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Ryu-chan6708

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2010.12.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類


1980年 まで、 カラオケやスナックなんて無縁 だったんだよ。

A氏 :何がきっかけで歌うようになったのかね。

1980年 に、たまたま、仕事の都合で、 大阪のある中堅企業S社の業務改善 を手伝うはめになった。
  それで、 大阪 によく通うようになった。

 この S社の創業社長 は一代で財をなし、上場し、 大きな自社ビル を作るまでに会社を大きくした。
  しかし、子供に恵まれなかったので、 大手取引銀行の頭取 後継者 として適任者に来てもらうように依頼したんだね。
  そして、 1978年 にその銀行の K重役 S社 にまず 経営顧問 として来たんだよ。

A氏 頭取 としては、 急成長企業のトップ になることを期待したんだろうね。

:ところが人生とはわからないものだね。
翌79年 、K氏が 副社長 として 社長 に代わり 陣頭指揮を開始 し始めたとき、 オイルショック がきた。
高度成長経済 の終りだね。
  その余波を受け、 S社の業績は大きく低下した
  当時、俺が勤めていた会社は S社と関係 があり、俺は S社の業務改善のお手伝い をすることになった。
1980年の秋 から 大阪のS社 に毎週のように行き、業務改善の仕事に入った。
1981年末 、会社は 危機を脱し 、その後、 K氏 社長 になった。

   その後、 経営が安定するまで10年 くらいかかったが、 バブル崩壊も無傷 で、今も 安定経営 している。

A氏 :それと 君のカラオケ とどういう関係があるのかね?

:この K社長 は、美声で、よく声は通り、言語明晰だったね。
会社の危機脱出のリーダー には適切な人だった。
K社長 は、声がいいので カラオケもうまい。
しかも、当時から カラオケセット を家に置き、練習していたそうだ。
  十八番は「 大阪しぐれ 」だった。
プロ 並みだったね。

   ところで、 K社長とときどき夕食 をするようになったんだが、食後、 カラオケ好きの社長 北新地 クラブ に行くわけだ。
  すると 1曲くらいは付き合いで歌わねばならないハメ になった。
  当時は、 レーザーカラオケ などない頃で、 アルバイトのピアニスト 歌い手に合わせて伴奏 してくれる。
  これが、 俺とカラオケのつきあいのはじまり となったんだよ。

A氏 :君は、最初、何を歌ったんだね?

:当時、俺が知っていた 唯一の歌謡曲 伊東ゆかり 小指の想い出 だったね。
  しかたがないから、これを下手ながら歌ったよ。
  これが自然に後に 俺の十八番になった由縁 だね。

  明らかに、 カラオケ 日本の新しい大衆文化 に成長し始めた頃だね。

2年 ぐらいで、 S社との付き合いは終わった。
しかし、俺はこれをきっかけに 出張のときのスナック通い にはまりだすんだね。
  人間の明日とは分からないものだね。大笑い

  昨年、 K社長 と約30年ぶりにまた、仕事の関係で 2、3回 ほど会ったが、もう社長は年で、酒がだめで、夜のお付き合いはできなくなり、当然、 カラオケ はやめたようだったね。

A氏:カラオケ世代の交代 かね。スマイル

:だから、俺は今でも「 大阪しぐれ 」はよく歌うよ。
  その社長の 最盛期 ほどうまくはないがね。






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Last updated  2010.12.05 08:32:45
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