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私
1980年
まで、 カラオケやスナックなんて無縁
だったんだよ。
A氏 :何がきっかけで歌うようになったのかね。
私
: 1980年
に、たまたま、仕事の都合で、 大阪のある中堅企業S社の業務改善
を手伝うはめになった。
それで、 大阪
によく通うようになった。
この S社の創業社長
は一代で財をなし、上場し、 大きな自社ビル
を作るまでに会社を大きくした。
しかし、子供に恵まれなかったので、 大手取引銀行の頭取
に 後継者
として適任者に来てもらうように依頼したんだね。
そして、 1978年
にその銀行の K重役
が S社
にまず 経営顧問
として来たんだよ。
A氏 : 頭取 としては、 急成長企業のトップ になることを期待したんだろうね。
私
:ところが人生とはわからないものだね。
翌79年
、K氏が 副社長
として 社長
に代わり 陣頭指揮を開始
し始めたとき、 オイルショック
がきた。
高度成長経済
の終りだね。
その余波を受け、 S社の業績は大きく低下した
。
当時、俺が勤めていた会社は S社と関係
があり、俺は S社の業務改善のお手伝い
をすることになった。
1980年の秋
から 大阪のS社
に毎週のように行き、業務改善の仕事に入った。
1981年末
、会社は 危機を脱し
、その後、 K氏
は 社長
になった。
その後、 経営が安定するまで10年
くらいかかったが、 バブル崩壊も無傷
で、今も 安定経営
している。
A氏 :それと 君のカラオケ とどういう関係があるのかね?
私
:この K社長
は、美声で、よく声は通り、言語明晰だったね。
会社の危機脱出のリーダー
には適切な人だった。
K社長
は、声がいいので カラオケもうまい。
しかも、当時から カラオケセット
を家に置き、練習していたそうだ。
十八番は「 大阪しぐれ
」だった。
プロ
並みだったね。
ところで、 K社長とときどき夕食
をするようになったんだが、食後、 カラオケ好きの社長
と 北新地
の クラブ
に行くわけだ。
すると 1曲くらいは付き合いで歌わねばならないハメ
になった。
当時は、 レーザーカラオケ
などない頃で、 アルバイトのピアニスト
が 歌い手に合わせて伴奏
してくれる。
これが、 俺とカラオケのつきあいのはじまり
となったんだよ。
A氏 :君は、最初、何を歌ったんだね?
私
:当時、俺が知っていた 唯一の歌謡曲
が 伊東ゆかり
「 小指の想い出
」
だったね。
しかたがないから、これを下手ながら歌ったよ。
これが自然に後に 俺の十八番になった由縁
だね。
明らかに、 カラオケ は 日本の新しい大衆文化 に成長し始めた頃だね。
2年
ぐらいで、 S社との付き合いは終わった。
しかし、俺はこれをきっかけに 出張のときのスナック通い
にはまりだすんだね。
人間の明日とは分からないものだね。![]()
昨年、 K社長 と約30年ぶりにまた、仕事の関係で 2、3回 ほど会ったが、もう社長は年で、酒がだめで、夜のお付き合いはできなくなり、当然、 カラオケ はやめたようだったね。
A氏:カラオケ世代の交代
かね。![]()
私
:だから、俺は今でも「 大阪しぐれ
」はよく歌うよ。
その社長の 最盛期
ほどうまくはないがね。