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私 : 伊藤博文 は、「統治権を総覧するのは主権の『 体 』で、憲法の条規によりこれを行うのを『 用 』という」として、「 体 」と「 用 」を分けている。
「 体 」によって日本は共和制でなく、 君主制 であるが、「 用 」によって、 君主に制約のある立憲政治 であるとしている。
これはドイツの国法学者 シュルツの 理論にもあるという。
だから、「 天皇は神聖にして侵すべからず 」は 天皇の絶対性を意味せず 、立憲君主としての天皇を「 政治争点化」を回避 しようとした。
伊藤は、天皇は政治主体としての 能動的君主でなく 、 政治の中心はあくまで、内閣にある という政治システムを構想し、 天皇の政治争点化を避けようとした 。
ところが 井上毅
は、天皇を「 しらす
」を行う 実質的な政治主体
であるとして、 内閣は政治の中心でなく
、あくまで 天皇大権の下で天皇を補佐する役割
を担うのみの存在とした。
だから、 井上
は 内閣の権限
を弱くし、 帝国憲法には内閣という言葉ない。
A 氏 :第1条の「 大日本帝国は万世一系の天皇これを統治する 」と第4条の「 天皇は国の元首にして統治権を縦覧しこの憲法の条規によりこれを行う 」という天皇は、 伊藤は天皇個人とは考えず 、 井上は個人と考えた わけか。
私 :帝国憲法の運用にあたって、伊藤が 政治の主体は内閣である としたことに明治天皇にとってはおもしろからざることがあったようで、 蚊帳の外 におかれた感じだったのだろう。
後に松方内閣の後、組閣の大命を受けた伊藤は、首相承認を承諾するにあたって、特に天皇に対して、 万事自分に任せて欲しい旨を申し入れ、天皇から干渉しないという約束を取り付けている という。
A 氏 :しかし、 国家が危機的状況 にあるときは、天皇は「 万民の父母 」して積極的に行動する必要もあるだろうね。
私 :実際に、 松方内閣が議会と衝突したとき には、 伊藤は天皇に勅諭 をだしてもらって混乱を救った。伊藤は 2つの天皇観を使い分けていた 。
この 2つの天皇観 は、 太平洋戦争の開戦 と 終戦の手続き に典型的に現れている。
開戦時は、立憲君主としての天皇 、 終戦時は、「しらす」として「万民の父母」の天皇 だ。
とにかく、 東洋初の近代憲法である帝国憲法 は内外から 高い評価 を受け、 日本は白人社会以外で初の立憲国家となった 。
明日は、これが軍により次第におかしくなることにふれよう。