡った。この景色も非常にすばらしい。迎えに来てくれた人に聞いたのだが、昔は橋はなかったらしい。またこのあたりはヨットも停泊していると言っていた。レンタカー屋で車を借りると、さっそく島内を走り始めた。後でわかったが、ここではバスの移動は時間がかかり過ぎる。車を借りて正解だった。走りだすと、すぐに街中は消え、丘を上り下りする道路にでた。右には湖が見える。人家があるが、別荘なのかな?行く先々に湖や海、山があり、しかも高さも違っていろんな観方を示してくれる。草ゴルフを楽しんでいる人もいる。かといえば、古いお城なども時折あって、入場料を払えば中に入ることもできた。天気もよかったせいか、9月も後半に入ったのに全然寒くはない。そんなめったにない、ドライブを楽しんでいた時のことである。あまりの景色の美しさに上り坂で車を停めて、写真を撮っていた。すると反対方向から来たトラックがさかんにクラクションを鳴らしているではないか。なんだと思って自分の車を見ると、す・こ・し・づ・つ後ろに下がっている・・・急いで車に戻り、ドアをあけてハンドブレーキを思いっきり引いた・・・車は、何とか止ってくれた・・・。もう冷や汗たらたらである。危うく崖底に車を転落させてしまうという、めったにないことをやらかしてしまうとこだった・・・
2005年05月28日

インヴァネスから列車でカイル・オブ・ロハルシュという終点まで行く。約2時間半くらいらしい。早めに宿を出て、駅に行くことにした。列車に乗り込み車内を見渡すと、景色が見やすいように窓が大きく作られている。列車が動き出した。すぐに廻りの景色から人家は見当たらなくなった。この日は天気もよくて車窓からの眺めは、抜群に美しい。ほとんど何もない原野に湖などが時折でてきては、過ぎさって行く。同じような景色ではあるのだが、あきるということがない。また列車の右と左でも景色が違っており、何度でも楽しめそうだ。そんな眺めを見ながら、時折写真などを撮っていると、まもなく終点に着いた。乗客は列車を降りるとぞろぞろ歩き出して、いつの間にか誰もいなくなる。駅で情報を得ようとしたが、無駄だった。小さな木造のプラットホーム。駅員さんに荷物を預かってもらい、外に出た。駅前のロータリーで聞いたのだが、スカイ島にはここから橋を渡っていくらしく、島ではバスか車しか移動できないとの事。バスはと見ると、ほとんどない。どうしようか迷っているとレンタカーの看板が見えた。看板に書いてある番号を電話してみた。すぐ近くにあるのだと思ったが、スカイ島からくるらしく1時間後に迎えに行く、と言っていた。時間は少ないが街中を散歩することにした。鉄橋を渡ると下に駅があって、さっき乗ってきた列車が止まっている。静かなところだ。みやげ物屋に数軒入って、駅前のロータリーに戻ってきた。しばらくすると1台の車が横に近づいてくる。○○レンタカーの者です、と言うので車の中に乗り込んだ。
2005年05月27日

インヴァネスに着いた時にはすっかり暗くなっていた。駅を出て、少し歩くと左側にパブがありその横を細い階段が昇っている。その階段を上がり、歩いていくと宿屋が何件かあった。その中の一軒に落ち着いて荷物を下ろして、今来た階段を下りたことろにあるパブに入って食事をした。面倒なのでフィッシュアンドチップスとギネスを頼んだが、やはりあ・わ・な・い・・・エールビールを数杯飲んで時間を潰していると程よく酔いがまわってきた。翌朝はなぜだか、早朝に眼が覚めた。外を眺めると、朝焼けで教会のシルエットが非常に美しい。それにとても静かだ。今までの行程を確認して残りの日数を数えた。そろそろ全体の道筋を固めるころだ。ここから西のスカイ島にむかうことにした。
2005年05月26日

どうしよう、地図など持っていない。どこをどう行ったらいいのか皆目見当もつかない。思案顔で歩いていると、横に車が止まった。どうしたんだ、と聞いている。50くらいの男の人。蒸留所まで行って、見学したいんだが、どう行ったらいいかわからないと話した。彼がいうにはバスが出てるらしい。バス停まで送ってやろう、と言ってくれた。ところがバス停に着いて彼が聞いてくれたのだが、どうやら今日はもうバスは行ってしまったらしい。ちょっと考えてから、その人は、車で送ってあげようかと言った。今度は私が考えて、そんなに悪い人でもなさそうだし、お言葉に甘えることにした。どうせ、近くにあるだろう・・・ところが乗ってみると、30分くらいしてやっと着いた。途中、小さな蒸留所みたいなところを過ぎて、山並みの1本道をかなり走って来た。とても歩けるような距離ではない。帰りをどうしようか考えていると、待っててやるよ、と言ってくれた。それでは悪いと言うと、今日は非番だからいいと言う。学校の先生をしているらしい。蒸留所では見学に参加する数人と一緒に中を見て廻った。最後に試飲をしてどれくらいたっただろうか、駐車場に戻ると、彼の車が待っていた。駅前まで戻るとすでに夕方になっており、宿を教えてもらおうとしたら、自分の家に泊めてやると言う。とにかく家まで行ってみた。中は3DKくらいのアパートで、所狭しと本が置いてある。どうやら一人者のようだ。荷物を置かせてもらい、外で食事をするつもりで外出したが、食べ物屋が見当たらない。駅に行ってみると、ここからインヴァネスまで行く列車がまだあるではないか・・急いで○○さんのところに戻ってその事を話し、荷物を持って駅に着くやいなや列車がやってきた。
2005年05月25日
次の日からもっと北に向かうことにした。行き先はまだ決めていない。とりあえず北に行く列車に乗る。前と同じように綿菓子のような雲を何回か追い抜くと、終点のアバディーンに着いた。ここで列車を乗り換えねばならない。途中ゴルフで有名なセントアンドデュースへの分岐があったが、今回はパスすることにした。時刻表を見ると、次の列車まで2時間程か・・・昼時だし、外を散策してみよう。駅をでるとすぐに右側に、北海へ向かう案内板があった。そうか結構緯度は高いんだ、とこの時気づく。更に先に進んでいくと、フードコートみたいな建物があったのでここで昼食をとることにした。ところがここでの注文の仕方がわからない・・迷っていると、この店の店員の女の人が親切に教えてくれた。気のせいか、今までよりも、女の人の肌が透けるように白いような気がする。ここから次の列車に乗ってエルギンまで行くことにした。このあたりはスコッチの蒸留所が多いらしい。どこでもいい、蒸留所を見学してみたい。列車を降りて、駅を出ると・・・何にもなかった。
2005年05月24日

