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Ryu-chan6708

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2006.08.22
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カテゴリ: 読書感想
私: この日記の「国家の品格」つながりを書いていた 原武史氏 は、6年前に発行したこの本で天皇制についての研究でよく知られるようになったらしい。
 その 国家の品格」街道 の一つの本としてこの本を読んだよ。
 大正天皇は明治天皇と昭和天皇の間にはさり、忘れられやすい存在で、その研究もすくない。
むしろ、昭和になって政治的に大正は意図的に抹消されたような気もするね。
 この本はそれにスポットライトを当てた本だね。
 読んで別の世界が開けた気がしたよ。
 われわれは案外天皇制の真実を知らないね。
 近代の日本史を知るために、一読を薦めたい本だね。

 その意味で昭和の天皇制の理解の助けともなるね。

A氏 :俺たちの世代は、大正天皇は体が弱かった、特に脳の病気だったという記憶があるね。

:明治天皇と皇后との間には子供がなかった。
 当時はまだ、 伝統的な一夫多妻制 であったから、側室のほうに子供が生まれたが、4人(第一皇子、第一皇女、第二皇子、第二皇女)生まれて早く死亡している。
1879年に、側室の柳原愛子が第三皇子として生んだのが、明治天皇の唯一人生き残った子供となるね
 当時から、血統の連続性による近代天皇制の危うさを示していたんだ。
 この第三皇子が大正天皇だ。
 しかし、この子も生まれたときから病弱であったとのことだよ。

A氏 :でも、大正は15年間あったのだから、健康なときもあったのではないの?

:1912年、明治天皇が死去し、大正となるが、この頃には、すでに健康になっている。 しかし、天皇の激務でまた、健康を害し、天皇としての仕事に支障をきたすようになる。
天皇は脳を患っているという風説がひそかに広がる。
近代天皇制の危機となる。

A氏 :そこで昭和天皇がまだ、皇太子時代だが1921に 摂政 となる。

:大正天皇は明治天皇と違い、皇后との間に子供に恵まれた。
 もう側室制はなくなった
昭和天皇 )、翌年第二皇子( 秩父宮 )、1905年第三皇子( 高松宮 )、少しはなれて1915年に第四皇子( 三笠宮 )が生まれる。
1926年12月24日に死去。47才。短い生涯であった
 天皇の手を最後まで握りしめていたいのは、天皇の幼少期以来久しぶりに接し、その変わり果てた姿を目にした実の母であったという。

A氏 :明治天皇と違った性格だというね。

:体が弱いから、詰め込み教育ができない。
 だから、地方を訪問した。
 天皇の場合、 巡幸 というが、皇太子の場合、 巡啓 という。
 しかし、建前は勉強のためのものだ。
 これが健康によかったので、 九州、信越、瀬戸内海地区、山陰地方、韓国、南九州高知、山口徳島、東北地方、岐阜北陸、北海道 10年間の間に10回 巡啓していることになるね。
 この本は、その詳しい日程と地図を書いているが、人によると冗長だという人もいるらしいが、俺は当時の交通事情がわかり、面白かったね。
 俺の郷里が出てきて、そこで泊まった旅館名も出てきたのでなつかしかったね。
そして、きわめてフランクに訪問先で会話をしているね。
その会話がそのまま、生で新聞記事になって報道される。
 興味をひいたのは、行啓によって、鉄道や電気が地方にひかれるきっかけになることだね。
行啓の歓迎式の夜に一斉に電灯がともるという光景が生まれることがある。

 健康には結婚も効果的で、 貞明皇后 の力も大きかったのではないかね。

A氏 :明治天皇はそういう点がなかったようだね。

大正天皇は子供ともよく遊んだそうだ。
 明治天皇は孫とはほとんどあっていないし、あっても話が無かったようで、孫には怖いという印象だったようだ。

A氏 :大正天皇は皇太子が摂政になるのに、抵抗したということで、 陰謀説 があったとか?

摂政については、この本の著者は、宮内官僚によって強制的に「押し込め」られたという説で、これがこの本が人によって批判された点のようだね。

A氏 :しかし、天皇制を維持するには仕方がなかっただろうね。

私: 昭和とのつながりでいうと、 昭和天皇は大正天皇と違い民間への露出度は低くなり、神格化が進むね。
 大正天皇の反省からきているのかもね。
 それと気になるのは、大正天皇の皇后であった貞明皇太后だね。
大正天皇がなくなってからは亡き天皇を毎日のように遥拝し、御影を祭った室で、半日はすごしたという。
昭和になって25年間なくなるまで、これを貫いたという。
 時代が大正天皇の時代を抹殺しようとするのに対しての一種の抵抗ではないかと著者はいう。
 この皇太后は、昭和の皇室の動きでも重要な位置にあったようだね。

 しかし、 天皇制というのがワンマンの政治体制でなく、天皇は重臣や閣議の全員一致の決定を承認するだけのものだということがよくわかるね
 大正天皇が一時、天皇になって多少個人的な決定をしたら、元老の山県有朋から注意されるね。

A氏 :、今の北朝鮮と似ているようで全く違うね。

大正天皇





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Last updated  2007.08.26 13:11:07
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