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私
:有名なプロ野球選手にはいろいろ 伝説
みたいのがあるね。
打撃の神様
と言われた 川上哲治
の「 投手の投げた球が止まって見えた
」という伝説は有名だね。
この本は、そういう人から 10人の人
を選んで、著者がインタビューする記事だね。
単なるインタビュー会話録でなく、その前後の話を含めて、独特のインタビュー記事になっているね。
10人の選手が登場するが、 俺は生年順に並び替えてみた
。
敬称略。
カッコ内は生まれた年だ。
苅田久徳
(1911年)、 千葉茂
(1919)、 西本幸雄
(1920)、 小鶴誠
(1922)、 杉下茂
(1925 )、関根潤三
(1927)、 金田正一
(1933)、 中西太
(1933)、 吉田義男
(1933)、 稲尾和久
(1937)
この本は数年前の2、3年間のインタビュー記事をまとめたものだね。
A氏
: 長島茂雄
が1936年生まれ、 王貞治
が1940年生まれだから、 ON時代の前
を走っていた人たち
だね。
戦後の苦しい中から 昭和のプロ野球全盛時代
を築いた人たちだね。
皆、 野球殿堂
入りをしている。
苅田
、 千葉
、 小鶴
、 稲尾
の4氏は、2000年になってから、あの世に行っているね。
これを見ると、年齢順では一番最後の 稲尾の死
は若くて、残念だね。
私 :この年齢順を見ると、 杉下までは戦争体験 があるね。
A氏 : 伝説の名投手 で、太平洋戦争で戦死した 沢村栄治 が 1917年 生まれだから、戦後のプロ野球を起した人は、戦争体験者が中心だろうね。
私
:俺は、この10人の中で、 杉下
、 小鶴
、 千葉
は球場で直接見ている。
しかも、まだ、地方都市に生活していた 中学生時代
に、地方の球場で見た。
せまい球場
だから、選手は間近に見える。
杉下の体格
に驚き、 その体から投げられるための速さに驚く。
小鶴
が軽くバットを出したようなのに、 ライトにホームランとなり、ライトの外野の後の板塀に「ドカン」と音を立ててぶつかる。
千葉の軽快な守備。
はじめて、プロ野球を見て、その球の速さ、守備の華麗さ、打撃のすごさに感動した記憶がある。
A氏 : 小鶴 は ON と比較すると、あまりパッとしないが、 はじめて、年間本塁打を50本以上打った記録 があるんだね。
私
:俺とほぼ、同世代の 中西
、 稲尾
の活躍は、 白黒テレビ
で見たね。
野球少年
の俺はすでにサラリーマンとなっていたがね。
この世代の人は、今のようにコーチ制のようなシステムができていないから、皆、自分で研究して、野球術を極めているんだね。
杉下のフォークボール
も自分で考えているね。
稲尾
も、 キャッチャーのサイン通りでなく、自分で考えて球種やコーナーを考える
。
A氏 :今のような マニュアル主義 ではなかったんだね。
私
:コーチ任せでなく、自分で考えるわけだね。
杉下はいまだに、 投手コーチ
をしているというのは、その オリジナリティ
があるからだろうね。
ところで、俺は、戦後、早速、 学校の放課後
、友だちと 草野球
だったね。
戦争中は、もちろん、野球なんか知らない。
敗戦後、テレビもないときに、どこからか知らないが、野球を知ってたんだね。
俺は一時、部活で野球をやったが、 硬球
だったよ。
ボールの芯
を革で包んでいるが、使っていると包んでいる 革の縫い目
が破れるから、縫い直して何回も使う。
A氏 :当時は、 硬球もグローブも高価 だったからね。
私
:あるとき、 サード
を守っていたら、とんできたゴロが、途中で、縫い目が切れて、 革がはがれながら
、すごいスピードで転がってきたことがあるよ。
俺は草野球で投手をしたことがあるが、当時、 古本屋で戦前の野球の本
を探し出したよ。
そこに、 大きなワインダップをして投げる
「 火の玉投手
」 ボッブフェラー
の写真を見て、その真似をして、大きなワインダップで投げた。
そしたら、皆おかしなフォームだと笑ったね。
そんな時期があったね。
今の人は、 ボッブフェラー
なんて知らないだろうね、
この本を見ながら、 野球少年の頃 を思い出したよ。
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