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9.「大洋をわたった最初のことば・サイラス.W.フィールド」 1858年7月28日
1851年
に ドーバー海峡
に 海底電線
が敷設され、 イギリスとヨーロッパ大陸
は電信で同時につながるようになる。
次に アメリカとイギリスとを結ぶ大西洋の海底電線敷設
が考えられたが、難事業なのでそれに乗り出す者はいなかった。
ところが、ニューヨークにいた宣 教師の息子
である サイラス.W.フィールド
が実業に成功して余裕がある生活をしていたが、若くてエネルギーをもてあましており、この仕事に挑戦することになる。
失敗もあったが、 3度目の挑戦
で、 1858年7月28日
に 海底電線
が 大西洋の海底に敷設された。
まったく無名であった サイラス
は俄然、 全国民の英雄
になった。
8月16日
、 ヴィクトリア女王
のメセージが「 最初のことば
」として ニューヨーク
に届いた。
ところが、1ヶ月も立たないうちに、 故障が発生
し、ついに 通信は不可能
になった。
サイラス
はたちまち 詐欺師
だと言われるようになった。
6年後
、沈黙を破って サイラス
は再挑戦する。
この間、技術も進んでいて、
今度は成功した。
6年前の電線
もみつかり、2つの線が使えるようになった 。
10.「神への逃走」 1910年10月の末
、レオ・トルストイの未完成の戯曲「光闇を照らす」への1つのエピローグ(戯曲)
これは著者が、 トルストイ
の 未完の戯曲
「 光闇を照らす
」に追加して、 戯曲を完成した試みである。
ロシアの農民が苦しんでいるのに、 トルストイ
は ヤースナヤ・ポリャーナ
での召使にかしずかれる 贅沢な生活
を恥じ、 夫人との長年の不和
に悩んでいた。
1910年10月末
、ついに 家出
を決行するが、鉄道で移動中悪寒を感じ、 小駅アスターポヴォ(現 レフ・トルストイ駅
)
で下車した。
1週間後、 11月20日
に 駅長官舎
にて 肺炎
により 82歳
で死去するまでの経過を著者が追加した戯曲である。
11.「南極探検の闘い・スコット大佐、90緯度」
1912年1月16日
1910年6月1日
、 スコット大佐
は 南極
に向けてイギリスを離れた。
南極
について移動しているうちに、 ノルウエーの探検家 アムンゼン
が越冬していた家を発見し、先に進んでいるのを知る。
1912年1月16日
、彼は 南極に到達
した(ウィキペディアでは 17日
に到達し、 18日
に国旗をたてたとある)。
しかし、そこには、すでに アムンゼンのノルウエーの国旗
が立っていた。
失意のうちに帰路につくが、ベースキャンプに辿り着く前に 凍死
する。
44歳
であった。
なお、ライバルだっった アムンゼン
は 1928年
、 北極遭難者捜索
のため、飛行機で向かうが行方不明となり 56歳
で死亡( 山田風太郎「人間臨終図巻」より
)。
12.「封印列車・レーニン」
1917年4月9日
1915年から17年頃
にかけて、 中立国スイス
には ヨーロッパ
のいろいろな国の人が出入りしていた。
レーニン
は、 靴直しの同居人
として チューリッヒ
にいて、毎日、 図書館に通い1日中そこで読書をしていた。
1917年3月15日
、図書館に行く途中でロシアの知人が ロシアに革命
が起きたと伝えたので ロシアに帰国
しようとした。
スイス
は、 イタリア
、ドイツ、 オーストリア
の間にはさまれており、連合諸国家を通過する道は 革命家レーニンに遮断
されており、ドイツとオーストリアの通過はレーニンがロシア人であり、敵国人であるために通過できない。
ところが、 レーニン
は ドイツの カイザー帝
が アメリカ
が参戦する前に、ロシアとの和睦を必要としたので、 英仏にとって厄介な革命家
なら、助力してもいいと考えていた。
しかし、 レーニン
は カイザー
を著書で 百度も罵倒し、威嚇
したのに、カイザー治下のドイツとの 妥協交渉
は 彼の恥辱
にもなりかねなかった。
しかし、彼は、 責任は彼個人
が引き受けるとして、 ドイツ政府
と交渉して、 レーニンの列車を治外法権にすることで決着
した。
こうして、 レーニン
は 1917年4月9日
に列車で チューリッヒを出発
し、ロシアに入国した。
すぐに彼は多くの新聞を読んで、まだ、純粋の革命でないと知る。
しかし、列車が フィンランド駅
に入ると駅前は レーニンを迎える数万の労働者
でいっぱいになり、 インターナショナルの歌
が鳴りひびいた。
レーニン
が列車を降りると、一昨日までは、まだ 靴直しの同居人だった彼
は、装甲車に乗せられた。
そして、彼は装甲車の上から 民衆への最初の演説
をした。
やがてまもなく「 世界をゆるがした十日間
」が始まった。
このように、 レーニンの乗った列車
は、弾丸のように スイスからロシアに発射
され、そしてそれは 1つの国、1つの世界を打ち砕いた
。