城をでて歩いてると、スコッチウイスキーの記念館みたいなのがあったので入ってみた。小さなモノレールみたいなのに乗せられて中を順番に廻っていく。隣には同じ日本の人が座っていた。どうやら同じ国の人を優先的に隣の席に座らせるようだ。一回りして帰って来ると、試飲ができる場所に連れていかれる(但し、有料)。ここでは何種類ものスコッチがあって、その中のものを試飲できるのだろう。さっきの乗り物で隣に座っていた人がいたので、他愛もない話をしながら前に置いてあるスコッチを次々と飲んでいったら、気持ちがよくなってきた。真昼間に、スコッチのストレートを何杯ものんだせいだろうか、外に出るとお日様がまぶしい。そんな状態で街中を歩いていると、結婚式をあげている一団に出会った。宴もたけなわなのだろう、彼らはそれぞれに互いに祝いあって抱擁していた。このエディンバラは大きな観光地で日本人も多く来ており、日本語で対応しているところも多い。中国やら韓国の人も多く外からの見分けはつきにくい。ここでは、みんなから親切に応対してもらえた。そうこうしているうちに、気がつくと暗くなってきたので食事でもしようと一軒の食堂に入った。食後はパブに入って、スコッチとエールビールを飲んだ。アルコールに、足からへその上あたりまで浸かっている気分だ。もうそろそろいいかな、と飲み屋を出て宿に戻る途中のことである。こちらの人と、手をつないで歩いている日本人の女の人がいた。歩いている時に私と眼があう。何故だかその刹那、眼が少し泳いで、後ろめたそうにそらしてしまった。
2005年05月23日

遠くにお城がみえる。あれが有名な城か・・あそこまで歩いてやろう。途中みやげもの屋に何回か入りながら回り道していると、城の入口についた。ここでは観光料を払って入場する。金を払うとラジオみたいなものが渡された。日本語で説明してくれるらしい。いくつかの展示スペースを見ながら上の方に昇っていく。上にいくにつれて人の数が多くなってくる。それにしてもすごい人だ。どうやらこの広場みたいなところでは、定刻になると大砲を撃つらしい。それを目当てでさっきから待っている人が多いのだろう。私もなんとか場所を確保して、さっきから眺めている。どうせたいしたことはないのだろうが・・・期待せずに待ってると、一人の兵隊がしゃかしゃかっ、て感じで歩いて出てきてもったいぶった身振りで、ゆっくりと大砲に火をつけた。実は、その音が大きかった。耳がすばらくじーん、としてしまう。侮っていたわけではないが、しばらく頭の奥で音が張り付いて取れなかった。
2005年05月22日

翌朝起きて、朝食を食べようと下に降りてきた。まだ早かったのか、一組しか座っていない。この宿の中の食堂は意外と広い。テーブルが10組程並んでいた。ここの朝食には普通のパンとバター以外に、何やら黒い塊が皿に乗っていた。何だろう?後で聞いたのだが、豚?の血を固めたものらしい。ナイフで中をつつきながら食べてみると、意外とおいしい。全てを食べつくしてお茶をおかわりしていると、だいぶ人数が増えてきた。中に日本の若者もいる。彼は2日ほどここで過ごしているらしく、色々教えてもらった。この街ではかなり太った人を見掛ける。その人達は、まるで相撲取りのようにのっしのっしと歩いている。そんな人を眺めながら観光の名所を歩いてみた。こんもり高い、公園みたいなところがあるのでそこに登ってみて、景色を眺めた。
2005年05月21日
ここから単線に乗って、途中で急行に乗り換える。(乗り換えたと、記憶している・・)急行の車内は指定席で、私の席には名前が書いてある紙が貼ってあった。外の景色もアイルランドとは少し違う。カートを引いてゴルフをしている人達がいた。草ゴルフ、といったところか。大きなもっこりした綿菓子みたいな雲が空に浮かんでいる。だいぶ低い所にあるように見える。そんな雲を何度も何度も追い抜いていくうちに、エディンバラに到着した。すでに夕方になっていたので宿探しを始めなければならない。ホームからみんなが歩いていく方向にあとからついていくと、坂を上ったところの広場に出る。ちょっとベンチに腰掛けて、安そうな宿のあるエリアがどっちにあるか考えていたが、ええぃ、面倒だ、さっさといってまえ、と動き出したのがまずかったのだろう・・・道に迷ってしまった・・・。気がつくと周りは暗くなっている。重い荷物を背負って10キロくらい歩いただろうか。たどり着いたときには、へとへとになってしまった。それでもパブに出掛けてみる。みんながみんな、スコッチを飲んでると思ったが意外とビールを飲んでる人が多い。立ったままでギネスやエールビールを飲んでいる。私は聞いたこともないようなスコッチを頼んでみたが、癖があってそんなに飲むことができなかった。
2005年05月20日

翌朝起きて身支度をして外にでてみると、タクシーはまだいない。宿主に言うと、これからすぐつかまえてやる、と言った。ほどなく、タクシーが来て、宿主にお礼を言って空港に向かった。飛行機は3+3の6人掛けのジェットで、思ったより大きい。なにしろチケットはかなり安そうなしろものだったし、値段もそれなりなのでちょっと不安ではあった。席は自由席だけで、勝手に座りたいところに座る。リバプールの空港に到着すると、歩いてターミナルまで行った。質素な空港だ。ここから市内までバスが出てるらしい。バスでの移動中、外を見ると、どこかアイルランドとは景色が違う。ここでは泊まらず、見学してからエディンバラに向かうことにした。街中を歩きたいが、地図がない。一人の若者に聞くと、本屋に連れて行ってくれた。途中少し話したが、方言が強いのか、よく聞き取れなかった。駅で列車のチケットを買ってから市内を歩いた。ビートルズ関係の場所などを見て廻る。英国教会とクリスチャンの教会など、また海沿いの施設ではレンガ造りのおしゃれなビアホールなどがあった。いろいろ歩き回っていたのだが、気がつくと列車の時間までもうそんなにない・・ではないか!急いで駅に引き返した。
2005年05月19日

宿は8人部屋で、7人が今夜泊まることになっている。女2人に男が3人、それにアベックが一組という組み合わせ。この宿では自分でも調理することができる。実際に材料を買ってきて作っている人もいた。さっきから、部屋にいたアベックはどうやら2人きりになりたいらしい。気を使って、みんなは部屋から出て行って食堂みたいなところでテレビを見たりして時間を潰した。戻ると部屋は消灯状態が続いていたので、翌朝早い私にとっては好都合となった。女の子の2人連れはどこの国から来た人なのかわからない。アベックはフランスかラテン系だと思う。他は全て英国だろう。私の上のベッドに寝ていた男の人は神経質らしく寝苦しそうな寝息と歯ぎしりをくりかえしていた。
2005年05月18日

朝、宿を出て歩いていると、向こうから来る車にクラクションを鳴らされた。よく見ると、宿の御主人だ。偶然前を通った時に見かけたのだろう、手をふって合図していた。駅に着くて列車に乗り込んだ。前と一緒で自由席。しかしこの列車は自由席しかないのだろうか?これでダブリンまで戻った。宿はコネリー駅の近くにあるドミトリーにとる。ここからリバプールに向かうことにした。ところが、どう行ったらよいのかわからない。船がよいのか?飛行機?でも高いだろうしな・・・なんて考えながら街中を歩いていると、ロシアのウォッカの大きな看板がかかっているところに小さな旅行代理店があったのでそこで聞いてみる。どうやらフェリーもあるらしいが時間が結構かかるらしい。飛行機も飛んでるとのこと。試しに飛行機の値段を聞いてみると日本円で2000円程。意外と安かった。但し早朝なので交通機関がなく、タクシーを使わざるを得ないようだ。はたしてタクシーを早朝捕まえられるのか?宿でその時間にタクシーは走っているか尋ねると、俺が呼んであげると宿主が言ってくれた。
2005年05月17日

