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A氏 :このところ、君のブログで続けて「 体罰 」問題をとりあげたので、「 体罰 」アンテナが張られていて、 今朝の朝日新聞 の「 社説余滴 」欄の記事にひっかかってしまったよ。
筆者は、スポーツ現場や部活動における 暴力(体罰)問題の取 材を重ねてその根の深さを思い知らされているとしているね。
昨日、君は「 体罰 」という「 暴力を加える側」 の心理分析に視点を置いたが、この記事は、「 暴力を受けた側 」の視点で問題を指摘しているね。
私 :筆者が気が重いのは、 指導者側の「体罰」容認論 も大いに疑問だが、もっと気が重いのは、「 暴力を受けた側 」から「 体罰 」容認論を聞かされた時だという。
「 殴ってもらって目が覚めた」「自分の甘さに気づかされた
」と生徒や選手からそんな話がでるという。
高校球児
が「 気合を入れてください
」と試合前に自ら 顔
を差し出したという話もあったという。
A氏 :筆者は、スポーツ現場を長く見てきているが、 こういう関係では選手としての成長も結果も得られない と言っているね。
私 :無抵抗の暴力で、強制された通りやっていることに慣れるということは、生徒自身の成長のためには怖いことだね。
「 体罰
」 の罠
に陥っていることを自覚できない人間として育つことになる。
スポーツは競争だが、 相手に勝つ工夫
を 自主的に臨機応変に考える力
を失うことになる。
「 胆力
」のないスポーツマンとなるだけだね。
海外から来た指導者の多くは「 日本人は指示されたことは忠実にこなすが、自分で判断できない」「ミスを恐れてチャレンジしない 」と指摘する原因ともなっているね。 要するに「 胆力 」がないということだね。
A氏
:だから、プレーする側が自立し、自主的に取り組まない限り、スポーツは成り立たない。
原点
に立ち返れば 部活動
も変えられる。
そこに暴力や「 体罰
」が入り込む余地はないと 潮
氏は言う。
私
: 潮
氏は最後に「 時間はかかるかもしれないが、今度こそ根絶しなければならない。
死に追い込むような悲劇はもうごめんだ
」と書いているね。
まさにその通りだね。