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【楽天ブックスならいつでも送料無料】江戸の貧民 [ 塩見鮮一郎 ]
私 : 江戸期 に 穢多 を管理する代々 弾左衛門 という家系がある。その役のひとつは、 奉行所 に係る仕事で 処刑の手伝い 、 牢屋敷の掃除 、 浮浪者の取り締まり である。もう、ひとつの大きな仕事は 皮革生産の管理 だね。
どちらも 死の穢れ に接し、 弾左衛門 は、その管理のトップの役だが、ここに派遣された さむらい は大名並みの扱いを受けた。 弾左衛門 の下には 地方の小頭 がいて管理していた。
鎖国 前は、皮革製品は輸入できたが、鎖国後は品不足になり、 穢れ意識 にとらわれた農民は死んだ牛馬を自分で解体しないで 穢多身分 に依頼する。鎖国の仕上げ後、あらゆる農村に 穢多村 がつくられた。 穢多 はバラした後、女子供はみんなして肉鍋を囲んだという。
A 氏 : 皮革製品 の生産増で、 部落民 の人口が増加して栄養がよかったようだ。 農民 のほうは「 間引き 」しているというのにーーー。しかし、 穢多 は アパルトヘイト のように 町民 とは隔離されたんだね。
私 : 弾左衛門 は、江戸の人口が増えてきたとき、 ロウソクの灯心 の生産に目をつけ、幕府から 専売権 を得る。
また、 猿回し をやる「 猿飼 」の一族も各地の 穢多小頭の管理下 におかれた。
「 十二支 」では「 馬は火気で猿は水気 」で、 猿は馬の病を防ぐ ということから、軍馬を持つ大名は馬に関することなので 穢多頭に管理 をまかせ、 猿回し は武士の厩で猿回しを披露して、馬の健康を祈った。
A 氏 :ところで江戸時代の身分制は「 士農工商穢多非人 」というが、 穢多 と 非人 はどうちがうのかね。
私 : 穢多 は武士階級の誕生とともに生まれ、主として「 穢れ 」に関する仕事をし、 町奉行や牢屋奉行を通して管理 されていた。
非人 のほうは社会からはじだされた落ちこぼれだね。 江戸 が都市として落ち着くまで 50 年 はかかっているが、その間、 人口は増加 している。
特に 寛永 19 年( 1642 ) 、 大飢饉 がピークとなり、百姓は田畑を捨てて 江戸に逃げ て、 江戸 の路上には、 むしろをかぶった者 があふれた。これらが 非人 だね
これらの管理にはボスである「 非人頭 」が何名かいた。
奉行 は、かれらに管理を命ずる。これが、徳川独自の「 非人制度 」だね。
明日は、これについてふれよう。