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幻の甲子園
私
: 昭和17年(1942年)8月28日
、 準決勝第2試合
の 広島商業対平安中学
の戦いで、5回表、 台風による雨
が強く降り出し、 試合はノーゲーム
となり、 翌29日午前
の 再試合
に変更になった。
ところが、 決勝戦の日程
は変更しない。
そのために、 午前に勝ったチームは、午後に決勝戦
をやる日程となった。
A氏 : 精神論で頑張るという時代 を象徴しているね。
私 :すでに 準決勝第1試合 を勝った 徳島商業 は 決勝進出 を決めているので、有利となるね。
ここで問題になったのは、 平安中学のエース 富樫淳
だね。
1回戦の市岡中学戦
では ノーヒットノーラン
を達成し、 2回戦の一宮中学戦
でも 1安打完封
と進んできた。
ところが、この 27日の2回戦
で 最後の1球
を投じた直後に、 右肩に激痛が走った
。
28日
の 準決勝の広島商業戦
では、 右肩の痛み
を堪えながら投げた。
速球は次第に無理になり、 痛み止めの注射
を打ちながら、 カーブを多投
した。
A氏
:その試合が、 5回で雨で中止
になるんだね。
5回投げたのはムダ
だったことになる。
しかも、 翌29日
は、午前中勝てば、午後の決勝戦でも投げないといけない。
普通の肩の状態でも 大変な負荷
だね。
私
: 29日土曜日
、 台風一過で晴天
となる。
平安中学
は、 再試合
にも 富樫
を 先発投手
として出す。
富樫
は肩の痛みを堪えながら、カーブ主体で 気力で投げる。
無理にカーブを投げるので、腰にも負担がかかりだす。
富樫
は粘って 広島商業
に 8対4で勝つ。
A氏 :午後は決勝だね。
私
: 午後1時55分
、 超満員の大観客
の中で試合は開始された。
平安中学
は 富樫
を 先発
させた。
7回裏
、徳島商業が 富樫
を打ち込んで、 2対5と勝ち越す
。
ここで 平安中学
の 浪利熊雄
監督が、 小俣秀夫
に 投手を交代
させる。
平安中学
は7回、さらに1点追加され、 2対6
となる。
A氏 :7回なら、すでに勝負ありだね。
私
:しかし、 甲子園には魔物が棲む
という。
8回表
、 平安中学
は攻めて、 6対6のタイ
にこぎつける。
8回裏
、平安中学は、 再度、富樫を登板
させる。
富樫
はベンチで「 投げさせてください
」と 監督に直訴
したという。
監督も「 勝っても負けても富樫で行こう
」と腹をきめたという。
富樫はよく投げ、試合は 6対6のまま延長戦
になる。
延長11回表
、 平安中学
は1点を入れ、 7対6
となる。
その裏、 平安中学
は 二死一塁
とし、 後アウト一つで優勝
となるところまでこぎつけた。
しかし、 富樫
は制球力を失い、 三者連続四球で押出しの同点
になる。
逆に 徳島商業サヨナラ勝ちのチャンス
となる。
監督
は最後の打者に「 目を瞑っていけ
」という。
A氏 : 富樫 投手も必死だね。
私
: 二死満塁で2・3のフルカウント
になる。
運命の6球目
を 打者
は「 目を瞑った
」。
球審
・ 天地俊一
の判定は ボール
。
ストライクと判定されてもおかしくない きわどい球
であったという。
徳島商業の優勝
となるが 幻の優勝
だね。
マウンド上の 富樫
の身体は最後の判定を告げられた瞬間から崩れ落ち、しばらく立ち上がれなかったという。
後に 富樫
は母校 平安中学
の 監督
になり、 就任1年後の昭和32年
に 夏の甲子園で全国優勝
を遂げている。
偶然、そのときの 1回戦の相手が徳島商業
で、 4対0で倒している。
富樫
は 昭和61年に62歳
でなくなっている。
追悼集
には 富樫
が「 あの球は高めいっぱいのストライクだったと思っている
。
天知球審
の心を動かすほどの スピード
がなかったからであろう」と語っていたとあるという。
「 甲子園、強者どもの夢の跡
」だね。