翌日は駅前に行って、ベンチに座っていると、屋上に席のあるバスが走っている。聞いてみると観光のバスで、コースによって時間が違うらしい。この時間でも乗れるかと聞くと、短い時間の奴ならあるという。乗ってみることにした。街中をゆっくり走っていく。主だった建物の前を通る。視界が高い為、さっきまで歩いていたのとは違う見え方がして面白い。バスでは女の子が英語でガイドしていた。活発そうな女の子だ。おそらく高校生でアルバイトでもしているのだろう。一生懸命ガイドしている姿が可愛らしい。ただし、屋上にいた為もあって、ほとんど聞き取れなかったのだが・・・「静かなる男」という映画をご存知だろうか?題名とは正反対に主人公を演じるジョン・ウェインがアイルランドの村の中で片っぱしから人を殴り倒していくという騒々しい映画だ。その撮影がコング村というところでされて、このゴールウェイからバスで行くことができるらしい。そこにも行きたかったが、バスの便に合わなかった為、今回はパスした。次回来たときのお楽しみとしておこう。実はギネスと同様にはまってしまったものが、もう一つある。アイリッシュウイスキィーだ。1本試しに買って飲んでみたのだが、すっかり気に入ってしまった。日本でもこれはよく飲むことがある。ゴールウェイは良い街だ。疲れたりした時にはのんびり海でも眺めていれば、気持ちが落ち着く。
2005年05月16日

今日の宿は先日のミセス○○の家にしよう。訪ねると部屋は空いているという。夜、食後に戻ってくると御主人が待ち構えていた。お茶を出されて話をする。彼は中学生になる娘達と一緒にいろいろ聞いてきた。日本の位置や形などなど・・・彼が私に聞いて、私が答えると、彼が娘達にゆっくり話してあげる。簡単な日本の地図を描いて、見せながら説明した。実は、私の絵は、あまり上手ではない。同じ日本人が見たら、これは日本?って思うかもしれないが、まぁ、よしとしよう。北海道、本州、四国に九州・・・東京はここだと教えると、ふぅん、って感じで頷いている。ちょっと考えてから、おもむろに、それじゃあ、香港はどこなんだ、と聞いてきた。あれは、日本じゃないんだよ、と話すと、へぇそうなんだ、という顔をしている。彼はそれまで「香港」は、日本にあるのだと思っていたらしい。
2005年05月15日

帰りのフェリーには日本の客も乗っていた。昨日とは違う母娘1組と女の子の2人連れである。フェリーが到着してバスを待っている間に話をした。このフェリーは直接ゴールウェイの港には向わないのだ。母娘は関西から、女の子の2人連れは東京の杉並から来たと言う。二人連れの女の子はアムステルダムからダブリン、ゴールウェイ、アラン島と来てこれからダブリンに戻り、明日の朝コークに向かうらしい。おととい私が泊まったゴールウェイの宿の話をしたら、とても羨ましがっていた。彼女達はそういう普通の民家みたいな所に泊まるのが憧れらしい。ダブリンでそういう宿にあたればいいな、とさかんに言っていた。そういえばアイルランドを旅行している日本から来た人は、女の人が多いような気がする。年配の方、女の子2人連れ、女の子単独、などなど・・・
2005年05月14日
さっきからポストオフィスを探しているがなかなか見つからない。町の中で、横道から出てきたおばさんがいたので、この人に尋ねた。オフィスはないらしい。この人は最初、この島の人だとばかり思っていたのだが、実は日本から観光で来た人であった。関西弁で、日本人でっしゃろ、と話しかけられた時は正直びっくりした。話を聞くと、彼女はこの後イニシュマン島へ11時15分発のフェリーで行き、17時発のゴールウェイ往きのフェリーに乗る予定らしい。私も少しその案に惹かれたがやっぱり止めておいた。雲も厚くどんよりとしていて、今日は一日小雨っぽい。フェリーの時間までにセーターを買いに行くことにした。アランセーターと名前がついている。手織りで独自の編み方らしい。ズラリと並んでいるものの中から気に入ったものを選ぶ。購入したものを丁寧にバッグに入れようとしたが、思ったとおり相当かさばった。毛のボリュームが多いのだろうか?
2005年05月13日

チャリで走り回っていると同じ人に会うことがある。途中何回かお土産屋で、日本から来た母娘に会った。ルートが似ているのだろうか?彼女達はバスで移動していたのだが・・・宿に戻る前に食事をすることにした。一度宿の前を通ってから町まで自転車で降りて行き、店を探して小さなパブに入った。決して食事はまずくはなかったのだが、値段が少し高いような気がする。材料を運ぶのに手間がかかるのかなぁ?再び坂をチャリで上っていく。宿に入ると中はきれいに片付いてあった。バスルームは部屋についてはいないが小奇麗である。シャワーのお湯も快適だ。それに誰も泊まっていないらしく、とても静かだ。部屋に戻って外の海を眺めていると、空と海の色が少しづつ変わっていく。買っておいたスコッチをちびちびやっていると、色んな考えが通り過ぎていく。ただ、今日は一日中クッションのよくない自転車にのりっぱなしだったので、体中が痛かった。特に、尻・・・
2005年05月12日

ドゥーン・エーンガスという断崖絶壁がある。ここからの眺めはすごいらしい。映画ではここで少年が崖に腰掛けて釣りをしていた。今回の旅行では是非行ってみたいと思っていたので、真っ先に向かうことにした。30分程、尻に気づかいながらペダルをこぐ。途中に左に曲がる道があり、ここからは自転車を降りて歩かねばならない。けっこう距離がある。1本道がだらだらと登っていく。まわりは木がないので全て見渡せる。しばらくいくと原っぱみたいなところに出た。その先に崖があるのか?先に進むと平らな大きな岩みたいなところで、数人の若者が見えて腹ばいになって下を覗いている。下は岩なので滑りやすい。慎重に、ゆっくりと、崖のへりまで近づいていった。恐る恐る、そこから頭を出して下を覗く。非常に勇気がいる。心臓がどきどきするぐらい怖かった。おまけに風も強く吹いていやがる。10秒も見ていられなかった。カメラのひもを手にがんじがらめに固めて、手の先だけ崖から突き出し、下を写した。こんなところに腰掛けて釣りをしていただって?とても信じられない・・・
2005年05月11日

貸し自転車を借りて島内を廻ることにした。半日もあれば大体見ることができるらしい。そういえば、アラン島に泊まろうと思うのだが、と宿の御主人に話したら、なぜあんなところで?という顔をしていた。普通は日帰りが多いらしい。ここは坂が多く自転車に10キロ程の荷物を背負って走るとけっこうこたえる。まず尻が痛い。この自転車はライトもなければスタンドもついていない。鍵すらついていない。どこか見学する時は勝手に横に転がして置いていくのである。但しギヤだけは15段変速で坂だらけの道に対応している。私の横を小型のバスが何度も通り過ぎていった。普通はバスで島内見学するみたいだ。とにかく荷物を処理したくて眺めのよさそうな一軒家に宿をとった。私以外は誰も泊まっていないようだ。まわりにも家はない。ぽつんと一軒だけ。ここでいつものMILLETのバッグを置いて再度自転車をこぐ。身軽になった分だけスピードが出るようになった。でも尻が痛いのは一緒だ。まわりは岩だらけで時折牛が放し飼いになっている。遠くからこっちを見ている。ほとんど動かない。じっと見ているだけである。下り坂になるとスピードが出る。道がそんなに良いわけではないので自転車がぶるぶる震えている。落ちないようにしっかりつかまっているので肩に力が入りっぱなしだ。岩といえばカッパドキアもすごい自然だと思うがここも相当なものだ。それでも人の手が入っているように感じる。なぜこんなところで暮らさなければならないのか、とつい考えてしまった。
2005年05月10日

