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日本人として知っておきたい近代史(明治篇)
私
: 伊藤博文
は、幕藩体制を倒した先輩たちの後を継ぎ、日本を欧米列強に負けない近代国家へと導いた功労者だね。
百姓から身を起こし天下をとったということで、 明治の秀吉
だね。
この本を読んで、驚いたのは、彼はかなり、海外に行っていることだね。
英語はペラペラ
だったらしい。
百姓出身の彼はどのようにして 英語をマスター
したのだろうか。
この 英語力とそれによる国際的な交渉力
が、 初代総理に選ばれた大きな理由
だったらしい。
文久3年(1863年)5月
、 22歳
で イギリスに密留学
する。
イギリスで最新の文明に遭遇し、 攘夷論を捨てて、即座に開国論へ転換
する。
そこで 長州の攘夷決行
を知り、急遽帰国し、 自重論
を説くが、虚しく戦争がはじまり、長州は負ける。
A氏 : 下関戦争 だね。
私
:その 講和条約
のとき、 伊藤博文
は 英語力
を買われ、下級武士ながら、使節の一員となり、 講和条約の名手ぶりを発揮
する。
この交渉で得たアジアの イギリス人脈
により、 最新式のミニエー銃四千を購入
。
これが、 第2次長州征伐のときの幕府軍に対する大勝利
のもとになる。
伊藤
の 第2の海外渡航
は、 明治4年
で、 岩倉具視
を大使に、 木戸孝允
、 大久保利通
ら 百人を超える大使節団
のときだ。
しかし、この本によると、このとき、 海外渡航は3度目
だというから、 文久3年後
に留学経験があったことになる。
それはこの本でも ウィキペディア
でも分からない。
明治政府の財政制度
( 大蔵省改革
)を作るときにアメリカを参考にしたというから、その頃かもしれない。
明治15年、伊藤は 憲法や国会の研究 のため、 ヨーロッパに外遊 する。
A氏 :これで 4度目 だね。
私 :そして憲法を作り、政党を作り、 初代内閣総理大臣 になっていくのは、おなじみの明治の歴史だね。
明日は、「 明治の三太郎
」に話題を移そう。
この 三太郎
というのは、この本の造語みたいだね。
「 明治の三傑
」は、 木戸孝允(桂小五郎)、 西郷隆盛
、 大久保利通
だが、これにならったのかね。
伊藤博文
は、この 三傑亡き後を引受け
、さらに並行して 三太郎
が活躍することになる。