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Ryu-chan6708

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2006.11.17
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カテゴリ: 読書感想




:こういう著者のメッセージが明確で強い本は読みやすいね。

A氏 :この本は 近衛文麿の生涯 を書いた本だね。
彼は戦争犯罪人の容疑で逮捕の日に青酸カリで自殺するんだね

:天皇はこれを聞いて「 近衛は弱い 」と言われたそうだ。
 一般的に近衛公は政治の上層部にあり期待された人なのに、決断力がなく、あいまいなまま、日本を戦争に追い込んだと言われ、自殺してもあまりよいことは言われなかったようだ。
この本は、それに反論するもので近衛の苦労とそれなりの決断を明確に記述しているね。


A氏 :近衛公は第三次近衛内閣総理として日米戦争は避けたいと思っていて、中国から日本軍を撤退するという譲歩をしてまでも、アメリカと戦争にならないように交渉するという考えを持っていたんだが、東条とやりあって蹴られるんだね。
 軍は 統帥権 があるからね。
 そこで昭和16年9月に総辞職。
 それを受けて東条内閣の登場となる。
 これが 太平洋戦争開戦内閣 だね。

:最初、勝ち続けていた日本軍も1年たたずに負け出すね。
 この本によると最初、東条もなかなか強気だったが、 サイパン島の陥落 はショックだったようだね。
 一部の人から 東条暗殺
 しかし、東条の専制的な統治はすごいね。
 反対しそうな人は即、戦線に飛ばされる。
 しかし、 昭和19年7月、ついに東条内閣が崩壊する

A氏 :この辺から終戦までのことは、この知的街道ですでに「 終戦外史 」、「 暗闘:スターリン、トルーマンと日本降伏 天皇の戦争責任 」のところでふれたこととダブルようだね。 

:この本で新しく興味があったのは、 ソ連の動きだよ
 昭和3年に 張作霖の爆殺事件 が起こる。
これは関東軍の策謀のようであったが、近年、モスクワの情報でこれに関する事件は ソ連側スパイの謀略によって動かされていた ことがイギリスの調査で、事件から70年余たったところで明らかになったという。
 ところが2005年に発行された「 マオ 」という本では「 張作霖爆殺は一般的に日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(後にトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだ 」という。

 著者は確実な証拠を得ていないが確度は高いという。

A氏 :当時の中国は戦国時代みたいで、かつ、それぞれのバックにイギリス・アメリカあり、対するソ連ありで 謀略がうずまく大陸 だったから、 謀略になれない日本軍はうまく手玉に取られていたようだね。まだ、未知の部分が多いね

 安部首相が、「 後世の歴史家の評価に待つ 」というのも一理あるね。

:この「マオ」によると 昭和7年の上海事件も日本に対するスターリンの陰謀 だという。

そうなるとこれまでの昭和史はすべて書き変えられるべきくらいの迫力あるものだという。

A氏 :昭和16年には ゾルゲのスパイ事件 が発覚するが、ソ連には日本の上層部の動きは筒抜けだったんだね。

:とにかく当時の中国大陸はいろいろな勢力があり、ばらばらだったんだね。
 この本では、戦後だが1980年の「総評資料頒布会」の興味ある記録を紹介している。
 それは当時の社会党佐々木副委員長が訪中し、毛沢東との会見の記録だ。
 毛沢東は概略次のようなことを言っている。

 「日本の友人たちは皇軍が中国を侵略し申し訳ないというが、私はいいえと言いました。
もし、皇軍が中国の大半を占領していなかったなら、中国人は団結して戦えなかったし、中国共産党も権力を奪取できなかったでしょう。 日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。
 おかげで中国人民は権力を奪取しました。
 この点で 私と謝罪するあなたの間には意見の相違があります
 日中戦争のとき、毛沢東の敵は蒋介石国民党であった。
 毛沢東は「敵の敵は味方」という戦略であったわけだね。

A氏 :それほど、当時の中国事情は敵味方入り混じり混沌としていたということだね。

 ところで日米開戦に反対で、総辞職までした近衛公が何故、A級戦犯として逮捕されるのかね。

:この本ではGHQにいた ノーマンと友人都留重人 が関係しているとしている。
二人はマルクス主義者だ
戦後、日本の共産主義化を恐れて動き出した近衛公を排除しようとしたためだとこの本は説明しているね
 ノーマンは 天皇廃止論者 だったという。
ノーマンは後にアメリカでソ連スパイの容疑をかけられるが、エジプト大使に赴任したときカイロで謎の投身自殺をする
 これも今後の歴史家の検討課題だね。

A氏 :近衛公はやはり 統帥権 にやられたのかね。

:近衛公の戦後の手記によると
 「日本の憲法はイギリスの憲法と根本的に違う。
殊に統帥権は政府に全然権限なく、政府と統帥部の両方を押さえられるのは天皇だけである
それをイギリス流の運用では戦時には困ることが多い。
 これは日米交渉で痛感された」
 というようなことを書いているという。

 確かにこの本を読むと、平和主義の天皇が重要なポイントで的確なアドバイスをしていることが詳しくわかる。
 かなり強いアドバイスもあるね。
 しかし、 近衛公の手記のように天皇が親政という立場で、もう一押ししていたら、日本、いや世界の歴史は大きく変わっていたかもしれない感じがしたね。
 歴史にイフはないけれどーー。






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Last updated  2007.12.12 19:40:16
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