翌日、アラン島往きのフェリー乗り場まで歩いて行った。空は厚い雲で覆われおり、悪天候を覚悟する。そういえばアラン島は普段もあまり天気はよくないらしい。乗船して間もなくフェリーはゴールウェイの港を離れた。遠ざかる街の中で見える高い建物は教会か。船の通った後ろには道ができている。このフェリーには日本の人も乗っていた。50代くらいの女性の2人旅らしい。子育ても一段落し、だんなの収入もあるのだろうか、先週も海外に旅行した話をしていた。フェリーは沖に出ると、まるでジャンプするように走っていった。けっこう、揺れる。空はどんよりと曇り、時折鳥達の姿が見える。実はアラン島はアラン諸島といい、3つの島からなっている。今回は一番大きなイニシュモア島に向かった。ゴールウェイから約90分。ところが島が近づくにつれて雲の間から青空が見えだした。波もめずらしく穏やかになってるらしい。陽に当たった海がまるで湖のようだ。港でフェリーから降りてすぐのところに、映画で見たことがある船が展示してあった。枠組みに布?が張ってあって、そこにコールタールみたいな黒い塗料が塗ってある。数人乗りくらいか。非常に軽そうだ。こんなので鮫まで釣りにでてしまうとはちょっとびっくりである。
2005年05月09日

ゴールウェイ往きの列車に乗る。中はのんびりした雰囲気だ。約3時間くらいのショートトラベル。外の景色を見ていると、よく写真で見たことのあるものが行き過ぎる。転がして作った大きな草の塊?列車の中ではカバンからパンとバターを取り出して食べている若者達がいた。また、無人駅(というより単なるプラットフォームだけ?)もかなりあった。お昼過ぎにゴールウェイに着いた。駅前の公園のベンチに座り、まわりを見渡す。さて、どっちの方にいったらよいのか・・・とりあえず宿をさがすことにしよう。何軒かB&Bを訪ねた。その中の1軒で、ミセス○○という人がやってる宿を紹介してもらった。ここなら安いという。もぐりの民宿?でもなぜ、紹介してくれた人が経営している宿に泊めてくれなかったのか、理由がよく聞きとれなかった。まぁ、いいか。 大勢に影響はないし・・・とりあえずミセス○○という人を訪ねてみることにした。教えてもらったとおりにいくと、ここには話好きの御主人と奥さん、それに娘さんが2人住んでいた。長男もいるらしいが、今はボストンの大学にいってるらしい。典型的なアイリッシュって感じの家庭で、どうやらその不在の息子さんの部屋を貸しているようだ。ゴールウェイはアイルランドの西部に位置している。静かでのんびりしたところのようだ。港のあたりを散歩してみる。海に流れ込む川の真ん中あたりで、腰まで水に浸かりながら釣りをしている人がいる。鱒でも釣っているのだろうか?鳥達がゆっくり水の上で休んでいた。実にのどかだ。気持ちが良い。買っておいたスコッチをちびちびやってると、横になりたくなってきた。しばらくそんなことをしていたが、この街の地図を入手する為に駅前に戻り、インフォメーションにいった。また、アラン島までのフェリーの時間なども確認しておいた。さっきの港に戻ると、ゆっくりと陽が落ちてる時間帯で、夕陽のあたった港がきらきらと輝いている。こんなところで自然を見ていたら、俺の近眼も治るのだろうか、などとくだらぬことを考えた。さて、食事でもするか・・・夕食はいつものフィッシュアンドチップスで、それを食べてからパブに行き、ギネスを飲んだ。このパブは面白い造りになっている。3階で、それぞれのフロアが違う雰囲気を演出していた。程よいアルコールで宿に帰ると、御主人が待っていて話を1時間ほどしてから眠った。
2005年05月08日

朝起きると、このホテルは川のそばに建っていた。ここからギネスの工場まで歩いていくことにする。途中寄り道をしながら、ゆっくり歩いた。意外と坂が多い。ゆったりとカーブしている上り坂での事。途中で片手に買い物かごを下げている一人のおばさんを追い抜いたのだが、今度はそのおばさんが追い抜き返してきた。なんと負けず嫌いな人・な・の・だ・ろ・う・か。ギネスの工場は、以前から一度は行って見たかった。試飲できるところはまさにパブそのものである。インテリアに凝っていて雰囲気も良い。但し、ただでは飲ませてはくれない。1杯いくら、と金を払うのだが、決して高くはない。ギネスビールは注ぐのに時間がかかる。サーバーからコーヒー牛乳みたいな泡を冷えたグラスにいっぱいに注いで、その泡が液体に戻るのをじっと待つ。戻ったら再び泡を注ぎ足すのだ。これで完成。アイルランドではこれに病みつきになってしまった。本当においしかったのである。できたてなので尚更だったのだろう。ただひとつ、何かを食べながら飲むと美味しさが半減した。何度も試したがやはり同じである。何故だろうか?じっくり飲むビールなのか?ギネス工場から歩いてすぐのところにあるヒューストン駅から、列車にのってゴールウェイに行くことができる。この駅で日本人の新婚さんみたいな人に話しかけられた。どうやらコーク迄のチケットを買いたいらしいのだが、往復と片道チケットの違いがつうじなくて、困っているようだった。この駅の中にもバーがある。列車が来るまで、再びギネスを飲みながら待った。不思議とあまり酔わないのは湿度も関係しているのかな。
2005年05月07日

