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私
: 明治初期
の漢学塾では「 会読
」 全盛時代
となった。
明治5年
( 1872
)の「 学制
」の 教育理念
は、 教育の目的
は個々人の 一身独立・治産昌業
のためであるとされた。
A氏 :江戸の 儒学の学習目的 と違い、 個人の立身出世の実利的な目的の手段 となるね。
私
:そして、学ぶ内容も江戸後期の儒学のような 抽象性
を廃し、「 人間普通日用に近き実学
」を学ぶことが目的となった。
儒学
のような「 実なき学問
」は否定されたが、「 会読
」「 輪講
」という 伝統的な学習方法
は否定されなかった。
昨日もふれたが 幕末の藩校 は多くの点で 欧米近代国家の学校と大差のないところまできていた という。
A氏 :「 輪講 」を行うには 教師の役割 が重要だが、明治初期の学校教師はどうだったのかね。
私
:教師は 明治4年(1871
)の 廃藩置県
後に職を失った 武士の人気就職先
であったという。
これらの武士は教育熱心であり、武士時代、藩校で習得した「 会読」「輪講
」で生徒を教えることができた。
同時に江戸後期の武士だけの「 藩校
」の教育が、明治の 四民平等
により、一般人にも「 輪講
」の教育が行なわれることになった。
これは「 会読
」の「 第2原則
」の「 対等性原理
」が 国民全体
に適用されたことになる。
なお、 儒学の学習方法 は「 自学自習 」が基本だったため、逆に「いかに教えるか」という 教授方法 は発達しなかったという。
A氏 :儒学では、先生は生徒の「 自学自習 」を支援する存在であり、生徒の手本となり、生徒は手本を自ら学ぶというスタイルだね。
私
: 明治初期
までの授業方法は 生徒の自己発達
を助けるものだったが、 明治20年代
以降は、欧米の影響で 講釈的な傾
向が増し、本質的には「 記憶注入の法
」となり、「 素読
」と「 講釈
」のリバイバルでとなった。
「 会読
」の合同読書が持っていた「 自発性
」は授業では消滅した。
A氏
:それに教育が 個人の立身出世主義
となったことが影響しているようだね。
皆で討論しながら 共同読書
するより、個々人がせっせと 試験勉強
に励むようになるわけだ。
私
:一方、「 会読
」が盛んだった 明治初期
にはテキストは儒学のテキストだけでなく、 西欧近代思想の政治・経済・社会・法律などについての翻訳書
まで広がった。
江戸時代
には厳禁されていた 政治的な討論
も自由に行えるようになった。
翻訳西欧書籍
の 共同読書会
の「 会読
」の場として、 明治前期
、 自由民権期
に大きな役割を果たすことになる多くの 平民
も 平等
に参加した「 学習結社
」を生む。
A氏:それが 1980年代 に現在、名前が判明しているだけでも 2000社 を超えるという「 民権結社 」のもとになったわけか。
私
:断髪して間もない 武士
、そして 町人・農民
たちは「 演説会
」や「 読書会
」のなかで 西欧近代の自由や平等の思想
を学んだ。
そして、自らの頭で新しい国家のあるべき姿を考え、その枠組となる 憲法の草案
まで作っていったという。
A氏 :それは 明治元年(1968 )の「 広く会議を興し、万機、公論に決すべし 」などという「 五箇条の御誓文 」通りだね。
敗戦後、 昭和21年(1946)
に 昭和天皇
が「 人間宣言
」をした時、 御誓文の全文
が引用されているという。
昭和天皇
は、
「 五箇条の御誓文
にもとに 明治憲法
ができたもので、 民主主義
というものが決して 輸入物
ではないことを示す必要があった」
と当時、記者会見で語っているというね。
私 : 江戸後期 の 伝統 である「 会読 」の 第3原則 の「 結社性 」が、 日本の近代化に貢献 したというのはある意味皮肉なことだね。
その意味で、江戸後期の「 会読 」を 再評価 すべきだね。
この本は、 390頁
にわたり、豊富な歴史的な資料をもとに、今まで、あまり日の当たらなかった江戸期の「 会読
」の伝統の実態を詳細に明らかにしている労作だね。
本のカバー表紙に、武士数人が「 車座
」で「 会読
」をしている 当時の絵
があるのは象徴的だね。