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Ryu-chan6708

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2010.04.14
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇)

伊藤博文 は、幕藩体制を倒した先輩たちの後を継ぎ、日本を欧米列強に負けない近代国家へと導いた功労者だね。
   百姓から身を起こし天下をとったということで、 明治の秀吉 だね。
  この本を読んで、驚いたのは、彼はかなり、海外に行っていることだね。
英語はペラペラ だったらしい。
 百姓出身の彼はどのようにして 英語をマスター したのだろうか。
  この 英語力とそれによる国際的な交渉力 が、 初代総理に選ばれた大きな理由 だったらしい。

文久3年(1863年)5月 22歳 イギリスに密留学 する。
  イギリスで最新の文明に遭遇し、 攘夷論を捨てて、即座に開国論へ転換 する。
  そこで 長州の攘夷決行 を知り、急遽帰国し、 自重論 を説くが、虚しく戦争がはじまり、長州は負ける。

A氏 下関戦争 だね。

:その 講和条約 のとき、 伊藤博文 英語力 を買われ、下級武士ながら、使節の一員となり、 講和条約の名手ぶりを発揮 する。
  この交渉で得たアジアの イギリス人脈 により、 最新式のミニエー銃四千を購入
  これが、 第2次長州征伐のときの幕府軍に対する大勝利 のもとになる。

伊藤 第2の海外渡航 は、 明治4年 で、 岩倉具視 を大使に、 木戸孝允 大久保利通 百人を超える大使節団 のときだ。
  しかし、この本によると、このとき、 海外渡航は3度目 だというから、 文久3年後 に留学経験があったことになる。
  それはこの本でも ウィキペディア でも分からない。
明治政府の財政制度 大蔵省改革 )を作るときにアメリカを参考にしたというから、その頃かもしれない。

  明治15年、伊藤は 憲法や国会の研究 のため、 ヨーロッパに外遊 する。

A氏 :これで 4度目 だね。

:そして憲法を作り、政党を作り、 初代内閣総理大臣 になっていくのは、おなじみの明治の歴史だね。

  明日は、「 明治の三太郎 」に話題を移そう。
  この 三太郎 というのは、この本の造語みたいだね。
  「 明治の三傑 」は、 木戸孝允(桂小五郎)、 西郷隆盛 大久保利通 だが、これにならったのかね。
伊藤博文 は、この 三傑亡き後を引受け 、さらに並行して 三太郎 が活躍することになる。






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Last updated  2010.04.14 08:01:17
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