イミグレーションに時間がかかり過ぎてダブリン行きの飛行機に乗れるか微妙になってきた。私が予約を入れているのはもちろん格安チケットで時間の変更などできそうにない。あわてて乗り継ぎの区間を走った。搭乗窓口に急いだがやはり乗れなかった。わけを話したらとりあえず時間変更してくれた。ただ空いてる席がなくて予約ができるのは6時間後の便。中途半端な時間だ。とりあえず食事をすることにした。空港内の食堂で食べてると隣で英国の女の子だろうか、皿いっぱいのパンの上にかかった豆の煮物とベーコンみたいなものをコーラを飲みながらゆっくり食べている。すごい量だ。空港内にいてもしょうがないので市内に行ってみる。荷物を預けて電車に乗った。街中を歩いて疲れたら公園で休む。大きな公園だが、なんという公園なのだろうか。時間になったので空港に戻る。ダブリン行きの飛行機に乗った。機中、隣の母娘は出された菓子パン2つのセットをぺロリと食べてオレンジジュースを一息で飲み干した。いびきをかいて寝ているおやじ、ものすごいおでぶさん。なんか変わった人達が多い。市内に着いたらすでに薄暗くなっていた。宿を探して食事に出かける。食事はおせじにもおいしいとはいえない。今日はとても疲れた。とにかく眠い。ベッドに入るとすぐに眠ってしまった。
2005年05月06日
アランという映画を見たことがある。今から70年程前に作られたモノクロ映画だ。ここでは土というものがほとんどないらしい。海から取ってきた海草を乾燥させて岩を砕いたものと混ぜ合わせて土を作る。そんな痩せた土地を見たくなって旅行することにした。私は腰痛持ちなので長いフライトは苦手である。バンコク経由の南周りでいくことにした。ドン・ムアン空港での乗り継ぎは確か9時間くらいあったと思う。外に出てシンファビールを飲みトムヤンクンを食べて2時間のタイ式マッサージをしてもらった。しめて全部で約600バーツくらい。空港に戻るとロンドン行きの飛行機は定刻どおりらしい。ここから機中泊でロンドンに朝着く予定である。機内ではよく眠ることができた。ところが、である。ロンドンの空港でイミグレーションに時間がかかった。長い列に1時間以上並んでやっとこさ入国できた。列の前には2人連れのタイ人の女の子が並んでいたが重そうな荷物だったので途中で運ぶのを手伝ってあげたら非常に喜ばれた。寝るとこがないなら今度彼女達のアパートに遊びに来てもよいといってくれた。私はこれからダブリン行きの飛行機に乗るので丁重に断った。
2005年05月05日
まわりが少し明るくなってきたので窓の外をみると、ちょうど釧路の駅に滑り込む瞬間だった。駅名をしるした案内板がゆっくり流れてから止まった。車内にアナウンスが流れる。時計を見ると予定どおりの早朝の到着。列車から降りた。思った以上に温度が低い。これではまだ外を出歩くには早すぎる。駅で時間をつぶそうとして早めの食事をとった。さすがに朝から酒を飲むわけにもいかない。あっという間に食べ終わってしまう。さてどうするか?とりあえず外に出ることにした。釧路の駅前の早朝。時間つぶしができるところを探して見渡しても何もない。と、一軒のサウナの文字が躍ってる!あそこにしよう。中に入ってさっそく湯船につかる。朝風呂だ。時間もたっぷりあるし長湯に浸かってたが、これがよくなかった。湯から上がるとカーペットのしいてあるところで雑魚寝する。少し体がだるい感じがしたが、長湯のせいだろうと思っていた。1~2時間ほど寝ただろうか、起きてみるとだるさがとれてない。少し熱っぽくなっていた。風邪か?とさほど気にかけずにいたが症状が悪くなっている。Kさんはというと、・・・いたって元気だ。私より20近く歳上なのにさっきもどんぶり飯を食べている。Kさんは大酒飲みである。しかし次の朝は必ずしっかりと朝飯を食べる。これは習慣になっているらしい。Kさんの案内で市内を歩く。港からいろんな施設の中を見て回り、夜には行きつけの店で騒ぐ予定であった。街中を歩いていると昼飯時であったせいか、人通りが多くなっている。歩いている人を見ると、え?半そで?街にある気温計を見ると0度近く。寒くないのか?など熱っぽくなってきた頭で考える。久しぶりの風邪だ。忙しかったせいかもしれない。午後になっても直る気配はなく逆に悪化してきた。おそらく夜は無理だろう。Kさんと相談して東京に戻ることにした。釧路の空港まで車で向かう。まわりの景色がぼんやり浮かんでは消えていく。出発まで少し時間があったのでビールを飲んだが味がわからなくなっていた。飛行機は小さなもの。悪いことに台風が近づいてきて風が強くなっている。しかし欠航にはならない。機内に乗ってしばらくすると動き出した。風が強いらしく機体が揺れる。窓の外に機体の羽の部分があり、ぶるぶる震えているのがよく見える。外の景色がまるで波に揺れてる船のように上下に大きく動いている。熱のせいなのか、台風のせいなのかよくわからなくなってきた。隣にはKさんが座っている。機体が揺れているが、そんなのKさんにとってみれば、へのへ~みたいだ。うとうとしかけた頃、大きな衝撃音と共に機体は着陸して東京に戻ってきた。
2003年10月04日
あれはもう10年以上前のことであろうか。札幌での仕事が一段落して食事をしていた。場所はススキノの居酒屋。後輩の女の子と人生の先輩Kさんと一緒に、こちらの料理をつまみながらビールを飲み日本酒を飲む。2時間ほどたってから居酒屋を出ることにした。実はKさんと一緒に、これから釧路にいこうということになっている。夜行寝台で朝早く着く列車を予約してあった。駅に向かうが時計を見るとまだ出発まで時間がだいぶある。といって、もう一軒まわるには時間が足りない。それくらいの間・・・さてどうするか、と悩んでいたがやはり酒好きのKさんと一緒である。酒屋に入ってワインを1本と6Pチーズを買った。これを大通り公園で飲もうというのである。今は晩秋から初冬というところ。夜のこの時間だと寒いが、酒が入っていたせいかあまり気にならなかった。公園内には悪ガキっぽいのがいたが、我々の方には近づいてこない。私の姿は普通なのだが、Kさんは長身、白髪まじりの長い髪にサングラス、それにりっぱな口ひげをはやしている。一見しただけだとナニジンだかわからない。少し気味悪かったようで、周りの連中は逆にどこかに行ってしまった。夜の札幌、この時間に公園で酒を飲んでいるのはさすがに誰もいなかった。ベンチに腰掛け、まんなかにチーズを置いてワインを飲む。これがじつにうまい。世間話をしているとあっという間にボトルがあいた。チーズが2切れ残る。これをゴミ箱に処理して駅へと向かう。ぶらぶらまわりを見ながら歩いていくと列車が出る30分ほど前に駅に着いた。構内の売店でカップの焼酎と日本酒を買い込み、車内に入る。この時期のせいだろうか、あまり混んではいない。寝床を確認し、酒を持って窓べりで飲んでいるとまもなく列車が出発した。少し大きな声でしゃべり過ぎてたのだろうか。奥のほうから、うるさいぞ、何時だと思ってるんだ!と罵声が飛んくる。寝ることにした。疲れていたせいか横になるとすぐに眠ってしまった。
2003年10月03日
イスタンブールのバザールでのことである。迷路みたいな市場から出てくるといきなり右手に何かを渡された。見てみると外国製の化粧品である。誰がこんなものを渡したのだろう。後ろを振り返ると一人の少年が立っていて、こちらをじっと見ている。どうやらその化粧品を買え、ということらしい。しかし私は男でその化粧品を今必要としてはいない。「いらないよ」と、優しくこたえる。すると少年は頭を右左にふる。「本当にいらないんだよ」 少し強く言うと少年は更に激しく頭を振る。しかたなくその商品を下に置いて立ち去った。後ろを振り返ると、少年の顔はこわばって悲しそうな目をしていた。キプロス島でのことである。町の中をぶらぶら歩いていると一人の少年が話し掛けてきた。しかし言葉がわからない。じっと顔を見ているとどうやら、どこから来たのか?と聞いているらしい。ジャポネだ。それを聞いた少年は、ジャポネ・・・と小さな声でいい、うっとりとした目で遠くを見ていた。体重計の商売をはじめに見たときは私も驚いた。こんなもので儲かるのだろうか?誰が載るっていうんだ?興味を持ってしばらくその商売を眺めていると、一人の男の人が靴を履いたままのっている。数字を見ている少年(ここでも少年が商売をしていた)が大きな声で体重を読み上げる。男の人は満足そうにうなずいて少年にコインを渡す。しばらくして今度は女性がのる。体ががっしりしており横幅に貫禄がある。左手に買い物かごを持ったまま載ると、少年は更に声を張り上げて数字を読み上げる。女性もうんうん、ってかんじてうなずくと少年にコインを渡した。何のための体重計か!などとゲスなことを考えてはいけない。商売としてちゃんとなりたっているのである。
2003年09月19日

