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私 : 永六輔 氏、 大橋巨泉 氏、 そして昨年亡くなった 野坂昭如 氏と、 戦後のサブカルチャーの旗手たち が、ここへきて 一斉に退場 されたという感じがあるとして、 その戦後思想の位置づけ を 五木 氏は、 インタビュー でまとめて説明しているね。
A 氏 : 1950年代から60年代 にかけては、 日本でもカウンターカルチャーとしてのマスメディアが一つの流れとして成立してくる時代 。
その中で 大きな位置 を占めていたのが、 作詞・作曲家で放送作家でもあった三木鶏郎氏率いる「冗談工房」 。
私 : 永 氏はそこで アシスタント格 、 野坂 氏は マネジャー をやっていて、 五木 氏は、 三木 氏の「 音楽工房」「テレビ工房 」に関わるようになる。
当時は 作詞もやれば番組の構成 もやる、 評論も書けば匿名の批評 もやるし、 歌も歌ってステージ もやったという。
60年代半ば まで、みんなそういう 雑業の世界 にもやもやっと固まっていて、そこには、 まじめなことを常にジョークで言うという精神 があったという。
大橋 氏は 学生時代からジャズ喫茶で解説 を交えて曲を紹介する 司会者 、今でいう MC としてもよく知っており、 真摯な青年 という感じで、 ジャズ について情熱的に語っていたという。
A 氏 :当時、 大学を出てテレビやラジオに行くのはアウトサイダーの感覚 。
歌謡曲やジャズは低俗な大衆文化 とされて、 知識人が言及することはなかった時代 。
永 氏や 大橋 氏は、そういう 低いジャンルとみられていたものを表に引っ張り出してきた 。
私 : 五木 氏は、 彼らがこうした舞台に行き場を求めていった背景 には、 戦後のレッドパージの影響 があった 指摘 している。
永 氏にしても 大橋 氏にしても、 青島幸男 氏にしても、 オーソドックスに行けば「左」だったはずの人たち が、いわば 屈折してテレビやラジオに行った 。
頭を押さえられ、そのエネルギーがサブカルチャーに向かった という。
A 氏 : ロシアのヒューマニストの素朴な合言葉 に「 ヴ・ナロード」(民衆の中へ )というのがあるが、 ある種の屈折を経て、鬱々と不平不満を言うのではなく 、 テレビやラジオなど別の世界に王国を築きあげたのは、ヴ・ナロードなのかも 。
私 : 五木 氏が 指摘 する、 もう一つ大事なのは 、 彼らの表現が「書き言葉」ではなく「話し言葉 」だったことだ という。
永 氏は お寺の生まれ で、彼がやったのはまさに「 旅する坊主 」で、 法然、親鸞から続く説教坊主の系列 。
真宗は徹底的に大衆的 で、 人々に語って聞かせ、風刺やユーモアを忘れず、歌を大事にする 。
大橋 氏もそうで、 彼ら がやったのは、いわば グーテンベルク以降の活字偏重文化からの「話し言葉 」の復権 。
戦後の大衆は、彼らのメッセージを楽しみと共に受け取っていた 。
A 氏: 今やサブカルチャーが社会から承認されメインカルチャーになってしまった が、 本来は メ インカルチャーに対する異議申し立て だった。
その 担い手たちの根本 には、 敗戦体験と左翼運動の挫折 があり、 彼らの仕事は、そういう広い日本の戦後思想史の中で語られるべきだ と 五木 氏はいう。
私 :そういう彼らが 晩年 になって、 それぞれ反戦の思いを語った のは、 冗談を言っている余裕がなくなった時代 になって、 最後に本音がぽろっと出たのだ と 五木 氏は 指摘 している。
お笑いの世界の大橋 氏が、 がんで衰えた容貌 で、 最後まで、テレビインタビューで雄弁に「反戦」を語っている理由 が分かったような気がしたね。