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私 : 米国の原爆投下 は トルーマン大統領の決断によるという常識 が、 今まで未公開だった証言記録や資料 で その常識を覆す多くの新事実が明らか になり、それを このスペシャル番組 はまとめている。
A 氏 : 1945年4月 、 ルーズベルト大統領が急死 し、 副大統領 から突然トップになった トルーマン は、 それまで原爆計画の詳細を一切知らなかった んだね。
君のこのブログ の 「原爆目標 横浜が外れた極秘電文・米公文書館で新資料発見」 によると、 米公文書 では、 原爆投下都市の選定作業 は 45年4月27日 に ワシントン で開かれた 目標検討委員会 ではじまったという。
軍は原爆の効果を確認できる都市 として、 半径5kmが平坦 で、まだ、 空襲で損害が少ない都市 を選んで、 最初は17地域が選定 された。
A 氏 : 17発の原爆投下計画 だね。
私 : 7月に原爆実験が成功 したので、 最初の投下は8月 になった。
この頃、 トルーマン は、 投下目標は軍事施設に限定 し、 女性や子供を犠牲にすることはさけるべきとしていたこと が今回の公開で分かる。
原爆投下の第1次候補として 広島、京都、新潟 があがったが 、文化都市の京都はステムソン長官の反対 で、これに賛同した トルーマンは目標から外すように指示が出る。
そこで、京都の代わりに小倉が追加 された。
A 氏 : 軍 は、 原爆投下のトップの広島は軍事施設都市 という ウソの説明 を トルーマン にする。
だから、 投下直後、トルーマンは軍事施設の破壊に成功したと公表 する。
おっかけ、 広島の3日後 、 軍は2発目の原爆を搭載した爆撃機を小倉に向け出発 。
しかし、 当日、視界が悪いため、変更し、長崎に向かう ということになり、 長崎に投下 。
ここで、 トルーマン は その残酷性 を知ったのか 原爆投下中止の指示 を軍に出すんだね。
私 :もたもたしていたら、軍は、 2、3日後に小倉に投下 し、次々にこの間隔で原爆を投下していただろうね。
そこで トルーマン は、 原爆投下 により、 戦争を早期に終わらせることができ、多くの米兵の死傷者を出さないですんだという原爆投下の正当性の説明 を 後知恵 だが作り出したという。
広島、長崎に原爆投下の71年目 に 軍の独走という真実 がわかったね。
歴史にイフは禁物 だというが 、ルーズベルトが、8月まで大統領 だったら 文民統制 で、 事態は変わっていただろうか 。