ここからドバイ経由でクアラルンプールに翌朝到着した。帰りはコタ・キナバルを経由しない。しかし出発は深夜の12時前なので市内に出ることにした。荷物を空港に預けて外に出ると、暑い。市内まではバスに乗って行ったが、車内は混んでおり立ちっぱなしであった。 安いTシャツと半ズボンを買って着替える。街中を歩いていたが、汗がとめどなく出てくる。屋台でそばを食べたが、また汗が噴き出す。とにかく日光があたらないところを探しながら休む。市場なんか歩いていると、汗がまたどっと出てくる。冷房がない建物の中で休んでいると暑さで気を失いそうになった。涼しそうな公園があったのでその中を中心に歩く。途中鉄道の駅があったが、バンコクからシンガポールに行く列車はここを通るらしい。 時間をずい分残して空港には8時には戻った。この空港にはシャワーがあったのでそこで汗を落とす。多分、勝手に使っていいんだろう? 但しセキュリティーはないので荷物は近くに置いておかねばならんが。 帰りの機中泊2泊、というのはちょっと辛かった。 帰宅途中自宅近くの蕎麦屋に寄って、ざる蕎麦と日本酒を頼む。口に含むと懐かしい味がして腹にしみわたり、本当にうまかった。 注: この旅行に行ったのはもう10年以上前のことであり、 思い出しながら書きました。 従って、料金・路線などはあくまで参考程度にしかならないとおもいます。 念のため。
2003年09月17日

午後、ここからイスタンブール行きのバスに乗る。数時間でイスタンブールに着いた。先日降ったらしい大雪はすっかりなくなっていた。さっそく宿を探して荷物を置き、バザールやガラタ橋など街中を歩きまわる。イスタンブールは新旧入り混じった大都会だ。いろんな人種も混じっている。歩いていて不自由なく、楽しい。客引きが多いのはしょうがないが、彼らもいろいろ教えてくれたりする。この時期、睡眠薬を使った強盗が流行っていたらしい。手口を教えてくれた。今日は夜まで外を歩き回っていた。 翌朝早くに起き、街中を散歩して12時半にホテルをでる。シシャネというバスターミナルから空港までのバスが出てるらしいが、誰に聞いても要領を得ない。仕方がないのでバスターミナルまで歩くことにした。土産物も増えたせいか、バッグがひどく重く感じる。天気はよく、ターミナルに着いた時にはかなりの汗がでていた。何時に出るのか時刻表がないのでちょっと不安になったが、チャイを飲んでるうちにバスが来て16時発の飛行機に乗ることができた。
2003年09月16日

宿に戻るとここは古い建物を利用してホテルにしているみたいで、1階はディスコになっており若者達が列を作って並んでいる。部屋に戻った。湯が使えるようになっていたので、さっそくバスタブに入る。1時間半も湯に浸かっていただろうか。すっかり体がだるくなり、今夜はよく眠れそうだ。 次の日はエディルネのバザーにいってみた。値段はやはり、イスタンブールより安い。ここで音楽テープを買うことにした。店の主人(50ちょっとくらいか)にあなたの一番おすすめのテープは何ですか、と尋ねると、最初はどぎまぎしていたみたいだが、やがて1本のテープを差し出して、恥ずかしそうに、これがベストだ、といった。私はそれを買うことにした。それとベリーダンスのテープを1本。彼の推薦したテープを帰ってから聞いたが、とても好きになった。暇な時によくかける。すでに50回は聞いたかもしれない。 ここではブルガリアとの国境があり、へたに写真を取ると没収されると聞いていた。国境に行ってみた。今はポリスはいないらしい。川沿いを散歩してても何にも言われない。注意する人自体がいない。試しに写真を撮ったが、大丈夫だった。橋には時折一杯の干草を積んだ馬車が渡っていた。
2003年09月15日

夕方エディルネに到着。さっそく宿を探す。広場の前にドーム状の屋根をした建物があって、どうやらホテルらしい。少し高そうだがここに決めた。1300円ほど。このホテルにはなんと、バスタブがついていた。但し、お湯の出る時間は限られているみたいなのだが。さっそくたまっていた洗濯物をして乾かしておいた。 そうしておいてから外にでた。この街のことが全然わからないのでツーリストインフォメーションを探すが、やはりわからない。ポリスがいたので道を聞いたのだが、残念なことにとても親切なのだが、言葉がまるっきり通じない。 そこへ、ちょっと頭の足りなそうな(失礼)若者が通りかかった。 ポリスは「おい、ヘラ、このジャポネをT・Iまで案内してやれよ。」というようなことを言ったみたいだ。ヘラは(そう名前が聞こえた)ホイ、と答えて、へなへな歩きだし、T・Iまで案内してそこを指差すと、向こうの方へ歩き出してしまった。ありがとう、ヘラ!なんか、不思議なとこだ。 夜になるとジャミイ(モスクのこと)にネオンが点って、例のお祈りの歌が始まる。一日5回、流れるそうだ。夕食をとりにロカンタやレストランに入るがどこも満席である。ちょうど、夕食時にあたったようだ。散歩して時間をすこしずらしてから食べることにした。
2003年09月14日

バスに乗る。暖かい。車掌から、あんたは英国人か?、と聞かれる。もちろんそんなことはないので、ノーだと答える。 チャナッカレについたのは夜遅く。宿を早く見つけねばならない。ラマダンの季節で助かった。この時期はみんな宵っ張りなのだ。部屋に入りベッドに横になった瞬間に眠り込んでしまった。 次の朝は、やはり、というか、宿の人間はなかなか起きてこない。近くの店で朝食を食べながら外を見ると、猫が忍び足で歩いているのが見えた。その狙う先にはスズメがいる。猫が飛びつく、と一瞬早く逃げられてしまった。おしいっ、と思っていると、同じものを見ていたのだろう、トルコ人の子供も指ぱっちんをしていた。 チャナッカレからエディルネへと向かう。ここから対岸のエセアバートにはフェリーで15分、貨物船みたいな船だ。貨物船の料金はバス代に含まれていて、チャナッカレ~エセアバート~ケションで約300円ほど。エセアバートに着くとすぐバスが発車、あやうく乗り遅れそうになる。このバスはケシャンというとこまで行き、そこでエディルネ行きに乗り換える。今日はバスに乗っている時間が長そうだ。12:45ケション発。30分ほど待ち時間があるので、昼食をとる。
2003年09月13日

