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私 : 原信太郎 氏が、 95 歳 で 7 月 5 日 死去(老衰)・ 9 月 24 日日お別れの会をしたという。
A 氏 :この君のブログの 2006.08.19 の「 悠々人生・原信太郎氏 」でとりあげているね。
私 :原氏を知ったのは、 1996 年 12 月 2 日号 の「 日経ビジネス 」の巻頭言:「 有訓無訓 」に「 組織に頼らず、自己流を貫け 」という氏の次のような談話が掲載されていたのを読んでからだ。
「 日米開戦時
の公定為替レートは
100
円で
23
ドル
。闇ルートで
17
ドル
。 太平洋戦争
で日本が負けると思った
20
歳代
の 原
氏は、東京の住宅などの資産を処分し、 得た金の大部分をドルに換え
、 静岡県袋井市
に逃げた。
ここを選んだのは東京が破壊されても中心地であり続けるだろうという予測と、海岸から距離があるので米軍が上陸しても逃げられるという
2
つの理由
からであった」という。
A
氏
:現在は、東海道新幹線の 掛川
から在来線に乗り換えて、 浜松
に向かって行くと
2
駅目が 袋井
。駅の出口は、片方しかない田舎駅だね。
私
: 敗戦となって、 円は急落
。 ドルの価値
は
20
倍以上
もあがり、氏は、 大きな資産
を得た 。
だから、氏は国家を信用しないという。
この「 日経ビジネス
」の記事から
10
年
ほどたって、インターネットで索引したら、
Slownet
の「 いきいき大人見聞録
」に
4
回シリーズのインタビュー
で登場されていた。
それによると、戦争が始まる前、氏は、 日米が開戦したら、日本は負ける
と言ったら、クラスの全員から殴られたという。
負けるという確信
は、氏が 学生時代
のとき、持っていた 国産車の車検整備
を自分でやるため、整備工場に行ったときに、たまたま、 フォードのエンジン
を見て、 その技術水準の高さ
に驚いたからだ。 潤滑油の差
も歴然としていた
こういう技術水準の国と、戦争しても負けると思わざるを得なかった
のだね。
趣味の機関車モデル
自由人
だ。そのせいか、特に健康法をしていないのに、当時、
86
歳なのに、 視力は両眼
1.5
、階段も
2
段とびであるという
。
明日は、さらに、 氏の独特の生き方をまとめておこう。