街に出ると遅い昼食を食べた。同じ店で同じメニュー。ここから北に行くつもりだったが、ブルサ行きのバスは夜の9時半までないようなので、チャナッカレに行くことにする。チャナッカレはアジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶもうひとつの港町だ。そこからブルガリア国境のエディルネまでいってみよう。 チャナッカレまではベルガマのバスターミナルからは直接バスは出ていないらしい。ここから7キロほど北にいったところにジャンクションがあって、そこでイズミールから出発したバスに便乗させてもらうとのこと。ジャンクションまでタクシーで400円くらいらしい。その時、俺の車に乗らないか?と誘われた。彼はジャンクションを通ってディキリという街まで行くらしい。値段は100円ほど。乗らせてもらうことにした。 しかし、乗ってからしばらくして後悔し始めた。道はほとんど野っぱらみたいなところの一本道で、外を歩いている人はいない。同乗しているのは先ほど声をかけた運転手ともうひとりのトルコ人の二人。何かあったら空手ができるふりでもしようか、と考えているうちに、ジャンクションについてしまった。思い過ごしだったらしい。但し、そこはジャンクションといってもなんにもない大きな原っぱの真ん中で、道が交差しているだけだった。もちろん、建物なんかない。座れるイスなんかもない。本当に何にもないところで、枯れ草がはえているだけで360度の彼方まで見通せた。冷たい風だけがびゅうびゅう吹いている。 乗せてくれたドライバーは10分程バスが来るのに付き合ってくれたが、中々こないので去っていった。買い物をして自分の家に戻る途中だという。ずいぶん待ったがバスは来ない。少し、心細くなってきた。それにとても寒い。 1時間ほどしてからだろうか、さっきのドライバーの人が、自分の子供を3人乗せて戻ってきた。どうやら気になってたらしい。しばらく一緒に待ってくれてたが、来そうな気配がないので、一番近くのお茶の飲めそうな暖かいバス停まで送ってやると言ってくれた。 その時、バスの姿が見えはじめた。彼は一生懸命バスを止めてくれた。おそらく自分だけだったらバスに乗れなかったかもしれない。今回の旅行の中で最も親切な人であったが名を聞くことを忘れてしまった。 ベルガマは、一番印象深い街になった。
2003年09月12日

朝食は昨日と同じとこで食べる。今朝は人が多い。日本人は珍しいのか、みんなからじろじろ見られた。 今日は荷物を宿に預かってもらって身軽にした。そのあたりはとても親切なのだ。アクロポリスまで歩くことにした。距離は結構ありそうだ。坂をのぼりはじめる道の横に、小さなアンティークのお店があったので入ってみた。古そうなのがあったが、そのなかで金色のぐい飲みほどの大きさのアンティークを買った。持ってみると重量感があって、これでワインを飲んだらうまそうだ。坂は石畳で両側に民家があるが、人通りはほとんどない。時おり荷車を引いた馬車にすれ違うだけだ。その民家も過ぎると、牧草地の丘の斜面に出た。この先、ずうーと道は迂回しながら上まで登るらしい。途中で斜面を駆け上がって、距離を縮めることにした。傾斜は思ったよりもきつい。ふと気づくと、隣にはやぎが群れている。歩いているからまだ良いが、かなり寒い。粉雪が舞い始めた。途中でまた石畳の道にでる。しばらく歩くと、浴場跡らしい横をとおってから頂上にでた。どうやら料金所を通らずに上まで来ちゃったみたいだ。 こんな季節の、こんな天気のせいだろう。旧ペルガモン宮殿の跡だというのに、人っ子ひとりいない。爽快ですらある。結局小一時間あまり散策していたが、誰にも会うことはなかった。あるのは壊れた遺跡だけだ。劇場跡からアスクレピオンが見えた。山を下りアスクレピオンまで歩く。約3キロほどらしい。 ところが、である。途中で道を間違えたらしい。いけども到着しない。上から見たら単純にみえたのだが、どこで間違えたのだろうか?おそらく倍以上歩いてから、やっとたどりついた。ここも誰もいない。おまけに入場料も徴収していない。晴れ出したが風は冷たく、強く吹いている。ビュービューさくような風音だけが聞こえる。劇場跡は風除けになった。陽だけに当たっていると暖かい。少し日光浴をしてると、うとうとしかけた。さあ、戻るとするか!
2003年09月11日

気を取り直して夜食を食べにでる。近くに食堂があったのでここにした。店にはほとんど人がおらず、豆スープなど数種類の惣菜とパンを食べる。値段は安い。味もまあまあというところ。テレビを見ながら食べてると、ひとりの男(トルコ人)が話しかけてきた。「ミチコをしってるか?」ミチコ? 誰のことだろうか?もしかして、美智子様のことだろうか?考え込んでいると、どうやらここへ旅行に来た日本人の女性のことで、彼はその時しりあったらしい。自分の彼女だと思い込んでいる。いつか日本に行こうとさえ思っているらしい。彼は5ヶ国語を話せると自慢していた。その中には日本語も含まれていたが、彼の片言の日本語を聞く限りでは他の言葉もおよその想像はつく。 宿へ戻る。寝ることにした。3月半ばだというのに、寒くてなかなか寝付けなかった。
2003年09月10日

ここから再度イズミール行きのバスに乗って戻り、そこでベルガマ行きのバスに乗りかえる。ほとんど待ち時間なしで乗れたが、ベルガマについた時には夜になっていた。 宿を探す。小奇麗なとこがあったので、部屋はあるか?とたずねると、満室だという。中を見渡すと、そんなに混んでいるようにはみえない。断られたのだ。人をみられた?そんなに汚いかっこうではないと思うのだが・・・ 代わりに泊った宿は値段が安かった。が、しかし、大変寒かった。これを読んでおられる方は東障子というのをしっているだろうか?アパートなどで、台所との間仕切りによく使われている。障子の紙の部分に、薄い硝子が入っている建具のことだ。この宿の部屋は外との境はこの障子窓一枚で、おまけに隙間もふんだんにある。シャワーは共同で、外を通って別棟のシャワー室までいかねばならない。そしてやはりというか、「湯」というよりは「冷水ではない」、というシャワーであった。暖房はもちろんなく、毛布は一枚だけ。全ての衣類と最後のホカロンを使ってもまだ寒い。なんか、ベルガマが少し嫌いになった。
2003年09月09日

帰りの途中、地元の男の人に話し掛けられた。どうやらみやげを売りたいらしい。5~6歳の娘を一人連れていた。話してみると悪い感じの人ではなさそうだ。(といってもかたことの英語だったのだが) かなりくたびれた軽トラックにのせてもらって、近くの遺跡を案内してもらった。畑の中のでこぼこ道を、軽トラが右左に大きく揺れながら走っていく。のどかな光景が続く。彼らと別れたあと少しぬかるんだ道を歩いていると、後ろから白い犬が嬉しそうにしっぽをふりながら近づいてきた。犬は嫌いではない。しかし、下の泥道で足がかなり汚れていたので、あれにじゃれつかれたら大変だ、と思い追っ払った。 3時過ぎまでほとんど歩きっぱなしだったが、天気も陽気もよかったので疲れはほとんど感じない。そういえば、今日は朝からなにも食べてないことに気がついた。まあいいか、たまには断食するのも。
2003年09月08日

ここから、エフェスのあるセルチュクまでバスにのった。約1時間強。セルチュクの街につくと、男女の客引きが一人づついた。お互いに宿の悪口を言い合っていたが、顔は笑っていたから、本気でいいあいをしているのではなさそうだ。最初からいた男の方に部屋をみせてもらうときれいである。それに誰も泊っていないみたいだ。朝食をつけてくれ、と頼むと、それはできない、という。面倒みたいだ。その代わりということで、勝手に2割ほど値引いてくれたので泊ることにした。散歩がてら夕食を食べにでかける。今夜は豆のトマトソース煮にサラダ(かなりボリューム有り)、シシケバブ、コーラでパンは食べ放題。これで満腹になれる。水もついでに買って、300円強といったところ。あれだけあったトルコリラも少なくなってきた。再度100ドルを両替する。レートが上がっていたので、更に大量の札束になって戻ってきた。 朝早くエフェスの神殿があるところに向かう。エフェスは古代都市エフェソスのあるところだ。田舎の一本道を行く。後でわかったのだが、普通は宿などの車でくるらしい。歩いている人は一人もいないが、天気もよいし、とても気持ちがよい。道の右側には小川が流れていて両側には木が生えているが、落葉なので陽があたり暖かい。朝早かったのと季節外れなためか、ついた時はほとんど人がいなかった。コロッセウムに座ってぼんやり下の劇場部分を眺めていると、いつのまにか日本人6人ほどのグループになる。ここで情報交換ができた。観光客の数もすこしずつ増えている。実は私は、すぐ別のところに行けるように荷物を全て背負っていた。それを見た欧州系のおばさんが話しかけてきた。「どうして、そんな大きな荷物をもってるの?私たちなんか宿で預かってもらってそこのバスできたのよ」。その時はじめて、宿からバスでここまで来るのが普通だとしったのである。しかし、ここに来る途中の景色も悪くはない。歩くことは慣れているので苦にはならなかった。帰りに一緒にバスに乗る?と誘われたが、まだ歩きたいので辞退させてもらった。
2003年09月07日

空港から市内までは列車を利用した。約15円と安いが、どれぐらい時間がかかるかわからなかった。 イズミールは大きな都市だった。観光でも来る人が多いみたいだ。りっぱなビルも建っている。海沿いのうつくしい街だ。ここにはカディフェカレという名所があるらしいので、いってみることにした。しかしこれは完全な丘の上にあって、バッグを背負っているから結構こたえた。汗がだくだくと出てくる。途中で子供が3人、最後のアゴラまでついてきた。重いバッグを背負って坂を登っていく日本人の後を歩くのが面白かったのだろう。 イズミールにはNATOの事務所もある。 ところが、である。この前を歩いていると急に用を足したくなってしまった。しかたなく、NATOでトイレの場所を聞いたら、職員用のを貸してくれた。えらそうな人がトイレまで案内してくれて、用を足している間もずっと外で待ってくれていた。恐縮したしだいである。
2003年09月06日

空港まではドルムシェやバスは出てないらしい。4の倍数の時間に迎車があるらしいが、朝早くはないとのこと。空港まで28キロ。タクシーにのることにする。空港に行く車はほとんどいない。専用道みたいだ。話しはあながち嘘でもなさそうだ。車はベンツだし、まあ良しとしよう。飛行機は一列3人+3人の小さなもの。空港の建物から飛行機のところまで歩いて行き、小さなタラップを上がって搭乗した。ここから、イズミール経由でロンドン行きの飛行機。客がすべて乗ったからなのだろうか、予定時刻より10分ほど早く出発してしまった。タクシーを使ってよかったと思う。 この機中では日本人はまだ珍しい部類に入っていたのだろう。複数のスチュワーデスがさかんに話し掛けてくる。食事がでたが、さらに余った分も持ってきてくれる。どうやら日本語に興味があるみたいだ。この飛行機の中では子供が泣きっぱなしだった。母親がてこずってるのを見て、英国人らしい人が自身満々で私にまかせなさい、という感じで替わってあやしたが、結局だめだった。みんな困ったような、呆れ顔だった。 飛行機は偉大である。先日あれだけ苦労して渡った海を、たった30分ほどで対岸に運んでしまう。降りるときにスチュワーデスに、さよなら、と日本語でいったら、びっくりしていたが、さ、よ、な、ら、と反芻するように繰り返して口ずさんでいた。
2003年09月05日

レフコシャは普通の街にみえた。ここで昼食をとっていると、先日写真をとったトルコ人女子大生に本当にたまたま再会した。彼女にここでのペンションを紹介してもらう。ここのペンションのおやじとは、言葉が完璧に通じなくて苦労した。1100円(日本円相当額)を1000円にまけろ、朝食はいらないから、と言ったが全然通じない。たまたま客で英語が話せる人がいたので中に入ってもらったら、朝食なしなら800円でいいらしい。ここはキプロスの中心だが、トルコ領とギリシャ領で街の名前が違う。ギリシャではニコシアというらしい。ギリシャサイドに行こうと思って国境沿いを歩く。ヤグラみたいなものがところどころにあり、その上ではなんと、兵士が銃を構えていた。イミグレーションまでの道を歩いている兵士に聞いたら、彼らは約10分ほど一緒に歩いて連れて行ってくれた。ここでは、トルコ側を出国することはできる。しかしギリシャ側に入国することはできない。それがわかっているから、出国の時に判子は押さない。お帰り、って感じである。 雨が降ってきた。イスタンブールでは大雪になっているらしい。 その夜ハマムに行った。伝統的なトルコ式の風呂だ。脱衣室で服を脱いで浴室に向かう。もちろん、男女別々。湯気のこもった部屋で温かい岩の床の上に20分ほど寝かされて、汗が出てから垢こすりである。頑丈な男の人が力強くこする。垢は結構でた。今までシャワー(水しか出ないこともあった)だけだったので、天国モードである。終わるとチャイをごちそうしてくれ、出るときにコロンヤ(こちらの香水みたいなもの)をもらう。全部で700円くらい。夜は宿の居間でテレビをみた。イスタンブールのホテルで働いているという人と話をしている時、サッカーの国際試合をやっていた。この時のトルコはサッカーはとても弱かったみたいで、彼は吐き捨てるように自国の選手を罵っていた。その後は映画のロッキーを放送していた。
2003年09月04日

キプロスからトルコへの帰りは、フェリーから飛行機に変えることにした。旅行社でチケットを変更する。西のイズミールまで。 ピザを食べたくなってピザ屋に入る。ここで数人のトルコ人のグループの中の女の子が自分の彼氏と間違えて、私に「ねぇ、ムスタフェ」と呼び、抱きついてきた。日本人が韓国人や中国人に間違われ、とうとうトルコ人に間違われるようになったか・・ 夕方宿に戻ると、この宿のあんちゃんが、英語の勉強をしていた。この宿は彼の母と二人でやっているらしいが、彼はまだ英語を話せない。いきなり、ハ、ア、ユーと言ってきたので、ファ・イ・ン、エ・ン・ド、ユー、と返すと満足したようにうなずいた。彼も本気で英語の必要性を感じ出したのだろう。 朝食は昨日と同じ。トマト4切れとオリーブ5個、チーズ1つにバターが1つ、オレンジのマーマレードが一つ。それとパン。こちらではパンは食べ放題のところが多い。チャイをおかわりして終わり。昼にチェックアウトをして、レフコシャ(読み方がわからない)までドルムシェで行く。ドルムシェは乗合バスってとこか。30分程乗って60円ほど。ギルネの街を出るときにポリスに呼び止められ、運転手は切符を切られたみたいだ。(何の罪だかわからぬが) 憤慨した彼はポリスに食ってかかったが、無駄だった。車を走らせてからも大きな声で叫んでいたが、もちろん何をいっているのかわからない。 その後の彼は飛ばした。ビュンビュン他の車を追い越していって、側道に乗り上げようがおかまいなしだった。普通とは違う走り方だったみたいで、他のトルコ人客の顔も少し青ざめていた。
2003年09月03日
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